第59話 鳴らない蔵
次の日の朝、わたしはすぐに蔵の灯りの話を雨の神さまに伝えた。
たくさんの鈴が保管された蔵の窓から、夜遅くに灯りが漏れていたこと。そして、もしかするとギドが中にこもって何かしているのかもしれない……と、わたしはなんとなく考えているということ。
わたしの話を聞き終えると、雨の神さまは意外にもあっさりと答えた。
「声結びさんの想像通りじゃない? たぶん、鈴のそばにいたかったんでしょう」
「……鈴のそばに?」
「いつまでも音を鳴らせないままあんなところに押し込められているあの子たちを、不憫に思ったのかもしれないわね。まあ、そのギドという子が、あなたたちが話す通りの真面目な人間だったなら――の話だけれどね」
そう、これはあくまでもわたしの想像に過ぎない。昨晩、あの蔵で本当は何があったかなんてわからない。
でも、雨の神さまはわたしの話を特に疑っている様子もなく、どこか穏やかな表情さえ浮かべていた。
そして話が終わるなり、雨の神さまが少し真剣な顔になって言った。
「声結びさん。わたしからも伝えておきたいことがあるの」
「え……な、なに?」
「教会堂から感じる鈴の気配が、少しずつ弱くなっているわ」
雨の神さまは、遠く離れた教会堂のほうへ目を向けた。
「あの子たちは、もうずいぶんと長いあいだ、自分の音を鳴らせていない。このままではもう間もなく……力を失ってしまうでしょう」
「そんな……あとどれくらいもちそうなの? あと八日で〈雨の御礼式〉だから、それまでにはなんとかするつもりだけど……」
「八日……そこまでかかってしまうと、ちょっと厳しいかもしれないわね。できればもう少し急いでもらいたいところだけれど」
もちろん、元から式典の前にはなんとかしたいと考えていたので、丸々八日かけるつもりはないけど……雨の神さまの口ぶりだと、確かにもっと急いだほうがいいかもしれない。
わたしは、胸元の鈴をギュッと握りしめる。
町の鈴はもちろん必ず返してもらう。でも、その前に力が消えてしまったら、せっかく持ち主のもとに帰れても、そのころにはもうただの鈴に戻ってしまっている。
「……蔵の外から、わたしが音を届けて、鈴を鳴らしてあげるっていうのはどうかな」
雨を呼ぶ鐘のときと同じだ。〈深流域〉に沈んでいても、わたしが音を届けた際に、あの鐘はちゃんと反応してくれた。あれと同じことをすれば、鈴だってあと少しくらいなら力を保てるかもしれない。
「――声結びさん。あなた、また無茶をするつもりじゃないでしょうね」
「大丈夫だよ。〈深流域〉の鐘のときだって少し息が上がったくらいで済んだし、もし何かあればすぐにやめるから」
「……ふうん。ま、ちゃんと学習もできているようだし、問題ないかしらね」
雨の神さまがノワをチラリと見ながらそう言うと、ノワはわざとらしく咳払いをして答えた。
「うむ、問題ない。吾輩も見張っておることだしな」
雨の神さまは、くすっと笑いながら小さくうなずいた。
◇◇◇
昼になってから、わたしたちはリコの舟で教会堂の裏手へ向かった。
舟には空の籠や古い麻布を積み、荷物を運んでいるように見せかけていた。ノワは麻布の陰で丸くなり、自らも荷物を装っている。
リコが子供たちに頼んで調べてもらったところ、この時間、ギドは外回りをしていて不在だということなので、早速行動に移したわけである。
ちょうど今通っている水路の石垣の上には、教会の蔵が建っていて、白い壁の高いところには小さな窓が見える。
町じゅうから集められた鈴は、あの中だ。
「ミオ、この辺でいい?」
「うん……とりあえずそのままゆっくり進んでて」
リコにそう言って、わたしは鈴を手に取り、そっと鳴らした。
チリン。
その音に、わたしの想いを乗せる。そして水路の流れに沿わせて、石垣の下から蔵のほうへ。肩の力を抜き、決して水の流れに逆らうことなく、落ち着いて蔵の鈴に呼びかけるイメージ。
――特に問題なく、わたしの想いは目的地に到達した。
あとは、返事を待つだけだ。
舟は依然としてゆっくり進み続け、少し進むたびにリコが水路の先を確認する。そのあいだ、わたしはひたすら蔵のほうへ意識を集中させる。
……チリン。
ついに、小さな反応が返ってきた。
……チリン……チリン……。
続いて、ひとつ、またひとつと、いくつも反応が積み重なっていく。
これは実際に耳に聞こえる音ではない。わたしの中に、蔵の鈴が呼びかけてきているのだ。
「……あ!」
「ど、どうしたの!? 大丈夫!?」
リコが驚いてわたしを振り返る。
わたしは、何度もうなずきながら言った。
「――あった、鈴からの反応が……いっぱいあったよ! よかった、みんなまだ自分の音をちゃんと覚えてるみたい!」
高い音、低い音、少しかすれた音……鈴ごとに違う、たくさんのいろんな音。
――まだ大丈夫。ちゃんと覚えてるよ。
そんな鈴の声が、聞こえた気がした。
「ね、ねえ。その中にさ……ちょっと割れたような音の鈴、なかった?」
リコが、舟をこぎながら恐る恐る聞いてきた。
わたしはさっき聞こえてきた音を思い出しながら、割れたような音を探してみる。
「えっと……うん、あったよ。少し変わった音だけど、ちゃんと響いてた」
「そっか……それ、ばあちゃんの鈴かもしれないんだ」
リコは前を向いたまま、袖で目元をこすった。
そんなリコを見て、わたしは改めて強く思った。
――絶対に鈴を返してもらうんだ、と。
◇◇◇
蔵からの帰り道、わたしは少しだけ手が重くなったので、約束どおり今日はもう力は使わないことにした。
古い麻布の陰から出てきたノワが、わたしの手に前足を置いて、しばらく様子を確かめる。
「……少し疲れただけのようだな。力の使い方もまた一段と上達して……まあ、よくやったのである」
ノワが少し照れ臭そうにわたしを褒めてくれた。よかった、がんばった甲斐があるというものだ。
とはいえ、あまり悠長にしてはいられない。
蔵の鈴たちは、確かにまだ力を失いきってはいない。でも、わたしが一度呼びかけたくらいでは、弱くなった力が元に戻ることはなかった。
ならばやっぱり、鈴を早く返してもらう他ない。
と、そんなことを考えていたときだった。
――水路の角から、一隻の舟が現れた。
舟には、灰色の外套を着た人が二人、乗っている――ということは、あれは教会の舟に、間違いない。
教会の舟はゆっくりと前に進みながら、水路沿いの建物や船着き場を見て回っているようだった。
リコが何でもないふりをして、舟を少し端へ寄せる。
すれ違う瞬間、灰色の外套の一人が、こちらを見た気がした。
「……今の、見られたかな」
「ただの荷物を運んでる舟にしか見えないはずだけど……」
そうは言いつつ、リコも少し不安そうだった。
……教会があちこちで見廻りをしている。
いったい、なんのために……?




