第七話 どうして?
アイリに身を委ねながら、長い石の階段を駆け上がる。
一段ごとに、湿った闇が薄れていった。
曇り空でも、地下よりは明るい。思わず目を細める。
地下で変身時の光は何度も見たけど、それでも、外の世界は眩しかった。
そして、草木の匂いが肺いっぱいに満たされる。
ライラさん、スカイさん、ミホ先輩、仲氏さん、レノちゃん。全員が、驚いた顔でこちらを見ていた。
外傷は……見当たらない。よかった、皆、無事だった。
「な、南雲。アンタ、その傷……」
仲氏さんの声に反応して、ライラさんはすぐに動き出す。
アイリに私を横たわらせるように指示したあと、何やら黒いベルトのようなものを取り出した。
私の困惑がライラさんに伝わったようで、彼女はほんの少しだけ口角を上げた。
「応急措置、ですわ。出血を引き起こす血管の収縮反応と、痛覚を伝える神経繊維の活動を同時に抑制する特殊繊維でできていますの。まあ、特殊な包帯だと思ってくださいまし」
そんなすごいものがあるのか。
DEMs製の特別なものなのだろうか。それとも、世間一般では常識なのだろうか。
何はともあれ、両親が近くにいなくてよかった。
「そ、そうなんですね……ええと、ありがとうございます」
「……お礼を言うのは、こちら側ですわ」
ライラさんはそう言うと立ち上がり、私に向かって深々と頭を下げる。
普段の高慢さはどこへ行ったのか、物腰が柔らかな、柔和な様子だった。
「私とスカイが守ると、そう約束していましたのに……危険な目に遭わせてしまいました。約束を提示した側が破るなんて、お父様とお母様に顔向けできないほどの大失態ですわ」
「い、いえ! 顔を上げてください! 今こうして、手当てをしてくれてるじゃないですか」
実際、みるみるうちに痛みが引いていた。それだけで、計り知れない安心感がある。
私は皆を安堵させるために、アイリに上半身を起こしてもらう。
そして、ぐるぐると右肩を回した。
……うっ。さすがに、ちょっと痛い。最新技術も万能じゃないみたいだ。
「口を挟むようで悪いけど、アンタたちがいたところで役立たず……いえ。最悪、死んでたわよ」
吐き捨てるように呟いたのは、ココナさんだった。
憐れむような目で、足元の地下室を見ている。
「攻撃を受けてわかったけど、変身後の状態は、一般流通してる道具とは、素材も威力も何もかもが違う。アンドロイドでギリギリ、人間なら……一撃でも致命傷だわ」
「……慰めてるつもりですの? 貴女、DEMsが憎いのでしょう?」
「それはミホだけよ。そもそもアタシは、アンタたちの間にどんな確執があるかなんて、一切知らないんだから」
その言葉を聞いた瞬間、ライラさんは目を見開いた。
そして、ゆっくりとミホ先輩に視線を送る。
しかし、ミホ先輩はばつが悪そうに顔を逸らす。
その先には同じ目線にいるレノちゃんがおり、ペロリと頬を舐められた。
「あのさ、こんなところで話し込んでる場合じゃないよね。これから、どうするの」
口をへの字に曲げながら、仲氏さんは、レノちゃんとミホ先輩を引き剝がす。
レノちゃんは千切れそうなほどしっぽを振って、仲氏さんに抱っこをねだった。
……よく知らない人とずっと一緒にいて、かつ、こんなトラブルに巻き込まれたんだ。
人間でもストレスに感じるくらいなのだから、犬にとっては余程の負担だったのだろう。
今度、改めてお礼をしなくちゃ。
「お嬢様、ご指示を」
「ええ、スカイ。……全員、早急にここを離れましょう。歩行が困難な方には補助をお願いします」
ライラさんが言い切るよりも前に、ココナさんはミホ先輩に近づき、背中を見せる形でしゃがんだ。
ミホ先輩は一瞬だけ眉を上げ、素直に身体を預ける。
ココナさんの顔の後ろから、ミホ先輩は目の傷や顔色を伺うように覗き込んだり、ペタペタと指で状態を確認していた。
「……無事でなによりだ」
たった一言、ミホ先輩は呟く。
それは安堵から来るものではなく、張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたような……そんな、静かな脱力だった。
「少し肝は冷えたけど、ナナさんとアイリのおかげで、なんとかね。……まぁ、私に肝はないんだけど」
双子に電撃を浴びせた反動か、ココナの動きは、少しぎこちない。
それでも、かろうじてスタミナは残っているみたいだ。
「ナナ、だっこ?」
アイリは私の袖を引いて、顔を近づける。
「あ……う、うん。お願いできる?」
そう言うと、アイリは「まかせて!」胸に手を当てた。……これじゃ、私の方が子供みたい。
肩の傷の痛みは、ライラさんのおかげで治まっている。
とはいえ、身体全体がひどく重かった。
風邪を引く前のような……もしかしたら、熱が出てるのかもしれない。
そう考えると、恥ずかしいなんて気持ちは薄れていった。
全員が視線を合わせ、林の中を歩き始めたとき。仲氏さんが、
「ちょっと待って」
と、声を上げた。
「ライラとスカイはずっと隠れてたから、ここの地理に詳しいでしょ。だから、先頭で私たちを誘導した方がいいと思う」
そこで、一旦言葉が途切れる。
仲氏さんはレノちゃんを抱く手に力を入れて、真っ直ぐこちらを見据えている。
「そして、私とレノが最後尾を走る」
つまり、ハンバーガーのように、私とアイリ、ミホ先輩とココナさんを挟む形で進むということだ。
固まって歩くよりは安全で、スムーズな移動ができるだろう。
反面、前と後にいる者には、危険が伴う。
「……シーカ様、それは」
「わかってる。でも、私だけ何もできてないのは、癪だから。個人的なワガママだけど、役立たずのまま帰りたくない」
淡々とした声だった。
感情的でも、悲壮でもない。ただ、当たり前のことを言っているような口ぶり。
でも、その目の奥に、静かな意地のようなものが宿っているのが見えた気がした。
ライラさんとスカイさんが、一瞬、目を合わせる。
そして、「わかりましたわ」と、ライラさんが短く頷いた。
その声には、珍しく、躊躇いのようなものが滲んでいた。
「行くよ」
仲氏さんはそれだけ言うと、レノちゃんを地面に下ろした。
レノちゃんは少しだけ名残惜しそうにしっぽを振ったけれど、仲氏さんの横に並ぶと、すっと背筋を伸ばした。さっきまでの甘えた様子が、嘘みたいに。
私たちは、再び歩き始める。
湿った落ち葉を踏む音と、誰かの荒い息遣いだけが、静かな林に響いていた。
夕暮れが近いせいで、林の中はじわじわと暗くなり始めている。
春だというのに、ひんやりとした空気が肌に刺さる。
「……ねぇ、ミホ」
ふと、近くを歩くココナさんの声が耳に入る。
なんだか、思い詰めたような口ぶりだった。
「アタシ、ナナさんと手を組みたい。ちゃんと協力関係を結びたいの」
「え……コ、ココナさん……?」
想定外の言葉に、戸惑いを覚える。
ミホ先輩からの返答はなかった。
ココナさんは肩をすくめると、私とアイリに一瞬視線を送る。
未だに彼女の目からは、鮮やかな青い血が流れていた。
心臓と頭の血管が、ドクンと脈打つ。
すぐに深呼吸をして、アイリの後頭部を見ることに集中した。
「ミホがDEMsを嫌ってるのは知ってる。昔、何かあったっていうのもね。……勿論、その因縁に土足で踏み込む気は、ないわ」
そうだ。私がライラさんと……DEMsと繋がりがあるせいで、ミホ先輩と情報交換することができなくなったんだ。
そして、改めて面と向かってちゃんと話し合いたくて、このお祭りに参加した……まさか、こんなことになるとは思ってなかったけど。
「でもナナさんは、DEMsの一員なわけじゃないでしょ。お人好しの、ただの可愛い女の子よ。……そんな良い子を知らんふりするのは。アタシの矜持に反するの。だから」
ココナさんは、歩みを一切緩めない。
背後のミホ先輩を見ようともしていない。まるで独り言みたいだ。
しかしそれは、ミホ先輩によって、遮られることになる。
「言われるまでもないよ。私とて、とっくにそのつもりだったさ」
「……え?」
「えっ?」
「んー?」
ほぼ同じタイミングで、ココナさん、私、アイリが声を漏らす。
その様子を見て、ミホ先輩は、ふふふ、と、悪戯っぽく笑ってみせた。
「だって、そうだろう? ナナは、自分が血を流してまで、私の最高傑作を、守ってくれたんだ。そんな相手に恩を返さないようでは、研究者の名が廃るというものさ」
ミホ先輩の視線が、傷ついた私の肩に注がれる。
いつもの飄々とした、落ち着いた雰囲気だった。
「DEMsとの遺恨は、私の個人的なものだ。むしろ、今まで意固地になっていたのが恥ずかしいくらいだよ」
ここまで言って、ココナさんはようやく反応を返した。
ふん、と、嬉しさを隠すように、鼻を鳴らす。
「……なによそれ。先に言いなさいよね、もう」
そして、こちらへ歩み寄ると、器用に片手でミホ先輩を支えながら、アイリの頭をポンポンと叩いた。
あからさまに、嫌そうに顔をしかめているけど、その手のひらからは、確かに優しさが滲んでいた。
「言っとくけど。アイリのことは、相変わらず好きじゃないわよ。妙に鋭いところも、子供っぽいところも、アンバランスで不気味だわ」
「ああ。それで言うなら、私もライラ嬢と親しくなるつもりはないよ。できるだけ話したくはない。欲を言えば、ナナを経由したいね」
「………………」
この二人って、かなり似た者同士なのかもしれない。
それがなんだかおかしくて、思わず吹き出してしまった。
ミホ先輩とココナさんは揃って、きょとんとした顔を見合わせる。
その微笑ましさがアイリにも伝わったのか、アイリは「うんうん!」楽しそうにスキップを始めた。
彼女の揺れる背中が、心地よかった。
──これで、ミホ先輩とも、ココナさんとも。繋がることができた。
ずっと願っていた、協力関係の再構築。
じんわりと、胸が温かくなる。
これできっと、遺物のことも模様のことも……アイリのことも、何かわかるはずだ。
そしてゆくゆくは、平穏な日常が戻ってくるはずだ。
そんな楽観的なことを想起していた──その時だった。
「わんっ! わん、わんっ!」
「レノ?」
仲氏さんとレノちゃんが、急に立ち止まった。
低く短い唸り声を上げ、しっぽをピンと上げる。
耳をそばだてて、後方の暗がりをじっと見つめていた。
「……っ! ? だ、誰っ! ?」
仲氏さんが叫んだ次の瞬間。
暗がりから、二つの人影が現れた。
一人は、見覚えのある老人だった。
地下室で、マシロとクロハを叩いていた、偉そうなおじいさん。
怒りと焦りが混ざり合った表情を浮かべながら、ズンズンとこちらへ向かってくる。
……そして、もう一人は。
「ク、クロハ、どうして」
思わず、声が漏れた。
クロハは、おじいさんに腕を掴まれたまま、半ば引きずられるように歩いていた。
いや、歩いているとも言えないかもしれない。
足がまともに地面を踏んでいなかった。
全身に力がこれっぽっちも入っておらず、がくがくと震えている。
顔面は蒼白で、目の焦点はどこにも合っていない。
意識があるのかどうかも、わからないくらいだった。
でも、唇はかすかに動いている。何かを言おうとしているのか、それとも、ただ呼吸をしているだけなのか。
動いているというより、動かされている。
おじいさんに引っ張られていなければ、とっくに倒れているはずだ。
「この小娘共がッ! 邪魔をしやがって……万死に値するぞッ!」
しゃがれた声で、おじいさんは怒鳴る。
その声に、クロハとアイリの身体がビクリと跳ねた。
長い時間をかけて刷り込まれた、トラウマ反応に似ている気がした。
「わん!」
恐怖心を断ち切るかの如く、レノちゃんが一度大きく吠える。
次の瞬間、レノちゃんの身体が光に包まれた。
四本の脚は柄へと変わる。毛並みは刃へと変わる。
そして気づいたときには、仲氏さんの手の中に、大きな斧が握られていた。
「…………」
仲氏さんは一言も発しなかった。
ただ、その斧を振り上げて、二人の足元めがけて、思いきり叩きつける。
ドン、という割れるような音ともに、地面が深く抉れた。
土や落ち葉が、勢いよく舞い上がる。
おじいさんとクロハの足元に、大きな亀裂が走った。
「チッ……小癪な真似をッ!」
衝撃によって、おじいさんとクロハは軽く吹き飛ばされる。
しかし、おじいさんは雑に掴んでいたクロハの腕を引っ張り上げ、モノを投げるかのように、私たちの前にクロハを放り投げた。
彼女の小柄で華奢な身体が、土や枯れ葉と共に崩れ落ちる。
おじいさんは無言のまま、倒れたクロハを一瞥することもなく、踵を返した。
……そうか。最初からあの人は、クロハを囮にするつもりだったんだ。
その曲がった醜悪な背中を見た瞬間、怒りとも呆れともつかない感情が、胸の奥に込み上がる。
でも、その背中が、二歩も進まないうちに、風切り音がした。
遅れて、冷たい風が頬と髪を撫でる。猛スピードで、何かが飛んできたみたいな……。
「両人、捕獲致しました」
その正体は、スカイさんだった。
右手でおじいさんの腕を掴み、左手でクロハの腕を掴んでいる。その動きには一切の迷いがなかった。
「クソッ! このゴリラ女め! 離せ! 老人虐待だぞッ!?」
おじいさんはギャーギャーと、情けない声で喚き散らしている。
しばらくは必死にもがいていたけれど、スカイさんが力を入れると、少しずつ大人しくなっていった。
「…………」
クロハは、声も上げなかった。
虚ろな目がぼんやりと空を向いている。
今、周りで何が起きているのかすら、理解できていないのかもしれない。
未だに意識があることが異常なくらいだ。
「飛んで火にいる夏の虫、ということわざが、日本にはあるそうですわね。まさに、あなたは虫そのものですわ。季節は違いますけれど」
ライラさんはスカイさんの後ろに立つと、汚物を見るような目でおじいさんを見下す。
「や、喧しいッ! さっさと、痣付きを寄越せッ! 人戒教が願いを叶えるのだ! お前たちなんかには絶対に渡さんぞ!」
「はぁ……話になりませんわね。けれど、ラッキーでした。教祖である峰石ヤクさえ確保しておけば、もう二度とこの宗教団体が妙な真似をすることは……」
「峰石ヤク、じゃと?」
おじいさんは苦し気な喚き声を漏らしつつ、カッカッカと快活に笑った。
「何を勘違いしておる。儂はただの、ヤク様の付き人に過ぎん。教祖様がわざわざこんな場所に足を運ぶわけがないであろう」
「……まさか、虫ほどの価値すらないとは思いませんでしたわ」
あ。ライラさんの目が、ゴミを見るような目じゃなくて、ゴミを見る目に変わった。
「とはいえ、情報源を選り好みする余裕がないのも事実……仕方ありませんわ。この二人は、DEMsが責任をもって保護および尋問いたします」
「おい、ふざけるな! DEMsの箱入り娘如きがッ! 儂はそんなこと許可した覚えは」
「お嬢様への侮辱は許されません」
ゴキゴキ。
人間の身体から鳴ってはいけない音が聞こえた。
おじいさんは声にならない声を上げると、パタリと黙り込んでしまった。
「それなら、また気絶させておいた方がいいかな。……ココナ、まだスタンガンは打てるかい?」
「え? まあ、できるけど」
ココナさんはスカイさんの側に歩み寄り、手のひらに電流を走らせる。
音と共に光が放たれると、恐怖に怯えていたおじいさんの顔が、眠ったように静かになった。
「じゃあ、こっちも。念のため」
「えっ」
思わず声が漏れる。だってココナさんは、クロハに向かって手を差し伸べようとしていたから。
「待ってください」
気が付けば、そんな言葉が私の口から出ていた。
この場にいる全員が、私の方を向く。
「その子……は、もう、動けないと思います。意識も朦朧として、ひどく消耗しています。これ以上の攻撃は、必要ないんじゃないかと」
沈黙が流れる。張り詰めた空気に、息苦しさを覚えた。
皆の視線が痛い。そもそも注目されることが苦手なのに、怪訝そうな瞳が私の心をチクチクと刺してくる。
……当然だ。私自身、甘いことを言ってるっていう自覚はある。
「コ、ココナ! バチバチ、だめ! アイリ、いや!」
無邪気なアイリの声で、ほんの少しだけ気持ちがほぐれる。
単に私に賛同してくれているだけなのか、例の直感から来るものなのかは、わからなかった。
「ナナさん」
最初に声を掛けてくれたのは、ココナさんだった。
彼女は、呆れるように溜め息を吐く。
「気持ちはわからなくもないけど、まだ動けていたこと自体、おかしいことなのよ。普通の人間なら、一発で気を失うほどの電撃よ?」
ココナさんの言い分もわかる。
つまり、クロハは……痣付きは、普通の人間と同じ尺度では測れない代物。
だから、何が起きても不思議じゃない。念には念を入れるべきだと。……でも。
「でも、マシロ……もう一人の子はここにいないですし、脅威になることは」
「でも、じゃない。心を鬼にして、やらなきゃいけないのよ」
ココナさんは私の言葉を遮って、しゃがみ込む。
手のひらの電流が、じりじりと音を立て始めた。
そして、仰向けになっているクロハに身体を近づかせた。
「マ、シロ」
クロハの口が、そう動いたような気がした。
憎しみでも、怒りでもない。もっと切実な、必死な呼びかけ。
マシロという名前が、宙に溶けた瞬間。
まるでそれが引き金かのように、クロハの瞳が、ほんの一瞬だけ焦点を結んだ。
虚ろだったはずの目に、何かが灯った。
「っ!? ココナ、避け……っ!」
ミホ先輩が、叫ぶよりも前に。
ココナさんが、危険を察知する前に。
クロハの身体が、跳ねた。
最後の力を振り絞るように。左手を地面に叩きつけながら、上半身だけを無理やり起こす。
その動きは、とても人間のものとは思えないほど、ぎこちなくて、でも、凄まじい執念に満ちていた。
ガツンッ!
鈍い音が鳴り響く。
クロハの頭と、ココナさんの頭が、勢い良くぶつかった。
その衝撃で、ココナさんの背にいたミホ先輩は、背中から地面に落ちる。
一方のココナさんは、クロハがいる前方に倒れ込む。頭が重なり合って、また、鈍い音が鳴った。
「……っ……あ、れ」
突然、ココナさんの動きが、静止した。
糸の切れた人形みたいに、その場に崩れ落ちる。
わからなかった。
何が起きたのか、わからなかった。
さっきまであれだけ騒がしかった林の中が、嘘みたいに静まり返っている。
風もない。
誰も声を上げない。
ただただ、自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえていた。
クロハの顔は、ココナさんの後頭部に重なっていて、見えない。
気絶しているのか、痛くて動けないだけなのか、それとも……そこから先を考えようとすると、思考がぐにゃりと歪む。
二人の距離感が近いということだけが、妙にはっきりと目に焼き付いていた。
「ココナ様?」
おじいさんの左腕とクロハの右腕をそれぞれ握ったまま、スカイさんは顔を覗き込む。
意識がないおじいさんの腕から手を放し、スカイさんはココナさんの身体を持ち上げた。
「機能を停止したようだ」
沈黙を破ったのは、ミホ先輩だった。
とても冷静で、淡々とした声色。
彼女は地面に倒れ込んだまま、ココナさんをじっと見ていた。
「き、機能を停止って、どういう」
「そのままの意味だ。活動を停止した。557号機はもう動かない」
何を、言ってるの。
……いや、意味はわかる。わかるけど、ど、どうして。
「嘘、ですよね。ココナ……さんっ、ねえ、ココナさん! しっかりしてっ!」
ミホ先輩は、こんなときに冗談を言うような人じゃない。
それでも、嘘だって思いたかった。
私はアイリから身体を放し、慌てて駆け寄る。
スカイさんに抱きかかえられているココナさんの顔は、眠りについているみたいだった。
瞳は固く閉ざされ、口元には青い血が滲んでいた。
「な、なんで…………わ、私のせいだ。私が止めたからっ、すぐに気絶させていれば、こんなことには……っ!」
震えが止まらない。涙が出てくる。
全員が無事でいることが、私の望みだったのに。
「落ち着きたまえ、ナナ」
こんな時でも、ミホ先輩の声は不思議なくらい静かで、落ち着いていた。
「ミ、ミホ先輩……でも、ココナさんが」
「私を誰だと思っているんだい? データ部分はちゃんと同期バックアップを取っているさ。活動停止したのはボディと、その中の意識データだけだよ」
バックアップ……? よくわからないけど、ココナさんは無事ってこと……?
「だが、おかしい」
「? ……おかしい、というのは、どういう意味ですの?」
ミホ先輩の言葉に引っ掛かりを覚えたのは、ライラさんだ。
天才研究者同士、気になることがあったのだろうか。
けれど確かに、ミホ先輩の視線は悲しみよりも、違和感に満ちているようだった。
「557号機は私の最高傑作だ。機能や耐久度を人間程度に抑えているとはいえ、決して生半可な造りじゃない。軽く頭をぶつけた程度で、動かなくなるわけがないんだよ」
考え込むように、ミホ先輩の指が顎に添えられる。
私にはミホ先輩やライラさんが何を気にしているのか、わからなかった。
今は、自分を責めることしかできない。
「ナナ。これは、君の責任じゃないよ」
すると、気持ちが顔に出ていたのか、ミホ先輩は真っ直ぐに私を見据えた。
いつもの、飄々とした調子とは違う、静かで芯のある表情。
「よく聞きたまえ。557号機に起きたことは、私が必ず突き止める。そして、私の手で処置する。原因も分からず、停止したままというのは……どうにも、据わりが悪くてね」
きっぱりと、ミホ先輩は言い切る。
「とどめを刺さなかったのは、君の優しさだ。それは誇るべきであって、悔いることではないよ。それに、もし責任の所在を問うなら、ココナにそう指示した私にある。少なくとも、君が背負うものじゃない」
その言葉は、不思議と胸に落ちてきた。
張り詰めていたものが、ほんの少し緩んだ気がした。
私は、涙をぐいと拭う。
でも、胸の奥の痛みは消えなかった。
ミホ先輩は太もも部分を器用に動かして、ココナさんの側に近寄る。
動かなくなった身体と、閉じられた目の部分を、観察するように覗き込んだ。
「停止の瞬間。あの一瞬に原因がある……ふむ。持ち帰って解析するしかないか」
ぶつぶつと、独り言を口にするミホ先輩。
停止した相棒を案じるというよりも、厄介な不具合に直面した技術者のそれに見えた。
情ではなく、純粋な原因への興味。
だからこそ、この人は必ず突き止めるのだろうという、奇妙な信頼があった。
その横顔を見て、私は誓った。
私にも、できることがあるはずだ。ここにいる全員で力を合わせて……。
……いや、違う。私が、この事態を解決するんだ。
遺物のことも、模様のことも、アイリのことも全て。
皆が平穏でいられるように、もっと強くならなきゃ──。
「え?」
一瞬。眩い光と焼けるような熱が、目や肌に突き刺さった。
痛いと感じるよりも前に、アイリが私の腕を掴んで、引っ張っていた。
私、今、走ってる……?
……というか、今のは何……もしかして、爆発?
……いやでも、それにしては音や衝撃が全くなかった……。
「ア、アイリ……? ど、どうしたの、急に、突然」
「へん。あのこ、へんになったよ!」
「え? 変、って……」
少し遅れて、声を上げる。
周囲を確認すると、スカイさんの姿が目に入った。
両脇にミホ先輩とココナさんを抱えて、大きな一歩で走るスカイさん。
彼女の右手が、ひどく、赤く爛れていた。
クロハの腕を握っていた手だ。熱した鉄を握り締めたように、変色している。
「スカイさん!? その手……!」
「問題ありません。今は、この場から逃げることだけを考えてください。ナナ様」
「そ、それはなんとなくわかりましたけど、私、何がなんだか」
「り、理解が追い付いてないなら、振り向けばわかりますわ。……まあ、見てもわからないままでしょうけれど」
ライラさんは歩き辛そうなスカートをたくし上げて、仲氏さんと並走する。
仲氏さんは斧形態のレノちゃんをしっかりと握り締めたまま、後ろ手に顎を指した。
私は恐る恐る、顔を動かす。そこには、溢れんばかりの輝きが広がっていた。
「え……?」
その輝きは、クロハが倒れていた位置から放たれていた。
変身の時白い光に似ていたけど、禍々しくて、不安定で、制御を失ったように歪んでいる。
よく目を凝らすと、クロハの身体が鋏に変わったり、鎖に変わったり、人間の姿に戻ったりしていた。
腕や足など、特定の部位だけ変身しているときもあった。
身体が、何になればいいかわからなくなってしまったみたいに。
不規則に、不安定に、形が揺らぎ続けている。
道具の変身能力が暴走している、という表現が合っているように思えた。
……あの鎖って……ココナさんの変身能力、だよね。どうして、クロハが。
「やだ……やだ、なんで……っ」
クロハの悲痛な叫び声が、ここまで届いた。
光が強くなるたびに、声は恐怖に包まれる。
「まったく……せっかくの捕虜候補を逃すなんて。何たる失態ですの。それに、このことをDEMsにどう報告すればいいか……」
愚痴に近いライラさんの独り言は、息を切らしながらでもよく聞こえた。
その言葉には、誰も反応しなかった。そんな余裕もなく、ただただ、全員の足が動いていた。
あの光に近づいてはいけない。
あの揺らぎに触れてはいけない。
言葉にできない確信が、本能のように全身を支配していた。
クロハが苦しむ姿を見ていられず、私は視線を逸らす。
その瞬間、「マシロ」という名前が、背後から聞こえた気がした。
空を覆う神様は、曇り空であっても、不自然に微笑んでいる。
その下で、私たちの戦いは、まだ終わりそうになかった。
+++
宗教団体・人戒教の祭典で起きた、大規模な騒乱。
原因不明の発煙と、信者の集団失踪。
この事件は、あまり大きなニュースにはならなかったらしい。そう、仲氏さんから聞いた。
あれほどの規模で、人数もいたのに、どうして。
そんなことを尋ねたら、仲氏さんは缶コーヒーをぐいっと飲み干して、こう言った。
「ライラ……もとい、DEMsが手を回したんでしょ。本当、信用ならない人たち」
ライラさんに直接聞いたわけじゃないけど、私も同じ考えだった。
だって、こんなことをできるのは、DEMsくらいしかいない。
とはいえ、混乱の一部始終を捉えているカメラは、少なからずあった。
もちろん、DEMsの横暴が通用しない人も。
時々電波がおかしくなるこのご時世で、人々の不安を煽るには、最高すぎる素材だったのだろう。
幸いなことに、私たちの顔ははっきりとは映っていなかった。
その事実にホッとして、私はいつも通りの態度で登校した。
……の、だが。
「ねぇねぇ、知ってる? あの人戒教のやつ、ウチのクラスの子も巻き込まれたんだって」
「えー? 誰、誰?」
それでも、騒ぎというのはどこからともなく漏れ広がるもので。
朝の教室に着くなり、そんな囁き声が耳に飛び込んでいた。
……もしかして、バレてる……?
ぼやけていたとはいえ、わかる人にはわかるような映り方だった。
ただでさえ目立っている今、あの事件の現場にいたなんて知られたくない。
そんなの、格好の噂の種にしかならない。
ひそひそと、こちらを窺うような視線。私は首をすくめて、俯いた。
「確か、仲氏さんでしょ?」
「一人でお祭り行ってたらしいよ」
私は耳を疑った。仲氏さんが、一人で?
顔を上げて、仲氏さんの背中を見る。
彼女は頬杖をついて窓の外を眺めているだけで、感情は表に出ていない。
いつも通り、我関せずといった態度を貫いていた。
無意識に、噂話が耳に入る。
どうやら、発端になったのは誰かのリーク情報のようだ。
仲氏さんは、元から一人でいることが多くて、ミステリアスな子だ。
尾ひれの付いた憶測が、あれこれと飛び交っている。「あの宗教の信者だ」とか。
……まさか、こんなところにまでライラさんの手が回って……?
でも、何で仲氏さんだけ……。噂を完全に無くすことはできなかったってことなのだろうか。
この状況が続くのだとしたら、仲氏さんが平気でいられるわけがない。
どうにかして、クラスメイトの矛先を変えられたらいいのに。
例えば、もっと大きな話題で上書きするとか……。
足りない頭でそんなことを考え始めた、その時だった。
「おはようございますー。HRを始めますねー」
青い格子と共に、担任の先生が、教壇に現れる。
いつも通りの、一寸の狂いもない笑顔を浮かべていた。
「今日は皆さんに、転校生を紹介しますねー。仲良くしてあげてくださいねー」
え? 転校生?
教室内がざわめき立つ。ややあって、教室の扉が音もなく開いた。
そこに立っていたのは、すらりと背の高い女の子。大人びた顔立ちに、長い睫毛と大きな目。
その姿に、私は、思わず息を呑んだ。
「こちらに来て、お名前を伝えてもらえますかー?」
促されて、その子が、一歩前に出る。
「……あめむら、アイリ、です。よろしく、おねがい、します」
たどたどしい、けれど、必死に練習したであろう、ぎこちない挨拶。
へぇ、アイリかぁ。アイリと同じ名前…………って、え……?
「なっ……ななな……っ!」
本当は、椅子を倒す勢いで立ち上がってしまいたい気持ちでいっぱいだった。
それを必死に抑えつける。
それでも、ほんの少しだけ声が漏れ出てしまった。
……周りの人に聞こえていなければいいんだけど。
頭がぐるぐると回っている間に、いつの間にか、HRは終わっていた。
アイリの自己紹介も、先生のお知らせも、一切聞けていなかった。
「うわ、外国の子だって。きれー」
「背、たかーい。モデルさんみたい」
「ねえ、日本語、どれくらい話せるのー?」
物珍しさに、クラスメイトたちがアイリを取り囲む。
アイリは目を白黒させながら、
「に……にほんご、むずかしい」
と、壊れたラジオのように繰り返していた。
もしかして、それしか会話例を用意していないのだろうか。
帰ったら、色々と教えてあげなきゃ……。
そんなことを思っていると、ふと、アイリと目が合った。
捨てられた子犬のように、目を潤ませている。
……目立つのは嫌だけど、何とかしなきゃ。私はこっそり頷いて、立ち上がった。
私は何でもない感じで、アイリの後ろを通り過ぎる。
そして、その一瞬の間に、アイリの制服の襟を握った。
「! ……ちょっと、とれい……といれ!」
くいっと引っ張っただけで伝わるか心配だったけど、アイリは無理やり会話を断ち切って、高らかにそう宣言する。
クラスメイトたちはポカンと口を開けたあと、「トイレって外来語だっけ?」と言いながら笑いあっていた。
どうやら、アイリの辞書にはもう一つ会話例があったらしい。
とはいえ、あまりにも限定的すぎるというか……その場しのぎの言葉だけしかない……?
私は不安に思いつつも、アイリが教室を出るまで廊下で待ち続けるのだった。
一限目が始まるまでに、話が聞ければいいんだけど。
私はアイリの手を引いて、中庭に移動する。
お昼時や放課後はたくさん人がいるけど、授業前の時間にここを訪れる人は少ない。
アイリのことをベンチに座らせて、私も横に座った。
アイリはニコニコと心底嬉しそうな顔をして、私をぎゅっと抱き締めた。
「ナナといっしょ、しあわせ!」
そんな恥ずかしい言葉を、何の抵抗もなく口にする。
私はもう、すっかり慣れてしまった。
「あのね、アイリ。どうしてここに来たの? 誰かに言われたの?」
そう問いかけると、アイリは首を傾げた。
「んー? ……あ! これ、みて!」
制服のポケットに手を入れると、アイリはぐちゃぐちゃの紙切れを取り出した。
凄く高価そうなデザインの手紙で、金箔が散りばめられている。
それだけで、誰から宛てられたものなのか、瞬時に理解した。ライラさんだ。
私はそれを受け取ると、文字が見えるように紙を伸ばして、文字を追う。
拝啓、南雲ナナ様
この度は、事前のご連絡なく事を進めてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。
単刀直入に申し上げます。アイリを園縁高校へ入学させたのは、他ならぬ私でございます。
人戒教における一連の事件を鑑みるに、貴女とアイリが共に過ごす時間が限られている現状は、お二人の身の安全において重大なリスクを孕んでいると判断いたしました。
故に、早急に手を打たせていただいた次第でございます。
アイリの設定につきましては、貴女のご両親にお伝えしているものと概ね同様です。
帰国子女のご令嬢、という体で通しております。
詳細につきましては、今週末、いつもの喫茶店にてお話しできればと存じます。
多忙を理由にこのような書面での報告となりましたことを、重ねてお詫び申し上げます。
敬具
……とても堅苦しい、大人の文章だった。
ライラさんとの社会経験の差に、ほんの少しショックを受ける。
事後報告になったことには正直、不服だった。
けど、ライラさんとスカイさんが今忙しいことは、私が一番よくわかっている。
クロハの暴走とか、ココナの活動停止とか、人戒教の騒動とか、DEMsへの報告とか、諸々の始末や報告を全て任せてしまっているんだから、私が二人を責めることなんてできない。
それに、アイリがずっと近くにいるというのは、とても頼もしい。
アイリの話題で持ちきりで、仲氏さんの変な噂も薄れていきそうだし。
とはいえ、目立つことは避けたい……アイリには申し訳ないけど、教室内では他人のフリを……。
「えへへ~、ナナ~!」
アイリは私の身体に、ぐりぐりと頭を押し付ける。
そんな彼女の笑顔を見て、つい、私も笑ってしまった。
……やっぱり、他人のフリなんて、無理かもしれない。どうしても、彼女への心配が勝ってしまう。
でも……アイリが困ったり辛い思いをするくらいなら、私が目立つことくらい、大したことじゃない。
今一番不安なのは、アイリ本人なのだから。
「よし、アイリ。そろそろ、教室戻ろっか?」
「うんっ!」
手を繋いで、ベンチを立ち上がる。
中庭に広がる人工花の匂いと、温かな風が、肌をくすぐった。
「あ。南雲さーん! こんなところにいた……!」
「え?」
ふと、先生に呼び止められた。
アンドロイドでもモニターでもない、リアルの、人間の先生。
最近はあまり関わる機会がないけど、一年生の頃、担任の先生だった方だ。
アイリは驚いて、私の後ろに隠れる。背が高いので、全然隠れられていなかったけど。
「虹谷先生、どうかしましたか?」
……何の話だろう。
心当たりがありすぎて、怖い。まさか、お祭りのことを……いや、それとも、アイリのこと?
私の不安が伝わったのか、虹谷先生は長い髪を耳にかけて、穏やかに微笑んだ。
「そんなに警戒しないでください。大した話じゃない……こともないんだけど……」
曖昧な言い回しに、私の頭のハテナマークは増えていく。
先生は小さく咳払いをすると、こめかみに手を当て、空中にモニターを映し出した。
「今度、姉妹校との合同授業の一環で、企業見学というものがあるんです。そこに、園縁高校の代表として、南雲さんを推薦したいという話が上がっていて……」
「推薦? わ、私をですか?」
思わず前のめりになり、自分で自分を指差す。
「ええ。なんでも、先方の生徒さんから、ぜひ南雲さんをというご指名がありまして」
「……あの、私、角花高校に知り合いなんていないんですけど」
全く心当たりがない。
小学校も中学校も浮いていた私に友達なんていなかったし、他所の高校と遊ぶような放課後は送っていない。
適当に選んだだけなのだろうか。それにしては、妙な違和感がある。
「それって、絶対に参加しなきゃいけないんですか?」
「うーん。まあ、かなり強いお願いだったって聞いてますから……どうしてもやむを得ない事情があるなら、考え直すように説得してみますけど」
「…………」
どうしよう。
こんな状況で知らない人と関わるのは気が重いし、企業見学に興味があるわけでもない。
それに、企業なんてどうせハイテクが選ばれるだろうし……私が付いていけるとも思えない。
先方の生徒さんとやらには申し訳ないけど、ここはキッパリ断ろう。
そう思って口を開きかけた、その時だった。
「アイリ、いってみたい!」
「ああ、大丈夫ですよ。メンバーは計六人で、向こうが三人、こちらが三人と決まっていますからね。南雲さんとアイリさん。あともう一人、仲が良い人を選んでいただければ」
「え、あ……」
「……あ、もうこんな時間。では南雲さん。最後の一人を探したら、私に連絡してくださいね」
虹谷先生はそう言い残すと、スタスタと長い脚で廊下を歩き始めた。
……アイリのせいで、余計に断りづらい雰囲気になってしまった。
というか、虹谷先生はすっかり私とアイリをメンバーとして換算している。
なんだか、妙な話に巻き込まれた気がする。
先方からの指名。私を名指しした、角花高校の誰か。……一体、何者なんだろう。
「もう一人、か……」
気が付けば、私も見学に行くことに前向きになっていた。
最近、混乱することばかり起きているし、たまには、普通に学校生活を送るのもいいかもしれない。
気分転換みたいな。
そんなことを自分に言い聞かせて、アイリと共に教室へ戻る。
しかし、私の心の隅っこには、漠然とした胸騒ぎが、微かな澱のように残っていたのだった。




