第五話 潜入
頭に、麻袋のようなものを被せられている。
後ろ手は拘束されていて、一切身動きが取れない。
けど、湿った土の匂いと肌に纏わりつくような寒さで、ここが地上ではないことだけは理解できた。
「ナナー! どこー!?」
すぐ近くで、アイリの震える声が聞こえる。
私は無言のまま、暗い視界の中思考を巡らせた。
南雲は、彼女を帰国子女だと言っている。
けど、それにしては言動があまりにも幼稚すぎる。
それに、今回の日賀志ミホとかいう人について。何か知っているうえで隠しているようだった。
……やっぱり、他人は信用ならない。
ライラも、南雲も、信用してはいけない。
馴れ合っているのはあくまでレノのため。レノだけが、私の生き甲斐。
「………………」
レノのことを思い出したことで、はらわたが煮えくりかえってくる。
もし、レノまで捕まえてここに拉致しているようなら……私は容赦なく、加害者を殺す。
例え、泣いて謝っても許さない。
……いや、感情的になるのはよくない。私はゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせる。
直前でレノのことは逃がしたし、あの子は賢い。
きっと、離れた位置にいたライラかスカイの元に逃げ込んでいるだろう。
ライラはレノを研究したがってる。
あんな奴に任せることになるのは最悪だけど、逆に言えば、貴重なサンプルを無下にしたくないはずだ。
危険から守るとかいう約束はあてにしてないけど、彼女の打算的な思考回路だけはあてにしていた。
ややあって、複数の足音が迫って来る。そして、被せられていた布を乱暴に剝ぎ取られた。
「……っ」
目の前には、薄暗い石造りの空間が広がっている。
蝋燭の頼りない灯りと、地球を覆う神とやらの銅像。
人戒教の信者たちが次々にこの部屋に入り込み、私たちを見下ろす。
「あっ! シーカだ……!」
隣に転がっていたアイリの目には、涙が滲んでいる。
縋るような問い掛けに、言葉ではなく視線で答える。
すると、アイリは大きく頭だけを動かして、周囲を観察し始めた。
「ん? あれ? ココナ!?」
「チッ……アンタ、何でいんのよ」
アイリの斜め後ろ。ココナと呼ばれた女性は、吐き捨てるように呟く。知り合いなのだろうか。
しかし、そんなことどうでもいい。今は、相手の出方を探らないと。
「よくぞ、集めてくれた」
ふと、朗々とした嗄れ声が響き渡る。
苔むした灰色の壁。そこにぽっかりと空いた穴から、初老の男が現れる。
金色の糸を使った見事な刺繍が目立つ、豪奢な衣を身に纏っていた。
他の信者共の無地ローブとは大違いだ。
その背後から、二人のそっくりな女性が顔を見せる。
瓜二つ……もしかして、アイツらが、南雲やスカイが忠告していた、鋏の双子?
一人は不気味なほど口角を上げて笑っている。
もう一人は反対に、口を一文字に結び、恨めしげに世界を見ていた。
二人は手を握り合っていたが、その手はどこか震えていた。
「お前たちの働き、見事であった。これで、痣付きは揃った」
腹が立つほど慢心した声色で、男は双子の頭を撫でる。
痣付き。……ココナとかいう人は知らないけど、案の定、レノやアイリみたいに遺物と同じ模様を持つ人を狙っていたらしい。
そして、双子と人戒教もグル。まんまとハメられたってわけか。
でも……揃った、ね。
「ねぇ。一つ、聞いてもいい?」
痛む身体を起こして、口を開く。
黙ったまま、されるがままでいるのは性に合わない。この場にいる全員が、私の方を向いた。
「アンタら、痣付きを揃えたって言ってるけど、これで全部だって、どうして言い切れるわけ?」
「……何が言いたい」
「私たちの他にも、同じ模様を持つやつがいるかもしれないでしょ。それに、これで全員だとしても、その後は?……まさか、集めてハイ終わり満足しました~……って言うつもり?」
私は敢えて、煽るような大袈裟な態度を取る。
しかし、生意気な口ぶりは慣れているといわんばかりに、男はハッと息を吐いた。
「減らず口を。そんなこと、貴様らをここに留めて置かない理由にはならない。”願いが叶う”条件は、これからゆっくり探していけばいい」
願いが叶う。
斧に変身したレノの身体にびっしり描かれていた暗号の内容だ。
ライラが嘘を吐いていなければ、の話だけど。
奴の発言のおかげで、双子……もとい、人戒教の目的はわかった。
確かに垂涎ものの文言だけど、条件がわからないなら絵に描いた餅だ。
「それじゃ、無駄足だったね」
溜め息を吐くと、男はピクリと片眉を上げる。
訝しげなその顔が、おかしくって仕方がない。思わず、吹き出してしまいそうになる。
「私のこの模様、偽物なんだけど?」
「……何?……おい、貴様たち!確かめよ!」
指を指された教徒が二人、慌てた様子で私に駆け寄る。
一人は屈み込んで、私の身体を乱暴に押さえつけた。
そしてもう一人は、手の甲の模様に、容赦なく爪を立てた。
長い爪で引っ掛かれた模様の縁が、めくれ上がる。
その下に現れたのは、何の変哲もない、ただの肌だった。
「こ、これ…………シールです! 痣じゃありません!」
「な……っ! ば、馬鹿な……!」
素っ頓狂な声に、笑みが零れる。
アイリとココナはキョトンとした顔で、お互いに顔を見合わせていた。
「だ、騙したのか、貴様ッ……!」
「は?勝手に勘違いしたのはそっちでしょ。私は、ウチの子とお揃いのマークを身に付けたかっただけ」
ヒリヒリ痛む手の痛みをどうとも思わず、私はふてぶてしく言ってやった。
豪奢なローブの男は、声にならない声を漏らしながら、顔を真っ赤にして震えていた。
「……っ!」
その傍ら、双子は手を握り合ったまま、顔面蒼白で茫然としていた。
絶望、という言葉が似あうほど悲壮的で、ガチガチと歯が鳴っている。
そんな彼女らの様子に疑問を抱いた、次の瞬間――男はこちらを背中に向けて、大きく手を振りかぶった。
バシン!と、痛めつけられる音が響く。
「何たる失態だッ! 痣付きとっ! ただの小娘の区別もっ! つかんのか!? 役立たずめがッ!」
バシン。バシン。バシン。
不快な音は止まらない。
いつの間にか私の顔から笑顔は消えて、困惑と、妙な苛立ちが、胸の中に宿っていた。
同情なんてする義理はない。でも、理不尽に振るわれる暴力ってやつは、ただただ、胸糞が悪い。
……クソッ。思い出したくもない記憶を思い出してしまった。
「ごめんなさいっ! 戦う機会がなくて、誰が痣付きかなんて、わかんなくて!」
「言い訳をするな! 耳が腐る! こんな時でもヘラヘラ笑いやがって、気味が悪いッ!」
「止めて! 手掛かりを見つけたのはマシロでしょ!? アイリとかいう女を探してる家は突き止めたんだから! 叩くなら、何もしてない私にして!」
「お、お姉ちゃん……!」
お姉ちゃんと呼ばれた女性は、両腕を広げ、凄惨な表情で間に割り込む。
そのとき、一瞬だけ、アイリに視線を送っていたことを、私は見逃さなかった。
「っ! だ……だめ! ねぇ、それやめてっ! たすけてっていってる!」
すると、何を勘違いしたのか、アイリは叫び声を上げ始めた。
あの双子の被害に遭ったはずなのに、「やめて」と何度も何度も訴える。
「喧しいぞ! お前たちには関係のないことだろうが! 道具は黙っていろッ!」
アイリの騒音に業を煮やしたのか、男は叩く手を止める。
双子も、寄せ合って縮こまりながら、戸惑いの表情を浮かべている。
「……は? 道具、ですって……?」
意外にも、反応を返したのはココナという女性だった。顔を真っ赤にして、声を荒げる。
「アンタ今、私のこと道具って言った!? 言ったわよね!? ふざけんじゃないわよ! 私、モノ扱いされるのが一番ムカつくの!」
「っ!? し、知ったことか! 黙らないようなら、いくら道具といえど容赦はしないぞ!」
あまりの迫力に尻込みしつつ、男は周囲の信者たちに耳打ちをする。
しかし、ココナは一切動じることなく、むしろ更に激昂しだした。
「また言ったわね……!? いいから謝んなさいよ! 謝っても許さないけど、謝んなさい!」
「貴様、いい加減にし……ぐぉっ!?」
それは、突然のことだった。
勢い良く、男が頭を下げた。
もちろん、謝罪の意図があったわけではない。
確かに見た。フードを深く被った信者の一人が、奴の後頭部を強く殴りつけたのを。
「お、おい! お前、教祖様になんてことを!」
「あら、これは失礼。いちいち言動が不快で、見るに堪えなかったものですから」
ムカつくほど高飛車で、凛としたよく通る声。
その人物は、非常に背の高い信者の股下から、暖簾を分けるようにして現れた。
「あー! ライラ!」
黄金色の、くるくる巻かれた縦ロールの髪が、蝋燭の灯りに照らされて輝く。
ライラは手の甲で髪の束を掬い上げ、後ろになびかせる。
自信満々なその顔が全員の視界に入った途端、人戒教の信者たちは一様に、ざわざわと騒ぎ始めた。
「ラ、ライラ・ロストーリ・ノースシュタイン……!?」
「DEMsの箱入り娘が、何故ここに!?」
「悪魔だ! 神を冒涜する、悪の組織め!」
何か個人的な恨みがあるようには見えない。単に、教えとやらにそぐわないだけなのか。
地面に伸びている教祖様そっちのけで、信者共はライラに遅いかかる。……しかし。
「お嬢様には、指一本触れさせません」
白いローブを脱ぎ捨てて、メイド服のスカイが躍り出る。
そして両手で、先頭にいた信者の頭を掴み上げた。
「いだだだだっ!」
ミシミシと、人間の身体から聞こえちゃいけない音が響き渡る。
他の信者達はそれに慄き、足を止めた。
中には、地上に逃げ出そうとする者もいた。
啖呵を切ったくせに情けない限りだが、長生きするのはああいうタイプだ。
だが、それでも果敢にライラに攻撃を仕掛ける命知らずはいる。
「お嬢様。あのような奇襲は心臓に悪うございます。慎重に行動する計画でしたのに」
そんな奴らをスカイは片手間に対処しつつ、深々と、心底呆れたように溜め息を吐いた。
「し、仕方ないでしょう。遺物と同じ模様を持つ者を、うっかり死なせるわけにはいきませんもの」
「お気持ちはご立派ですが、潜入の意味が丸潰れにございます。曲がりなりにも才女なのですから、短慮な行動はお控えくださいませ」
「ぐっ……私とて、その程度のことは自覚しておりますわよ……っ!」
主君であるはずのライラに対して、スカイは容赦なく釘を刺す。
バツが悪そうに口を尖らせるライラの姿は、年相応の子供に見えた。
「アイリ! 仲氏さん! ココナ! 大丈夫!?」
ふと、どこからか小さな声が聞こえる。
スカイが切り開いた混乱の隙間を縫って。一つ、小さな影が転がり込んできた。
ライラたちと同じく、ローブを羽織った……。
「っ! ナ、ナナ!」
アイリは安心しきったのか、目尻から大粒の涙を流している。
一方の南雲は乱暴にフードを取ると、必死の形相で、アイリの手枷を外そうとしていた。
しかし、手枷は無駄に頑丈なようで、全く外れる気配がない。
もしかしたら、何か鍵が必要なのかもしれない。
「ど、どうしよう。どうすれば……っ」
焦っているのか、南雲は額に汗を垂らしている。
声は震えて、目は泳いでいた。見ているこっちがハラハラしてくる。
そんな彼女を見てられず、私が目を逸らした──ちょうどその時。
忽然と。先ほどまで双子がいたはずの場所に、人影が見当たらないことに気がついた。
「マズい…………南雲っ! 今すぐアイリを変身させろ!」
「えっ……ア、アイリ!」
「うん、わかった! へんしーん!」
間の抜けた声を添えて、南雲はアイリの痣に手のひらを重ねる。
みるみるうちに、アイリは光に包まれていく。そして、立派な一本の洋傘へと形を変貌させた。
……アイリの変身後の姿って、こんな感じなんだ。
同時に、無機質な音が二つに重なって響く。
一つは、アイリの手枷が地面に落ちた音。……もう一つは……鋏の刃が閉じる音。
「もーっ! あとちょっとだったのに!」
頬は赤く腫れ、目が充血している。
それでも、巨大な鋏を持つ女性は、心の底から楽しそうに口角を上げている。
南雲は(たぶん)反射的に、声がした方に開いた傘を向ける。力強い金属音が、耳を劈いた。
「な、仲氏さん! ココナさん! わ、私の後ろに隠れて!」
私とココナは芋虫のように身体を捩らせて、南雲に近づく。
何もしてやれないのが、少し心苦しかった。
双子は跳躍して後ろに下がり、体勢を整える。
スカイの参戦には、もう少しかかりそうだ。
倒れても起き上がるタフな奴が割といるみたいだし、それに、そもそも人数差が不利だ。
しかし、双子がライラやスカイを襲い出さないのは、こちらにとっては都合が良い。
南雲はただ、時間稼ぎをしていればいいだけだ。
「ね、ねぇっ! マシロさん!」
南雲も馬鹿じゃない。既に私と同じ思考に至っていたみたいだ。
傘から少しだけ顔を出した南雲は、呼吸を落ち着かせ、ゆっくりと口を開いた。
「あなたは、何故ずっと笑っているの? 悲しいとか、腹が立つとか、そういうときも笑ったままでいられるの?」
「んんー? なになに、そんなことが気になるのー?」
南雲の意図を知ってか知らずか、鋏を持つ手を一瞬緩め、微笑んだ。
「えっとねー。私が泣いたり、怒ったりすると、みんな喜ぶの! だから反対に、笑ってやったの! 何をされても、ずーっと、ね!」
今まで通りの、天真爛漫な声。
でも、何故だろう。奥底から別の……苦しげな感情が渦巻いているように思えた。
「その癖が、今でも抜けないだけだよー!……んじゃ、話はおしまいっ!」
「っ!」
双子は一気に距離を詰めて、傘を叩く、刺す、切る。
角度を変えても南雲は慌てて向きを変え、何とか食らいついていた。
「大変お待たせ致しました」
「うわっ!?」
突然のことに、声が裏返る。スカイが耳元で囁いてきたのだ。い、いつの間に……。
困惑する私を他所に、スカイは手の力だけで、私とココナの手枷と足枷を引き千切った。
南雲が非力なだけで、案外脆いのか?
そう思って触れてみるが、硬く冷たい複合金属の感触が伝わるだけだった。
「ねぇ。アンタって人間だよね?」
「? はい。正真正銘、人間にございます」
「…………」
いっそのこと、「実はアンドロイドなんです」と言ってほしかった。
とはいえ、人間かアンドロイドかなんて、肌の企業ロゴと機械的な言動以外だと、血を見るしか判別方法はない。私はスカイの青い血を見るまで、彼女がアンドロイドである可能性を捨てないだろう。
「って、そんなことより。レノは無事……!?」
勢い余って、スカイの肩を掴む。彼女は冷静沈着な態度を崩さず、口を開いた。
「はい。現在レノ様は、日賀志ミホ様と共に待機しておられます。しかし」
スカイの顔に悲壮感はない。
けど、その「しかし」だけで血の気が引いて、無意識に生唾を飲み込んだ。
「潜伏しているとはいえ、発見した信者が強襲を仕掛ける可能性はあります。一刻も早く地上へ向かった方が……」
私はスカイの言葉を最後まで聞かずに、ボロボロの壁にポッカリ空いた穴へと走り出す。
すぐに石造りの階段が見えた。
「レノ……っ!」
一心不乱に、階段を駆け上がる。
何度も転びそうになったけど、体幹には自信があった。
今の私には、レノしかいない。
レノだけが、何のフィルターもレッテルもなく、純粋に私のことを見てくれている。
レノがいなくなったら、また、私は私が何者なのかわからなくなる。自分を見失う。
……また、この世界に一人ぼっちになる。
日賀志ミホとかいう人といるって言ってたけど、ソイツだって、今頃レノにどんなことをしてるかわからない。命や金に目が眩んで、信者にレノを差し出しているかもしれない。
南雲も、ライラも、スカイも……母親だって、心を許していない。いや、許してなるものか。
ありのままの私を受け入れてくれる人なんて、レノ以外に存在しないのだから。
+++
時は、少し遡る。
会場はすっかり煙が晴れ、最初から何もなかったかのように静まり返っていた。
仲氏さんとココナ、そしてアイリを攫った連中は、今や影も形もない。
信者も傾聴者も、どこかへ行ってしまった。警察や警備員が来るのも時間の問題だろう。
人戒教の目的はわからないけど、今すぐにアイリたちを救い出さなければ。
それなのに、どこへ消えたのか検討もつかない。
それに……今、会場の外れにある花壇の近くで、一触即発な空気が漂っている。
「貴女……日賀志ミホ、ですわね」
「……やあ。こんなところで会うとはね。ライラ・ロストーリ・ノースシュタイン嬢」
DEMs嫌いのミホ先輩と、DEMsの一員であるライラさん。
正直に言えば、この状況を今すぐ放り投げて、すぐにでもアイリたちの痕跡を探りたかった。
けれど、この二人を邂逅させてしまったのは私。
責任が私にある以上、そんな身勝手なことはできない。
「あ、あのっ、ミホ先輩っ! 遺恨があるのは十分承知ですが、ここは穏便に」
「わかっているさ。私も大人だ。危機的状況で業務放棄をするほど、落ちぶれてはいないよ」
いつも通りの、のんびりとした声でそう言い放つミホ先輩。
けれど、飄々とした態度はすっかり消え、落ち着きなく人差し指で足の付け根をトントンと叩いている。
「賢明な判断ですわ、日賀志ミホさん?」
胸に手を当てて、鼻を鳴らすライラさん。
車椅子を失ったミホ先輩は、見上げる形で、ライラさん厳しい視線を送っていた。
「まずは、状況を整理致しましょう」
呆れたように、スカイさんが口を挟む。軽く咳払いをしたあと、ゆっくりと息を吐いた。
「アイリさん、ココナさんが拉致されたということは、痣付き――遺物と同じ模様を持つ者がターゲットということで間違いないでしょう」
「待ちなさい、スカイ。そこのレノは連れ去られていませんわよ?」
「あ、そのことなんですけど、仲氏さん、保険をかけて手の甲に模様に似たペイントを付けていたみたいなんです」
「あぁ……なるほど。考えましたわね」
感心して深く頷くライラさん。その横目に、ミホ先輩が強く拳を握り締めているのが見えた。
感情を露わにしている彼女を見るのは初めてだった。
「あ、あの、ミホ先輩。ココナさんに探知機能とかないんですか?居場所がわかるかも」
今の私には、彼女を慰めるための言葉を持ち合わせていない。
それでも、悔しそうに唇を噛んでいるミホ先輩を、無視することはできなかった。
「……557号機は、何よりも人間に憧れていてね。ただ一つを除いて、人間としての機能しか備わっていないよ。ロケットパンチも打てやしないさ」
ミホ先輩は平然を装ったまま、眉毛を八の字にしている。
ロケットパンチと言われて、ココナさんの手首が分裂して、飛んでいく光景を想像する。
しかし、途中でやめた。人間に似た姿で行うにはグロテスクすぎる。
「まったく。人間という不完全で不具合の多い生物を尊ぶなど、理解に苦しむけどね。あの機体は昔からそうなんだ。人間が大好きなんだよ」
そう呟くミホ先輩の瞳には、哀れみの色が映っている。
それなのに、彼女の気持ちはココナさんに向いていないような気がした。
……ミホ先輩は今、何を考えているのだろう。
「わんっ!わんわんっ!」
足元で響くレノちゃんの鳴き声が、私の思考を掻き消した。
鋭く吠えるレノちゃんは地面に鼻を擦り付けて、ずんずんと前に進み出す。
「どうしたの?そっちに何かあるの?」
レノちゃんは何かの匂いを必死に辿っている。
そして、少し行ったところで、こちらを振り返り、「付いて来い」とでも言うように、私たちを見上げた。
「まさか。訓練されていない愛玩動物に、そのようなことができるとは思えませんわ」
「ですが、お嬢様。今は彼女の嗅覚しか、頼れるものがありません。後を追いましょう」
こういうとき、アナログこそが最も頼りになるとは。なんとも皮肉な話だ。
そんなことを思いながら、私はミホ先輩の近くにしゃがみ込み、背中を向けた。
「?……ナナ。キミは一体何を」
「何って、おんぶですよ。ココナさんを助けに行くんでしょう?」
私とミホ先輩は、ついこの間会ったばかりだ。出身や好きな食べ物だって知らない。
だから、彼女が考えていることなんて、わかるわけがない。
でも……それでも、ミホ先輩がココナさんを大切に思っているのは事実だと思う。
そして今、ココナさんのことで気分が落ち込んでいることも。
しかし、ミホ先輩からの返答はない。
……もしかして、何かおかしなことを言ってしまっているだろうか。
そもそも、先輩が落ち込んでいるかもなんていうのだって、私の独りよがりな妄想だし……。
……って、あ!そっか!
「ご、ごめんなさい。DEMsの人と一緒に行動するのは、嫌でしたよね……」
少し離れた先で待っているライラさんに聞こえないくらいのボリュームでそう言い、私は腰を上げようとする。
すると、突然手首を掴まれた。
「参ったね……私、そんなにわかりやすく顔に出ていたかな? 普段から、感情は表に出さないよう、気を付けているんだけど」
ほんの少しだけ赤らめた顔を、ふいっと背ける。
そんなミホ先輩が、とてもいじらしく思えた。
むず痒い気持ちになってきたところで、気が抜けるような彼女の溜め息が聞こえた。
「ライラ嬢に問題があるわけじゃない。車椅子がない私は、文字通り足手まといだろう。だから、私はここでお別れするつもりだっただけさ」
そう言って、ミホ先輩は私の背中に身体を預ける。
ちゃんとご飯を食べているのかと心配になるくらい華奢だった。
私は彼女の小さなお尻を両手で支え、ミホ先輩は私の首元に細腕を固定する。
……羨ましい……って、そんなことを思っている場合じゃない!
「また、目の前で奪われてしまった。まったく、嫌なことを思い出させてくれるね」
ふと、そんな言葉が聞こえた気がした。
やけに自嘲するような声色なのが気になったけど……耳元に伝わった暖かな吐息がむず痒くて、それどころではなかった。
レノちゃんの鼻は確かだった。
露店の裏。人気のない参道の脇。道なき道を迷いなく進んでいく。
かなり寂れた様子だったけど、小石やガラス、小枝といった、レノちゃんの足が傷つくようなものが転がっていないのは幸いだった。
そして、やがてたどり着いたのは……古びた神社の裏手だった。
といってもかなり小さくて、お守りを買ったりはおろか、巫女さんや神主さんすらいないくらい。
祀られているのは、地球を覆っているあの神様だろうか。
それにしては、こんな山中の辺境の地で放置されているのはおかしい気がする。
広場にあった巨像と比べて、荘厳さもないし。
「わん! わん!」
「レノ様、お手伝い致します」
地面に向かって、レノちゃんは前足を動かしている。
それに応じるように、スカイさんがすぐさましゃがみ込み、両手で土を掘り始める。
メイド服が汚れても、一切気にする素振りは見せていなかった。
「浅くて助かりましたわね」
たった数分で、湿った土の地面から、無機質な石の板が現れる。
随分大きく、取っ手のような部分まであった。これは、もしかして……。
「……地下、ですか?」
「そのようだね。しかし、女手だけで開けることは」
「よい、しょっ……と」
スカイさんは、持ち上げた。
軽々、と。スポンジを拾い上げるかのように。
それを、安全な場所にゆっくりと置く。
ズシンという音が、アレがスポンジなんかではないことを明らかにしていた。
戸惑いつつも、ポッカリと開いた地面を見やる。
するとそこには、石造りの階段が下へ、下へと伸びていた。
「わんっ!」
レノちゃんは控えめに、一度だけ鳴く。
この先に仲氏さんが――ココナさんとアイリが、いる。
「で、どう攻めるつもりだい? まさか、全員で仲良くっていうワケにはいかないだろう?」
「私とスカイ、二人で十分でしょう」
ライラさんは吐き捨てるようにそう言うと、地下への階段を見据えた。
「確かに、そこのメイドがいれば百人力だろうね。とはいえ、意外だな。DEMsの人間が身内以外を慮るとは」
「あら、私は違いますわ。遺物と全く同じ模様がある貴重なサンプルですもの。価値のあるものは生かしておかないといけませんの。……それに」
そこで、ライラさんは息を飲む。続きの言葉を渋っているようにも見えた。
「それに……契約を無下にするのは、私の矜持に反しますわ。シーカとアイリの命を守らなければ、私の価値はゴミクズ以下になりますもの」
「あ……」
私、ライラさんのことを少しだけ勘違いしていたのかもしれない。
彼女はいつも価値や利益の話ばかりするから、てっきり他人を値踏みする人なんだと思っていた。
でもそれは、他人だけに向けられた考え方じゃなかった。
誰かの価値を測るその秤には、ライラさん自身も乗っているんだ。
「へぇ、そうかい。じゃあ、そこのペット……レノとナナと私は、この辺りで待機していればいいのかな?」
「話が早くて助かりますわ。では、そのように――」
「ま、待ってくださいっ!」
トントン拍子に話を進める天才たちに、私は割って入る。二人はキョトンとした顔で私を見た。
「わ、私も地下に行きたいです。……いえ。行かせてください!」
「ナナ様。お言葉ですが、争いの場になるのは必須でございます。ナナ様を危険な目に遭わせるわけにはいきません」
「………………」
争い。
……苦手な言葉だ。傷や血を想起させる。
それに、痛めつけられることも痛めつけることもしたくない。
それが、身体であっても、心であっても。
そういう意味で言えば、アイリの変身先である傘は、私の性分にとても合っていた。
だって、誰かの身を守ることができる。自分の身も守ることができる。……そう。だからこそ……
「ライラさんとスカイさん。お二人のことを守りたいんです」
「!」
ライラさんの綺麗な青い瞳が、大きく見開らかれた。
スカイさんはいつも通り、無表情のままだ。
「スカイさんが強いことはわかっているつもりです。でも、地下の信者の数が多かったら? もし、鋏の双子がいたら? そうなったとき、無事でいられる保証はありますか?」
この問い掛けに、返事はない。
この場にいる全員が、黙って私の話を聞いていた。
「情けない話ですけど、どうせ私が残ったところで、ミホ先輩やレノちゃんを守りきることはできません。それなら、地下に行ってアイリと一緒に共闘した方がいいはずです」
自分でも驚くほど、すんなりと言葉が出てきた。
怖くないわけじゃない。
でも、アイリたちが苦しんでいるかもしれないと思うと、ここで待っている方が、ずっと怖かった。
頭が良いライラさんなら、わかってくれるはずだ。
少しでも自分の覚悟を伝えるために、私はライラさんと視線を合わせて、両手を握る。
すると、ライラさんは目を伏せて、ゆっくりと首を縦に振った。
「……理解はしました。けれど、一つだけ伺ってもよろしいかしら?」
何を言われるのかは、薄々察していた。
それでも、彼女が放つプレッシャーが圧し掛かり、思わずゴクリと唾を飲み込む。
「貴女はいざという時、関係のない人や……双子のことを、攻撃できますか?」
「……わかりません」
自分の気持ちに嘘は吐けなかった。
例え悪い人だとしても、私は人を攻撃したくない。
皆を守りたい。でも、誰かを傷つけたくはない。
そんな甘っちょろい考えは、ライラさんとスカイさんには見抜かれていたようだ。
二人は視線を送り合い、無言でコミュニケーションを取る。
「私からもお願いするよ。ナナを行かせてやってくれ」
「!?……ミ、ミホ先輩!?」
背後からの声に驚き、思わず声を上げる。生憎、彼女の表情を見ることはできなかった。
「実は557号機には、様々な仕掛けを施してある。といっても、最低限のシステムだが」
「え……で、でもさっき、ロケットパンチはないって」
「最低限、と言ったはずだ。人間だって、自衛のためにスタンガンや催涙スプレーを持ち歩くだろう? そういうのを仕込んでいるだけさ。最初は嫌がったが、最高傑作の君を失いたくないと言ったら、渋々納得してくれたよ」
いくら勝気なココナさんでも、生みの親には逆らえないということだろうか。
とはいえ、その情報は、私にとって非常にありがたいものだった。
「アレなら、戦える。もし、いざという時があるのなら、557号機に攻撃させればいい」
もちろん、攻撃する機会が無いに越したことはない。
でも、万が一ということもある。アイリが――皆を傷つかせるようなら、私だって……。
胸の奥が、少しだけ重くなる。
……そんな未来は来てほしくない。
けれど、本当に選ばなければならないのなら……その時は、目を背けてはいけない。
「ハァ……わかりました。であれば、異論はありませんわ。……スカイ!」
「承知致しました」
スカイさんは一つ返事で、長いスカートの中から何か白いモノを取り出す。
「スカイさん、それは?」
「人戒教のローブでございます。先ほどの混乱に乗じて、拝借致しました」
そう言って、スカイさんは私にそれを一つ渡す。
袖も裾も、丈はかなり小さかったけど、フードは目深に被ることができそうだ。
スカイさんは大きな背丈にそれを纏うと、ライラさんをすっぽりと隠すようにローブの中に隠した。
カンガルーの親子みたいで、何だか微笑ましく感じた。
「ナナ。私とスカイの指示には、従っていただきますわよ」
「は、はいっ! もちろんです!」
私はぎゅっと拳を握る。
怖いという気持ちはあった。でもそれ以上に、皆のことが心配だった。
双子は、アイリを”ちょうだい”と言っていた。ということは、少なくとも殺したりするような意図はないだろう。それだけがせめてもの救いだった。
ゆっくりとミホ先輩を下ろす。レノちゃんはミホ先輩の傍に寄り、大人しくお座りをした。
「レノちゃん。ここで、ミホ先輩と待っててね。シーカは、絶対に連れて帰るから」
「……くぅん」
レノちゃんは寂しそうな鳴き声を漏らすと、私の手をぺろりと舐める。
その温もりは、背中を押してくれているような気がした。
感謝を伝えるつもりで、レノちゃんの頭を撫でる。そのまま、私はミホ先輩の顔を見た。
「ごめんなさい、一人と一匹きりにさせてしまいますけど――どうか、無事でいてください」
「この賢い犬には、爪も牙もある。それに、私は足は動かせないが、口と頭はよく回るんだ。陽動でもして、信者を困惑させてみせるさ」
その軽口に、強張っていた肩の力が抜ける。不思議と、足の震えもすっかり収まっていた。
「では、参りますわよ。機が熟すまで、勝手な行動は控えてくださいまし。いいですわね?」
フードの外套で容姿が隠れていることを確認した後、私は「はい」と呟く。
それ以降、私たちの間に会話はなかった。
スカイさんとライラさんを先頭に、一段ずつ、暗い階段を降りていく。
うまくいく自信なんてない。心臓の鼓動はうるさいほど早い。
それでも、何もしないまま後悔するよりは、ずっといい。
「どうか、誰も傷付かずに終わりますように」
そう願うことしかできないことが、歯痒くて仕方が無かった。




