第14話 王さまの川渡り
翌朝の桟橋には、空樽がずらりと並んでいた。
「ほら、ちゃんと考えてきたよ! 舟がないなら、作っちゃえばいい――名付けて、樽イカダ作戦!」
腕まくりしたラギの声が、朝の川に響く。空樽を組んで縛って、その上に板を張って、わたしたちが乗る……らしい。正直やっつけ仕事にしか見えず、不安でいっぱいになったが、どうやら作戦はそれで終わりではないらしい。
「サヨちゃん、説明してもらってもいいかな?」
「うん。あのね、この村の渡し守が川を渡るときは、ただ大舟を漕ぐだけじゃないの。ほら、あそこ――」
サヨちゃんが指さした先にある川の上を、まっすぐ一本の太い綱が対岸まで渡っている。
「張り綱っていうの。渡し守は大舟が川に流されないように、あれを手繰って進むんだよ」
「つまり、張り綱にくぐらせた輪っかをイカダにつないで滑らせれば、漕がなくても向こう岸に渡ることができるのさ。旅の商人と、この村の知恵の合わせ技ってわけ」
そこまで説明を聞いて、わたしは安心するどころかとても感心してしまい、サヨちゃんとラギに賞賛の言葉をたくさん送った。
それから、わたしたちはサヨちゃんに事情を打ち明けることにした。川向こうの岩屋の主を起こしに行くこと、その主が猫という生き物であること……ひと通りの話を聞いて、サヨちゃんは驚くより先に、ああ、と感嘆の息を吐いた。
「あの岩屋に、白沢さまがいるって話は本当だったんだ……」
「白沢、さま?」
「おばあちゃんの、そのまたおばあちゃんの頃からの言い伝えなの。岩屋には白沢さまが眠ってて、この村の人たちとお水のことを、ずっと見守ってくれてるんだって。……教会の人は『そんなものはただの迷信です』って笑ってたけど」
わたしが「迷信じゃないよ」と言いながらノワを紹介してあげると、サヨちゃんは目を丸くしてぽかんとなってしまい、やがて泣きそうな顔でちょっとだけ笑ってくれた。
◇◇◇
イカダの準備を始めたところで、さっきからずっと黙り込んでいたノワが、ようやく口を開いた。
「却下である」
桟橋の杭のてっぺんから、猫の王さまは騒々しく鳴きながら作戦に抗議してきた。
「なぜわざわざイカダなどという不安定な乗り物を使うのだ。川を渡るなら橋を架ければよかろう」
「……えっと、川を渡るなら橋を架けたら、って王さまが言ってるけど」
「いや無理でしょ。何日かかると思ってるの」
ラギにあっさり却下されても、ノワは負けじと次の案を持ちかける。
「では、行商人。お前が吾輩を頭に乗せて川を泳ぐというのはどうだ」
「えーっと……」
「却下。どうせろくでもない案だってことは伝わってきたよ」
ノワがめげずに「大きな凧を飛ばすのはどうだ」などというさらに無茶苦茶な案を出してきたところで、わたしはようやくノワの異変に気がついた。
ノワのしっぽの毛が、ぶわっと、普段の倍くらいに膨らんでいた。
「……ノワ。もしかしてだけど――水が怖いの?」
「――そんなわけなかろう。吾輩は王であるぞ」
猫の王さまは、ツン、とあごを上げてみせた。
「じゃあ問題ないよね。さ、早くイカダを完成させて、岩屋の猫を起こしてあげなきゃ!」
「いや、おい娘、ちょっと待つのである。おい、王の話には耳を傾け――」
わたしたちは黙々と作業を続けた。その後もしばらくノワがわーわー喚いていたけど、最後は耳をぺたんと倒して不貞腐れたように桟橋のすみっこで丸くなっていた。その姿がちょっとかわいいと思ったのは内緒である。
◇◇◇
イカダ作りは昼過ぎまでかかった。八つの樽を荷縄でぎっちり縛り、その上に宿から借りてきた戸板を張る。そうして仕上がったイカダの上を、ノワが渋々といった様子で検分して回った。
「……酒くさいイカダである」
「酒樽を使ってるから、そりゃあね」
「王の座する舟に酒樽なんぞを使うとは、なんと無礼な」
「別に王さまのための舟じゃないんだけど……ていうか、結局乗るんだね」
あれだけ文句を言ったり不貞腐れたりしながらも、こういうところはなんだかんだで王さまなんだなと少し尊敬する。
◇◇◇
翌日の明け方。いよいよ出発というところで、サヨちゃんが小さな包みをくれた。中身は、炒り豆とひと掴みの干しナツメだった。サヨちゃんが、いつも樽の番をしながら少しずつ食べているものだという。
「白沢さまによろしくね」
うん、と笑顔で約束してから、わたしたちは霧が立ちこめる川に向かって、そっとイカダを滑り出させた。荷馬車と馬は宿に預けてあるので、最初は自分たちの身軽さに心細さを抱いたが、岸で見送ってくれているサヨちゃんの姿を見て、すぐに気を引き締めることができた。
ノワはわたしの外套の中にいた。いつものようにただいてくれるだけならよかったんだけど、今はわたしの体に爪を食い込ませて、力いっぱいしがみついているため、とにかく痛くて仕方がない。
「ちょっと、ノワ! あんまり強くしがみつかないでよ! 爪が痛いんだってば!」
「ふ、不可抗力である」
もはや誤魔化す余裕すらないらしい。王さまとしての威厳はどこへやら、である。
イカダは張り綱を滑って、思ったよりずっと順調に進んでいった。ラギがイカダにくくった輪っかを手繰るたび、樽の下でたぷんと水がはねる。と、ひとつの波がイカダの縁をパシャンと叩き、イカダの内側に水しぶきが飛んできた。
「にゃっ」
……にゃ?
今、確かに聞いた。それは、わたしが《猫語り》であるせいで、これまで聞く機会がなかった声で。生まれて初めて、ようやく聞くことができた――猫の鳴き声そのものだった。猫が言葉にならない声をあげたとき、変換されずにそのままの声として耳に届く、ということなんだろうか。
「ノワ、今のって」
「……娘よ、そなたは何も聞いておらぬ。よいな?」
「えっと……うん、わかった、何も聞いて……ふ、ふふ」
そんな猫の王さまがかわいすぎるあまり、わたしは笑いがこみあげてくるのを必死に噛み殺した。
ノワはわたしの体により一層爪を食い込ませ、ひたすら無言で圧力をかけてきた。だから痛いよ……。
◇◇◇
川の真ん中あたりで、またあの気配がわたしの胸を撫でた。
――ちりちり、と。
今までで一番はっきりと、気配が感じられた。
「……なんか、熱っぽくなってきたかも。頭がくらくらするというか……」
うなされながら眠っているような感覚。宿の壁ごしに聞いた、あの子供の細い息を思い出す。
「この猫……うなされてるんだ。村のみんなとおんなじ……」
「であろうな」
ノワが、低い声で言った。その声はもう、震えてはいなかった。
「猫もまた、鉛によって力を削がれてしまうのだ。封じられた祠の中で、半年もあの毒の混ざった水を吸わされ続ければこうもなろう。急ぐぞ、娘よ」
◇◇◇
やがて、イカダは対岸の岩場に到着した。ノワは真っ先にイカダから飛び降りて、何事もなかったように毛づくろいを始める。ようやく苦手な水から解放されて、とてもすっきりした表情をしていた。
わたしは、眼前にそびえる崖を見上げた。霧はいつの間にか薄れており、中腹の黒っぽい岩屋がはっきり見える。
と――岩屋のほうに目を向けた瞬間、心臓が破裂しそうになった。
灰色の外套に身を包んだ人影がひとつ、岩屋の前に立っていたのだ。




