第56話 鐘からのお返事
任せて――と張り切ってはみたものの……。
いざ〈深流域〉に来てみると、そう簡単にはいきそうにないと、改めて思い知ることになった。
その日の朝、ラギを除くいつもの面子で、二隻の舟に分かれて水門の手前まで来ていた。ラギには〈湖畔市〉のほうを任せてある。本当はリコのおじいさんも神殿の掃除で忙しいのだが、今日はこちらを優先してもらい、掃除のほうは昼からにしてもらっている。
わたしたちの目的は言うまでもなく――雨を呼ぶ鐘を探すこと。
改めて水面をのぞいてみると、〈深流域〉のあたりだけ、湖の水が急に暗くなっている。
水面はゆっくりと回り続け、時折、水の底から低い音が響いてきた。
「これ以上は近づけんぞ」
リコのおじいさんが先に舟を止め、暗くなっている水面を指した。
「覚えとるか、嬢ちゃん。こういう場所には――」
「潜っちゃだめ――だよね」
わたしはうなずき、胸元の鈴に手を当てた。
「大丈夫。今日はあくまで、水面の上から鐘の場所を探してみるだけだから」
鐘を引き上げるにも、〈深流域〉は広く、鐘がどこに沈んでいるのかもわからない。場所を特定できなければ、引き上げる方法を考えることもできない。
「ねえ、ここってどれくらい深いの?」
リコが、水面をのぞき込みながらおじいさんに尋ねる。
「わからん。何度か縄を下ろしたことはあるが、底まで届いたことはかつて一度もない」
「……聞かなきゃよかった」
リコの言葉には同意せざるを得ない。この〈深流域〉の恐ろしさを改めて実感し、つい体に力が入ってしまう。
そんなわたしを、ノワは見逃さなかった。
「娘よ。約束は忘れておらぬであろうな」
「――っ、無茶はしない、だよね。ごめん、ノワ。ありがとう」
「うむ。それでよい」
わたしは肩の力を抜き、雨の神さまとの稽古を今一度思い出しながら、周囲の水の流れを感じ取る。
チリン。
教わったとおり、想いを力任せに押し出すのではなく、水の動きに鈴の音と一緒に乗せることをイメージする。
……けれど、うまくいかなかった。
途中までは水の流れにちゃんと乗せられていたはずだけど、〈深流域〉に近づいたところで、鈴の音がふっと消えてしまった。どうやら〈深流域〉の複雑な水流にイメージが追い付かず、音が途切れてしまうようだ。
二度、三度と繰り返してみても、結果は同じだった。
いつの間にか息が上がっていたわたしの肩を、リコがポンと叩く。
「大丈夫? なんか……予想以上に大変そうだね」
「……そうだね。すごく大変だよ」
すると、リコが雨粒飴を一粒、わたしの手に握らせた。
「はい。いちばん形が良かったやつあげる」
「いいの?」
「今回だけ特別。その代わり、うまくいったら今度はミオが買ったやつあたいにちょーだい」
「ふふ。うん、わかった」
わたしは飴を口に入れ、もう一度水面を見つめる。
ちょうど、小さな木片が流れてきたところだった。
木片は渦の周りをゆっくり回りながら、少しずつ中心へ近づいていく。そして、何度か回ったところで水の下へ消えた。
……あれ?
わたしは身を乗り出し、木片が消えた場所を見つめた。
「ミオ、どうしたの?」
「――リコ、わたし……わかったかも」
思い返してみると、これまでわたしは、渦に巻き込まれないように音を届けようとしていた気がする。
でも……水そのものがそもそも渦に沿って動き、深いところへ流れていっているじゃないか。
「つまり、渦を避けようとするからいけないんだよ」
「……どういうこと?」
「えーっと、だから……こういうことだよ!」
リコにうまく説明できる気がしなかったので、論より証拠とばかりに、もう一度鈴を鳴らす。
チリン。
水の動きを確かめながら、今度は――渦の外側を流れる水に、そっと鈴の音を乗せた。
流れに逆らうのではなく、流れのままに身を任せるイメージ。
すると、さっきまで途中で途切れていた音が、渦に沿って少しずつ底へ向かって進み始めた。
音に乗せた想いが、どんどん遠くなっていくのがわかる。
やがて……何か、大きなものに触れた。
「……あ」
わたしは目を閉じたまま、その感触の正体を探っていく。
舟のきしむ音と、〈深流域〉の水音以外、依然として何も聞こえてこない――。
と思った、そのときだった。
水底のほうから、何かが低く響いてくるのを感じた。
――ぉぉん。
驚きのあまり、思わず目を開ける。
舟の底まで小さく震え、胸元の鈴もかすかに鳴った。
「ちょっ、なに、今の!?」
リコにも「何か」の存在が伝わったようだった。
わたしにはわかる。これは――鐘の気配だ。
さっきわたしが届けた鈴の音に、鐘が応えてくれたのだ。
「見つけた! こんなわかりやすい場所にあったんだね……鐘は――渦の真ん中から、まっすぐ下だよ!」
リコのおじいさんはすぐに鐘楼と水門の石柱を見比べ、今舟を停めている位置を確かめた。
「よし。この場所、確かに覚えたぞ」
これで、鐘がどこに沈んでいるのかわかった。
雨の神さまは以前、長いあいだ鳴らされない鈴は、少しずつ力を失うと言っていた。
でも、雨を呼ぶ鐘は三百年間も沈められたままだったというのに……ちゃんと、返事をしてくれた。
「……まだ、力が残ってたんだね」
わたしが言うと、おじいさんが静かにうなずいた。
「町の者が、ずっと鈴を鳴らし続けてきたからかもしれんな」
「……そう、なのかな」
「わからんよ。じゃが、今も町に鈴を鳴らす習わしが残っとるということは、まだ町から鐘の記憶は完全には失われていないということ……というふうには考えられんか?」
おじいさんは、もう一度暗い水面を見つめた。
「――三百年間、お疲れ様だったな」
その言葉に、ノワが小さくうなずいた。
「……うむ、見事な鐘である」
◇◇◇
その日の午後、リコの舟に乗って湖の中央へ向かうと、雨の神さまが水の上で待っていた。
早速鐘を見つけたことを報告しようとしたのだが――。
「ふふ、聞こえたわよ」
「え……もしかして、雨を呼ぶ鐘のこと?」
「ええ。あの子の音があんなにはっきり聞けたのは、三百年ぶりよ」
雨の神さまは目を閉じ、そのまま黙り込んでしまう。
もっと鐘の話が聞きたいのではないかと思い、わたしは話を続けた。
「あの鐘、ちゃんとわたしの鈴の音に応えてくれたよ。まだちょっと眠そうな音ではあったけど」
「ふふ。三百年も眠っていたんだもの。無理もないわ」
そう言って、雨の神さまは満足そうにヒゲを動かした。
それを見て、わたしは俄然、やる気が湧いてきた。
「よし、じゃあ鐘の場所もわかったし、これで引き上げる準備を始められるね」
「慌てないの。無茶はしないって、王さまと約束したでしょう?」
「……はあい」
もちろん約束を破るわけにはいかないので、わたしは渋々帰ることにした。
と、その前に、ふと聞いておきたいことがあり、再び雨の神さまに向き直る。
「――雨の神さまは、鐘に伝えたいことって、何かある?」
「伝えたいこと? うーん、そうねえ……」
雨の神さまは少し考えてから、静かに答えた。
「もう少しだけ、いい子で待っていてちょうだい。……そう伝えてくれる?」
「うん、わかった」
今度こそ雨の神さまと別れ、リコと一緒に船着き場へと戻る。
そして、舟を停めた、そのときだった。
「リコ姉ちゃん!」
大きな声でリコの名を呼びながら、一人の子供がこちらへ駆け寄ってきた。
「教会が、明日の朝に広場で新しい告知を出すんだって!」
「告知? 何の?」
リコが首をかしげていると、その子は切羽詰まった顔で言った。
「鈴のことだって!」
わたしとリコは、思わず顔を見合わせた。
……どうやら教会も、すでに動き始めているらしい。




