第57話 雨の御礼式
翌朝の広場は、大勢の人で埋まっていた。
わたしとリコは帽子を深くかぶり、屋台の陰から広場の様子をうかがっていた。
演説台の上には、灰色の外套を着た修道士たちが何人も立っており、その中に、白い外套をまとった司祭――ヴァルドがいた。
久しぶりに見るその顔は、相変わらず穏やかに微笑んでいた。
「皆さま。お預かりしていた鈴の清めが、無事に終わりました」
広場にざわめきが広がった。
「そこで十日後、教会堂の前で〈雨の御礼式〉を行います。皆さまの鈴は、その日にひとつ残らずお返しいたします」
鈴が返ってくる……うれしい知らせのはずなのに、どうしても素直に喜べなかった。
「ねえ、ミオ」
リコがわたしの袖を引きながら言った。
「なんであたい、うれしくないんだろ……これで鈴は無事に返ってくるっていうのに」
これまでの経緯を思うと無理もない――そう言おうとした、そのときだった。
「――お礼なんていらないよ!」
人混みの後ろのほうから、声が上がる。
声の主は――〈雨やどり〉のおかみさんだった。
「うちの鈴は、元々うちのものだよ! 御礼式なんてしなくていいから、今すぐ返しとくれ!」
広場が、しんと静かになる。
……けれど、ヴァルドは笑顔を全く崩さずに、ゆっくりとうなずき、穏やかな声で言った。
「ええ、おっしゃる通りです。鈴は最初から皆さまのもの。そんな大切な鈴を、一時的にとはいえ皆さまから取り上げてしまった。だからこそ私どもは、三百年続いた災いが鎮まり、この町に雨が戻ったことを、皆さまと一緒にお祝いし――皆さまに、お詫びと感謝の気持ちをささげたいのです」
ヴァルドは、広場をゆっくり見回した。
「雨を待ち続けてきた皆さまにとって、今の状況はとても喜ばしいことのはず――どうか私どもにも、今この瞬間を、共に祝福させてはいただけないでしょうか?」
「まあ、そこまで言うんなら……」
「ちゃんと鈴を返してくれるっていうなら、いいんじゃないか」
「せっかくのお祝いだしねえ」
周りからそんな声が上がり始めた。おかみさんも言葉に詰まり、ただ唇を噛んでいる。
ヴァルドの話し方は、以前の演説のときと同じだった。
預かった鈴を返すことも、雨が降ったことも、どちらも嘘は言ってない。でも、その二つをまとめてお祝いすると言われると、まるで教会のおかげで雨が戻ったかのように錯覚してしまう。
わたしたちが必死になって雨の神さまを起こしたことまで、なかったことにされそうな気さえした。
ふと、演説台の脇のほうに、目がいく。
そこには、ギドが立っていた。
彼は例の帳面を両手で抱え、ずっとうつむいている。遠くからでも、帳面を握る指に力が入っているのがわかった。
演説が終わるまで、ギドは一度も顔を上げなかった。
◇◇◇
昼になり、わたしたちはリコの家に集まった。
「……まずいねこれは。あのヴァルドって司祭、本当によく考えてるよ」
ラギが、困っているのか感心しているのかよくわからない顔で言った。
「式典で鈴を返してもらえるんだから、教会には感謝こそしても、今さら逆らう理由はない。逆に今、式典を行うことに文句を言うと、せっかくのお祝いを邪魔する人だと思われることになる。そして文句を言ってくるとすれば……それは雨が戻ってきた本当の理由を知っている者である可能性が高い。当然、教会としては願ったりかなったりだ」
――だとすると、今朝あれだけ派手に声を上げたおかみさんは、もう教会に目を付けられてしまったかもしれない。
「ふん。自分たちは決して手を汚さず、自分たちへの支持を集めるか、あるいは、自分たちの追っている者を捕らえる機会を得るか……いずれかは必ず達成できる、か。よく考えたものである」
感心してる場合ではないんだろうけど、実際、わたしも「してやられた」という気持ちが強く、ノワを否定することもできなかった。
わたしは、ラギにすがりつくような思いで、この前話していた作戦のことを聞いてみた。
「……あのギドって修道士さんに鈴を返してもらうってやつ――今すぐできないかな?」
すると、ラギは少し困った顔をした。
「少し難しい状況になってしまったかもね。今この話をギドって人に持ち掛けても、『式でちゃんと返しますからあと少しだけお待ちください』って言われて終わりなんじゃないかなって」
「……確かに、そうかもね」
いよいよ万策尽きたかとうつむくわたしに、ノワが声をかけてきた。
「焦ることはない。相手の出方がハッキリしたことで、むしろ対策が立てやすくなった、と考えることもできるであろう」
ノワの言葉をみんなに伝えると、ラギがうなずきながら言った。
「ノワ様の言う通りだね。今は騒いでも仕方ない。まだ十日あるんだし、式典前に鈴を返してもらう方法をなんとしてでも考えよう」
◇◇◇
夕方、湖に赴いて雨の神さまに今日のことを伝えた。
すると、雨の神さまは少し目を細めて言った。
「そう、十日もかかるのね」
「まあ……まずは作戦を一から考え直さないといけないしね」
「そっちじゃないわよ。鈴の話」
そう言って雨の神さまは、教会堂のほうを見やった。
「前にも話した通り、今は少しでも早く、あの子たちを鳴らしてあげたいのよ」
鳴らされない鈴は、少しずつ力を失っていく。前に雨の神さまから聞いた話だ。
確かにこのままでは、鈴が音を鳴らせないまま、時間だけが過ぎていってしまう。
――と、そのとき突然、水面に小さな泡が浮かんだ。
「あら」
雨の神さまがしっぽの先で水を叩くと、波がゆっくりとこちらへ広がってきた。
やがて舟のそばまで届いた波が小さく弾け、その音に重なるように、聞き覚えのある声がした。
『……ああ、通じましたね。よかった』
こ、この声って、まさか……!
「ハク!?」
『お久しぶりです、猫語りどの。昨日、古い鐘の気配が、こちらの川にも伝わってきましたよ』
雨を呼ぶ鐘が、わたしに応えてくれたときのことを言っているのだと、すぐにわかった。
あのとき感じた鐘の反応が、遠くの川にも伝わっていたらしい。
「あのねハク、今こっちは――」
『おおよそのことは把握しています。そちらの猫が目覚めてから、ウルカの水にも変化がありましたから』
雨の神さまが、小さく笑った。
「《防疫》のお医者さん――ああ、今はハクと名乗っているんだったかしら――ハクは昔から、水に残った気配を感じ取るのが得意なのよ」
なるほど。わたしが鐘や猫の気配を探れるように、ハクも水を通して遠くの出来事を感じ取っているということか。
『それはそうと猫語りどの。無茶はしていませんよね?』
「――し、してないよ」
『……返事が遅れましたね』
うぐ。相変わらず、こういうところはまさにお医者さんという感じがする。
『川の上流のことは、私のほうで気をつけておきます。何かあれば、また知らせてください。……そちらだけの問題では済まないかもしれませんから』
「うん。ありがとう、ハク」
『では、また』
それきり声は聞こえなくなり、元の静かな水面が戻ってきた。
久しぶりに聞いたけど、ハクはやっぱり落ち着いた声をしてたな……。
こんなに離れたところにいても話せるなんて思ってもいなかったので、なんだかとてもうれしかった。
◇◇◇
日が沈みかけたころになって、リコが船着き場を駆けてきた。
「ミオ! ちょっと聞いて!」
「どうしたの?」
「あのギドって修道士がさ、夕方からまた一軒ずつ家を回ってるんだって。鈴を返しに来たのかと思ったらそうじゃなくって、なんか別のことを聞いて回ってるらしいの」
「別のこと?」
リコが、少し不思議そうな顔で答える。
「なんでも、『お宅の鈴は、どんな音でしたか』って聞いてるんだって」
……どんな音でしたか?
今度は鈴の音まで……いったい彼は、何をするつもりなんだろうか。




