第四話 邂逅
スカイさんが初めて南雲家を訪れたのは、月曜日の夜のことだった。
「お嬢様がお世話になっております。私、スカイ・ハセフジと申す者です」
玄関先で深々と頭を下げるスカイさんに、両親は戸惑っていた。
しかし、彼女の礼儀正しさ、所作の美しさに感服し、結局は、すっかり感じ入ってしまっている。
スカイさんが今口にした「お嬢様」というのは、ライラさんではなく、アイリのことだ。
ライラさんとスカイさんが決めた設定はこうだ。アイリは外国のご令嬢で、スカイはそのメイド。
ハイテクな生活に嫌気がさして家出をしたお嬢様を案じて、コッソリ様子を見に来ている……と。
……確かに筋は通っているが、お父さんとお母さんが納得するかは、正直五分五分だった。
けれど、そこを、スカイさんの態度と、
「私はアイリ様のご意思を尊重し、お元気でいらっしゃるかを見守る立場でございます。あのような忌まわしい家に連れ戻すなど、一ミクロンたりとも考えておりません」
この台詞のおかげで、かなり補強された形になった。
「こんな時代に、義理堅い人だなぁ」と、お父さんはご機嫌な様子で、お茶やらお菓子やらまで用意してくれた。
そういう経緯があり、スカイさんは、たった一晩で両親の信頼を勝ち取ってしまった。
おかげで、私とアイリとスカイさんが、私の部屋に籠っても一切怪しまない。
むしろ、スカイさんの設定は、無理があったアイリの帰国子女設定の説得力も底上げしている。
両親に嘘を吐き続けるのは忍びないけど、こればっかりは仕方がない。
すっかり信じ切っているし、今更否定する余地もないだろう。
そして、現在。
スカイさんは私の部屋で、座布団の上に行儀よく正座をしていた。
ピンと背筋を伸ばし、無言で私たちの報告を待っている。
私は、正直に告白した。
金曜日の夜、双子に襲われたこと。アイリや双子のうちの一人が、道具に変身したこと。
……ミホ先輩のことは、一切伝えなかった。
「力及ばず、大変申し訳ございません。ナナ様とアイリ様を守ると約束したのに、この体たらく」
「い、いえ。仕方ないですよ。スカイさんの身体は一つしかないんですから。……でも、仲氏さんのレノちゃんには伝えておいてもらえますか?」
「はい。早速この後、不用意に外を出歩かないよう忠告を行います」
その言葉を聞いて、ホッと胸を撫で下ろす。
仲氏さんは、何よりもレノちゃんの身の安全を大事にしている。
散歩がしづらくなるのは可哀想だけど、双子からの奇襲を受けるようなことはないだろう。
スカイさんは慣れた手付きで、手元のメモ帳に文字を書く。ややあって、再び顔を上げた。
「変身能力については、既にシーカ様からも報告を受けております。何でも、突然、レノ様が斧になったと」
スカイさんは表情こそ変えなかったけど、その声には、確かな緊張感が滲んでいた。
……レノちゃんの変身先って、斧なんだ。……何だか物騒だなぁ。
「その際、道具形態のレノ様に、奇妙な文言が描かれていたと聞きました。ナナ様は、ご覧になられましたか?」
「っ!」
不意に、ドキッと心臓が跳ねる。
私は至って冷静な表情と声を装って、「変な暗号のことですよね。読めませんでしたけど」と返した。
もちろん、嘘だ。
本当はミホ先輩の解読によって、内容は知っている。
暗号のことだけじゃなく、変身のための条件ついても把握している。
でも、ミホ先輩はたぶん、DEMsに存在を認識されたくないはずだ。
それに、もし私がミホ先輩と接触していると知られれば、ライラさんは確実に彼女の元へ向かうのは間違いない。
そうなってしまえば、ミホ先輩は今以上に心を閉ざすことになる。
……それだけは、どうしても避けたかった。
「ライラお嬢様の解析によると、”願いが叶う”と記されていたそうです」
いつも以上に小さく透き通るような声で、スカイさんはこう告げた。
私はこれに対して、如何にも初耳ですという態度を取る。……不審に思われてなければいいけど……。
「他に、報告内容はございますか?何か小さなことでも構いません」
私はゆっくりと首を横に振る。すると、隣に座っていたアイリが、大きく右手を掲げた。
「ねーねー。ミホっていうひと、しってる?」
「っ!?ゲホッ、ゲホ……!」
詰まった声を、咳払いで誤魔化す。
……さすがに怪しまれただろうか。
私は動揺を必死に隠し、アイリが余計なことを言わないように視線を送った。
しかし、アイリは嬉しそうに私に微笑みかける。
事前に口裏を合わせておくべきだった……でも、後悔してももう遅い。
まるで時が止まったかのように動かなくなったスカイさんに対して、私は至って平然に告げた。
「ふ、双子に襲われたことを警察に相談したときに、耳に入ったんです。凄い研究者なんでしょう?アイリは、どうやらそれが気になったみたいで」
これなら、スカイさんはわざわざ事実確認をすることもない。
それに、ミホ先輩との関わりも言及されたりしない。
……なんだか、アイリを拾ってから、自然と嘘を吐くようになってしまったような気がする。
私の言い訳を聞いたスカイさんは、フッと息を漏らす。信じてもらえただろうか。
「日賀志ミホ。常々噂には聞いています。たった一人でDEMsに匹敵するほどの技術力と頭脳を持ち合わせた、天才だと」
淡々とした声が、より一層冷たく感じられた。
ミホ先輩がライラさんの名を聞いたときと、どこか似ているような気がした。
「DEMs側も何度か勧誘を試みているそうですが、毎度断られていると。どうやら、過去にDEMsと確執があったようで」
「確執?それは一体、何ですか?」
もしかしたら、因縁の理由を聞けるかもしれない。
そう思って食いついたけど、そううまくはいかなかった。スカイさんはゆっくり首を横に振る。
「ライラ様はある程度ご存じでしょうが、私の耳には、何も。……ですが、どのような条件でも勧誘を拒否するということは、余程腑に落ちないトラブルがあったのだと予測できます」
「そう、ですか……」
私もスカイさんもそれ以上、ミホ先輩について話すことはなかった。
ミホ先輩は、戦う気がない。あの人が欲しいのは戦力ではなく、知識やデータだ。
だったら……やはり、ミホ先輩とDEMsのわだかまりさえ解ければ、手を組んでくれるかもしれない。
ミホ先輩が味方にいてくれれば、百人力だ。そのためには……。
「もう一度、会いに行かないと」
誰にも聞かれないくらい小さな声で、そう呟く。
ライラさんに聞くのは、最終手段だ。ミ
ホ先輩だって、大嫌いなDEMs側に、勝手に自分のことをチクられたくないだろう。
私がミホ先輩だとしたら、そう思う。
スカイさんを見送った後、私はすぐに、アイリと今週末のお出かけの予定を話し合ったのだった。
もちろん、ミホ先輩に関する口裏合わせも兼ねて。
けれど、私の計画はあっさりとつまずいた。
「……開かない」
土曜の午前中。私とアイリは倉庫のようなラボの前に立ち尽くしていた。
何度シャッターの脇を触っても、あの日のように出入口が出現する気配はない。
呼びかけても、叩いても、応答はなかった。
敷地内にある一軒家には、ミホ先輩のおじいちゃんとおばあちゃんが、顔を見せてくれた(今日初めて出会った)が、ミホは研究所にいる、ということしか教えてくれなかった。
おそらく、そう言うように指示されているのだろう。
二人は申し訳なさそうに眉毛を八の字にして、ペットボトルのお茶を渡してくれた。
私たちはそれをありがたく受け取り、敷地内をウロウロと歩き続ける。
……ラボの固く閉ざされた扉は、まるで、私を拒んでいるみたいだ。
祖父母にも伝えているということは、やっぱり、もう私とは関わりたくないってことなのだろうか。
「……残念だけど、帰ろっか」
「えー!ミホ、あえないのー?」
アイリはがっくりと肩を落として、頬を膨らませる。
私の今の気持ちを代弁してくれているようで、ほんの少しだけ気が楽になった。
――その時だった。
「あれっ?ナナ?」
聞き覚えのある声がして、振り返る。
するとそこには、買い物カゴを背負ったココナが、目を見開かせてこちらを見ていた。
「ココナさん!会えてよかった!それで、ええと、ミホ先輩に……」
「わかってる。会いに来たんでしょ?……まったく……振られたってのに直談判しに来るなんて、ホント人間って可愛いんだから」
そう言って、ココナさんは私を抱き締める。
……えっと……彼女って、こんなにスキンシップ激しい子だったっけ?
私のことを快く思ってくれるのは嬉しいけど、ちょっとだけ恥ずかしかった。
「……って、うげ」
「おはよー!ココナー!」
しかし、アイリの姿が視界に入った途端、ココナさんは即座にハグを止めた。
いつも通りの少し不機嫌な様子で腕を組み、片足をトントンと叩く。
「言っておくけど」
顎でラボを指して、ココナさんは溜め息を吐く。
「アタシは、ミホの指示を無視することはできないからね。ラボや家に入れることはできないし、ミホに伝言を預かることもできないわよ」
「そ、それなら、ミホ先輩が外に出るまで」
「無駄よ」
ココナさんは私の言葉を遮った。
「ミホが外出するなんて、ほとんどないわ。ラボ内でもある程度生活できるようになってるし。それこそ、何か……あの子が興味を持つことや、仕事でもない限りはね」
「…………」
張り込みは現実的ではない、ということだろうか。
私自身、学校をサボるわけにはいかないので、一日中ここにいるわけにもいかない。
「……ただ、これだけは伝えておくわ」
ココナさんはそう言うと、私の足元にしゃがみ込んだ。
そして、足首に付けられていた、薄い半透明のシールをペリペリと剥がす。
「えっ?そ、それって……」
「発信機よ。双子に付けたのと全く同じやつね」
シールをぐしゃりと握り潰し、ココナさんは自身のポケットに仕舞い込んだ。
もし意地になって、一日中見張ったとしても、私が敷地内にいるとわかられている限り、ミホ先輩はラボから出なかっただろう。
その事実を突きつけられて、背筋がゾッと冷えた。
一体、いつ付けられたんだろう。
というより、まさか、スカイさんに名前を伝えてしまったこともバレてしまったんじゃ。
すると、私の顔色で察したのか、ココナさんはあくまで穏やかな口調でこう告げた。
「アイツに盗聴の趣味はないわよ。そこまで行くと、プライバシー侵害に関わる話だもの。ミホが気になるのは、あくまでコイツ」
「んー?」
ココナさんに指を指されたアイリは、不思議そうな顔をしてその人差し指を握った。
ココナさんは心底嫌そうな顔をして、ゆっくりと手を下ろす。
「このことは、ナナが発信機に気づいて捨てた。っていうことにしておくわ。まあ、ミホのことだから、全部お見通しかもしれないけどね」
そう言い残すと、ココナさんは、これ以上話すことはないと言わんばかりに、ひらひらと手を振り、ラボへと歩みを進めた。
「あんまり、根を詰めないことね」
ラボに入る直前、そんな慰めの言葉が耳に入った。
私は彼女の背中を見つめながら、ハァと溜め息を吐く。
嫌がるアイリを引っ張って、私は帰路についた。
……正直、ミホ先輩の対話拒否が、ここまで徹底しているとは思っていなかった。
私程度の小娘が考えることなんて、頭の良いミホ先輩には丸わかりなのだろう。
そんな相手にどう近づけばいいのか、全く見当が付かない。
結局、DEMsに――ライラさんに相談するしかないのだろうか。
でも、ライラさんは色んな技術を保有している。
何をしてミホ先輩を引きずり出すか、わかったものじゃない。
せめて、何か……バッタリ遭遇するような口実でもあれば……って、そんな都合の良いこと、あるわけないか。
気が付けば、アイリと初めて出会った路地を訪れていた。
考え事をしていて、ほんの少し遠回りをしてしまったようだ。
「ねーねー、ナナ」
ふと、服の袖を力強く引っ張られる。
ミホ先輩に会えなかったことを悔やんでいるのだろうか。しかし、
普段の明るい口調ではなく、どこかソワソワしているような……そんな印象を受けた。
「ちかく。だれか、わたしたち、みてる」
「えっ!?……ど、どこから見られてるか、わかる?」
私はアイリの耳元で囁く。アイリも私を真似て、小声で答えた。
「うしろのかど。ひとり、みえた」
ゴクリと、生唾を呑む。
まさか、またあの双子だろうか。早く、家に帰らないと――。
……いや、違う。家に帰れば、南雲家が特定されてしまう。
別の道を通って、撒く。これが、現状できる最適解だろう。
私はアイリの手を強く握って、家の前を通り過ぎた。
そして、高層ビルが連なる場所まで足を進める。すると突然、アイリが口を開いた。
「ナナ。ひと、どこかいっちゃった」
アイリの言葉を聞いて、安堵する。
家からはかなり離れているし、ここまで来れば大丈夫だと思った。
私は緊張感を解すために両腕を伸ばし、空を見上げた。
顔を上げて……息が、止まった。
『こんにちは。南雲ナナ』
頭上から、大きな鋏が降ってきた。
閉じられた鋏は音を立てて、無造作に地面に転がる。
……そうか。道具に変身している間は、外傷を感じない。
彼女は、私たちの意識の外――つまり、ビルの上で様子を窺っていたんだ。
「アイリッ!変身!」
「うんっ!」
私はアイリの鎖骨部に優しく触れる。
そしてアイリは、みるみるうちに傘の姿になっていった。
傘を広げて、様子を観察する。
しかし、鋏の周りには一向に誰も現れない。
警戒しているのだろうか。それとも、何か策があるのだろうか。
とはいえ、鋏になっているということは、近くに道具の使い手がいることに間違いない。
覚悟を決めた、その時。鋏は眩い光を放ち、人間の姿へと成り代わった。
「…………」
不機嫌そうに口をへの字にしながら、女性は両手を上げている。
戦うつもりはないとでも言いたげな様子だけど、私は一切、警戒心を緩めない。
むしろ、よりアイリを握る手を強めた。
「今日は話をしに来ただけ。マシロの気配もないでしょ?」
「嘘。そうやって、またアイリを攫うつもりなんでしょう?」
強気な口調は苦手だった。それでも、少しでも威圧感を出したくて、声色を低くする。
……しかし。
『ナナ。ほんと。ひと、いないよ』
「えっ?」
アイリは当たり前のことのように、そう告げた。
いくらアイリでも、こんな状況で嘘は吐かないだろう。それに、さっきの気配感知は的確だった。
「……何の用?」
私は傘から顔を出して、恐る恐る尋ねる。
すると、鋏の女性は、一歩も動かずに、地面に何かを置いた。
「アンタ、日賀志ミホと話したいんでしょ?」
どきり、と心臓が跳ねた。
どうして、それを知っているのだろうか。
口を一文字に結んだまま続きの言葉を待っていると、女性はポケットから何かを取り出し……地面に置いた。
「このイベントに来れば、会える」
ここからではよく見えなかったが、どうやら、何かのチラシのようだ。
「どうしてそんなこと、私に教えてくれるの?あなたは一体……」
正直、そのイベントやらの内容よりも、それが気になった。
すると、女性は不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、私たちに背中を向けた。
「……私の名前、クロハ。あなた、じゃない。……それじゃあ、さよなら」
「っ!ちょ、ちょっと待って!」
クロハと名乗った女性は、あっという間にその場から姿を消した。
アイリはすぐに変身を解除して、地面に置かれたくしゃくしゃの紙を手に取る。
『おまつり?』
私はアイリに促されて、内容を読み上げる。随分と派手なデザインで、かなり読みづらい。
どうやら、人戒教という、聞きなれない団体が主催の祭典らしい。
わたあめやリンゴ飴、焼きそばといったような食べ物の出店はもちろん、ヨーヨー釣りやペットと遊べるような大きな企画も行うらしい。
更に、少し離れた会場では、講師による特別座談会も開催されるという。
そして、その登壇者の一覧に、見覚えのある名前があった。
日賀志ミホ。
ココナさんは言っていた。仕事なら外に出ると。
つまり、これは出不精の彼女が人前に出てくるチャンスなのだ。ーーでも。
「……あ、怪しい……!」
この情報源が、例の双子であること。
そして、ミホ先輩のことを教えてくれる理由。
何より、主催が宗教団体であること。……ほぼ間違いなく、罠だと思った。
それでも、途方に暮れていた私にとっては、蜘蛛の糸同然だった。
差し出されたチラシが、抗いがたい希望に見えてしまった。
『たのしそう!アイリ、ここ、いきたい!』
何も知らないアイリは、ただ純粋に、お祭りを楽しみたがっている。
嬉しそうなアイリを横目に、私は、自分の流されやすさを悲観しながら、こう告げた。
「……ライラさんに、相談してみようか」
+++
ライラさんと顔を合わせるときは、いつも、街外れの小さなカフェだった。
曰く、DEMsの管轄内の特別なお店で、限られた人しか入ることができないらしい。
私はチップも通信機も持っていないから、連絡はもっぱらスカイさん頼りだった。
南雲家に定期的に来てくれるスカイさんに「次はいつ」と約束を取り付けて、こうして直接、落ち合うことになる。
最先端技術の暮らしに慣れきったライラさんにとっては、欠伸が出るほど非効率的なやり取りだろう。
申し訳なさでいっぱいだったが、ライラさんは存外、この古めかしいやり取りを気に入っているらしかった。
「人戒教の祭典。……ふぅん」
紅茶を片手に、ド派手なデザインのチラシを眺めながら、ライラさんは形のいい眉をすっと持ち上げた。
スカイさんはライラさんの椅子の隣に立ったまま、目を伏せている。
ミホ先輩のことは、依然として伝えていない。
講師としてチラシに記載されていることも、特段言及しなかった。
ライラさんもスカイさんも、気づいているだろうか。
「会場が少し離れたところにあるので、ライラさんの耳に入れておきたかったんです」
あくまで、この場は連絡だけ。
祭典には、私とアイリだけで出向くつもりだった。
ミホ先輩とライラさんを邂逅させるわけにはいかないし、そもそもライラさんも仲氏さんも、このお祭りに行く理由がない。
「勝手な行動をしないのは、殊勝な心掛けですわ。報連相というものは、信頼関係にも繋がりますからね」
ミホ先輩とのことを隠している私にとって、その言葉は耳が痛かった。
笑って誤魔化すと、ライラさんはティーカップを置き、ニコリと微笑んだ。
「いいでしょう。人戒教の祭典とやらに、私も同行しますわ」
「えっ」
思わぬ返答に、素っ頓狂な声を上げてしまった。
……これじゃあ、ミホ先輩とライラさんが出会ってしまう……。
けど、私だって馬鹿じゃない。こうなった場合の対処は、ちゃんと考えてあった。
「いけません、お嬢様」
しかし、私よりも先に、スカイさんが口を開いた。
「人戒教の教義はご存知でしょう?神の力を人間が研究し、利用することを冒涜と見なす宗教ですよ」
私も既に、図書館で調べていた。
ウチの両親みたいに、時代錯誤な生活を是としているわけではなく、あくまで、神から転用された技術のみを否定しているらしい。
「ライラさんがDEMsの一員だとバレたら、袋叩きにされてしまいます」
私は大きく首を縦に振る。
ミホ先輩は、ライラさんの名前を聞いただけでDEMsだと気づいた。
ということはおそらく、ライラさんは一部では有名人なのだろう。
これは、ライラさんを来させない建前でありつつも、本心だった。
彼女を危険な目に合わせたくはない。
すると、ライラさんは悔しげに鼻を鳴らす。
何かを思案しているようで、しばらく黙り込んだ。
そしてちょうど、隣の席のアイリに、お水のおかわりをねだられたタイミングで、ライラさんは軽く手を叩いた。
「いいでしょう。ならば、表向きは参加致しません」
「え? 表向き?」
「ええ。会場内には入りません。けれど、遠巻きに監視させていただきます。もちろん、スカイと共に」
「…………そ、それは」
「第一、あなた方は、鋏の双子に襲われたという事実があるでしょう。私、これでも約束は守る質ですの」
ライラさんはそう言いながら、胸に手を当てる。
自信ありげなその表情には、頼もしさがひしひしと感じ取れた。
一切の脅威から私たちを守る。
それは、私と仲氏さんがライラさんに協力するために定めた、決まりごとだった。
不思議と、胸の奥が温かくなるのを感じた。
ライラさんは高慢で、良くも悪くも合理的。
それでもやっぱり、彼女にとって得になる者に対しては、律儀かつ誠実だった。
……この態度を、関係のない人にも向けてくれたらいいんだけど。
私は心の中で呆れつつも、素直に感謝を伝えた。
「礼には及びませんわ。当然のことですから。何かあれば、躊躇わず大声でも上げなさい。スカイの耳は地獄耳ですのよ」
そう言って、ライラさんはスカイさんの腰に触れた。
スカイさんは「お任せください」と呟くと、静かに、深々と頭を下げた。
「仲氏様には、私からお伝えしておきます。参加していただけるかは、わかりませんが」
結論から言えば、仲氏さんはレノちゃんと一緒に、お祭りに参加してくれることになる。
街に残る方が危険だと踏んだらしい。
けれど、仲氏さんは現地集合を希望した。馴れ合うつもりはない、ということなのだろうか。
こうして、ライラさんとスカイさんは遠巻きの見張り。
私とアイリ、仲氏さんとレノちゃんは、純粋にお祭りを楽しむことになった。
とはいえ私には、ミホ先輩と接触するというサブミッションがある。
うまくいくかは未知数だけど、やるしかない。
「どうしたの、ナナ?」
私の視線は、無意識にアイリに向けられていた。
アイリは良い子だけど、初めてのイベントごとだ。
テンションが上がって、ついうっかり口を滑らせる可能性もある。
そんな私に、楽しむ余裕などあるわけがなく。
ピリピリと感じる胃痛と頭痛が、今後の命運を握っているような気がしてならなかった。
+++
街の中心地から、バスに揺られること約二時間。
山を抜けた先にある大きな湖畔の近くに、祭典の会場はあった。
といっても、人戒教の本拠地がここにあるわけではないらしい。
単に、信者の方々や日々の生活に疲れた人に、自然を感じてほしいという意図がある……と、チラシに書かれてあった。
アイリはというと、前日の夜からずっとワクワクしていて、まるで運動会前の子供のように目を輝かせていた。
道中で食べる用のお菓子も沢山用意してあったけど、眠れなかったアイリはバスで爆睡してしまったので、結局は一つも手を付けなかった。
「わーい!おまつりだー!」
バスが着くとあっという間に元気を取り戻したアイリは、真っ直ぐお祭りの会場へと足を運んだ。
私も半ば引っ張られるような形で、それについていく。
少し離れたところにあった、手作り感のあるサイケデリックなアーチをくぐると、大きな円状の広場に出た。
周辺には露店が所狭しと並んでいて、色とりどりの幟が風にはためいている。
ソースの匂いや、甘い匂いが入り混じり、食欲を刺激した。
中央には神様を象っているような、白い巨大な像が飾られている。
その足元で、白いローブを着た人たちが手を合わせていた。
一方で、像には目もくれず、空を覆う神様を見上げながら指を組んでいる人もいた。
正直、異様な雰囲気だったけど、ほとんどはローブも着ていないような家族連れやカップルばかり。
彼らは神様には目もくれず、各々がお祭りを楽しんでいた。
「ナナ、あれ、なに!?たべたい!」
「ベビーカステラかぁ、いいね。食べようか」
「わぁい!」
アイリは私と手を繋いだまま、軽やかにステップを踏む。
ベビーカステラは紙袋にたっぷり入っていた。
今どき珍しく、お支払いは現金に対応していて、作り方も昔ながらの器具を使っていた。
それがお祭りだからなのか、人戒教が主催だからなのかはわからなかったけど、私にとってはとてもありがたく、息がしやすかった。
甘いバターの匂いに、思わず吐息が漏れる。
久しぶりに食べるなぁ……幼少期は長らく入院してたし、イマドキのお祭りなんて両親が許さないし。
言ってしまえば、アイリと同じお祭り初心者だ。
私はさっそく、ベビーカステラを一つ摘まみ、アイリの口に入れる。
早く食べたかったのか、アイリは私の指ごと食べそうになっていた。
「おいしい!おいしいよ、ナナ!」
大きな声で、私に笑いかける。
最近わかったことだが、どうやらアイリは甘い食べ物が大好物のようだった。
卵焼きも甘い方を好み、食パンにはたっぷりハチミツをかける。
サラダにもハチミツをかけようとしたときは、さすがに止めた。虫歯にならないか、心配だ。
そんなことを思いながら、私もベビーカステラを食べる。
まぶされた砂糖が口の中で解けた。ちょうど良い甘さで、飽きずに美味しく食べ切れそうだった。
「……ん?」
ふと、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
露店の前で難しい顔をして、何かを購入している、肩まで切り揃えた髪の女性。
「あっ!シーカ!あえたー!」
「っ!?」
アイリの声に驚いたのか、仲氏さんは小さく跳ねた。
そして、鋭い目つきで私たちを睨みつける。
仲氏さんの私服姿は、想像通りだった。
スキニージーンズと、ハイネックのインナー。その上に、緩めのトレーナーを羽織っている。
シンプルだけど、彼女によく似合っていた。
たぶん、私なんかが着たら、センスのない地味な恰好に映ると思う。
彼女のスタイルの良さを羨ましく思った。
仲氏さんは店員さんから小さな紙袋を受け取り、会釈をする。何が入っているんだろう……。
……って、え?
「な、仲氏さん!? そ、その模様……!」
ハートの錠前の痣。
アイリの鎖骨と、レノちゃんのお腹にある、あの模様。
それによく似たものが、仲氏さんの手の甲に記されていた。
私はすぐに仲氏さんに駆け寄って、手首を握る。
「っ!? ちょっと! 勝手に……!」
「ど、どうしてこれが仲氏さんに……って、ん? あれ? これ、ペイント……?」
よくよく見ると、アイリたちのモノとは大きくかけ離れていた。色が薄いし、ハートも歪だ。
私がそれに気づくと、仲氏さんは手を強く振り払う。
「ご、ごめんなさい、仲氏さん。私、勘違いしちゃって」
「いや、私の方こそごめん。痛くなかった?」
私はコクリと頷く。すると、仲氏さんは手元の小さな紙袋を握り締め、露店の裏に回った。
「……こっち、来て」
私とアイリはそれについていくと、ポールに繋がれたレノちゃんの姿が見えた。
「わー!レノだっ!わんわんっ!」
「わんっ!」
アイリの犬の鳴き真似に応じるように、レノちゃんは低い声で吠えた。
舌を出したまま、力強く尻尾を振っている。
……レノちゃん。まさかアイリのこと、犬だと思ってるわけじゃないよね……?
「レノ。ごめんね、一人にして」
仲氏さんはレノちゃんと同じ目線になるようにしゃがむと、さっき露店で買っていた何かを取り出した。
どうやら、犬用のクッキーのようだ。
「えー!なに?それ。アイリ、たべたい!」
「ダメに決まってるでしょ。がめついな、アンタ」
いつもの冷酷な口調だったけど、仲氏さんの口元が少しだけ緩んでいるような気がした。
その光景が微笑ましくて、吹き出してしまいそうになる。けど、何とか耐えた。
「あの、仲氏さん。来てくれてありがとう。私たちの予定に付き合わせちゃって、ごめんね。……レノちゃんも」
私はそう言いながら、レノちゃんの鼻に手の甲を向ける。
クンクンと匂いを嗅いだあと、ペロリと一度だけ舐めてくれた。可愛い。
すると、仲氏さんはフンッと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
「別に。元々、来る予定だったし」
「い、いやそんな、気を使わなくても……」
「何で私がアンタに気を使うんだよ。本当にそのつもりだったんだって。ホラ」
そう言うと、仲氏さんはポケットから綺麗に折りたたまれたチラシを寄越してきた。
これって……まさか!
「まさか仲氏さん、鋏の双子に遭ったの!?」
思わず、声が跳ねる。しかし、仲氏さんはゆっくり首を横に振った。
「違う。ウチに投函されてたの。母さんは、間違って入れられたんだって言ってたけど……どうだろうね」
「…………」
やっぱり、これは罠なのだろうか。
でも、逆に言えばこれはチャンスだ。
私とアイリ、仲氏さんとシーカが力を合わせて双子を無力化できれば、当分は夜道を警戒する必要はなくなる。
「あ……そうだ。それで、そのボディペイントって……」
「囮用だよ。双子って、痣付きを狙ってるんでしょ。幸い、レノの模様はお腹だから、パッと見でバレることはないだろうけど…………レノに危害が加わるくらいなら、私が身代わりになろうと思って」
「な、なるほど……! 仲氏さん、頭良いね! 確かに遠目だと、全然わからなかったよ」
素直に感心すると、仲氏さんは耳をほんのり赤らめる。
とはいえ、少しだけ思うところがあった。
「けど、仲氏さんが犠牲になるなんて、ダメだよ。二人とも無事じゃないと」
「……わかってる。これはあくまで保険」
仲氏さんはそう言うと、レノちゃんを見やった。
その視線には愛しさがたっぷり詰まっていて、彼女の心情が現れているようだった。
その後しばらく、私たちは近況報告と情報交換を行った。
そして――どこからか、アナウンスの声が会場内に響き渡る。
『只今より、特別講演を開始します。講師は、かの高名なる研究者、日賀志ミホ先生です』
「あっ!ミホ!ナナー!ミホだよー!」
アイリはレノちゃんを撫でる手を止め、その場で立ち上がる。
すると、仲氏さんはほんの少し目を見開いて、私の顔を見る。
「知り合い?」
「あ、いや……一方的に知ってるだけだよ。優秀な人で、神の技術にも詳しいみたいなの」
「それ、おかしくない?」
顎に手を置いて、仲氏さんは唸る。
「人戒教って、神由来の技術を否定する宗教なわけでしょ。何で、その道の研究者を呼び込んで抗議なんてさせるわけ?教えに反すると思うけど」
「……あ……」
確かに、その通りだった。どうしてそんなことに気がつかなかったんだろう。
人戒教がそのことを知らずにオファーをしたとは思えないし、ミホ先輩も、そのことを知らずに受けたとは思えない。
……何だろう、この気味の悪さ。嫌な予感がする。
「アイリ!早く行こう!」
「えっ!?う、うんっ!」
私はアイリの腕を無理やり掴み、猛スピードでミホ先輩の元に向かう。
お祭り会場から離れた場所に、屋外ステージはあった。
たくさんのライトが当てられた舞台。それを半円状に囲むように、椅子が並んでいた。
傾聴者の数はまばらで、逞しい髭のおじいさんから、真面目そうなメガネの少女、そして、白いローブを被った人戒教の教徒まで、様々な人がミホ先輩の登場を待っていた。
「な、南雲っ。急に飛び出さないでよ……ハァ、ハァ……」
仲氏さんは、レノちゃんを抱っこしながら肩を上げ下げしている。
彼女には申し訳ないけど、謝っている余裕はなかった。ミホ先輩の身に、何もなければいいけど……。
パチパチパチパチ!
拍手と共に、舞台上にミホ先輩が現れた。ココナさんが彼女の車椅子を押している。
ミホ先輩の顔は、この間見たものとは大きく異なっていた。
そこに柔和な印象はなく、どこか無機質で、厳かな……まさに、気難しい研究者と言わんばかりの面持ちで、こちらを向く。
ココナさんも背筋をピンと伸ばし、礼儀正しく、両手をお腹の前で重ねていた。
伏せた目の睫毛と美しい髪の毛が、ライトに反射してキラキラと輝いていた。
「人類の理論体系では説明できない技術。それは、我々を見下ろしている神と呼ばれる存在がもたらした恩恵だ」
ミホ先輩は、車椅子に座ったまま声を張り上げる。
手元にも服にもマイクは見当たらないのに、ここら一体にハッキリと聞こえた。
残念ながら、仕組みはわからない。
「原理を理解できないまま利用されることは、決して珍しくない。実際、我々が日常的に使用している機器の中にも、内部構造や動作原理を正確に説明できる者は多くない。では、その延長線上に存在する技術が現れたとき、人間はそれを受け入れるべきだろうか。拒絶するべきだろうか」
ミホ先輩の持論は続く。
技術や自分の生い立ちといった内容ではなく、研究するにあたっての倫理観や道徳観を、哲学的な考えを織り交ぜて伝えるといった講義だった。
思わず、聞き入ってしまう。
聞きなれない難しい単語もあったけど、ハキハキとした声色と落ち着いた態度のおかげで、全く気にならなかった。
むしろ、不思議と理解できてしまうような……。
「ねーねー、ナナ。あれ」
「え?」
アイリが指を指した先。小柄な二人の信者が、徐に椅子から立ち上がった。
――危ない。根拠はないけど、そう感じた。その時だった。
一瞬にして、真っ黒な煙が、辺りを覆い尽くした。一寸先も見えないほど濃い、大量の煙だった。
「何これ!演出!?」
「な、なんだぁ!? 何が起きてるんだぁ!?」
「か、火事だーッ! 逃げろー!」
パニックになり、逃げ惑う人々。
たくさんの人に押されても、私はその場から動かなかった。
「ミホせ……日賀志ミホさん!無事ですか!?」
呼びかけても、返事はない。
むしろ、口や鼻から煙が入り込み、咳き込んでしまう。
「きゃっ!」
突然、煙の中から大柄な白いローブの男性が、私の身体を突き飛ばす。
その勢いで尻もちをつき、強く握っていたアイリの手を放してしまった!
「ア、アイリ!? どこ!?」
「ナナ! アイリ、ここ! ここだ、よ……ナナ……」
徐々に、アイリの声が遠ざかる。
私は一心不乱に、声がした方向へ駆け出した。……しかし。
「お嬢さん。ここは危険だ。早く逃げた方がいい」
筋肉質な腕で、羽交い絞めにされる。さっき私にぶつかってきた人だ。
「離してください!やめて!誰か……スカイさぁぁぁん!」
「ハハハ。叫んでも無駄だよ。こんな視界じゃ、誰も……ぐわっ!」
背後にいた男性の気配が、一瞬にして消えた。
即座に振り向くと、そこには、男性の胸倉を掴みながら軽々と持ち上げている、スカイさんの姿があった。
「遅くなり申し訳ございません、ナナ様」
一体、どこにそんな力があるのか。
スカイさんは片手のみで、屈強な成人男性を浮かせていた。
そして、そのままゴミを投げるかのように、ポイッと投げ飛ばす。
「ナナ様。ご無事ですか」
「は、はい。私は大丈夫です。でもっ、アイリが……私の所為で……っ!」
「落ち着いてください。一度、ここを離れましょう。口と鼻を塞いでください」
「…………」
スカイさんは汗一つかかずに、私をお姫様抱っこの要領で抱きかかえる。
ポケットのハンカチで口を覆いながら、私は周囲を見渡した。
けれど、アイリの姿はどこにも見当たらない。
それどころか、近くにいた仲氏さん、レノちゃん。
そして、ミホ先輩とココナさんの姿もどこにもなかった。
観客の悲鳴も、いつの間にか聞こえなくなっている。
避難警告なども一切ない。気味が悪いほど辺りは静寂に包まれていた。
まるで、今ここには、私とスカイさんしかいないみたいだ。
スカイさんは、あっという間に私を安全な場所へと移動させてくれた。
そこには、悔しそうな顔でステージを見るライラさんがいた。
「……ナナさん。一体、何があったんですの?」
「わ、わかりません。急に、ありえないくらい大量の黒煙が漂ってきて……」
私は、しどろもどろに状況を説明する。
それでも、ライラさんの眉間の皺が緩まることはなかった。
徐々に、煙は薄れていく。
アイリの名前を呼んでも、返ってくるのは木々のざわめきだけだった。
大切な人がたった今、目の前で攫われた。
その事実がぐらぐらと、私の足元を揺さぶっている。
段々力が入らなくなっていき、私は、腰が抜けたようにその場に倒れ込んだ。
罠だってわかってたのに。
怪しいって思ってたのに。
結局、こうなってしまった。
軽薄な行動を取った自分が、憎くて仕方がない。
せめてアイリじゃなくて、私が連れ去らればよかったのに。
握った拳が傷む。自責の念に駆られている場合じゃない。それなのに、涙が止まらなかった。
「わんっ!わんっ!」
「……え」
手に、冷たい感覚があった。視線を送るとそこには――レノちゃんの鼻が。
しっぽをピンと立てて、何度も吠える。
私にはそれが、気持ちを奮い立たせるエールのように聞こえた。
「ナナ、諦めるのはまだ早い」
聞き覚えのある声がして、顔を上げる。
そこには、黒い煤だらけのミホ先輩がいた。車椅子はなく、地べたを這っている。
「貴女……日賀志ミホ、ですわね」
「……やあ。こんなところで会うとはね。ライラ・ロストーリ・ノースシュタイン嬢」
二人は距離を取ったまま、お互いに目踏みする。
まさに、一触即発の雰囲気だった。
今、こうして、絶対に邂逅させちゃいけない二人が、出会ってしまった。




