第二十一話 交渉の果て
『貴様らの話には、前提に誤りがある』
その響きは、意外なほど落ち着いていた。
ライラさんとミホ先輩が見つけた、誰も犠牲にしないアイデア。
そして、DEMsにとっての汚点。
それをぶつけても、DEMsのお偉いさん達は、平然としていた。
さっきまでの動揺が、嘘だったみたいに。
ハッ、と、鼻を鳴らしたあと、別の声の主は、不遜な態度でこう言った。
『遺物を神のもとへ返す。その筋書きを、我らが受け入れるとでも思っているのか』
私には、言っている意味がわからなかった。
「わ、わかっていますよね。アイリがこのまま、役目を全うしなければ……世界中の機械が、チップを持つ人々が、おかしくなってしまうかもしれないんですよ」
つい、私は震えた声で、こんなことを口にしてしまっていた。
それを聞いたDEMsは、またしても、くだらない質問かのように、鼻を鳴らした。
『それは、あくまで可能性であろう。神経由の不具合には、別の要因があるやもしれぬではないか』
『遺物は、神に近づくための、またとない手がかりだ。それを、みすみす神に返還するなど、口惜しいにもほどがある』
『つまり、我らにとっては、何の利もないということだ。協力する道理がどこにある』
そんな……自分達にも影響があるかもしれないのに、どうして切り捨ててしまうんだろう。
DEMsに深く根付く、利己的な性格をまざまざと見せつけられたような気がした。
それほど、自分たちの技術にプライドがあるのか……それとも、追求心が強いのか。
『それに、だ。考えてもみよ。神がこの星を去れば、どうなる』
奥まで続く闇が、ゆらりと揺れた気がした。
『今の地球の繁栄は、神がもたらした技術の上に成り立っている。神が去れば、その恩恵も絶たれる。人類が自力で、今の文明を維持できるわけがない。緩やかに衰退していくだけだ』
『その断絶を防ぐのも我らの務め。神をこの星に留め置くこと。それもまた、DEMsの重要な使命だ。──理解したかね。我らは、人類全体の未来を背負っている』
「………………」
もっともらしい、DEMs側の言い分。
けれどその声には、どこか芯のない白々しさが滲んでいた。
「あらあら。随分とご立派ですこと」
その違和感をはっきり言葉にしたのは、ライラさんだった。
彼女の涼やかな声は、闇の中の声を掻き消す。
「人類の未来? 文明の維持? よくもまあ、そんな綺麗事を並べられますわね。本当のところは、もっと単純なんじゃありませんの」
ライラさんは、すっと目を細める。そして、闇に向かって指を指した。
「神がいなくなれば、DEMsの役割もなくなる。拠りどころが消えてしまう。……要するに、貴方方はただ、職を失うのが怖いだけ」
『黙れ、小娘が』
初めて聞く、怒気を帯びた声色。
ドンドンと鳴っているのは、地団駄か、机を叩く音か。
『事の重大さを、何もわかっておらぬようだな。いいか。DEMsが役目を終えれば、職を失うのは、ノースシュタイン。貴様もだ』
「…………」
『貴様のその立場、貴様が養う家族、大勢の侍女共、豪勢な屋敷。……DEMsが用済みになれば、何もかも失うのだぞ。それでもなお、我らに楯突くというのか』
その言葉に、私は息を呑んだ。
……そうだ、どうして今まで気づかなかったんだろう。
ライラさんはDEMsの一員でありながら、DEMsに楯突いているのだ。
そして、闇の声の言う通り、神がいなくなったら、ライラさんの今の生活は立ち行かなくなる。
ライラさんは、自分の全てを投げ打ってまで、誰も犠牲にしない方法を突きつけた。
その重い意志に、私は、どう報いればいいのか、わからなかった。
……けれど。
「ええ。無論、承知の上ですわ」
その声に、迷いはなかった。
ライラさんはくつくつと笑って、DEMsの懸念や、私の不安を払い除けてみせたのだ。
「そんなこと、全て受け入れておりますわ。まさか、そんな覚悟もなくここに立っているとお思い?」
線の細い、小さな背中。
私にはそれが、とても大きく、頼もしいものに見えた。
凛とした、少しも怯まない態度。
ライラさんはそれを崩さずに、更なる追い打ちをかける。
「とはいえ、私としても、DEMsを困らせたいわけではありません。貴方方の言い分も一理ありますものね。……ですから、取引をいたしましょう」
『取引、だと』
「ええ。まず、貴方方が懸念している、DEMsの縮小について」
ライラさんは、ピシッと、一本指を立てる。
「そもそもの話ですが、神の寄生が終わったとて、これまで神がもたらした技術が、全て消えてなくなるわけではありません。そうですわよね?」
『……………………』
「うん、そうだね。確かに神の電波信号を直接受け取ってやりとりしている機械も多くあるが、ほとんどは、切り離されて活用しているものばかりだ」
DEMsの代わりに、ミホ先輩が答えてくれた。
確かに、授業で聞いたことがある話だ。
「更なる発展ではなく、現状維持。そちらに注力する方向性であれば、全員がいきなり職や立場を失うことにはなりませんわよね?」
ライラさんは「まあ、多少の縮小は免れませんでしょうけれど」と、付け足す。
『……だがしかし、社会の発展は我々の務めであり……』
「でしたら、日賀志ミホ博士の技術を、DEMsに貸し付けるのはいかがかしら?」
「……えっ?」
思わず、素っ頓狂な声が漏れる。
咳払いをして、無かったことにしようとした。
ミホ先輩は、DEMsに対してかなりの嫌悪感を抱いているはずだ。
それなのに、勝手にこんなことを……。
恐る恐る、ホログラムを見やる。
そこに映るミホ先輩の顔は、至って冷静で、落ち着いていた。
「神の代わりとは申しませんけれど、この方の頭脳は、神の叡智にも引けを取りませんわ。現に、DEMsの電波防壁すらたやすく破ってみせた。それだけの知見が手に入るのですから、悪い話ではないはずですわよね」
『──日賀志ミホ』
闇の声が訝しげに言う。ミホ先輩は、キョトンと首を傾げた。
『過去の遺恨を、流すというのか。あれだけのことがあったというのに』
「まあね」
画面の中のミホ先輩は、深く溜め息を吐く。
そして、手元にあるコーヒーを飲み干した。
「……言っておくが、君たちにやられたことは一生忘れない。ただ、合理的に考えれば、啀み合ったままでいるのは、色々と不都合なのさ」
許すとも、許さないとも言わずに。苦々しげにそう吐き捨てる。
それ以上は、何も語ろうとしなかった。
「そして、もう一つ」
ライラさんは、二本目の指を立たせる。
「アイリ──遺物の身柄を、DEMsにお渡しいたしますわ」
私の中の時間が、ピタリと止まった気がした。
ライラさんが何を言っているのか、全く理解できなかった。
「アイリは権限を手放せば、本来の宇宙人の姿に戻るはずです。それは、神の力を宿していた、稀有な研究対象。神は去っても、この身柄は地球に残ります。貴方方の知的好奇心を満たすには、十分すぎる話かと思いますわ」
『ほう』
やりとりについていけず、頭が真っ白になる。
自然と、私の視線は、アイリへと移った。
彼女は、至って平然としていた。私の方など見向きもせずに、ただ、真っ直ぐ前を見据えている。
覚悟の決まった、淡々とした顔──なんで。なんで、そんな顔ができるの。
「ラ、ライラ、さん……それ、どういう……」
ようやく、声を上げることができた。
ライラさんもまた、私の顔を見ていない。こちらに背中を向けたまま、申し訳なさそうに呟いた。
「黙っていて、ごめんなさい。実はこの件、すでにアイリと話をつけておりますの」
「ど……どうして」
「そんなこと、わかるでしょ」
ライラさんの言葉を奪ったのは、アイリだった。
久しぶりに聞いた彼女の声は、相変わらず大人びていて、綺麗だった。
「ナナに話せば、絶対に反対される。だから、私の方からライラにお願いしたの。……研究対象として地球に残るのだって、私の方から提案した」
「そんな……っ。駄目、だよ。そんなの……!」
私は必死に食い下がる。けれど、これ以上、アイリは何も話そうとはしなかった。
アイリを、こんな組織に渡すなんて……研究対象として縛りつけるなんて、許せるはずがない。
DEMsの偉い人と関わって、よくわかった。
彼らは、自分たちの大義の為なら、技術を奪い、他人を顧みないような連中だ。
そんな人たちの元に置かれてしまえば、何をされるか、わかったものじゃない。
「お気持ちは、わかりますわ。けれど、ナナさん。よくお聞きなさい」
沈黙を破り、ライラさんが静かに告げる。
「アイリが宇宙人の姿に戻れば、何が起こるか、わかりませんのよ」
「あ……」
「人間の言葉は、話せなくなるでしょう。地球の食事が、その体に合うかもわからない。空気や気温にすら、耐えられない可能性もある。どれほど過酷な暮らしになるか。誰にも見当がつきませんの」
考えてもみなかった。ただ、研究対象にされる、ということしか……。
……ライラさんの言う通りだ。人間でなくなったアイリが、この地球でどんなふうに生きていくのか。
生きているだけで、苦しいような毎日に、なるのかもしれない。
そこまで見据えた上で。アイリは、その運命を受け入れたんだ。
DEMsほどの技術力なら、自身を生き永らえさせることができるはず、と。
私は、もう一度アイリを見た。
アイリはやっぱり、こちらを見ない。何も言わない。
ただ静かに、前を見据えている。
しかし、その横顔が、全てを物語っていた。
どんな過酷な未来が待っていようと、自分が引き受ける。みんなを、誰も犠牲にしないために。
アイリは自分の意思で、自分の運命を決めてしまった。
私の知らないところで、一人で背負って。
そう思うと、何の用意もせずにここまで来た私が、情けなくて、悔しくて……涙が滲みそうになった。
しかし、それをぐっと堪える。
ここで取り乱してはいけない。
アイリの覚悟は、無駄してはならない。
私は唇を噛んで、ライラさんの背中を見つめた。
『……ふむ』
室内に、長い沈黙が流れた。
姿なき声たちが、互いに何かを計っているような、重い間。
『いいだろう』
ややあって、声が響き渡った。
『その取引、検討するに値する。神を留め置くことに固執するより、日賀志ミホの技術と、宇宙人の身柄。そちらのほうが、確かに、実りは大きいやもしれぬ』
痛む胸を、ホッと撫で下ろそうとした……そのときだった。
『だが、足りぬ』
別の声の主が、ハッキリと、こう言った。
『宇宙人一体と、技術の貸し出し。それだけで、我らが追い求めてきた神を、手放せと? 話にならぬ。もっと寄越せ。研究の材料を、もっとだ』
『そうだ。神を失う痛手は、その程度では、到底埋まらぬ。さらなる対価を示せ。でなければ、首は縦に振らぬ』
……そんな……。
欲深い声たちが、口々に喚き立てる。
もっと、もっと、と。際限なく貪ろうとする。これ以上、一体、何を寄越せというのだろうか。
ライラさんは、拳を強く握り締めている。
ミホ先輩も、画面の向こうで苦い顔をしていた。
言葉に詰まっている二人を見て、私は察する。
多分、もう、手札は出し尽くしている。
このままじゃ、アイリの覚悟も、ライラさんの覚悟も、皆の想いも。
この強欲な声たちの前で、宙に溶けて消えてしまう。
……それなら、私が。
私にも、差し出せるものが、あるはずだ。
アイリだけに、全て背負わせてたまるか。
足が震える。手が震える。吐き気がする。
それでも私は顔を上げて、一歩、前へと踏み出した。
「──では。私も、その研究材料とやらにお使いください」
自分の声は、思いのほか大きく響いた。
闇の中の人たちも含めて、ここにいる全員が、私に注目している。
そう思うと、視界が歪んで、立っていられなくなりそうだった。
「ナ、ナナ……?」
ライラさんはそんな私の手を掴んだ。大きな目を、まん丸に見開いている。
スカイさんも、ミホ先輩も、ポカンと口を開けて、こちらを見ていた。
……アイリ。
それまで、頑なに私のほうを見なかったアイリが、初めて、こちらを向いていた。
サファイアのような瞳には、明らかに動揺の色が浮かんでいる。
『正気か』
ようやく聞こえた闇の中の声は、非常に冷ややかなものだった。
『ノースシュタイン嬢から聞いている。貴殿は生まれてこのかた、神の恩恵から外れて生きてきた、ごく平凡な個体だ。そのような者に、研究上の価値があるとでも思っているのか』
予想どおりの反応だった。
私は、ごくりと唾を飲み込む。
…
…怖い。顔も見えない、得体の知れない存在に、たった一人で楯突くなんて。
心臓が、痛いくらいに、早鐘を打っている。
手のひらには、じっとり汗がにじんでいた。
——でも、ここで引いたら、終わりだ。
私はありったけの勇気をかき集めて。
わざと、挑発するように、唇の端を吊り上げた。
「本当に、そうでしょうか」
『何?』
「あれ、変ですね。世界の叡智を、結集しているはずのDEMsの皆さんが、こんな単純なことにも、お気づきにならないなんて。少し、がっかりしました」
自分でも、信じられなかった。こんな、人を見下すような物言い。
今までに発したことのない、侮蔑や嘲笑が混ざったような、言葉遣い。
それでも、口は止まらなかった。
今だけは、臆病な自分の殻を、脱ぎ捨てなきゃいけない。
「逆なんですよ。神の技術に、ただの一度も触れていない人間……それはつまり、私が、神の干渉をまったく受けていない、まっさらな個体だっていうことです」
私は息継ぎの間も惜しんで、畳み掛ける。
「私ほど、うってつけの対照は、ないと思いますけど。今のこの世界、生まれた瞬間からチップを埋め込んだ人間ばかり。私みたいな個体は、もう、ほとんど残っていないんですよ」
相手に、冷静に考える隙を、与えないように。
早く、早く。判断を急がせるように。
「私のような人間が、こうして、自ら研究材料として歩み寄る。こんな機会、二度とないかもしれませんよ。なんなら、今すぐこの場で、チップでも何でも埋め込んで、貴重なサンプルであることを捨ててもいいんですよ」
本来は、チップを入れられることも。身体を、調べ尽くされることも。
想像しただけで、怖くて、たまらなかった。
それでも、私は、笑ってみせた。
少しでも恐怖が滲み出てしまえば、そこを突かれて、今度こそ終わりだ。
自分の心を、必死に奥へ押し込める。
『ふむ……』
闇の声が、微かな興味を滲ませた。
手応えを感じた私は、ここぞとばかりに、最後の一押しを放つことにした。
「それに、もう一つ。とっておきの話があります」
ひと呼吸置く。声が震えないように、握った手に力を入れる。
「私は過去、遺物に──アイリに、意識を乗っ取られたことがあるんです」
『何だと』
「事実です。幼い頃、私は、何度も意識が途切れて、入院していました。原因不明、ということになっていた。——でも、本当は違ったんです。あのとき、私の中にはアイリがいた。遺物に入り込まれていたんですよ。チップなんて介さずに。意識を丸ごと」
私の言葉に、闇の声たちが、ざわざわと、どよめいていた。
誰の目にも明らかなほど、食いついている。
「記録としては、何も残っていないかもしれません。でも、私の身体を調べれば、遺物に干渉された痕跡の一つや二つ、見つかるかもしれません。神を長年研究してきた、あなた方の技術力なら。それくらいの解析、造作もないでしょう?」
どうですか。喉から手が出るほど、欲しいでしょう。
そう、心の中で、挑発する。
神の干渉を、一切受けていない、まっさらな個体。
そのうえ、遺物に、直接意識を乗っ取られた経験を持つ、稀有な人間。
研究対象として、これ以上のものなんて、そうそう、あるはずがない。
だから、賭けに出たのだ。
闇の声たちは、何も答えない。けれど、私にはわかっていた。
その沈黙こそが、何よりの答えだということを。
明らかに、心を動かされている。
目の前にぶら下げられた餌に、手を伸ばすかどうか。今、必死に、計っている。
──お願い。乗って。早く。
私は、必死に、平静を装いながら。
内心では、祈るような気持ちで、その答えを、待ち続けた。
膝が、今にも笑いだしそうだった。
それを、悟られないように。ただ真っ直ぐに、闇の中を見つめ続けた。
『私はこの取引、乗っても良いと思います』
それは、今までに聞いたことのない、穏やかな口調だった。
荘厳さも、横柄さも何もない、のんびりとした、おばあちゃんみたいな声。
思わず、全身の気が抜ける。
他の声たちは『考え直しください』、『良いのですか』と、へりくだった言葉を挙げていった。
『勿論、構成員全員の意見は尊重致します。多少、取引の内容が異なることになるかもしれませんが、全面的に、ライラさんの条件を飲むことを約束しましょう』
まだまだ、闇の中の声のざわめきは止まらない。
でも、そこに、反抗や反論のような声は、何一つなかった。
『では手始めに、こちらから一つ提案をしてもいいでしょうか』
おばあちゃんみたいな声は、先ほどよりも大きくなってきていた。
加えて、コツコツという、足音も聞こえ始める。ライラさんが身構えた、そのとき。
暗闇から、一人の老女が姿を現した。
綺麗な白髪と、皺の深い顔。
凛とした佇まいに、私の背筋が無意識に伸びる。
聡明そうな老女は、手元の小さな機械を操作した。
すると、闇の中からの声が消え、ざわめきがパタリと聞こえなくなる。
「お久しぶりです、ジハイルさん」
ライラさんが、敬語を使った。
その事実に驚きを隠せずにいると、いつの間にか隣にいたスカイさんが、コッソリと耳打ちした。
「彼女はDEMsの最高責任者であり、創設者。ジハイル様です。ライラ様でも、先ほどのお偉い方でも頭が上がりません」
「え……そ、創設者!? DEMsが創設されたのって、七十年前とかですよね!?」
「はい。ジハイル様は、美魔女にございます」
いや、美人さもそうだけど……自分の足で歩けて、腰も曲がってない、言葉もハキハキとした、七十歳以上のおばあちゃんなんて、今まで見たことがない。
じっとジハイルさんを見ていると、ふと、目が合った。
ニコリと微笑んだときに見えた歯は、真っ白で健康的だった。
「それで……提案とは、何でしょうか」
「そんなに緊張しないでください、ライラさん」
ジハイルさんはそう言うと、アイリの傍に近寄って、背中に触れる。
アイリは戸惑いつつも、彼女の行為を受け入れた。
「アイリさん。そして、ナナさん。お二人の管理と研究の差配。それらを全て、ライラ・ロストーリ・ノースシュタインに一任致します」
「そ……それは、本当ですか?」
「私は嘘は吐きません。それに、ライラさんはDEMsの一員であり上層部でもある。貴重な研究対象の管理を任せるのは、至極当然のことだと思います」
ジハイルさんは「勿論、成果は、きちんと共有してくださいね」と付け足して、ウインクをする。
そこで私は、ようやく気づく。
ライラさんを経由して、DEMsとやり取りをする……実質的には、現状と、何ら変わらない。
つまり、私たちは今まで通り、非人道的な目に遭うことなく、過ごしていけるということだ。
「それから、日賀志ミホさん。貴女の大切な557-2号機を強奪した件、大変申し訳ありませんでした」
ジハイルさんは浮かび上がるホログラムに向かって、深々と頭を下げる。
しかし、ミホ先輩はいつも通り、飄々とした態度で口を開く。
「アイリとナナを任せることになった以上、今更DEMsを告発することはできないさ。目を瞑るよ。許すつもりはないけどね」
「はい。許されるとは思っていません。ですから、せめてもの償いとして、ライラさんと同等の権限を貴女に与えます」
「……へぇ、いいのかい。試験すら受けていないのにそんなことをしたら、他の構成員たちが黙っていないんじゃないかい?」
「特別待遇として認めさせます。勿論、DEMsの全構成員に、557-2号機の件を共有したうえで」
「ふぅん。まあ、それは願ったり叶ったりではあるね。何より、DEMs製の機械を自由に使えるというのが良い」
ミホ先輩は満足そうな笑みを浮かべて、ウンウンと首を縦に振る。
ただでさえ天才のミホ先輩が、DEMsの天才的な技術を使うことになったら、どんな凄い化学反応が起こるんだろう。
そう思うと、心が弾んだ。
「私から言いたいことは、とりあえず以上です。ライラさんから、何かありますか?」
「……いえ、ありません。配慮していただき、ありがとうございます」
ライラさんは、ジハイルさんに向かって頭を下げる。
いつもの優雅さはなく、まるで社会人みたいな礼儀正しさだった。
「顔を上げてください」
ジハイルさんは、ライラさんの肩に触れる。
その表情こそ穏かだったものの、眼光はとても鋭く、誰よりも真剣だった。
「貴女は……いえ。貴女方は、未知の出来事に果敢に立ち向かい、被害を最小限に抑えたうえで、最良の結果をもたらしたのです。この処遇は至って当然ですよ」
その言葉を聞いて、私は、何故か、目頭から涙が溢れ出した。
アイリや、ライラさんたちと関わったこと。
遺物の力と、願いを叶えるという文言に振り回されたこと。
苦手なこととも立ち向かって、色んな人とぶつかり合って、ここまできたこと。
それらが、ジハイルさんの言葉で、全て報われたような気がした。
「……ナナ」
横から、アイリの声がした。
お互い、頑なに目を合わせなかった。それが今は、じっと見つめ合っている。
言いたいことは、たくさんあった。
あのときは自暴自棄になってごめんなさい。
どうして研究対象になることを黙っていたの。
これまで一緒に戦ってくれてありがとう。
この先どうなってもアイリは私の大切な存在で、味方だよ。
でも、そのどれもが、うまく言葉にならなかった。
きっと、アイリも、同じだったと思う。
開きかけた唇が、閉じる。青く輝く瞳が、揺れる。
迷いと、後ろめたさと——たくさんの想いが、ない交ぜになって、浮かんでいるみたいだった。
気が付けば、私は……口ではなく、身体を動かしていた。
アイリの身体を、ぎゅっと抱き締める。
言葉なんて、いらない。理屈も、謝罪も、今は。
「アイリ……!」
堪えていたものが、堰を切ったように溢れ出す。
アイリの腕が、ゆっくりと私の背中に回った。
そして、しがみつくみたいに、抱き返す。
その身体は、小刻みに震えていた。
「……もう二度と、自分が犠牲になるようなこと、言わないでね……?」
「うん」
「……私が人間じゃなくなっても、友達でいてね……?」
「当たり前だよ」
「ナナ……大好き、だよ……!」
「私も、大好き、だよ」
それ以上は、言葉にならなかった。
私たちは強く抱き合って、わんわんと声を上げて、泣いた。
目も合わせられなかった、話せなかったそんな日々が、嘘みたいに。溶けて消えていく。
涙が、止まらなかった。アイリの涙がポタポタと落ちて、私の肩を濡らす。
何日ぶりだろう。こんな風に、アイリの温もりを近くに感じたのは。
こうして抱き合っているだけで。私たちは、ちゃんとわかり合えていた。
「ようやく、仲直りできましたの?」
ライラさんが、肩を竦めて笑う。
「はい」と、私とアイリの声が重なった。声を出して、笑い合う。
目からはまだ涙が出ていたのに、おかしくて、幸せで仕方がなかった。
少し離れたところで、スカイさんは、そっと、目を伏せた。
画面の向こうのミホ先輩も、やれやれと両腕を挙げている。
長い、長い一日だった。
たくさんの、覚悟と、想いが交錯した、一日。
これからまだまだ、考えなきゃいけないことも、やらなきゃいけないこともある。
けれど今は、ここにアイリがいる。
それに、誰も犠牲にならない。
その事実だけで、私の胸は、温かいものでいっぱいになっていた。
今は、それで十分だった。
+++
ジハイルさんの計らいもあって、物事は、急に動き出した。
まず、557-2号機──もとい、ココナッツさんの返還について。
あの謁見のあと、私たちは強奪事件に関わりがある人に連れられて、DEMsの施設の一室へ通された。
そこで横たわっていたのは、やはり、ココナさんとそっくりなアンドロイドだった。
眠っているかのように、目を閉じている。
「六年ぶりの対面、というわけですわね」
ホログラムが浮かび上がる端末機器を手にしながら、ライラさんが呟いた。
ホログラムに映るミホ先輩は、顔を近づけて、食い入るようにじっとこっち側を見ている。
そこでふと、私は、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「さっきココナッツさんは、未学習だって言っていましたよね。ミホ先輩の技術を踏襲するために無理やり手に入れたモノなのに、どうして起動しないままだったんでしょうか」
そう言うと、案内人のオジサンはふいっと目を逸らす。
代わりに答えてくれたのは、ミホ先輩だった。
「おそらく、起動しなかったのではなく、できなかったのだろう」
「え?」
「というのも、当時の557号機は姉妹機とも、未完成品だったのさ。自己学習を行う装置自体は内部にあっても、それを実行するためのシステムはこちら側にあった。つまるところ、DEMsはまんまと不良品を掴まされたというわけさ」
ハハハ、と、ミホ先輩は乾いた笑い声を上げながら、案内人のオジサンを見やる。
目が笑っていなくて、怖かった。
「とはいえ、まったく手つかずだったわけでもないようですけれど」
「手つかずじゃない? どういうことですか? ライラさん」
「一見しただけですが、ココナッツは散々調べ尽くされた後のようですわ。日賀志ミホ博士の技術を、解き明かそうとしたような形跡があります。幸いなことに、中身に手を加えた形跡はないようですけれど」
「それだけ、私の技術力が優れているということだね」
一目見て気づいたライラさんと、その自信を裏付けるかのような事実に、私は舌を巻いた。
同時に、調べ尽くされたという言葉に、胸がちくりと痛んだ。
目覚めさせてもらえることもなく、珍しい標本として、六年間いじり回されてきた。
アンドロイドとはいえ、卑劣な行為のように思える。
早く本来の居場所へ……ミホ先輩の元へ、連れて帰ってあげたかった。
ココナッツは、ミホ先輩指導の下、慎重に運び出す準備が整えられた。
身体を傷つけないよう、専用の搬送ケースに収められていく。
「さて。ナナとアイリも、帰る準備をしましょうか。スカイのあとについて、一度我が家に戻りなさい。明日か明後日の便を手配しておきます」
ミホ先輩との連絡を中断したあと、ライラさんは、スカートを翻してそう言った。
「ラ、ライラさん。今回は……いいえ。これからも、これまでも……本当に、ありがとうございました。私、ライラさんがいなかったら、どうなっていたことか……感謝しても、しきれません」
「お礼を言うのはまだ早いですわよ。全て解決したら、また、改めて伺いますわ」
ライラさんはニコリと微笑むと、踵を返して、そのまま施設内へと消えていった。
私とアイリとスカイさんだけが、この場に残ってしまった。
ノースシュタイン家に帰ろう。
そう思った矢先、私の脳裏に、とある女性の姿が浮かんだ。
「あの……スカイさん。一つ、お願いがあるんですけど……」
「はい。何なりとお申し付けください」
「このあと、クロハさんに会いに行ってもいいですか。マシロさんとも、顔を合わせたくて」
「承知致しました。こちらへどうぞ」
二つ返事で了承してくれたスカイさんの背中を追って、私たちはとある部屋を訪れる。
その部屋に入るなり、ひやりと肌寒さを感じた。
マシロは壁沿いに用意された簡易椅子に座り、向かいにあるガラスを見つめている。
ガラスで区切られた部屋の中央には、大きな処置台が鎮座している。
クロハさんは、そこに横たわっていた。
身体中に、数えきれないほどの管が繋がれている。
透明なチューブや、色とりどりのコード。
見たこともない大きな機械が、クロハさんを取り囲んでいた。
規則正しい電子音だけが、静かに響いている。
胸が微かに……ほんの微かに上下しているのだけが、生きている証のようだった。
機械に生かされている。……そんな言葉が、当てはまるような状況だった。
目を逸らしそうになるのをぐっと堪えて、私は、クロハさんを見つめ続けた。
「……マシロは、このままイギリスに残るんだよね?」
ふと、アイリがマシロさんと肩を並べる。
マシロさんはいつも通り、ニコニコと微笑んでいた。
「うん。傍にいてあげたいし、なにより、誰かが見張ってないと、DEMsが変なことするかもしれないからねぇ」
その笑みに、力はない。
来たばかりの頃は余裕がありそうだったけど、やはり、こうして間近で見たことで、精神的に大きく負担がかかったのだろう。
「ちなみに、私も残りますよ。マシロ様の安否は、私が守ることになっています」
スカイさんは、冷静な口調のまま静かに頷いた。
頼もしいその横顔に、少しだけ肩の荷が降りた。
「でも、DEMsには感謝してるんだよ。もちろん、アイリとナナにも」
すると、マシロさんはアイリと顔を合わせる。
その顔は、さっきよりも遥かに顔色が良かった。
「こうしてお姉ちゃんが生きてるのは、DEMsのおかげなんだって。これだけ大掛かりな処置がなかったら、お姉ちゃんは、もう、この世にはいなかったんだって。だから……感謝してるんだよ」
「……うん……!」
マシロさんとアイリはお互いに手を握り合っていた。
そこには、確かな信頼感が滲み出ている。
思えば、西宮クロハと西宮マシロとは、最悪な出会い方をしていた。
怖くて、横暴で……絶対に、仲良くできない相手だと思っていた。
それが今は、こうして同じ部屋で、笑い合っている。
私にはそれが、かけがえのないものだと思えて仕方がなかった。
私は、心の中で語りかける。
……待っててね、クロハさん。アイリが遺物としての役目を全うしたら、きっと目を覚ます。
だからそれまで……もう少しだけ頑張って。
後ろ髪を引かれる思いで、私たちは、その部屋を後にした。
こうして私たちは、日本へと戻った。
私、アイリ、ライラさん。それに、眠ったままのココナッツさん。
長い移動を経て、見慣れたミホ先輩の研究所に辿り着いたとき、イギリスへ行くときから募っていた疲れが、ドッと押し寄せたような気がした。
「おかえり。ご苦労だったね」
出迎えてくれたミホ先輩は、いつもどおり飄々としている。
けれど、その視線はまっすぐに、運び込まれたケースへと注がれていた。
ライラさんが慎重に、ケースを開く。
何重にも重なったマトリョーシカみたいなケースを開け続けて、そして……ココナッツの姿が、露わになった。
ミホ先輩は、車椅子を彼女の顔元に寄せた。
しばらく無言で、眠っているココナッツさんの顔を見つめる。
「……ああ、間違いない」
ポツリと零れた小さな声は、いつもの軽い調子とは、大きく違っていた。
「557-2号機だ。私の造った子だよ」
ミホ先輩はそっと手を伸ばして、ココナッツさんの頬に触れる。
その指先がほんの少しだけ震えていたのを、私は見逃さなかった。
「……六年も、待たせたね。すまなかった」
それきり、ミホ先輩は何も言わなかった。
大げさに泣くわけでも、喜ぶわけでもない。
普段と同じ、冷静な表情のまま。
けれど——その目には、決して見せない深い感情が、静かに揺れているように思えた。
奪われた、最高傑作。
取り戻すと誓って、六年ものあいだ胸に抱え続けてきた想い。
それが今、ようやく報われたのだ。
私たちは皆、その光景を見守っていた。
ミホ先輩の邪魔をしないように、何よりも大切なこの再会の時間を、尊んだ。
「——さて」
ややあって、ミホ先輩は手を一度叩いて、勢いよく顔を上げる。
そこには、晴れ晴れとした、素敵な表情が浮かんでいた。
「柄にもなく、感傷に浸ってしまった。でも、それもここまでだ。仕事を始めようか。やることは、山積みだからね」
「私も、可能な限り補助致しますわ。……それにしても、ココナッツが残っていて本当によかったですわ。いくらミホでも、同等のアンドロイドを造るのは時間がかかったでしょう」
「それについては、素直に認めよう。最終手段の計画書がボツになって、本当によかったよ」
二人の軽やかな会話を聞いて、アイリと顔を見合わせる。
曰く、二人は、ココナッツさんが手に入らなかった場合を考えて、もう一つの計画を進めようとしていたらしい。
それは、ミホ先輩が557号機と同じアンドロイドを作成すること。
設計書も仕様書も全て残っているから可能ではあったものの、この方法だと、最低でも一年はかかってしまうらしい。
神がいつ暴走するかわからない。
かつ、クロハさんがいつ体調を崩すかわからない以上、悠長にしている余裕はない……という判断の上、既に完成されているココナッツさんを取り戻す方向性にしたらしい。
そもそも、ミホ先輩はココナッツさんを取り戻したいと思っていた。
だから、作り直すという計画は、本意ではなかったはずだ。
それでも可能性の一つとして視野にいれていたのは、さすがと言わざるを得ない。
ライラさんとミホ先輩は、難しい専門用語を口にしながら、テキパキと作業をする。
ココナッツさんの身体を開けて、内部を見て、何かの機械に繋げて、数値を見ていた。
二人は軽口を叩き合いながら、とても楽しそうに、作業を進めている。
私とアイリはお手伝いをしながら、二人の様子を、微笑ましく見守った。
DEMsを毛嫌いしていたミホ先輩と、DEMsとして利己的かつ冷淡に動いていたライラさん。
それぞれが個性的で、水と油とも言える関係だった二人が、こうして肩を並べている。
その光景に、胸を打たれる思いだった。
……ライラさんとミホ先輩には、たくさん迷惑もかけたし、たくさんお世話になった。
返しても返しきれないほどの、恩ができた。
……まだ、将来の私の境遇がどうなるかは聞いていないし、明確に決まったわけでもない。
でも……それでも私は、この二人に恥じないような人になりたい。
二人の傍で、恩を返していけるようなことがしたい。
そう心に決めた途端、これから先に起こる波乱も、困難も、立ち向かっていけるような気がした。




