第24話 水底で眠るお姫さま
翌朝、ラギがわたしに見慣れぬ帽子を差し出してきた。
「はい、ミオちゃん。今日からこれで髪を隠すといいよ」
「わ、確かにこれだけつばが広ければなんとかなりそう……ありがとう、ラギ」
昨夜、宿に帰るなり教会に対する不安をみんなに相談したところ、ラギが「僕に任せて」と言って宿を飛び出していったのだ。
わたしはそのあとすぐ寝てしまったため、ラギが何をしていたのか全然知らなかったんだけど……なるほど、帽子を調達してくれていたらしい。
旅に出てからというもの、フードくらいしかかぶっていなかったので、ちょっとワクワクしながら早速帽子をかぶってみる。あ、髪を隠すのが目的だから、帽子の中にしまわないと……。
「……うん! これなら『栗色の髪』だってわからないし、どこにでもいそうな、ただの町娘にしか見えないね!」
「…………」
ラギをジトっと見つめるが、当の本人は目的を達成できて清々しい表情を浮かべるのみである。
「なかなか似合っておるではないか、娘よ。ただの田舎娘が、ただの町娘に生まれ変われたようだな」
「……そういえばノワはこれからも隠さなきゃいけないから、結局この上からフードかぶらなきゃなんだよね……」
「? どうした、浮かない顔をして。髪を隠せるようになったのだからよいではないか」
……不安はおさまったけど、代わりにモヤモヤが残ってしまった。なんだかなぁ。
◇◇◇
ラギは商人としての仕事があるというので、まずはわたしとノワで湖の調査に向かうことになった。
船着き場でどの舟にお願いしようかと考えていると――。
「南の湖なら、あたいの舟にしなよ! この町でいちばん速いよ!」
大声でそう言いながら、ぴょこん、と小舟の上に立ち上がったのは、日に焼けた女の子だった。短い髪に、気の強そうな顔つきをしている。歳はわたしと同じくらいだろうか。
「あたいはリコ。湖まで往復で銅貨六枚だよ!」
「わ、わたしはミオ――って、ろ、六枚!? 他の舟は大体三枚くらいだって……」
「じゃあ、五枚! なんたってあたいの舟は速さが自慢だからね。損はさせないから、ね?」
「う、うーん」
「これでもだめ? なんなら食事もつけちゃうよ! リーメ名産のお魚とか」
フードの中で、ノワが首のあたりをしっぽでぺしぺし叩いてきた。これはもう断っちゃいけない空気だ……。
「……うん、じゃあ、よろしくお願いします」
◇◇◇
リコの舟は、確かに速かった。細い水路をすいすい抜けて、あっというまに大運河に出る。
そのまま順調に運河を下っていける……かと思いきや。
魚河岸の前を通り過ぎたところで、事件は起きた。
焼き魚の匂いに反応して、フードの中でノワがもぞっと動いてしまい――リコに、見られてしまった。
「ん? ミオ、今フードが動かなかった?」
「き、気のせいだよ」
「えー、絶対動いたって。なになに、なんか入ってるの?」
ぐい、と遠慮なくのぞきこまれて――ノワとリコの目が合う。
「………………なにこれ」
「な、なにって、その」
「え、ちょっと待って、ふわっふわじゃん!? なにこの生きもの! 鳥? いや、犬?」
わたしもノワも、さすがに観念せざるを得なかった。
ノワがのっそりとフードから顔を出し、わたしはあたふたと必死に説明する。
「えっと、猫、っていうの。すごく珍しい生きものでね」
「ねこ! じいちゃんの話に出てくるやつ!? ほんとにいるんだ!?」
リコは目を丸くして、ノワに飛びついた。
「さ、触っていい!?」
「よくないのである!」
ノワは悲鳴のような声を上げながら、素早くわたしの背中側へ避難した。
「にゃあ、だって! クロちゃんかわいいー」
「く……クロ、ちゃん……!? かわいい!?」
ノワがしっぽでわたしの首元をバンバンと思いっきり叩いてくる。わたしに怒りをぶつけないでほしいんだけど……。
「あ、もしかして怒っちゃった? ごめーんクロちゃん」
「吾輩は猫の王であるぞ! クロちゃんなどと間の抜けた名前で呼ぶでない!」
「にゃあ、にゃあ! 怒った鳴き声もかわいいねえ」
……リコには単なる猫の鳴き声にしか聞こえないから、そりゃしょうがないよね。
とはいえ、猫の王さまだの《猫語り》だのの話までしてしまうと、何かと面倒そうだったので、ここは笑って誤魔化しておくことにした。ごめん、ノワ。ちょっとだけ我慢してね。
◇◇◇
水路を抜けると、視界が一気に開けた。
対岸が霞むほど広い湖が、空の色を映している。風にさざ波が立つ水面の中央に、古びた鐘楼が一本だけ突き出していた。
「あれが〈水底の町〉の鐘楼。あの下にね、昔この辺にあったっていう町が、丸ごと沈んでるんだって」
「……へぇ」
わたしは、すっかり上の空になっていた。
湖に入った途端、猫の気配がズシン、と胸にのしかかってきたのだ。こんなに猫の存在を強く感じたのは初めてだった。
リコは鐘楼のそばに舟を停めると、「ちょっと網を打ってくる」と言って舟の後ろへ移っていった。
わたしは今がチャンスだと思い、懐から布包みを取り出して中身を取り出した。おばあちゃんの鈴が、チリン、と小さく鳴る。
「いくよ、ノワ」
「うむ」
鐘楼の根元にしゃがんで、水面に向かってそっと鈴を振った。
チリン。チリリン。
……だめだ、全然手応えがない。明らかに、鈴の音は猫に届いていない。ハルガの祠で、鉛に音が消されてしまったときと同じだ。今回は、膨大な量の水に音がかき消されているように感じる。
「水は音にとっては壁そのものであるからな。地上の祠とはわけが違うのである」
どうしたものかと考え込んでいると、網を打ち終えたリコが、こちらを振り返って声をかけてきた。
「ん? ミオ、なにしてんの、雨乞い?」
「……え? 雨乞い?」
「だって、その鈴。うちもばあちゃんが生きてたころ、戸口に鈴を下げてたよ。チリンチリン鳴らして、雨の神さまに聞かせるんだって」
雨の、神さま……。
鈴を握る指に、きゅっと力が入った。リーメの町の人は、鈴の音を使って雨乞いをするらしい。それはつまり――ずっと昔、リーメの町の人は、水の底で眠っている存在を、鈴で起こせるのだと知っていたということなのだろうか。
わたしが考えにふけっていると、ノワが鐘楼の縁まで歩いていき、水面を見下ろしながら言った。
「……お前の《猫語り》としての力は随分成長しておる。今ならば水の中でも音が届くのではと思ったが、やはりこれだけの深さの水では厳しいか。もしくは、実は音そのものは届いておるものの、返事もできぬほど深く封じられているという可能性もあるかもしれんな。……いや待てよ……あるいは」
「あるいは?」
「…………寝たふりをしているのかもしれん」
しっぽが、バシンと鐘楼の縁を叩いた。
「え……それってスズのときみたいに? じゃあ、ノワが声をかければ起きたりするの?」
「いや、あやつの場合、たとえ吾輩の声であっても応えぬであろうな……昔からあやつは、そういう女なのである」
……昔から?
やっぱりノワって、この猫と深い知り合いなのかな……。
気になるところだけど、聞くのはやめておいた。
ノワのしっぽが、かつてないほど膨らんでいたから。
◇◇◇
帰りの舟で、わたしはリコに聞いてみた。
「ねえ、リコ。〈水底の町〉のこと、もっと聞かせてくれない? それから、雨の神さまのことも」
「そういうのは、あたいじゃなくてじいちゃんに聞いたほうがいいかもね」
リコが、こともなげに言った。
「うちのじいちゃん、〈水底の町〉のことならなんでも知ってる、生き字引ってやつなんだよね。なんたって昔は――湖に潜って、〈水底の町〉にあるっていう神殿の掃除をしてたんだから」
……〈水底の町〉の、神殿?
わたしとノワは、思わず顔を見合わせた。




