第39話 わたしはひとりじゃない
その日の夜、舟屋にはみんなが集まっていた。
わたしは、橋の上でヴァルド司祭に出くわし、話をしたときのことを、みんなに話した。
ヴァルドはどこまでも穏やかだったこと、わたしを捕まえる気はまったくなさそうだったこと、そこから推測される彼の狙い――長くなってしまったけど、話しているあいだ、誰も口を挟もうとはせず、ただ静かに耳を傾けてくれていた。
全部話し終えてから、わたしは今朝からずっと考えていたことを口にした。
「……ここから先は、わたしとノワだけで動いたほうがいいかもしれない」
みんなの顔が、一斉にこちらを向いた。
「ヴァルド司祭がずっと前からわたしに目をつけてたのは、間違いないと思う。ということは、わたしが旅先で会った人たちも……リコやおじいさん、それに、ラギのことだって監視されてるのかもしれない」
「ミオちゃん……」
「今は見逃してもらえてても、いつ教会がわたしを本気で捕まえに来ても不思議じゃない。そうなっちゃうと、一緒にいるみんなまで巻き込んじゃうかもしれない。だから、ここから先は、わたしとノワだけで――」
「バカなこと言わないで!」
リコが、かつてないほど大きな声で言い放った。
「あたいはミオと一緒に行くって決めたんだ! 覚悟だってしてる! それを今さら何言ってんだよ!」
「で、でも、リコ……もしもあなたに何かあったら、わたし――」
「それはあたいも同じだよ! ミオに何かあったら、なんて、想像したくもないよ!」
リコは、まっすぐにわたしを見つめてきた。
「――置いていくっていうなら、うちの舟は出してあげないからね!」
リコの言葉にもはや何も言い返せずにいると、今度はラギが口を開いた。
「ミオちゃん、一つ勘違いしてるよ」
「か、勘違い?」
「僕は君の単なる付き人じゃないんだよ。最初に言ったでしょ? 僕の目的は、ミオちゃんとノワ様に投資して、あとでしっかり儲けさせてもらうことなんだ。もうすでにお金も手間もかなりかけてるんだから、ここでお別れなんて言われたら大損だよ。どうしてくれるの?」
「そ、それは……」
「まったく。商売ってのは信用が何よりも大事なんだ。途中で投げ出すのは無しだよ……お互いにね」
そこまで言うと、ラギは優しく笑った。
「ウルカでも言ったと思うけど、そういうわけで僕は最後まで付き合わせてもらうよ。これからもしっかり儲けさせてもらうからね」
またしても何も言い返せなくなる。すると今度は、リコのおじいさんが静かに口を開いた。
「嬢ちゃん。まだちゃんと、四十年前の水抜きの話をしてなかったな」
「は……はい」
「あの日、わしは神殿の掃除を最後までやり遂げることができなかったんじゃ。途中で水が濁ってきてな。一緒に潜っていた者たちに止められて、そのまま引き上げることになった。そのあと、せめて最後にもう一度神殿をきれいにさせてくれと頼み込んだんじゃが……あとは前に話した通りじゃ。もうこんなことに金と人を費やすのはやめようって話になった――」
その話はリコも初めて聞いたらしく、驚いた顔でおじいさんを見ていた。
「それから四十年のあいだ、ただただ神殿のことを思う日々が続いた」
おじいさんは少しだけ目を伏せた。
「じゃが、ここに来て《猫語り》の嬢ちゃんが現れて、雨の神を起こしたいときたもんだ。神殿の守り手としちゃあ、ここで仕事をせずしていつ神殿を守るんだって話さ。だから、わしからも頼むよ――どうか最後まで、一緒にやらせてくれ」
――四十年……とても長い時間だ。十五年しか生きていないわたしには想像もつかない。
そんな長い長いあいだ、ずっと自分の使命を果たせずにいて、さぞ苦しかったことだろう。
おじいさんの胸の内を思うと、涙がこぼれそうになった。
と、そのとき、座っていたわたしの膝が、急に重くなった。
ノワが、いつものように前足をそろえて、わたしの膝の上に座っていた。
「ノワ……」
「娘よ」
ノワが、わたしを見上げて言った。
「旅先の出会いは、大切にするものである」
しっぽの先が、そっと手の甲に触れる。
わたしは今度こそ、涙があふれ出てしまった。
必死に涙をぬぐいながら、なんとか言葉をしぼり出す。
「……ありがとう」
ノワは、何も答えなかった。
◇◇◇
いっぱい泣いたおかげで、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
そんなわたしの様子を確認すると、おじいさんは炭で描かれた湖底の地図を床に置いた。
「教会の雇った潜り手や見張りが多いのは、この辺りじゃろうな」
地図の上の何箇所かを指さして言った。
「どれも普段からよく使われる水路じゃからな。当然念入りに見張るじゃろうて」
「だったら、こっちの水路を使おう」
リコが地図の端にある細い水路を指した。
「ここは狭くて曲がりくねってるから、大きな舟は入りにくい。でも、あたいの舟なら通れるよ。じいちゃんから道もしっかり教わってるし、少しでも早く神殿に行くならここがいちばんだと思う」
おじいさんが、こくりとうなずいた。
「僕は当日、荷揚げ場へ行くよ」
今度はラギが言った。
「薬屋の仕事で来た商人のふりをして、教会の鉛をもう一度量るよう頼んでみる。荷物の量が記録と違うんじゃないかとか、人の体によくないものだから確認が必要だとか言えば、少しは時間を取ってもらえるはずだ」
「で、わしが教会を遠回りさせるんじゃな」
おじいさんの締めの言葉に、みんなそろって力強くうなずいた。
みんなが、わたしとノワを神殿まで導いてくれる。
こんなに心強い気持ちになったのは、初めてかもしれない。
みんなの想いに応えるために、わたしもできる限りのことはやっておかないといけない。とりあえず、猫を起こすときのために、今後は《猫語り》の力をできるだけ使わないようにして、力を蓄えておいたほうがいいだろう。
そうしてみんなの気持ちがついにひとつになろうとしていたのに……ノワがずかずかと地図の上に乗ってきて、その真ん中に座ろうとしたせいで、みんなの肩から一気に力が抜けていってしまった。
すぐにリコがノワを抱き上げて、地図から引きはがした。
「クロちゃん、今大事なとこだから、邪魔しないでねー」
「離さぬか! 玉座にて作戦会議をまとめあげることこそ、王である吾輩の務めであるのだぞ!」
わたしは思わず笑ってしまった。
他のみんなもノワの言葉は聞こえずとも、にゃあにゃあという鳴き声になごんだのか、やっぱり同じように笑った。
――ああ、みんながいるって、いいな。
わたしは、また涙があふれ出そうになり、慌てて目元をぬぐう。
そして、地図の上に描かれた神殿に目を向けた。
そこには、雨の神さまと呼ばれている猫が、三百年のあいだ、ずっと眠り続けていて。
その猫は、わたしのおばあちゃんの名前を知っていて。
三日後、わたしはなんとしても雨の神さまを起こしてあげなきゃと、改めて強く思った。
そして、今度こそ迷わずに、みんなに言った。
「みんな――よろしくお願いします!」




