第八話 初対面
結局、姉妹校との合同授業に、参加することになってしまった。
断りづらい状況だったというのもあるけど、最終的には、私が決断した。
ライラさんには既に情報共有しており、ミホ先輩にも念のため、同じ文言で連絡をした。
けど……ココナさんが活動停止してから、ミホ先輩はラボに引き籠るようになってしまっている。
顔も声も聞けていないから、果たして私の手紙を見てくれているのかはわからない。
「……ねぇ。なんで私なの」
ふと、隣を歩く仲氏さんが、何度目かわからない苦言を零した。
家を出てから、電車の中でも、目的地への道中ですら、事あるごとにこれを繰り返している。
「ご、ごめんってば、仲氏さん。何回も謝ったでしょ」
最初のうちは、素直に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
でも、ここまで何度も擦られると、呆れのような気持ちの方が増してくる。
そして、私がそう言うと、仲氏さんは決まってこう返すのだった。
「謝ってほしいわけじゃない。納得がいかないんだよ。アンタの交友関係の希薄さの割を食ってることにね」
仲氏さんは腕を組んだまま、私と顔を合わせようとはしない。
大きな溜め息を吐いたあとも、文句はまだまだ続く。
「加えて、アンタを指名した生徒とやらに心当たりがないときた。こんな、裏があるかもしれないことに、私を巻き込まないでほしいんだけど」
「うっ……返す言葉もないです」
とはいえ、ぶつぶつ言いながらも、結局引き受けてくれるあたりが、彼女らしかった。
本人には絶対に言えないけど、やっぱり、仲氏さんは優しい。
「ねぇねぇ、ナナ。まだー?」
「あ……ええと、確か、この辺りだと思うけど……」
そう言って、私は仲氏さんの顔を覗き込む。
彼女は二度目の溜め息を吐くと、こめかみに手を当てて、空中にマップを表示させてくれた。
「あと五分くらいで着く。あそこの角を右に曲がって、道なりを真っ直ぐ進むらしい」
仲氏さんは私とアイリの前に立ち、そそくさと足を動かした。
何を隠そう、私たちは今、カエルム・テクノロジーズという会社に向かっている。
角花高校と親身にしている会社のようで、今回も快く引き受けてくれたという。
けれど、詳しいことはまだ知らされていなかった。
何故なら、今回の姉妹校間授業は、角花高校が主体で進めてくれている。
だから今日の今日まで、私たち園縁高校の生徒陣は蚊帳の外だったのだ。
「色々と事情があるとはいえ、まさか、初顔合わせが見学当日になるとは思わなかったね」
気まずい雰囲気を断ち切るために、あくまで穏やかな声色でそう口にする。
仲氏さんは何か言いたげにこちらを一瞥したけど、無言のまま、すぐに顔の位置を戻した。
「……おなまえ、おぼえて、ない」
アイリは眉毛を八の字にして、がっくりと肩を落とす。
私は鞄の中からメモ帳を取り出して、アイリと一緒に復習する。
発田サクラさん、白波スナミさん、瀬戸海アオさん。
全員女の子で、同じ高校二年生。
仲氏さんは、罠かもと言っていた。
けど、相手方が私の知り合いなのかすらわからないのだから、罠である可能性は低いと思う。
むしろ、知り合いであってほしいという淡い期待まで抱いていた。友達が増えるかもしれないから。
とはいえ、名前にピンと来る人はいない。ということは、適当に私の名前を上げただけなのかも。
……つまるところ、三人と出会わない限りは、今回のことがどう転ぶのなんて、わからないのだ。
ワクワクするような、ドキドキするような。
そんな気持ちを胸に抱きながら、私はアイリと手を繋いだまま、仲氏さんの背中を追った。
カエルム・テクノロジーズ社が見えた瞬間、思わず、息を呑んだ。
まず目に入ったのは、白い壁だった。広い敷地をぐるりと囲む、背の高い白い壁。
その向こうには、同じく白を基調とした、高くて横に広がる建物がどっしりと構えてある。
いくつかの棟に分かれているようで、渡り廊下のようなものが、それぞれを繋いでいた。
敷地の中も外も、ただひたすらに白くて、静かで、無機質で。
周囲の景観に混じって息を潜めているような、そんな佇まいだった。
壁の中には人工芝が広がっていて、そこに点々と、巨大なパラボラアンテナが立ち並んでいる。
全てが空に向かって、顔を上げている。なんだか、お祈りをしているみたいだ。
あるいは、何かを神様に問いかけているのか。
「はぁい、皆さん。この度はお集まりいただき、ありがとうございまぁす」
建物に夢中になっていて、門の近くに立っていた女性に気が付かなかった。
最初に声を上げたのは、スタイルの良い体型の、糸目の女性だ。
長い髪を緩く結っていて、優しげな雰囲気。緊張感が漂っていた空気が、自然と和らぐ。
「私、角花高校で教員をしていまぁす、岩鬼イチコでぇす。イチコ先生って呼んでくださぁい。今回の合同授業のサポート役ですので、困ったことがあったら、何でも言ってくださいねぇ」
イチコ先生はそう言うと、ゆっくりとした動きで握手をしてくれた。……って、あれ?
「あの、イチコ先生。その首のマークって……」
「あ、はぁい。これは、私を作った製造会社のものですよぉ。私、教師型アンドロイドなんですぅ」
そう言われて、とても納得できた。
だって、イチコ先生の手は、人間にしては硬くて不自然だったから。
「ねぇねぇ、あなた」
ゆるふわなパーマを揺らしながら、とある女の子がアイリに近づく。
とろんとした目で、じっとアイリのことを見つめていた。
「あなた、もしかして、宇宙人?」
「え、えええっ!?」
藪から棒の問いに、アイリが素っ頓狂な声を上げた。
「おい、スナミ!いきなり何言ってんだ、失礼だろうが!」
慌てて駆け寄った赤髪の子が、アイリから女の子を引き剥がす。
カラッとした勝ち気な顔立ちをしていた。
「悪ぃな。こいつ、白波スナミっつーんだけどさ。ちょっと電波なとこあるんだ。大目に見てやってほしい」
後頭部を勢いよく掻いたあと、深々と頭を下げる。
白波という女の子の頭も掴んで、強制的に頭を下げさせた。
「……アイリ、へいき。だいじょうぶ」
アイリは途切れ途切れに言葉を発する。
けど、戸惑いの気持ちが強かったのか、私の袖を強く握り締めた。
「そう言ってもらえて、助かるぜ。……あ、オレの名前は瀬戸海アオだ。よろしくな」
瀬戸海さんはニカッと白い歯を見せて、私とアイリの肩を強く叩く。
最初は怖い人かと思ったけど、明るくて良い人そうだ。
「でも、アオ。この子から、宇宙の匂いがするんだよ。この子、きっと宇宙人なんだよ」
「匂いで宇宙人がわかってたまるか。つーか、宇宙の匂いってなんだよ」
瀬戸海さんは白波さんの額を軽く叩く。
漫才みたいなやりとりに、緊張で張り詰めていた気持ちが、ほぐれたような気がした。
そして二人は、少し離れたところで様子を窺っていた、仲氏さんの方に近寄った。
お互い自己紹介をしているみたいだけど、仲氏さんの方は警戒心をダダ漏れにしていた。
そんな彼女たちのやりとりを、微笑ましく見守っていた……その時。
「初めまして、南雲ナナさん」
凛とした声に、呼び掛けられる。振り向くとそこには、清楚で品の良い女の子が立っていた。
その子の桃色の髪から漂う甘い匂いに、一瞬、くらりとする。
瞳もどこか熱を帯びていて、艶っぽかった。
けど、セクシーという感じではなく、小悪魔に近いような……って、初対面の人に対して失礼か、小悪魔なんて。
「私、発田サクラといいます。今回、このグループのリーダーを務めます。……お誘いを受けていただいて、本当に嬉しいです」
「お誘い?……ああ! もしかして、私を指名したのって……」
言いきる前に、発田さんは首を縦に振る。
そして、彼女は私の方にゆっくりと歩み寄り、私とアイリの間に入り込んだ。
「ねぇ、ナナさん。私と、同盟を組みませんか?」
突然そう囁かれて、思わずドキッとする。
発田さんは細く小さい指で、私の手に触れた。
……何だろう。やけに距離感が近い。落ち着かない気持ちになる。
邪な感情を取っ払うように、私は発田さんに声をかけた。
「同盟って、どういうこと?……同じグループとして、協力し合おうってこと?」
「うふふ。そんなんじゃないですよ」
発田さんは、更に顔を近づけてきた。
耳にかかる吐息がくすぐったくて、鳥肌が立ちそうだった。
「私、知ってるんですよ。そこの子が傘に……道具に変身すること。人戒教に襲われたこと。ナナさんの立場も事情も、全部」
「っ!?」
言葉を理解した瞬間、急いで発田さんから身を遠ざけた。
どうして、この子がそんなことを知っているの?
「これからは、私がナナさんを守ります。だから、安心してください。私、強いんですよ?」
発田さんは、私にしか見えない角度で、イチコ先生の腰回りに手をかける。
そして、先生のスカートのチャックを開けた、その先に見えた肌には……遺物の模様が、刻み込まれていた。
「……あなたたちも、私やアイリと同じなの?」
そう問い掛ける声は、情けなくも震えていた。
発田さんはニッコリと、屈託の無い笑顔を浮かべている。
慈しみを含めたような、可愛らしい笑みだった。
けれど。私にはそれが、どうしようもなく不気味なものに見えて仕方がなかった。
──発田サクラ。この子は一体、何者なの?
+++
園縁高校。私と仲氏さんが通い、最近になってアイリが転校した高校。
偏差値はそこそこの共学で、神由来の技術の受け入れ態勢もそこそこ、という特徴がある。
大抵、そういう高校は、交通アクセスや電波環境がよくなかったり、周囲に娯楽施設がなかったりする。
けど、園縁高校は珍しく、街全体が豊かで人口も多い。
そんな園縁高校を設立した人は、もう一つ、別の高校も設立していた。
それが姉妹校である、角花高校だ。
私たちの街から車で四十分ほど離れた、海沿いの街の女子校。
園縁高校は真逆の性質を持っていて、積極的に最新技術を受け入れているのに、街があまり活発的ではないという特徴がある。
だから、わざわざこっちの街まで来て遊ぶ子が多いみたい。
たまに、街中でその姿を見かける。
制服も所作も何もかもに品があって、ナンパな男子生徒ですら、声をかけるのに抵抗があると言っていた。
確かに、触れてはいけないオーラみたいなのが漂っているイメージだ。
「ナナさ~ん。大好きです」
私は今、そんなオーラをビンビンに纏っている女の子から、熱烈なアプローチを受けていた。
「あの、発田さん。もう少し離れて歩いた方がいいんじゃないかな」
「え~、嫌です。だって私、ナナさんに一目惚れしたんですから」
「…………」
仮に本当に一目惚れしたんだとしても、出会って数秒でここまで距離を近づかせるのはおかしい。
「初対面だよね?」と何度聞いても、「はい、そうです」としか返ってこないし……。
まさか、これが罠?……良い匂いの香水も、蕩けるほど甘い声も、誘惑するために計算されているのだとしたら、納得がいく。
…………いやいやいや。そうだとして、何のために?
そんなことを思っていると、突然、制服の襟を掴まれる。
発田さんは驚いて仰け反り、私は、後ろを歩いていた女性……アイリに、背後から抱き締められた。
「ずるい。ナナとアイリ、ずっといっしょ」
アイリは唇を尖らせる。すると、発田さんの柔和な態度が一変した。
誰にでも好かれるようなチャーミングさは消え失せ、黒く淀んだ瞳でアイリを睨み付ける。
アイリの方が背が高いので、見上げる形になっていた。
「部外者は黙ってて。誰か知らないけど、ナナさんにベタベタしないでよ。迷惑だから」
「めっ……めいわく? ナナ、アイリ、めいわく?」
「えっ、ええと、迷惑なんかじゃないよ」
私の言葉に、アイリはパァっと顔を輝かせる。
一方で、発田さんはより一層、淀みを増していた。
あんなにうるうるとした目で言われて、冷たく突き放せる人なんていない。
第一、私はアイリに感謝すれど迷惑なんて一度も思ったことがない。
「……もうっ。せっかく会えたのに、どうしてこんな奴がいるの」
「ごめん、発田さん。何か言った?よく聞こえなくて」
「あっ! いいえ、何でもないんです! ただ、ナナさんにくっつく虫……泥棒……邪魔者……を、どうしてやろうか悩んでいただけですから!」
「……あまり、アイリのことを悪く言わないでほしいんだけど……」
「いくらナナさんの頼みとはいえ、それはできません」
満面の笑みで返された。何やら非常に固い意志があるようだ。
同盟を結ぶつもりがあるのなら、アイリとも仲良くしてほしいところだけど。
「…………」
アイリは無言のまま、強く私の手を握る。
細く長い指先が、少しだけ震えていた。
彼女に対して嫌悪の感情をぶつけてきたのは、発田さんが初めてだった。
だから、戸惑っているのかもしれない。
ココナさんもアイリのことを苦手だと言っていたけど、ここまであからさまじゃなかった。
むしろ、言動には優しさが滲み出ていた。
「南雲って、変な奴に好かれやすいんだね」
私たちの様子を見ていた仲氏さんが、ポツリと呟く。
今日の見学と、今後二週間の資料作り、そして、最終日の発表会。
こんな状況で、合同授業がつつがなく終わるとは思えなかった。
……あーもう。
久しぶりに羽を伸ばして学校生活を楽しめると思ったのに、どうしてこんなことになったんだろう。
鬱屈した気分になりながら、私はカエルム・テクノロジーズ社へと向かうのだった。
会社の自動ドアには何やら仰々しい機械が備え付けられていた。
でも、イチコ先生が自身の身体を読み込ませると、すぐに扉は開いた。
その瞬間、ひんやりとした空気が肌を包む。
エントランスは外観と同じく白一色で、何やら光沢のある素材が使われている。
歩くたびに、床や壁に自分の影が反射された。
それ以外の装飾らしい装飾はどこにもなく、余計なものを徹底的に省いたような、清潔で無駄のない空間。
足音や声がよく響き渡るのも相まって、何も知らなかったら体育館だと思ってしまいそうだ。
けれど、たった一か所だけ、特徴的な箇所があった。
それは、天井。
真っ黒な背景に宇宙空間の映像が、静かに流れていた。
無数の星や惑星が、暗闇の中に散りばめられている。
映像は次々に切り替わっていき、最後には、青と緑の美しい球体……地球が画面いっぱいに映し出された。
しかし、その地球に突然、うっすらと白い靄のようなものが広がる。
ここで、映像は一区切りらしい。
ここまで綺麗な地球を見るのは初めてで、思わず息を呑む。
神様がすっぽり覆ってしまった地球は、宇宙から見るとこんな感じなんだ。
見てはいけないものを見てしまったかのような、不思議な感覚に陥る。
「……みたこと、ある」
ふと、隣を歩くアイリの口から、そんな言葉が聞こえてきた。
「どういうこと?アイリ、何か思い出せそうなの?」
私は、ようやく彼女に関する情報が掴めるかもしれないことに高揚し、ついつい、前のめりになってしまう。
「うーん……わかんない。でも、よくみてた……」
アイリは顔を上げていたから、どんな表情をしているのかわからなかった。
けれどその声色には、悲しい思いが含まれている気がした。
「じーっ……」
「ええと……白波さん。声に出てるよ?」
私が指摘しても、白波さんはしばらく「じーっ」と言いながら、アイリの顔を見つめていた。
それからややあって、ふわっと笑った。
「アイリちゃん、宇宙のこと、好き?」
「……わかんない。きになる、けど……」
深く思案しているのか、アイリの言葉は途切れ途切れだった。
白波さんは途端に目を輝かせて、天井を指差す。
「興味あるんだね! じゃあ、私が教えてあげるよ~! 私、宇宙のことならなんでも知ってるから」
白波さんはアイリの腕を引いて、何やら難しい言葉を並べ始めた。
アイリはひたすら首を傾げていたけど、それでも、二人は和気あいあいと楽しそうにお喋りをしている。
マイペースで天然っぽい性質が合っているのかもしれない。
アイリに友達ができたみたいで、嬉しい……なんて、親みたいなことを思ってしまう。
「あの調子だと、アンタの連れ、しばらく解放されねぇぞ」
スクリーンを見上げている二人の様子を見ながら、瀬戸海さんがそう呟く。
呆れたような顔で、でも、ほんの少し誇らしげに。
「白波さんって、宇宙に詳しいんだね」
「まあな。昔からそうなんだ。あいつの両親が宇宙飛行士だから、英才教育されてきたんだよ」
瀬戸海さんは恥ずかしそうに、頬を掻いた。
……白波さんと瀬戸海さんは、本当に仲が良いんだな。
「ねえねえ、知ってる?中性子星って、直径二十キロくらいしかないのに、質量が太陽と同じくらいあるんだよ。つまり、ティースプーン一杯分の物質が、だいたい十億トンくらいになるの」
「ちゅうせい?」
「それだけじゃなくて、中性子星が超高速で回転するとパルサーになるんだけど、一秒間に何百回も回転するものもあって。回転周期が原子時計より正確だから、宇宙の灯台って呼ばれてるの。それから、マグネターっていう」
自己紹介のときの、のんびりした雰囲気はもうない。
ハキハキとした声で、爛々と目が輝いている。まるで、今の白波さんは別人だ。
「おいスナミ、その辺にしておけ。あとでオレがたっぷり聞くから」
困り顔のアイリを見ていられなかったのか、瀬戸海さんは、白波さんの肩をポンと叩く。
その瞬間、白波さんはハッと我に返り、糸が切れたみたいに、ふにゃりと笑った。
「ほんと? 約束だよ、アオ」
そんなことを言いつつ、白波さんの口は止まらない。
イチコ先生による入館手続きが終わるまで、宇宙トークは終わりそうになかった。
「ハァ……ようやく、お邪魔虫がいなくなった」
突然、腕が強く掴まれる。見なくてもわかった。発田さんだ。
「ナナさんは宇宙に興味、ありますか?」
思わぬ質問に、言葉が詰まる。でも、本気で気になっているような素振りではなかった。
「あまり、考えたことないかな。神様のせいで研究が遅れてて、最新の画像が見れたりするわけじゃないし」
だからこそ、この天井の映像は凄い。
これだけで、カエルム・テクノロジーズ社の技術力と宇宙への探求心が高いことが窺える。
「うんうん!それでいいんですよ、ナナさん。ナナさんはただ、私のことを考えてくれていれば、それで」
「………………」
やっぱり、発田さんはそれが言いたかっただけか。
出会ってから短分しか経っていなかったのに、耳にタコができるくらい聞いた気がする。
助けを求めるように、仲氏さんの顔を見る。
彼女はエントランスの隅で、腕を組んで壁にもたれていた。
天井にも私たちにも興味が無さそうで、こめかみに手を当てながら、
「……早くレノに会いたいな」
と呟いていた。どうやら、レノちゃんの写真を見ているらしい。
「皆さぁん、大変お待たせ致しましたぁ。中に入りましょうねぇ……ああ、それと……」
どこからともなく、イチコ先生が現れた。
受付の人は見当たらないけど、遠くの壁に、四角く暗い空間が浮かび上がっていた。
視線が、イチコ先生に集まる。全員が、彼女の言葉の続きを待っていた。
「勝手な行動は、控えるようにしてくださいねぇ」
柔らかくて、穏やかな口調。
でも、イチコ先生の目は笑っていなかった。背筋が自然と伸びるような、そんな眼差し。
驚いたのは、発田さんですら背筋を伸ばして、私の腕から身体を離したこと。
今まで何をされても離れなかったのに……。
私たちは無言のまま、イチコ先生の背中を追った。
通路の灯りは人が歩く度に光り、しばらくすると消えていく。
壁はエントランスと同じく真っ白で、凹凸も機械もない。
この建物がどういう原理で動いていて、どういう間取りになっているのかすらわからない。
わからないまま、私たちはとあるエレベーターに通された。
エレベーターの近くには、スーツを着た妙齢の女性が立っていた。
彼女は私たちが視界に入った途端、深々と頭を下げる。
私たちもイチコ先生の後に続く形で、頭を下げた。
「初めまして。私、広報部の宝藤と申します。以後、お見知りおきくださいませ。……では、ご案内致します」
そう言うと、宝藤さんはエレベーターを開け、私たちを誘導する。
内部はかなり広く、装飾も華やかだった。
全員が中に入ると、宝藤さんは器用にパネルを操作する。
向かう階を押下しているだけではないようだ。ややあって、彼女の手が止まった。
「申し訳ありませんが、目的の場所まで少々時間がかかります。その間、僭越ながら、講義を取らせていただきますね」
宝藤さんは微笑んだのと同時に、エレベーターが動き出す。
内部は突然真っ暗になって、四方の壁に映像が映し出された。……地球を覆う、神様の姿だ。
「世間では神と呼称されていますが、正式な学術名称はエーテルです。しかし、これはあくまでDEMsが指定した仮の名前であり、そもそも本体に名前というものがあるのかどうかすら、定かではありません」
授業で聞いたことがある。
確か、エーテルというのは古代ギリシャ語で、天空を満たす物質を指す言葉から取られていると。
人間が勝手に名前をつけたと思うと、どこか寂しいような、おかしいような……不思議な気持ちになった。
「エーテルが地球を覆ったのは、今から約八十年前のことです。当時の記録によれば──」
今は亡き、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが若い頃の話だ。
その頃の人たちは、どんな気持ちで、あの霞のような神様に空が覆われるのを見ていたんだろう。
空が機械仕掛けになったのを見ていたんだろう。
怖かったのか、それとも、綺麗だと思ったのか。
私が住んでいる家は、代々、お父さんの家系……南雲家が受け継いできたものだ。
築年数がかなり経っていて、リフォームも何度かしているけど、おじいちゃんが好きだったという二階の天窓だけは、ずっと残されていた。
けど今、その天窓は塞がれている。
神様を嫌うお父さんとお母さんが、外から木の板で蓋をしてしまったから。
もし叶うのなら、いつか、そこから青空や星空が見てみたい。家族と……アイリと、一緒に。
そんな妄想をしているうちに、内容は、エーテルの歴史から仕組みへとシフトしていた。
「エーテルの意識や思考は確認されておりません。あれは、ただ、存在しているだけです。私たちが蛍の光を美しいと感じても、蛍は何も考えていないように。エーテルもまた、私たちのことを、認識してすらいない」
宝藤さんは、はっきりと言い切った。
人戒教の人たちみたいに、神が生きていると豪語する人もいて、そういう研究や論文もあると聞く。
だから、未だに解明されていないものとばかり思っていたけど、あれらは全てデマだったのかな。
「ただし、エーテルは常に、膨大な量の信号を発し続けています。電磁波、重力、量子レベルの揺らぎ。あらゆる形で、情報が漏れ出ている。私たちはそれを傍受し、解読することで、エーテルの処理パターンを模倣することに成功しました」
あ……そっか。
その信号とやらが送られてきているからこそ、神は生きている、意思があるという人が絶えないんだ。
警戒心の強い人や、心が弱い人が、信号には何か意図や裏があるのでは? と、勘繰りをしてしまうのだろう。私の両親もそうだから、気持ちは少しわかる。
「あの、質問いいですか」
そう声を上げたのは、意外なことに仲氏さんだった。講義の内容には関心を持ってくれているみたいだ。
半ば強制的に誘ったことへの罪悪感が、少しだけ軽減された。
「神由来の技術って、玉石混交ですよね。どうして差異が出るんですか。模倣してるなら、そっくりそのまま引用すればいいだけじゃないんですか」
「良い質問ですね。結論から言えば、信号の取得方法と、それを処理する媒体の性能。この二つが、精度の差を生んでいるんです」
宝藤さんは口角を上げて、興奮したように両手を上げた。
「エーテルの信号は、従来の基底では記述できない高次位相空間上の非線形波動です。既存の観測系では、そこでサンプリング落ちと位相崩壊を起こしてしまう」
どうしよう……言っている意味がこれっぽっちもわからない。
首を傾げている私たちをと目が合って、宝藤さんは我に返った。
「……コホン。つまり、エーテルからの信号はデータ量が膨大すぎて、現代の技術をもってしても、欠損やミスが発生するということです」
「えっ。じゃあ、どうするんですか?」
無意識に、言葉が口から漏れていた。
恥ずかしかったけど、宝藤さんが優しく微笑んでくれたのを見て、すぐに思い直した。
「そこが、我々の永遠の課題なんです。独自の方法で取得精度を上げるのか。模倣した先の媒体側でフォローするのか。どのアプローチを取るかで、精度は大きく変わる」
DEMsやミホ先輩は、どうやって補完しているんだろう。
ふと気になったけど、きっと質問したところで、返ってくるのは難しい専門用語ばかりなんだろうな。
「話を戻しますね。エーテル本体は物体として存在していますが、触れることができません、通り抜けてしまいます。そのため、構成物質は不明のまま……っと、すみません。到着したようです」
まだまだ宝藤さんの解説を聞いていたかったけど、時間切れになってしまった。
エレベーターの扉が音もなく開き、肌寒い空気が入り込む。
「わぁっ……!」
聞こえてきたのは、アイリの感嘆の声。
それに呼応するように、私たちは顔を見合わせたり、「凄いね」と言い合ったりした。
エレベーターの先に広がっていたのは、ガラス張りの個室がいくつも並ぶ空間。
机と椅子が並ぶ部屋や、動かない巨大なアンテナがある部屋。
無数のモニターが並ぶ部屋……他にもいろんな機械が保管されていたけど、何のためのものかわからなかった。
でも、まるでSF映画の世界に入ったみたいで、ついテンションが上がってしまう。
それは私だけじゃなくて、発田さんや仲氏さんですら、ほんの少しだけ浮足立っていた。
「…………」
イチコ先生の無言の圧により、私たちのテンションは平常に戻される。
その様子を見ていた宝藤さんは穏やかに微笑むと、「こちらです」と言って歩き出した。
「弊社の事業は、機密情報のものが多いんです。そのため、見学やインターンシップ、新人研修の際は、こちらの専用スペースを用いているんですよ」
「私のお父さんとお母さんも、情報漏洩にはとっても気を配ってました」
「あら? 白波さんのご両親は、私共と同業の方なんですか?」
「いいえ、違います。宇宙飛行士です」
白波さんは胸を張って、鼻息をフンッと鳴らした。
けど、宝藤さんはどこか気まずそうな雰囲気で、視線を逸らす。
「……それはそれは、大変でしょう。エーテルが到来してからというもの、地上での宇宙観測も、宇宙へ飛び立つのも、困難になってしまいましたから」
「そう聞いてます。……でも、それをどうにかするために、研究してくれてるんですよねっ!」
エントランスで宇宙の映像を見たときみたいに、白波さんの顔色が変わった。
キラキラと輝く尊敬の眼差しに、宝藤さんは戸惑いつつも嬉しそうだった。
「……はい。弊社では、エーテルの外側……衛星から歪みの少ない信号を取得し、まっさらな、宇宙本来の情報のみを取り出す技術を研究・開発しているんです」
宝藤さんはそう言うと、大きなモニターがある個室を指差した。
ここからでも十分に内容が見えるけど、何が記されているのかはわからない。
数字や波形が絶え間なく流れているようだ。
「これは一般的な観測データの一部です。衛星からの信号が、リアルタイムで解析されているんですよ。……まあ、エーテルの信号も混ざってしまっているんですが」
「ふーん。不純物ってだけあって、何か変な波形っすね。ノイズっぽいのまで出てるし」
ふと、アオが独り言のように呟く。
「あ、いや……実は、それは最近になって発生したものなんです。今までは乱れなんてなかったんですけど、稀にそうなってしまうことが多くありまして」
宝藤さんの不安気な顔に同調するように、この場の空気が重くなる。
すると、宝藤さんは顔をブンブンと横に振り、さっきよりも明るい声でこう言った。
「確かなことはまだわかりません。ですがここ数日前に、DEMsが独自の調査を始めたと聞いています」
「おお!それなら安心っすね!」
皆が、ホッと胸を撫で下ろす。
けど残念ながら、私の不安は拭えていなかった。むしろ、増大してしまった節すらある。
DEMsの独自調査って、ライラさんの遺物捜索のことなんじゃないか。
……そんなことを、思ってしまったから。
……考えすぎ、だろうか。
最近発生しているらしい、チップや電波の異常。そして、遺物。
これらが繋がっているような気がして、ならなかった。
「ナナさん、大丈夫ですか。顔色が悪いみたいですけど」
発田さんが、心配そうに私の顔を覗き込む。
彼女が手を握ってくれたおかげで、身体の震えが治まったようなきがした。
「……大丈夫だよ、少し、貧血になったのかも」
「…………」
発田さんは疑いの目を向けていたけど、これ以上追及するようなこともなく、「無理しないでくださいね」と一言返してくれた。
私は彼女に感謝を伝えつつ、モニターに映る波形を、もう一度見つめた。
絶え間なく流れ続ける、数字と波形。
その向こうで、今もエーテルが、地球全体に、ただ静かに、何かを発信し続けている。
そこには意識も、思考もない。でも、本当にそうなのだろうか。
モヤモヤした頭を落ち着かせるために、私はメモ帳に自分の考えや気持ちを書き殴った。
今回の見学で学んだことが既にいっぱい書かれていたので、帰る頃には、メモ帳のすべてのページが、文字でいっぱいになっていた。
+++
外へ出ると、空はすっかり薄暗くなっていた。
白いパラボラアンテナが、夕闇の光に当たって輝いている。
来たときから変わらず、空に向かって顔を上げていた。
「ナナさん。同盟の話、考えてくれましたか?」
突然、背後から袖を引かれる。発田さんだ。
見学の前に言われた、同盟の提案。
私はあのとき、どうすればいいのかわからなくて、答えを先伸ばしにしてしまったのだ。
本当は、まだ、考えはまとまっていなかった。
私は、彼女が怖い。
アイリの変身のことも、人戒教のことも知っている。情報ルートが不透明だ。
それに、妙なアプローチをしてくるのも気になる。
大好きだという言葉に裏があるような感じはしないけど、私を知ったきっかけは? と聞くと、秘密ですと返ってくるのが気になった。
…………でも、これは好都合と言えるかもしれない。
私のことを知り尽くした調査力と、自称できるほどの強さが彼女にあるのだとしたら、私が手綱を握ることで、皆を守るためにできることが増えるかもしれない。
第一、ここで下手に突っぱねてしまうことで、機嫌を損ねた発田さんが、周囲の人に危害を加えるようになる方が厄介だ。
そうなるくらいなら、私の目の届く範囲にいてもらった方が良い。
……ライラさんやミホ先輩に相談してからの方が、いいのかもしれない。
でも、この前はそうやって慎重になったせいで、ミホ先輩のNGワードを引いてしまったわけだし……。
二人は忙しくしている。今はこれ以上、負担を増やしたくない。
事後報告になってしまうけど、それもお互い様だ。そう自分に言い聞かせて、ゆっくりと口を開いた。
「……うん、わかったよ。これからは同盟者として、よろしくお願いします」
正直、発田さんに唆されたような気がしないでもない。
実際、彼女への警戒心は、解けていない。
あくまで、深入りしすぎないように、ビジネス的な関係を保つようにしなければ。
「本当ですか……!? 嬉しいですっ!」
けれど、発田さんの喜びようは本物だった。
花が咲くみたいに顔を輝かせて、ルンルンとステップを踏む。
そんな反応を返されてしまうと、不審に思っていることに罪悪感が芽生えそうになる。
「私、絶対にナナさんを守ります。腕が折れても、足が折れても、絶対、あなたを幸せにします」
発田さんは甘い香りを漂わせて、私を強く抱き締める。
握った手は、じっとりと熱かった。
……うん。やっぱり、ちょっと怖い。罪悪感の芽は綺麗に取り除かれた。
引きつりそうになる頬を、なんとか抑える。私には、曖昧に笑い返すことしかできなかった。
「どうめい、って、なぁに?」
「あっ……」
しまった。アイリの意見を聞いていなかった。
私はアイリに何度も謝りながら、事情を説明する。
「えーっ!……アイリ、なかよし、できるかな」
「私と仲良くなんてしなくていい。ナナさんと私の関係を邪魔しない以外に、あなたに求めることはない。ベタベタくっつくなんて、論外中の論外だから」
「んん……でもアイリ、ナナ、だいすき。ねるときも、ずっと、いっしょ」
アイリの言葉に、この場にいる全員が私に視線を向ける。
発田さんは目をまん丸に見開いて、わなわなと震えていた。
「……ナ、ナナさん……!? ほ、本当にこんな女と一緒に寝てるんですか!? というか、一緒に住んで……えええっ!?」
「じ、事実ではあるけど……変かな? アイリは、私を抱き枕みたいにして寝るのが好きみたいだから、それに合わせてるだけで……」
もしかして、私、麻痺してる?
そう思って、周囲を見渡す。そんな私に助け船を出してくれたのは、白波さんと瀬戸海さんだった。
「女の子同士で一緒のベッドで寝るのは、普通だよ」
「まあ、オレらの場合は、スナミが勝手にオレのベッドに入り込んでるだけだけどな。……仲氏はどうだ? どっち派だ?」
「え。い、いや、私は……わからない、け、ど。同性でも無理な人は無理だし、平気な人は平気ってだけで、個人差による、としか」
珍しく、仲氏さんはしどろもどろになっていた。
顔を逸らし、ソワソワと指をいじっている。
「部外者は黙ってて! 今、私は冷静さを欠いて……もうっ! こんなことなら、先にナナさんの家の住所を特定しておけば」
「発田さぁん? そろそろ、南雲さんから離れてくださいねぇ。現地集合、現地解散なんですからぁ」
その言葉にハッとして、顔を上げると、いつの間にかカエルム・テクノロジーズ社の門前まで辿り着いていた。
……というか、イチコ先生が遮る前、発田さん、何か不穏なことを口にしていなかった……?
「では、南雲さん、仲氏さん、雨村さん。気を付けて帰ってくださいねぇ。明日からは、放課後、指定の場所で、発表会の準備ですよぉ」
イチコ先生はそう言うと、軽く会釈をして背中を向けた。
白波さんと瀬戸海さんは、元気に手を振ってくれている。
一方、発田さんはとても名残惜しそうな目で、見えなくなるまで私のことを見つめていた。
「私たちも帰ろう。……そういえば、聞こえてたんだけど。同盟って何のこと?」
ふと、仲氏さんが問い掛ける。私が事情を説明すると、彼女はハァと大きな溜め息を吐いた。
「南雲がどうしようが勝手だけど、お人好しがすぎると、いつか足元を掬われるよ」
それっきり、私たちの間に会話はなかった。
疲れているせいもあったけれど、それだけじゃない気がした。
今日見たもの、聞いたこと。
いろんなものが、頭の中でゆっくりと沈んでいくような、そんな感覚があった。
エーテル……神様には、ただ、そこに存在しているだけ。
なのに、多くの人が、多くの時間を費やして、あの存在を解明するために動いている。
何が、そこまで人々を突き動かすんだろう。
今までの私にはそれが理解できなかったけど、今なら、少しだけ理解できる気がする。
だって、遺物という神からの贈り物が、私の日常を、非日常にしてしまったのだから。




