第三話 繋がり
目が覚めたときには、日が昇っていた。
ベッドから差し込む光は、私と、隣で呑気に寝ているアイリを照らしている。
見慣れない天井と、ベッド……ここはどこだろう。
それよりも、私、どうしてこんなところに来たんだっけ?
ズキズキ痛む頭を動かして、昨日のことを思い出す。
確か、ライラさんや仲氏さんと別れて、その後……変な二人に襲われた。
そこを、車椅子の女性に助けられた。ポニーテールで、柔和な口調の人で……。
「やあ、おはよう。気分はどうかな?」
ノックもなく、扉が開く。そうそう、まさにこの人……って!
「あ……あなた、一体……何者なんですか……?」
私はアイリを庇うように手を広げ、精一杯、険しい顔を作る。
しかし、女性は両手を上げて、ヘラヘラと笑った。
「そう警戒しないでくれたまえ。今から順に説明するさ」
穏やかな口調に、少しだけ毒気を抜かれる。
中世的で端正な顔立ちをしていたが、よく見ると目の下のクマが目立っていた。
「私の名前は日賀志ミホ。しがない研究者さ。そして、昨日一緒にいたのが557号機。アレは、ココナと呼ばれることを好んでいる」
「はぁ……」
昨日一緒にいた、ということは、鎖に変身した子のことだろうか。
でも、557号機っていうのは……?まるで、人間じゃないみたいな言い方だけど……。
「そして、ここは私の家だ。気絶した君たちを連れて来たんだ。ご両親には悪いことをしたが、友人宅に外泊したとでも言い訳してくれ」
「あ……!」
私は急いで、壁に貼られていたカレンダーに目をやる。
幸いなことに、今日は土曜日。学校は休みだ。よかった……無断欠席にならなくて。
「さて、ここからが本題だ。助けた代わりに、是非私たちに協力してもらいたい。ああ。ちなみにだが、君に拒否権はないよ」
「…………」
……なるほど、彼女の目的はそれか。
確かに日賀志さんは昨夜、鋏の二人を逃がしてくれた。
私とアイリが無事なのは、彼女の働きのおかげだ。
鋏の二人とグル……という線もあるかもしれない。
けど、もしそうなら演技力が高すぎる。ほぼないと思っていいだろう。問題は……。
「その。協力って、一体何ですか? 私とアイリは、何をすることになるんです?」
「話が早くて助かるよ。とりあえず、ラボまで来てくれ。もちろん、そこの痣付きもね」
「え?」
そう言われて、アイリに視線を送る。
アイリは胸元が大きくはだけたシャツをそのままに、瞼を擦っている。
「アイリ、大丈夫? 具合悪くない?」
「んー、だいじょうぶ……ふわぁ〜」
アイリは両手をぐーっと伸ばし、欠伸をする。私も、つられて欠伸をしてしまった。
顔を見合わせて、お互い笑う。私はアイリの手を握って、日賀志さんの背中を追った。
「さて、ここだよ」
日賀志さんのラボは、大きな一軒家を出てからすぐの場所に鎮座していた。
しかしそこは、使われなくなった古びた倉庫だった。
ひび割れた外壁と、錆びたシャッターがひどく目立つ。
「ふふ。ここがラボ? という顔をしているね」
私の内心を見透かしたように、日賀志さんは笑う。
そして、シャッターの脇の何でもない一点に手を触れた。
「わっ!」
駆動音と共に、シャッターの一部が音もなく内側へスライドした。
教室の出入口とはまた違った仕組みのようだ。
そして、その扉の奥には、外観からは想像もつかないほど白く、明るい空間が広がっていた。
足を踏み入れた途端、ひんやりとした清潔な空気が頬を撫でる。
広い室内には、見たこともないないような機材が所狭しと並んでいた。
中には、警察官が装着していた、チップを読み取る機械と全く同じものが棚に置かれていた。
それ以外にも、警察署のマークが記された見たことのない機械が並んでいる。
更に、淡く発光するパネル。
宙に浮かんだままゆっくりと回転する幾何学模様。
何重にも重なった文字とホログラム。それら全てが、無人のまま明滅しては、動き続けている。
奥には、ガラス張りの広間があり、無機質なアームのついた装置やカメラが備え付けられている。
電子機器に疎い私には、何をしているところなのかすら見当がつかなかった。
けれど、ここがとんでもない場所で、日賀志さんがとんでもない人間だということは、十分に伝わった。
アイリは、仲氏さんの部屋に入ったときと全く同じで、キョロキョロと頭を動かしている。
勝手に操作したりしないように、手を強く握り直した。
「あの、日賀志……先生」
「む」
研究者のようだし、良かれと思って先生と敬称づける。
しかし、彼女は口をへの字に曲げ、片眉を上げた。
「先生は止してくれ。多くの人間から散々そう呼ばれていてね。飽き飽きしているんだ」
「あ、ご、ごめんなさい。じゃあ、日賀志さんで……」
「それも飽きている。……そうだな……」
日賀志さんは顎に手を当てて、目を伏せる。そして、ふっと口角を上げた。
「私のことは、ミホ先輩と呼ぶといい」
「え。せ、先輩、ですか?」
思わず聞き返してしまう。
確かに、彼女は私よりいくつか年上に見える。
でも、学校や会社でもないのに先輩と呼ぶのは、なんだかむず痒い感じがした。
「先輩……うむ、新鮮な響きだ。とても良い」
こちらの戸惑いには目もくれず、ミホ先輩は満足げに頷いている。
どうやら、本気で気に入ったらしい。……変な人だなあ。
「そ、それで、ええと、ミホ先輩……は、その、いつも一人で研究しているんですか?こんなに広いのに、大変じゃないですか?」
「その質問に答えよう。私には足手まといは不要なのさ。だから、協力者を雇うようなことはしない。まあ、私には、何かが纏わりつくような足はないわけだからね」
そう言って、ミホ先輩は膝から下がない足をポンと叩く。
笑っていいのか、駄目なのか、よくわからない。
私には、曖昧に口元を引き攣らせることしかできなかった。
アイリも、キョトンと首を傾げている。妙に気まずい空気が流れた。
「ミホ。アンタ、人間困らせてるんじゃないわよ!」
突然、ラボ内に大きな声が響き渡る。
奥から現れたのは、昨夜、ミホ先輩と一緒にいた女性だった。
全身にいろんな色のケーブルをくっつけながら、ずいずいとこちらに向かってくる。
「む。ちょっとしたジョークのつもりだったのだが、お気に召さなかったかな?」
「アンタの足ジョークは笑えないの。いい加減、やめなさいよその趣味」
どうやら、笑うのが正解だったらしい。
「あの。始めまして、ココナさん。私、南雲ナナと言います。こっちの子は……アイリです」
口論を始めそうな二人に割って入る。すると、ココナさんは目を大きく広げて、私に笑いかけた。
「なぁんだ、もうミホから名前は聞いたのね。じゃあ、アタシがアンドロイドだってことも、もう知ってるワケ?」
「えっ」
私は無意識に、ミホ先輩とココナさんを見比べる。
ミホ先輩は両手を軽く上げて、悪びれもなく平然と口を開いた。
「いや、言ってないよ。彼女のこの反応が見たくて、あえて言わなかった」
「……ミホ。アンタってやつは、本当に……」
ココナさんは溜め息を吐いて、哀れむような瞳で私を見た。
……アンドロイド?ココナさんが?……にわかには信じられない。
多くの母数を見たわけじゃないけど、アンドロイドというものは、もっと機械っぽい姿をしている。
繋ぎ目があったり、広告や企業の保証マークが肌に張り付いていたり。
見た目だけではない。会話の節々が、どこか単調というか、感情的ではない感じが伝わる。
授業で習った話だと、あまりにも人間に近すぎると、人間側が恐怖を抱き始めてしまうらしい。
また、人間だと勘違いされることで起きるトラブルも懸念されているという。
今の製造企業の技術力では、精巧なモノを作ることができないという噂もあるけど……とにかく、いろんな事情があって、アンドロイドはアンドロイドだとすぐわかるようになっているのだ。
それなのに、ココナさんは、アンドロイド特有の不自然さのようなものが一切ない。
ここまでハイクオリティの個体は、今まで見たことがなかった。
やっぱり、ミホ先輩って凄い人なんだ。予想が確信に変わった瞬間だった。
「さて。材料が揃ったわけだし、本題に入ろうか」
一息吐いて、ミホ先輩は机の上の端末の操作を始める。
視線をそれに向けたまま、ゆっくりと口を開いた。
「単刀直入に言おう。私はアイリの……いや。正確には、傘に変身したアイリの性能が見たい」
「性能、ですか?」
「ああ。どういう条件で変身するのか、何ができて、何ができないのか……どうも、557号機だけではデータ不足でね」
ミホ先輩はココナさんを軽く叩く。随分と科学者らしい発言だと思った。
しかしその提案は、私たちにとっても非常にありがたい。
わけのわからないことばかり起きているわけだし、少しでも情報を整理しておいた方がいいだろう。
「わ、わかりました。アイリも、いい?」
「んー?いいよー!」
アイリは明るく返事をする。
けど、たぶん本人は、これから何をするのか理解できていないと思う。
どの言葉なら伝わるだろうか、と思案する。
「決まりだ。さあ、さっそく始めよう……と言いたいところだが、ナナは両親に連絡しておいた方がいいね」
「あ……そうですね。でも私、チップ手術を受けていなくて、連絡は……」
恐る恐る、ミホ先輩に告げる。
しかし、彼女は一瞬だけ眉を上下しただけで、特に疑問を投げたりするようなことはなかった。
それは、ココナさんも同様だった。
「ふぅん。なら、一度家に帰った方がいいわね。ミホに付き合うと長いわよ。もう一泊することになると思っておきなさい」
「それなら、557号機。彼女の送り迎えをお願いするよ。私は私で、機器の準備をしておく」
「ハイハイ」
ココナさんは面倒そうに溜め息を吐く。
そして、私とアイリの肩を優しく叩いて、そそくさとラボを後にした。
……付いて来い、ということだろうか。
私はアイリを引っ張って、駆け足でラボの外を出た。
ほんの少しの肌寒さと、暖かい日の光が全身を包み込んだ。
+++
それからしばらくの間、私はミホ先輩の指示のもと、アイリは傘の変身を行った。
道具になったり、人に戻ったりというのを、何度も何度繰り返す。
最初の方は変身後、すぐに眠っていたアイリだったが、回数を重ねる度、元気な状態が続くようになっていった。
私はたくさんアイリにお礼と謝罪を伝えたが、アイリは「だいじょうぶ!」と笑っていた。
心の底から楽しそうにしていることだけが、せめてもの救いだった。
ココナさんのサポートもありつつ、ミホ先輩はデータを取っていく。
時々、ブツブツと独り言を呟いていたけど、専門用語ばかりでよくわからなかった。
とはいえ、それは理屈の部分に限った話。概要については、いくつかのことがハッキリした。
一つ目。
アイリが傘になるためには、お互いの感情が高まっている状態で、錠前のような痣に触れる必要があること。
感情の種類は問わないようで、悲しい映像や、面白いラジオ、胸糞が悪い漫画など、どれを見聞きした後でも、アイリは傘に変身していた。
けれど、不思議だったのは、ココナさんやミホ先輩が触れても、何も反応はなかったこと。
ミホ先輩は楽しげに目を輝かせていた。
とても嬉しそうに浮ついた声で、「面白い。特定の人間が紐付いているわけだ」と評していたけど、原因や条件などは依然としてわからないままだ。
ちなみに、変身の解除は一人で行うことができる。
アイリ曰く「もどりたい!」と強く考えると、元に戻るらしい。
二つ目。
変身後の姿はとにかく頑丈で、どれだけ強く攻撃されても、アイリには痛みも傷も見受けられないこと。
じっくりと検査をしてもらったけど、脳や内臓の部分にも一切の影響はないようだった。
これはココナさんも同じで、感覚としては、意識だけがそこにあるようなものらしい。
そして……三つ目。傘の骨組みと柄に描かれていた暗号について。
「実は、もう解読は済んでいるんだ。例の鋏の双子に襲われてから、ずっと調べていたからね」
「え?襲われたって……」
そっか。昨夜、マシロという女性がミホ先輩を異様に嫌っていたのは、そういうことだったのか。
「ついでに、言っておくとね。そのとき、どさくさに紛れて、双子に発信機を仕込ませたんだ。君たちを助けることができたのは、そういうことさ。まあ、既に気づかれて捨てられたようだがね」
……偶然じゃなかったんだ。ミホ先輩は双子を監視していて、その先で、私たちを見つけた。
「話を戻そう。肝心の暗号の内容だが、書かれていたのはたった一言。”願いが叶う”。……それだけさ」
「願いが叶う?」
「ああ。古今東西、人を狂わせるには十分すぎる言葉だ。おそらく、あの鋏の双子の狙いはコレだろうね」
ミホ先輩は悪戯っぽく笑い、肩を竦めた。
「まったく……どこで痣付きが複数人いると知ったのかは知らないが、発現条件も代価もわからないのに襲い掛かるなんて、愚直にもほどがあるよ。未知の現象なんてものは、こちらが思っている以上に性格が悪いからね。観測し情報を集め、仮説を立て、検証してから行動を取るべきで……」
何か思うところがあるのか、半分愚痴のようになっているミホ先輩の言葉は、しばらく止まる気配がなかった。
……願いが叶う、か。
その響きは、確かに甘い。
けれどそれ以上に、ぞくりとするような、得体の知れなさの方が勝る。
映画や小説でそういう展開はよく見かけるけど、願望機なんてものは大抵、碌なものじゃなかった。
……いや。それでも……僅かな可能性であっても、それに縋りたいと思う人がいるのは、何もおかしいことじゃない。
むしろ、そういう人は何をしてくるかわからない危うさがある。
そういう危ない人の手に渡るくらいなら、いっそのこと私が……なんて思うのは、烏滸がましいだろうか。
結論から言えば、変身能力についてわかったことは、このくらいだった。
夜まで実験しても、この奇妙な出来事の全貌はわからないのか……と、個人的には、落胆の気持ちでいっぱいだった。
しかし、ミホ先輩は未知の探求を何よりの幸福としているらしく、この結果を受けてとても歓喜し、はしゃいでいた。
まるで、おもちゃを与えられた子供のようで、微笑ましかった。
「いやぁ。それにしても、アイリは素晴らしいね。逸材だ。ずっと手元に置いておきたいよ」
彼女の好奇心の対象は、変身能力だけではない。
アイリ個人にも矛先が向いていた。
何を隠そう、アイリは身体検査中に、ラボ内の器具にいくつかの異変を生じさせてしまったのだ。
ミホ先輩は即座に、この原因がアイリの問題であることを指摘した。
私はアイリの素性を隠しつつ、先日、警察官のチップ読み取り機を破壊してしまったことを彼女に伝えた。
それを聞いたココナさんは、後ろから私の両肩を優しく支えながら、「コイツ、違法チップでも取り込んでるんじゃないの?」とアイリを睨みつけていた。
その疑問に答えるように、ミホ先輩は顎に手を当てて唸り声をあげる。
「神の技術を転用しているとはいえ、機械というものは総じて壊れるものさ。最高傑作の557号機でも、稀に発生するからね。とはいえ、珍しい事象ではある」
最高傑作。
そう言われて、ココナさんは自慢気に鼻を鳴らす。
私はどうしても気になって、ミホ先輩に尋ねた。
「あの。ココナさんって、どうやって作られたんですか?その……」
「それは、技術的な話かい?それとも、開発経緯の話かい?」
返答に困っていると、ミホ先輩はニコリと微笑んでコーヒーを口にした。
「基本的に企業製アンドロイドは、外観が人間に見えれば十分なんだ。二足歩行かつ顔と髪と肌があればそれでいい。まあ、安定性や整備性、量産性を優先した結果とも言えるね」
どこか見下すような口調なのが気になったが、特に何も言わず黙って話を聞く。
「私はその辺りをほとんど無視した。人間の動作というのは皮膚、筋肉、骨格、姿勢制御、視線制御の複合現象で成り立っているから、そこを突き詰めたんだ。そして、人間としての再現精度を上げ続けた結果、557号機が生まれたというわけさ」
「な、なるほど……?じゃあ、ココナさんの性格も、その再現精度を上げたことで生まれたっていうことですか?」
「いや違う。私は土台となる認知基盤を実装しただけだよ。557号機の思考は、長期間の自己学習によって形成された価値体系や判断基準。そして、蓄積された経験を基にした演算結果によるものだ。つまり、557号機の人格は彼女自身のものということさ」
「…………」
言っていることの半分もわからなかったけど、とりあえず、ココナさんの性格や口調はプログラムされたものではない。という理解で大丈夫そうだ。
「何はともあれ、無事に実験が済んでよかったよ。それにしても、アイリの身体は本当に興味深いね」
「わたし、すごいってこと?」
「ああ、そうだよ。すごい」
「わーい!」
労いとして頂いた高級プリンを口にしながら、アイリは嬉しそうにミホ先輩に近づき、頭を委ねた。
どうやら今回の件で、かなり心を開いたようだ。
一方ココナさんは、一歩離れたところでチラチラとアイリを見ては、不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。
嫉妬している……わけではなさそう。どちらかというと、不審や警戒に近いような……?
「よければ、君たちとは今後とも友好的な関係を築いていきたい。ナナは学生の身分だから……そだな。さっそく明日から毎日、このラボを訪れるのはどうだろう?」
ミホ先輩はアイリの頭を撫でながら、私の顔を見る。
正直、とても魅力的な提案だった。
ミホ先輩もココナさんも良い人そうだし、アイリも懐いている。
それに、変身能力やアイリのことについて知りたいという気持ちは大いにある。
二つ返事で了承してもいいかもしれない。
「わかりました」──その言葉が喉まで出かかって、すぐに飲み込む。
「……その前に一つ、聞いてもらいたいことがあるんですけど、いいですか?」
「ん?もちろん、構わないよ」
「ありがとうございます。その……実は今回の件、既に別の人たちに話しているんです。だから、私とアイリだけじゃなくて、その人たちに相談……というか、一言伝えてからでもいいですか?」
仲氏さんとライラさんに内緒で、ミホ先輩と深く関わり始めるのはよくない。……そう思った。
単純に、隠し続ける自信がないというのもある。
けどそれ以上に、何も言わずに関係を結ぶのは不義理だと判断した。
それに、できれば遺物の件は、全員が対立することなく力を合わせて解決していきたい。
双子に襲われたときだって大変だったのに、これ以上厄介な争いごとは起こしたくなかった。
「へぇ、先客がいたのか。では参考までに、その別の人たちとやらの名前を聞いておこう」
「あ、はい。ええと、主体的に動いてくれているのは、DEMs所属のライラ……」
「待ちたまえ」
一瞬にして、ミホ先輩の声が、態度が、変貌した。
アイリを撫でる手を止め、険しい顔で私の目を見る。
今までのおっとりとした余裕が、すっぽりと抜け落ちていた。
「ライラというのは……まさか、ライラ・ロストーリ・ノースシュタインのことかい?」
「は、はい。ミホ先輩、ご存じなんですか?」
その剣幕に戸惑いつつ、あくまで穏やかに尋ねる。
けれど、重苦しい雰囲気が変わることはなかった。
「すまない。今すぐ帰ってくれ」
「え……い、今、何て……?」
本当は、彼女がどんな言葉を発したのか、わかっていた。
それでも、聞き返さずにはいられなかった。
「ああ、誤解しないでほしい」
ミホ先輩がふっと息を吐いた瞬間、先ほどまでの調子に戻った。
それなのに、目の奥は笑っていなかった。
「別に、君たちのことを嫌いになったわけじゃない。出会ったことも実験のことも後悔していない。更に言えば、敵対するつもりも一切ない。それだけは、信じてほしい」
ただ……と、ミホさんは続ける。
「……君たちとこれ以上関わるわけにはいかなくなった。それだけの話だ」
「り、理由になっていません!私、何か失礼なことしましたか?」
「557号機。今すぐ、彼女たちを家まで送ってやってくれ」
ミホ先輩は私の問いには答えず、手を叩いてココナさんを呼ぶ。
ココナさんは大きく深い溜め息を吐いて、私とアイリの腕を掴んだ。
アンドロイドなだけあって、ココナさんはとても力強い。
抵抗虚しく、私たちはズルズルとラボの外に引っ張り出された。
「ミ、ミホ先輩!」
必死に名前を呼んだが、もう、取りつく島もなかった。
ミホ先輩は、思い詰めたように床を見つめている。
その視線には寂しさが見え隠れしているような気がした。
私はラボの扉が閉まるまで、その姿を見つめ続けたのだった。
ココナさんの先導で、夜道をとぼとぼと歩く。
アイリは眠たそうに瞼を擦りながら、私の手を握っていた。
「あの……ココナさん。ミホ先輩は、どうして急に」
彼女が答えてくれる保証はない。でも、どうしても気になって仕方がなかった。
すると、ココナさんは前を向いたまま、独り言のように呟いた。
「ミホはね、DEMsが嫌いなのよ」
「え、DEMsが?……どうして」
「アタシが生まれたばっかの頃に、何か一悶着あったみたいなの。詳しいことは聞かされてないけど……とにかく、アイツにとってDEMsっていうワードは禁句なのよ」
「…………」
私の判断は、間違っていたのだろうか。
仲氏さんにもライラさんにも内緒で、ミホ先輩と関係を築いた方が良かったというの?
……ダメだ。そうなると、バレたときにミホ先輩からの信用もなくしてしまう。
DEMsの人間と関わりがあったと知られれば、なおのこと……。
つまり、私にはどうすることもできなかったのだ。
そう自分に言い聞かせることで、ほんの少しだけ罪悪感や後悔が薄まった気がした。
すると、私の心情を察したのか、ココナさんは歩くスピードを遅めて、私の背中にそっと触れる。
「道具の変身とか、願いが叶うの暗号とか。それらの内容をライラとかいう女に言うかどうかは、ナナに任せるわ」
「い、いいの?」
「当たり前よ。ミホにもアタシにも、それを止める権利はないもの。それに、さっきミホが言ってたでしょ。私たちは、ナナと敵対するつもりはないの」
突き放すような、サッパリとした言い方だったけど、言葉に一切棘はなかった。
むしろ、彼女の優しさが内包されている気がして、気持ちが和らぐ。
やがて、見慣れた我が家の灯りが見えてきた。
人間に近い見た目とはいえ、ココナさんと一緒にいられるところを両親に見られては都合が悪い。
一度帰宅したときに教えていたので、ココナさんもそれはわかっていた。
「じゃあ、アタシはここまでね。気を付けて帰るのよ」
そう告げると、ココナさんはくるりと踵を返す。しかし、すぐにこちらを振り向いた。
「ねえ、アイリ。アンタ」
「ふぇ……?」
寝ぼけ眼のアイリを睨みつけながら、大股で近づく。
そして、アイリの両肩を掴んで、軽く揺さぶった。
「アンタが何者なのかは知らないけど、さっさと成長しなさいよね!そんなんじゃ、いつまで経ってもナナのこと守れないわよ!」
「うわ~!?な、なに~!?」
「コ、ココナさん!ストップ、ストップ!落ち着いてください!」
ぐわんぐわんとアイリの身体を上下させるココナさんを、後ろから羽交い絞めにする。
力では完全にこちらが負けていたけど、私が触れたことでココナさんは冷静さを取り戻したようだ。
「……ナナ。アタシ、アンタのことは好きだけど、アイリのことは嫌いよ。見ててイライラする。同族嫌悪……じゃないけど、昔のアタシを見ているみたいっていうか」
ココナさんはアイリに謝ることなく、今度こそ背中を向ける。
そして駆け足で、夜の闇へと消えていった。
思わず、アイリと顔が合う。お互いに口をポカンと開けていて、それがどこかおかしかった。
嫌いと彼女は言ったけど、むしろ、ココナさんの言葉にはエールのようなものを感じられた。
やっぱり、ココナさんは優しい。
そして、優しいのはミホ先輩もだ。
確かな根拠なんて何もないけど。その時の私は、そう思ったのだった。
+++
「仲氏アキラ警部補」
警察署の小会議室。冷たい蛍光灯の下で、上司の声がねっとりと纏わりついた。
「つまり、こう言いたいわけね?貴女の担当端末が突然ショートして、使い物にならなくなった。修理に出したら、技術部から原因不明という報告が上がった、と」
「はい、その通りです」
私は真っ直ぐに上司を見て、そう告げる。
拳と足が震え始めているのは、恐怖ではなく怒りが原因だろう。
あの日は、巡回の途中だった。
チップを持たない女子高生と、二十代前半くらいの女性。
後者のチップを読み取ろうと端末を翳した瞬間、火花が散って、視界が暗転した。
気が付いたら地面に倒れていて、二人の姿はどこにも見当たらなかった。
警察官にとって、ありえない失態だった。しかし、上司が問題視しているのはそこではない。
「あのねぇ。この機械は製造以来、一度も故障例がないの。あの日賀志先生が原案なのよ?」
上司は両手で頭を抱えて、長い溜め息を吐く。
つまり、彼女はこう言いたいのだ。
機器の不具合は私の操作ミスか、虚偽の報告であると。
……いや。正確には、それで済ませたがっている。
騒ぎにしたくないのか、機器の新調が面倒なのか……私の言い分よりも、日賀志先生の名前の方を信用しているのか。真意は定かではない。
――日賀志ミホ。その名前は、警察官なら誰もが知っている。
姿を見た者は一人もいないけど、その頭脳と技術力の多くが、この国の治安システムの根幹を支えている。
天才なんて言葉じゃ生ぬるい。実はDEMsの一員なのではないか、という噂まで立つほどだ
「いい?この件については、もう忘れなさい。端末の不具合はこっちで適当に処理しておくから。貴女は余計な事を考えず、職務に戻ること。わかった?」
反論したい気持ちでいっぱいだった。でも私は、力なく頷くしかなかった。
帰路につく頃には、もう、苛立ちやモヤモヤはすっかり収まっていた。大人とはこういうものだ。
端末が壊れたのは、やはり私の操作ミスだったのだろう。
決して、あの青髪の女性のチップが特別だったとか、そういうわけではない。
そう思い込んでしまえば、楽だった。
家でお酒でも飲んで、忘れてしまおう。妙な引っ掛かりも、なかったことにしてしまおう。
「……ただいま」
小さな声で呟く。当然、返事はない。シーカは既に寝ている時間だ。
薄暗い玄関を進んで、リビングの照明をつける。
すると、寝床で丸まっていたレノが、のそりと顔を上げて、
「わん」
と控えめに吠えた。私は疲れた身体を引きずって、レノに近寄る。
とても良い子だけど、シーカが私よりもレノに心を許していることについては、少しだけジェラシーを感じている。
けれど、その責任は私にある。そもそも、犬に嫉妬するなんてみっともない。
そんな私の気持ちを知る由もないレノは、しっぽをゆっくりと振りながら近づき、ころんとお腹を見せた。
思わず笑みがこぼれる。撫でてやろうと、屈み込んだ……その時だった。
お腹に、何かが刻まれている。
ハートを模した、錠前のようなペイント。……いや。これは痣……?というかこれ、どこかで……。
「……あ」
心臓が跳ねる。
あの日、見たものと同じだ。
職質のときに出会った。謎の女性。
端末機器の破壊の原因となった、長い青髪。チップを持たない子と一緒にいた、あの。
「……………………」
レノのお腹を撫でながら、じっくりと痣を確認する。形も色も、間違いなく同じだ。
考えれば考えるほど、手が震えた。額に冷や汗が垂れた。
これは偶然?……そんなわけない。あの女性と、レノ。何の接点もないはずなのに、同じ模様。
――おかしい。何かが、絶対におかしい。
「日賀志先生のシステムに、不具合があるわけがない」
私は、上司が言っていた言葉を反芻する。口にして初めて、別の可能性が浮上した。
問題は機器側ではない。
ということはつまり、青髪の女性が、その最上級のシステムを越えるナニカだった……そういう発想はできないだろうか。
私は、思わずその場に立ち上がる。レノはお腹を見せたまま、不思議そうにこちらを見ていた。
「……調べなきゃ」
警察官の勘なんて、そんな立派なものじゃない。
ただ、母親としての……一人の人間としての直感だった。
彼女と痣を、このまま放置してはいけない。彼女と痣の正体を突き止めなければならない。
とはいえ、署は頼れない。上はこの件をなかったことにしたがっている。
でっち上げて無理やり指名手配するにしても、チップを読み取れなかった以上、青髪女性に関する情報が一切ない。
せいぜい、私の記憶にある、姿格好だけだ。
それだけ指名手配にするのは不自然だ。却下されるに決まっている。
日賀志先生に問い合わせる?……論外だ。あの方とコンタクトを取る手段なんて、私のような立場の者には与えられていない。
だったら……個人で動くしかない。私は家に備えつけらえている端末機器を操作し、匿名掲示板を開いた。
玉石混交のコミュニティーに放り投げるのは抵抗があったけど、警察を頼れない以上、今の私が思いつくのはこのくらいしかなかった。
タブレット用のペンを握り、記憶を手繰る。
すらりとした姿、大人びた顔立ち。長い睫毛と髪の毛。そして、透き通る海のような瞳。
「っ……うーん……」
我ながら、画力が壊滅的だった。
何度描いても、記憶通りの外見が出力されない。
輪郭は歪み、目は左右でちぐはぐ。似顔絵というよりも、子供の落書きだった。
AIを使って画像生成を試みても、いまいちあの女性には近づかない。
もっと、厳かさと清純さ、そして無垢さが、ちょうどよいバランスで組み合わさっているような……。
結局、一時間ばかり格闘して、なんとかそれらしい一枚を仕上げる。
「……まあ、雰囲気は伝わるでしょう」
我ながら、苦しい言い訳だった。
しかし、仕事終わりということもあり、心身共に疲労もピークで、徐々に睡魔も襲ってきた。
ここらが潮時か……。
「この子を探しています。心当たりのある人はいますか」と、短い文を添え、下手くそな似顔絵を電子の海に投げた。
正直、とても頼りない餌だった。
でも、誰か一人でも引っかかってくれれば、それでいい。少しでもいいから、情報が欲しかった。
もしかしたら、徒労に終わるかもしれない。
しかし、そうなったらそうなったで構わない。私の考えすぎということもあり得るのだから。
……瞼が重い。今日は寝よう。掲示板の内容は、後日、確認して……。
机に突っ伏したまま、私は眠りに着く。
ちょうど同じタイミングで、既読が一件付いたのだが、それに気づいたのは翌日の夜だった。




