第49話 雨は誰のもの?
翌日、広場は大勢の人で埋まっており、地面の石畳がほとんど見えない状態だった。
今朝がた、教会がまた演説をするという告知が町中に出ていた。雨が降ってからというもの、町の人たちは教会の言葉に敏感になっているようで、誰も彼も演説を聞き逃すまいとしているようだ。
わたしは帽子を深くかぶり、リコとラギの二人と一緒に、人だかりの後方にある橋の上から演説を眺めることにした。ノワは、ラギの背負った籠の中に隠れている。
やがて、ヴァルド司祭が演説台に現れた。
灰色の外套を着た修道士たちの中で、相変わらずひとりだけ白い外套をまとっている。
その白い姿を見た途端、わたしの全身に緊張が走る――大丈夫だ、この距離ならこちらの顔までは見えないはず……。
ヴァルドは演説台へ上がる前に、前の方にいた子供たち一人ひとりに飴を渡していた。その和やかな光景のおかげで、張りつめていた広場の空気も少しやわらいだ気がする。
……あのヴァルドという司祭は、至って自然に、ああいうことをやってのけるのだ。
「――皆さま」
声を張り上げているわけでもないのに、その声は広場の奥までよく聞こえた。
「先日行われた湖の水抜きで、私どもは作業を途中で止めました」
それは本当だ。
「続いて水門を開き、湖へ再び水を戻しました」
それも本当。
「そして――ご存知の通り、この町に、雨が降りました」
広場が、瞬く間に静かになった。
「以前、突然雨が降った際、私ども教会はそれを、災いの兆しとして警戒するよう申し上げました。ですが今回の雨は、私どもが神殿を鎮めに赴き、湖に水を還したあとに降ったものです」
少し間を置いて、ヴァルドは穏やかに微笑んだ。
「三百年続いた災いの源が鎮まり、結果、このリーメの町に雨が戻ってきた。私はこの状況を、皆さまと共に、心から祝福したいと思っております」
直後、割れんばかりの拍手が、広場を覆いつくした。
わたしはその光景を前に、心の底からぞっとしていた。
……ヴァルドが話した出来事は、どれも実際に起きたことだ。
でも、一つひとつの出来事の関係には、全然触れていない。
事情を知らない町の人にとっては、まるで教会が神殿を鎮めたことで町に雨が戻ってきたと言っているようにしか聞こえないだろう。
わたしたちみんなで必死にがんばったことが、少しずつ別の話に塗り替えられていく……。
……やがて演説が終わり、町の人たちが広場から離れ始めたころ、リコがわたしの袖を引いた。
「ミオ、あれ」
演説台の脇に並ぶ修道士たちの端に、ギドがいた。
周りではまだ拍手をしている人もいるというのに、ギドだけはうつむき、自分の手のひらをじっと見ていた。
もしかすると、今の彼はわたしたちと同じ気持ちなのかもしれない。
――彼に対して、一瞬、仲間意識のようなものが芽生えかけたけれど、わたしはそれをすぐに意識の外へ追いやった。
何を考えているんだわたしは。あの人は教会の修道士なんだ。関われば何をされるかわからないんだぞ。
そう自分に言い聞かせながら、わたしはそのまま人の流れにまぎれた。
◇◇◇
午後になると、町の人たちの反応が少しずつ耳に入ってくるようになった。
飲み水を売っている舟のおじさんは「教会のおかげだったんだなあ」と上機嫌だったけれど、〈雨やどり〉のおかみさんは対照的に少し怒っていた。
「冗談じゃないよ。あれはこの町のみんながずっと待ち焦がれていた、雨の神さまが降らせてくれた雨だろう? なんで教会が降らせたみたいになってんだよ」
その言葉を聞いて、わたしはちょっと泣きそうになった。
橋のそばでは、水を汲みに来た人たちが小声で話していた。
「本当に教会のおかげなのかねえ」
「でも、じゃあ誰のおかげなんだい?」
「さあ……」
できるなら今すぐにでもその答えを教えてあげたいところだけど、「わたしたちが雨の神さまを起こしたんだよ」と言ったところで、信じてくれるとは限らない。雨の神さま本人に証言させようにも、その言葉はわたしにしか通じないし、わたしがそれを伝えたところで……というわけだ。
そうこうしているうちに、時間はどんどん過ぎていく。
そして夕方になると、町の掲示板に新しい告知が出た。
リコが内容を書き写した紙を持ってきて、灯りのそばで読み上げる。
「――現在、教会堂で預かっている鈴は、清めを行ったあと、今回の雨への感謝を込めてお返しする……は?」
リコは紙から顔を上げると怒りをあらわにした。
「感謝を込めて返すって何さ! あたいのばあちゃんの鈴だよ!? 元々こっちのものじゃん! あ、そもそも水抜きが終わったらすぐ返すって言ってたよね? なんでまだ返さないんだよ!」
ラギが紙をのぞき込み、難しい顔をした。
「……うまいやり方だね」
「どこが!」
「もちろん褒めてなんかないよ。ただ、してやられたなって思ってさ。だって、『雨への感謝として返す』なんて言われたら、鈴を受け取った人は、教会から何か良いことをしてもらったような気分になるでしょ?」
「なにそれ! ずるいじゃん!」
「そう、ずるいんだよ。町の人の心をつかむのがうまいね、教会は」
それを聞いて、窓辺に座っていたノワが、低い声で言った。
「なるほど、あの男の考えが見えたのである。雨を止められぬのならば、雨そのものを自分たちで利用してやればいい――そう考えたのであろう」
月色の瞳が、窓の外にある暗い水路へと向けられる。
「教会が神殿を鎮めたから雨が戻ってきた。その話が町じゅうに広まれば、この先、雨が降るたびに町の人間たちは教会に感謝する――すなわち、教会の力を信じる者が増えるということである」
ノワは不機嫌そうにしっぽを動かした。
わたしは、ただただ悔しかった。
でも、どうすればいいのかわからない。
教会が町の人たちから雨を奪ったわけではないし、町の人たちを脅しているわけでもない。
ただ、起こった出来事を自分たちに都合のいい形で説明しているだけ。
だからこそ、今のわたしたちには、なす術がなかった……。
◇◇◇
その夜、わたしたちは湖へ出て、雨の神さまに今日のことを話した。
昼間まで大勢の人がいた湖も、夜になると静かだった。見物人たちが残していった灯りが、水面に映って揺れている。
ヴァルドの演説のこと。雨が教会の功績ということになりそうなこと。そして……鈴を「雨への感謝を込めて返す」という告知のこと。
雨の神さまは、水の上でじっと聞いていた。
そして話が終わったあと、少し間を置いてから――いつもより低い声で言った。
「……あの鈴はね。人間たちの、雨を願う心から生まれたものなの」
青い瞳が、ゆっくりと教会堂の方角へと向けられる。
「だから、いつまでもあんなところに置いておくのは、よろしくないのよ」
「……それって、どういうこと?」
雨の神さまは、すぐには答えなかった。
ただ、教会堂のほうを見つめたまま、長いしっぽを一度だけ強く水面へ打ちつけた。




