第42話 二重の封印
教会の人たちが使う道を横切る以外、方法はなさそうだ――。
わたしとリコは瓦礫の前でしばらく考え込み、それからどちらからともなく二人して小さく息を吐いた。
「引き返してる暇はないね。ミオ、とりあえず舟に戻ってから、近くまで行って様子を見よう」
「――うん」
幸い、リコのおじいさんのおかげで、教会の本隊がここまでやってくるのはまだ時間がかかる。今見えている作業隊は別動隊のようなので、うまくいけば気づかれずにやり過ごせる……と思う。
現在、その別動隊の周囲では伝令や荷物を運ぶ人たちの舟が水路を行き来しているため、通り抜けるのは難しそうだ。
わたしたちはひとまず近くの崩れた家の陰に隠れ、水路が空くのを待った。
「あの教会の人たちとすれ違うのは十秒くらいだから、人が途切れた隙に一気に渡っちゃえばなんとかなるはず……ミオ、準備はいい?」
わたしはうなずいて、ノワの乗った小舟に手を置く。
「ノワ。揺れるかもしれないけど、しばらくおとなしくしててね」
「ふん。吾輩は王であるぞ。どれだけ揺れようが不動を貫いてみせるのである」
そして最後に、リコに確認した。
「もしわたしたちに気づいちゃったらどうする?」
「そうなったら……全力で引き返すしかないかな。そのときは辛抱してね、クロちゃん」
「誰がクロちゃんか。言われずとも吾輩は動かぬ」
ノワの言葉を伝えると、リコはくすくす笑っていた。
教会の本隊がどこにいるかは、遠くから聞こえる祈りの声のおかげでこちらからもちゃんと把握できるのはありがたかった。彼らはこの〈水底の町〉に建ち並ぶ家の一軒一軒に対し、足を止めて清めの水をかけ、かつての住人への祈りの言葉を唱えてからまた歩を進めるのだ。リコのおじいさんが遠回りしてくれていることもあって、時間稼ぎの効果は抜群だった。
わたしたちは本隊の声に耳を傾けつつ、目の前を行き交う伝令や荷運びの人たちの舟の動きをよく観察する。
「……来た」
リコがとっさに舟を壁際に寄せる。
程なくして、男の人の話し声が近づいてきた。
「――班長は?」
「先に神殿を見に行って、扉とずっとにらめっこしてるらしい」
「なんだそりゃ。神殿を鉛で覆う手順でも考えてるのか?」
「そうかもな。あの人、几帳面というか、無駄に真面目なとこあるからなぁ」
やがて、声が壁の向こうを通り過ぎ、そのまま遠ざかっていった。
几帳面。無駄に真面目。なんとなく、あの若い修道士――ギドの顔が思い浮かんだ。
と、そのとき、遠くの荷揚げ場の方から、大きな声がこちらまで響いてきた。
「重さの確認、やり直し! 運搬班はいったん戻れ!」
リコと顔を見合わせる。
「ミオ、あれって……」
「うん、ラギがうまいことやってるんだと思う」
今の号令を聞いて、目の前を行き来していた舟が、一旦荷揚げ場へと引き返していく。
「……よし、今だ。行くよ」
リコは急いで壁を押しやって舟を進める。わたしはノワの小舟を離してしまわないよう、必死に押さえた。
水路を横断しているあいだは気が気じゃなかった。ちょっとでも声が聞こえると全身がビクンって跳ね上がり、その拍子で何度も舟の上で倒れそうになって、ノワの小舟を大きく揺らしてしまった。ノワの様子を確認する余裕はなかったため、ひとまず心の中で何度も謝っておいた。
それでも舟はなんとか水路を渡り切り、人の目の届かない場所にまで滑り込むことに成功した。
「ふー……なんとかなったね。大丈夫、ミオ?」
「う、うん……まだ体がぐらぐらしてるけど……ノワは大丈夫だった?」
「…………お前にはあとでいろいろ言いたいことがあるのである」
どうやら大丈夫じゃなかったらしい。ごめん、ノワ。この埋め合わせはあとで必ずするから……。
◇◇◇
それからは特に問題もなく、順調に先へと進むことができた。
しばらくすると、崩れた家並みが途切れ、その先に神殿が見えてきた。
「あれが……じいちゃんが守ってたっていう、神殿……」
リコが小さな声でつぶやいた。
その神殿は、周りの家より一段高い石の土台に建っており、想像していたよりもこじんまりしているな、というのがわたしの第一印象だった。壁や屋根には貝が張りついてはいるものの、大きく崩れた様子はなく、三百年経った今でも、水の底で形はしっかり維持されていた。
そして――その扉の前に、灰色の外套を着た人が一人、立っていた。
リコは急いで舟を止め、空き家の陰へと隠れてから、改めて扉の様子をそっとのぞき見る。
その人は――ギド、だった。
ギドは一人で扉の前に立ち、扉に向かって手を伸ばしている。
扉には、すでに鉛の封印が施されていた。
鉛の色はすっかりくすんではいるものの、ほとんど剥がれていない。端には布が当てられ、傷まないよう丁寧に補強されている。
「……なぜ」
ギドが小さくつぶやく。
「すでにここまで丁寧に封じられているではないですか……なぜ、この上からさらに鉛で覆う必要が……?」
伸ばしていた手をゆっくり下ろしながら、ギドは不可解そうな声で言った。
と、そのとき、遠くで鐘が鳴り、また大きな声が聞こえてきた。
「確認が終わってないぞ! 各班の責任者は荷揚げ場へ戻れ!」
またラギが何かやったらしい。
ギドは二度、三度と扉を振り返ったが、最後には諦めたように首を横に振ると、そのまま自分の舟に乗り込んで荷揚げ場の方へと向かっていった。
ギドの姿が見えなくなるのを待ってから、わたしたちは神殿の前へとやってきた。
舟を降り、石段を上って、みんなで扉の前に並び立つ。
改めて扉をよく見てみると、そこに施された封印は――なんだかとても不思議な感じがした。
「ねえ、ミオ。教会の人は、災いをここに封じてるって言ってたよね? でもこれ……悪いものを封印してるようには見えないんだけど」
「うん……前にウルカの祠で見たやつと似てる。ううん、あれよりもっと丁寧に封印してあるような……」
以前、岩屋の祠を封じていた鉛を見て、ハクが言ったことを思い出す。
――祠を封印せざるを得なかったものの、壊したくはなかった……そういう意思が伝わってくるようです。
――猫を憎む者の仕事とは思えません。
ここの封印も、端に当てられた布まできちんと整えられている。力ずくで何かを閉じ込めたというより、扉も封も傷つけないよう、大切に扱った結果にしか見えなかった。
「そういや、じいちゃん言ってたっけ。神殿は隅々まで掃除すること。でも――扉にだけは触るなって」
リコは、自分を落ち着かせるように腕をさすった。
「ねえ。これ、剥がすんだよね。あたいたち」
「……うん。そのために来たんだもん」
「そうだよね。なら、じいちゃんに叱られたりはしないよね。あ、でももし叱られちゃったら……ミオも一緒にお願いね?」
わたしは苦笑いしながらも、扉から目を離せずにいた。
この扉を封印したのは、誰なんだろう……ハクが言ってたように、この扉の封印からも、猫への憎しみは全然感じられない。
考えていると、ノワが鉛の封の下のほうをじっと見つめていることに気づく。
「……ノワ?」
わたしも近寄ってしゃがみ込み、その箇所をのぞき込む。
そこには、小さな引っかき傷があった。
三本の爪痕が鉛の端に食い込み、途中で止まっている。鉛そのものは破れていない。
「これって……猫が爪で引っかいた跡……?」
誰かがこの鉛を剥がそうとして、途中でやめた……そんな風に、わたしの目には見えた。
ノワは、その三本の爪痕をじっと見ていた。
「ノワ、これって――」
聞きかけて、つい言葉を止めてしまった。
ノワの眼差しに、何やらただならぬ想いが感じられたから――。




