第20話 犬と猫と干し魚と
翌朝、掲示板のまわりには人だかりができていた。
「鈴を持つ旅の娘、ねえ。なに、迷子の子? それとも人さらいにでもあったのかね?」
「さあね。教会が探してるってことは、どうせろくでもないことさ。深入りせんことだ」
そんなやりとりが聞こえてきて、わたしは懐をそっと押さえた。鈴はゆうべのうちに腰から外して懐にしまってある。
宿を出る前にラギが仕入れてきた話では、この先、大橋へ向かう道が一本に合流するあたりに、見廻りの検問所が設けられたらしい。教会の指示で、通行人の素性をあらためているとのことで、ここを避けて通ることはできない。
「よし。……ミオちゃん、荷箱に入ろうか」
「…………えっ、荷箱に……わたしが?!」
「うん、そう。ミオちゃんが荷箱に入るんだ。そうすれば、商人である僕が馬車に荷箱を載せて、堂々と検問所を突破できるでしょ? 今考えられる方法はこれくらいかなって思うんだけど……他に何か良い案があるなら聞くよ」
「う、うーん……」
当然、良い案など出てくるはずもなく。わたしはラギの案を飲むしかなかった。
わたしは渋々、荷箱の底に座り、上から本来の荷である毛織物を被る。ノワはわたしの懐にぎゅっと押し込められ、わたしと一緒に毛織物の下で丸くなっていた。
もちろん、最初からノワがそんな扱いを素直に受け入れるはずもなく、ひと悶着あったんだけど――。
「王を箱に詰めるとは何事か!」
「詰めるんじゃなくて、隠れていただくだけです。これも速やかにリーメへ向かうためです。ね、ノワ様? あとで干し魚あげますから」
「……仕方あるまい」
干し魚のひと言で、ノワはすんなりとわたしの懐に滑り込んできた。最近、王さまとしての威厳がどんどん失われていっている気がするけどいいのかな……。
◇◇◇
箱の中には、毛織物と日干しされた毛皮の匂いが充満していた。
ノワと一緒に荷箱の中で、板の隙間から差し込んでくる外の光を浴びながらひたすらじっとしていると、しばらくして、荷馬車がゴトンと音を立てて止まった。
「こんにちはー、行商でーす! はい、こちらが目録です。毛織物が二箱、蜂蜜、薬草、干し魚に胡椒……」
ラギは勢いで押し切ろうとしているのか、いつもよりうるさい声でまくしたてている。応じる衛兵の声は、ただただダルそうだった。
「教会のお達しでな。鈴を持った栗色の髪の娘を探している。……まさかその荷馬車の中にいたりしてな」
「はは、まさかぁ! そんな娘がいたら、僕の旅はもっと華やかになっていたでしょうねぇ。ご覧の通り、実際は商売道具だけが僕の旅のお供です……とほほ」
「はぁ、そうかい……ま、仕事なんでな。一応調べさせてもらうぞ。荷を開けろ」
心臓が、ばくんと跳ねた。
衛兵の足音が近づいてきて……幌のめくれる音が聞こえる。そしてさらに――ふんふんと鼻を鳴らすような息づかいが聞こえてきた。いや、これは実際に鼻を鳴らしている音だ……間違いない、この音は――。
犬、だ。
瞬間、腕の中で、ノワの毛がぶわりと膨らんだ。これは確か、ノワが怒ったり威嚇したりするときの……だめ、ノワ、動かないで……。
ふんふん……ふんふんふん……と、犬の鼻息が、板のすぐ向こうにまで迫ってきた。
直後、鼻息が、低いうなり声へと変わる。
――ガタン!
次の瞬間、その犬は、荷台の奥に突進していた。その先にあったのは――樽だ。干し魚の樽に、頭から突っ込んだのだ。
「こら! 戻れ、馬鹿犬! ……すまんな、行商人。こいつ、食いものには目がなくてな」
「あはは! うちの干し魚は特にうまいって評判ですからねぇ! よかったら一本どうぞ! いえ、なんなら二本でも!」
何やら箱の外が騒がしい。樽のひっくり返るような音が聞こえたかと思えば、今度は何かを勢いよく咀嚼するような音がしてきた。先ほどのラギの話からすると、どうも犬が干し魚を食べているらしい。
やがて、衛兵の上機嫌な声とともに、幌が下ろされた。
「よし、行っていいぞ。……ああ、そうだ。橋を渡るなら、覚悟しておいたほうがいい。近ごろリーメの大橋じゃあ、教会の荷馬車の出入りが多くてな。検分待ちの列が長いのなんのって」
「へえ。教会の荷馬車が……」
「鉛だの何だの、重そうなのばかり載せてるってな。なんだか知らないが、ご苦労なこったぜ、まったく」
「はは……ご忠告ありがとうございます。それでは、僕たちはこれで」
そうして、わたしたちはなんとか検問を突破することができた。
検問が十分に見えなくなったところで、わたしは箱を出て、思いっきり伸びをした。
ノワも同時に箱から飛び出し、真っ先に樽へ走っていって、変わり果てた備蓄を前にへたりこんでしまった。
「……吾輩の干し魚が、なんと無残な姿に……」
「まあまあ。干し魚が身代わりになってくれたと思って」
「うう……吾輩はもうダメである……絶望である……」
おおげさだなぁと思いつつ、さすがにちょっとかわいそうになってきたので、リーメについたらいつもより多めに干し魚を食べさせてあげると約束した。ノワは急に元気を取り戻し、いつも以上に尊大な態度でわたしにあれこれ指図してきたので、さすがに甘やかしすぎかな……とちょっと後悔した。
◇◇◇
そろそろ日も沈もうというころ。
ピクン、と、ノワの耳が鋭く動いた。
「ノワ? どうかした?」
「……風下から、犬の匂いがする。かすかに聞こえる息づかいからして……一匹……いや、二匹か」
まだ道の先には何も見えない。でも、ノワの鼻と耳が捉えた気配なら、間違いはないだろう。
「ラギ、次の分かれ道で、川寄りの旧道のほうへ行ってくれる?」
「旧道かぁ、あそこ、道がでこぼこしてて嫌なんだよね……ま、しょうがないか」
その旧道は川沿いを大きく迂回しながら、リーメへの大橋へと続いていた。かすかな夕日を浴びてきらめく川を横目に、本道のほうを振り返ってみると、遠くのほうから犬の遠吠えが聞こえた。
「さすがノワ様だね。おかげで助かったよ、ありがとう」
「わたしからもありがとう、ノワ」
「……ふん、吾輩は王であるぞ。これくらい造作もないことよ」
よかった。最近失われつつあった王の威厳は、しっかり取り戻すことができたらしい。
◇◇◇
その晩は、川原の岩陰で野営することになった。
小さな焚き火をみんなで囲みつつ、わたしはまたおばあちゃんの手帳を広げる。明日の朝には、リーメ手前の大橋に着くはずだ。
だからわたしは――今のうちに、抱いていた疑問を口にすることにした。
「ねえ……なんで教会の人は、いっつもわたしたちの行く先々にいるのかな。わたしたちを探していることはわかったけど……毎回先回りされているのは、どうしてなのかなって」
「うむ……」
焚き火の向こうで横になっていたノワが、目を細めながらわたしを見た。その月色の瞳では、炎が揺れていた。
「ここまでくれば、確かに偶然ということはないだろうな。何らかの手段で、吾輩たちの目的地を事前に調べ上げているのは、間違いあるまい」




