第30話 王の舟の進水式
リコの家である舟屋に向かうと、すでにラギが用事を終えて合流済みだったので、わたしは市場であったことをみんなに話した。
若い修道士が荷物を落としたので拾うのを手伝ったこと。それから、その人から南の湖の底で大きな儀式を行う予定であると聞いたこと。
「教会の人とそんなことまで話したんだ? 実は知り合いだったとか?」
リコが目を丸くしながら言った。
「ううん。わたしのほうは前に何度か見かけたことはあるけど、向こうはそもそもわたしの顔すら知らないみたいだった」
一方でラギは、少し険しい顔になっていた。
「……気づかれなかったんだね?」
「たぶん。鈴のことも何も聞かれなかったよ」
「ならよかった。でも、儀式のことを聞けたのは大きいね。南の湖の水を抜いて、大きな儀式をする――つまり教会の目的は、やっぱり神殿で間違いなさそうだ」
ラギのその言葉を聞いて、リコのおじいさんが不思議そうにわたしを見た。
「そういや、まだ嬢ちゃんたちの目的を聞いとらんかったな。あんたらも神殿が目当てなのかい? あんなところに、いったい何の用があるというんじゃ?」
わたしは床にちょこんと座っていたノワと目を合わせた。これからもおじいさんやリコの力を借りるなら、もう隠したままというわけにもいかないだろう。わたしの心中を察して、ノワも小さくうなずいた。
ひとつ大きく息を吸ってから、わたしは懐から布の包みを取り出し、中の鈴を見せた。
チリン、と澄んだ音が鳴る。
リコがぐいっと顔を近づけて鈴を覗き込んだ。
「あ、あのときの雨乞いの鈴じゃん。へぇ……よく見ると、ばあちゃんが持ってたやつよりもずっと古そうだね」
「おばあちゃんの形見なの。これを使って、水の底で眠ってる雨の神さまを――猫を起こすのが、わたしたちの目的なんだ」
わたしは、これまでリーメを調べてわかったことを順番に話した。明け方だけ猫の眠りが浅くなること。わたしの《猫語り》の力なら、水底の猫の気配を感じ取れること。そして、その力を使ってわたしの想いを鈴の音に乗せて届けたとき、ほんの少しだけ反応があったこと。
途中から立ち上がって聞いていたリコだったが、とうとう我慢できなくなって声を上げた。
「やっぱり! あの雨、ミオが降らせたんじゃん!」
その一方で、おじいさんはしばらく黙っていたけど……やがて煙管を置くと、わたしに向かって深く頭を下げた。
「わしらリーメの人間は、三百年ものあいだ、神殿をきれいにして見守ることしかできなかった。それがまさか、今になって雨の神を目覚めさせられる者が現れるとはな」
「あ、あの、頭を上げてください」
わたしは慌てて手を振ると、今度はわたしが頭を下げた。
「正直、わたしたちだけじゃ、神殿にたどり着けそうにありません。なのでどうか――リコとおじいさんの力を貸してください」
リコはうれしそうな顔で当然とばかりに胸を叩き、おじいさんも静かに顔を上げて力強くうなずいてくれた。
◇◇◇
それから、みんなで水抜きに向けた準備を始めることになった。
おじいさんが教えてくれた、神殿へ向かう方法――それは至って単純で……湖の中へ潜っていくことだった。
まずはおじいさんが、湖の中を進むために必要なことを教えてくれた。
「水の中じゃ、とにかく慌てないことだ。まずは落ち着いて息をすることを覚えな」
試しに水瓶へ顔をつけ、どれくらい息を止めていられるか確かめてみる。リコはいつまでたっても平気そうだったのに、わたしはすぐに苦しくなって顔を上げた。
「嬢ちゃんが長く潜る必要はない。あくまで息の仕方さえ覚えてくれりゃいい。とにかく水の中のことは、リコとわしに任せな」
「……お願いします」
次に、おじいさんは大きな板を持ち出し、炭で湖底の地図を描いてくれた。沈んだ大通り、崩れた建物の多い場所、神殿までの近道、それに何かあったときの逃げ道。四十年前に一度見ただけだというのに、地図を描く手つきにはほとんど迷いがなかった。
リコも負けてはいない。町から湖へ出る水路はいくつかあるらしいのだが、その中からほとんど人の通らない水路を選び、教会に見つかりにくい進み方を考えてくれた。
「そういえば、教会堂も朝から大忙しだったよ。偉い人が来るんだって」
「偉い人……?」
リコの言葉を聞いて、わたしはギドの話を思い出した。
『近いうちに教会のお偉い方がおいでになりますし――』
わたしが黙り込んでしまったため、リコはラギに話を振った。
「ね、どんな人が来るんだろうね?」
「さあ。でも、教会が大々的に準備してる以上、相当地位の高い人だろうね」
ラギはそう答えながらも、手を止めることなく別の準備を進めていた。
そして――。
「よし、できた!」
ラギの前には、四つの空き樽を組み、その上に板を張った小さなイカダが鎮座していた。縁にはノワが落ちないよう低い囲いがついていて、隙間には樹脂と蜜蝋を使ってしっかり防水してある。そして内側には古い毛布まで敷かれていた。
「ウルカのときは急ごしらえもいいところでしたからね。今度はちゃんとノワ様のことを考えて作りましたよ!」
「うむ……悪くない」
ノワは慎重に近づき、周囲の匂いを嗅いで回り始めた。
と、そこへリコが、横からひょっこり顔を出してきた。
「なにこれ! あ、クロちゃんのお家だ! かわいい!」
「違うのである! このたわけが!」
ノワのしっぽが、ばしんと床を叩いた。
「娘よ。これが何か説明するのである」
「ええと……これはノワ専用の舟なんだって」
「ふーん。でもこれなら、家にも使えそうじゃない? クロちゃんの家にピッタリじゃん」
「ぐぬぬ……どこまでも無礼な女である」
そう言いながらも、ノワはぴょいっとイカダに乗り込むと、早速毛布の上で丸くなっていた。そんなことじゃ永遠にリコの誤解は解けないと思うよ……。
◇◇◇
その日の夕方、みんなでノワの小舟を水路へ運び、ちゃんと浮くか試してみることになった。
小舟をそっと水に浮かべてみると、少し揺れたものの沈む様子はない。ノワは岸からしばらくその様子を眺めていたが、やがて覚悟を決めたように板を渡り、小舟へ乗り込んだ。
「わあっ、水の上にクロちゃんが浮いてる! かわいい!」
リコはうれしそうに声を上げると、ノワを撫でようとイカダに手を伸ばした。
「やめるのである! わ、馬鹿者、揺らすでない! や、やめろ!」
直後、揺れた拍子に飛んできた水しぶきが、ノワの耳にかかってしまった。でもノワは黒い耳をぺたんと伏せはしたものの、小舟から降りようとはしなかった。
あれほど水を嫌がっていたのに、ノワはノワなりに、今回ばかりは覚悟を決めたらしい。
おじいさんは、そんな微笑ましいやり取りを岸で見守りながら、静かに言った。
「教会を相手にする以上、このまますんなり事が運ぶ保証はないじゃろうが……それでもわしは、うまくいくと信じておるよ」
その言葉を聞いて、わたしは力を込めてうなずいた。
おじいさん、リコ、ラギ、そしてノワとわたし。
みんなで協力して、ここまで準備をしてきたんだ。大丈夫、きっとうまくいく。
――水抜きまで、あと十日。




