第十六話 嵐の前の静けさ
行き止まりの、狭い裏路地。
崩れかけたブロック塀に背を預けて、マシロが、ぐったりしたクロハを抱えて座り込んでいた。
やはり、遠くへは逃げられなかったみたいだ。
肩で息をして、汗だくで。それでも私たちを見ると、クロハを庇うように身を縮めた。
「来ないで、ったら……! あっち、行って、よ……!」
震える声には、もう力がなかった。
ただ、姉を抱きしめて、怯えている
「マシロ……いや、マシロさん」
私は立ち止まって、両手をそっと上げて見せた。敵意がないと伝わるように。
「アイリを傘や斧にはしない。約束する。私はただ、話を聞いてほしいだけなの」
「嘘だ、よ……みんな、そう言って、お姉ちゃんを……私を、懐柔しようと……」
「本当だよ。私、これまで誰の権限も、力ずくで奪ったことなんてない。シーカも、自分から託してくれた。私は、あなたたちを傷つけたいわけじゃないの」
ゆっくりと、一歩ずつ。刺激しないように近づいていく。
アイリは人間形態のまま、私の後ろから、心配そうに双子を見つめていた。
「あなたたちのこと、峰石ヤクから聞いたの。だから……誰も信じられないのは、当たり前だと思う。でも、私は敵じゃない。助けが必要としているなら、手を差し伸べたいの」
マシロさんの強張った表情が、ほんの少し揺らいだ。
その瞳に、戸惑いの色がにじむ。
「……なんで。なんで、あなたが、そこまで」
「私は、誰にも不幸になってほしくないだけ。誰にも、傷ついてほしくないだけだよ」
「……っ」
笑顔を向けると、マシロさんが唇を噛んだ。
張り詰めていた何かが、緩みかけた、そのとき。
——ぞわり、と。悪寒が走った。
「……っ、あ……ぁ……!」
クロハさんの身体が、痙攣している。
黒い稲妻のようなものが噴き出し始め、鎖に変化したり、鋏に変化したりしている。
意識を失っていても、暴走は鎮まらないみたいだ。
「うわあああっ!」
クロハさんの口から、苦悶の叫びがほとばしる。
荒れ狂う力が、狭い路地で四方に弾けた。
ブロック塀が抉れ、地面が裂ける。
マシロさんは、その余波に弾き飛ばされ、地面に転がった。
「お姉ちゃん! お願い! 正気に、戻って!」
マシロさんが必死に近づこうとする。
けれど、暴走の力が、それを許さない。
「危ない、マシロさん!」
私は咄嗟に、マシロさんを庇って引き寄せた。
すぐ横を、黒い斬撃がかすめていく。
肌がちりちりと焼ける。これは、前のときよりひどい。
消耗した体で、暴走の力だけが、暴れている。
このままじゃ、クロハさん自身が、力に食い潰されてしまう!
「クロハさん! 聞こえる!? 戻ってきて!」
「お姉ちゃん! 私を一人にしないで! ねえ、お姉ちゃんっ!」
私は、暴れ狂う力の中心へと、声を張り上げる。
マシロさんも、私の腕の中から絶叫した。
すると、私たちの声が届いたのか。
一瞬……ほんの一瞬だけ、クロハさん動きが、緩んだ。
「……マ、シロ……」
苦悶の中から、かすかに。クロハさんの意識の欠片が滲む。
そのときだった。
私の隣にいたアイリが、ふいに、前へと歩き出した。
「アイリ……?」
ふらり、と。何かに引き寄せられるように。
荒れ狂う力の中心へ、迷いなく足を進めていく。
「アイリ! 危ない、近づいちゃ駄目!」
私は慌てて手を伸ばす。けれど、マシロさんの対処で手一杯だった。
何度呼び止めても、アイリは歩みを止めない。
けれど……不思議なことに。
アイリが近づくと、あれほどの斬撃が、まるで彼女を避けるように、勢いを弱めていく。
「……だいじょうぶ」
アイリが、振り返らずに、ぽつりと言った。
「なんか……そんな気がするの」
アイリは、暴れるクロハの体に、そっと両手を伸ばした。
そして、自分の胸元へ──遺片の宿る、その場所に、手のひらを重ねる。
……すると。
アイリの胸の模様と、クロハさんの体に走る黒い力が。
淡く、同じ色に光り始めた。
「……っ、これ……」
レノちゃんのときと同じやつだ。
共鳴したように輝きあう、あの奇妙な現象。
アイリの体から、温かな光があふれ出す。
その光が、クロハさんの暴れる力に、そっと寄り添うように、包み込むように、溶け合っていく。
そして、荒れ狂っていた黒い稲妻が、次第に、おだやかな輝きへと変わっていった。
「あ…………」
クロハさんの体から、ふっと力が抜けていく。
暴走が、嘘のように鎮まった。
光が収まると──クロハさんは、ぐったりと、その場に座り込んだ。
荒れ狂っていた力は、もうどこにもない。けれど、眠ったわけではなかった。
目は、うっすらと開いている。
ただ、焦点の合わない瞳で、虚空を見つめ、何も言わずに、ぼんやりとしているだけ。
まるで、抜け殻になってしまったみたいだ。
「……鎮まった……?」
呆然と、私は呟いた。
アイリは、ゆっくりと手を離す。そして、不思議そうに、自分の手のひらを見つめた。
「うん。……しずまったとおもう。──でも」
アイリはこちらを振り向いて、子供みたいに無邪気な顔で、キョトンと首を傾げる。
「わかんない。なんで、こんなことできたんだろう。アイリは……わたしって、なんなんだろう?」
自分でも、何をしたのかわかっていないようだった。
ゴクリと喉を鳴らす。
アイリの中にある力は、ただの遺片の権限とは、何かが違う。
神由来の機械を壊し、共鳴もして、暴走まで沈めてしまう。
もしかして、アイリって……人間じゃ、ない……のかな。
薄々感じていた違和感が、確信に近いものへと変わっていく。
でも、今は。それを考えている場合じゃない。
「お、お姉ちゃん! しっかりして!」
マシロさんが、眠る──いや、ぼんやりと座り込んだクロハさんに、駆け寄った。
その肩を揺する。
けれど、クロハさんは反応しない。
虚ろな目で、宙を見たまま。マシロさんの声にも、まるで応えない。
「……お姉ちゃん……」
マシロの声が、不安に震える。
それでも、クロハさんの身体からは、あの恐ろしい暴走の予兆、もう感じられなかった。
ひとまず、危機は去ったのだ。
これが、助かったと言える状態なのかは、わからなかった。
マシロさんは、涙でぐしゃぐしゃの顔を、こちらに向ける。
さっきまでの敵意は、もうそこにはなかった。あるのは戸惑いと、姉を案じる気持ちさだけ。
「……お姉ちゃんの、暴走を、止めて、くれた」
「……そうみたい。アイリがね」
ゆっくりと頷く。けれど正直、手放しでは喜べない。
だって……ここからだ。この双子と、ちゃんと向き合わなきゃいけない。話をつけないと。
「少し、休もう。私、何か買ってくるよ。……アイリ。見ててもらっていい?」
「うん!」
私は、ぼんやりとしたクロハさんと、その傍らで泣きじゃくるマシロさんを横目に、近くの自動販売機へと走る。
こんな異変の中でも、自販機は変わらず光っていた。
私は紙のお金で、人数分の温かい飲み物を購入する。
そして、そのうちの一つを、マシロさんに差し出した。
「これ、飲んで。ずっと、何も口にしてないでしょ?」
マシロさんを促して、路地の片隅に腰を落ち着かせる。
アイリはキョロキョロと辺りを見渡して、サクラちゃんを警戒してくれていた。
「……どうして」
すると、マシロさんが、戸惑ったように、私を見上げる。
「私たち、あなたの、敵、なのに」
「敵とか味方とか、関係ないよ。それに、クロハさんを看病するにも、マシロさんが倒れちゃ駄目でしょう? だから、ね?」
「……………」
クロハさんの名前を出すと、マシロさんはおずおずとコーンポタージュを受け取った。
座り込むクロハさんの口元にも、少しずつ、飲み物を含ませている。
クロハさんは、されるがままに、それを飲み込んだ。
意識はあるらしい。けれど、相変わらず何も話そうとはしない。
「……ヤク様から、聞いた、んでしょ。私たちの、こと」
ぽつり、と。マシロさんの口から、言葉が漏れた。
つい、安堵が顔に出る。
マシロさんは、それを目敏く察知すると、軽く溜め息を吐いた。
「二回も、助けてくれたから。そのお礼。別に、信じたわけじゃないし、お姉ちゃんの力を渡すつもりもない」
キッパリと言い切ると、マシロはさんは、虚ろに座るクロハさんの手を、そっと握った。
「私……私は……ずっと、ヤク様のところで暮らしてた。次期教祖の修行っていう体の、ただのこき使い。そして、八つ当たりの的」
疲れが押し寄せたのか、それとも、チップから来るという異変によるものか。
マシロさんは息も絶え絶えに、絞り出すように言葉を発した。
「そこで、過ごしていくうちに、段々、何も考えられなくなって。ヤク様に逆らっちゃいけないって、そう思い込むようになった。でも、お姉ちゃんは違った」
マシロさんは、クロハさんを見やる。
そこには、慈愛の気持ちがこもっていた。
「お姉ちゃんは最後まで、あの人に屈しなかった。私がおかしくなっていくのを見て、私を救うために、ヤク様に歯向かった」
「……それで、峰石ヤクと揉み合いになったの?」
マシロさんは、小さくコクリと頷く。
峰石ヤクは確か、大喧嘩したと言っていた。
でも……彼女の話を聞く限り、全然そんな程度のものじゃなかった。
峰石ヤクの浅慮さに、自然と拳に力が入る。
「それで、ヤク様が投げた、花瓶が。お姉ちゃんの頭に、当たったの。そして、お姉ちゃんは……ピクリとも、動かなく、なった」
マシロさんは、強く唇を噛む。
握り締めた空き缶から、ビキビキという音が聞こえた。
「とても、血が出て。息も、途切れて。本当に、死んじゃうって、思った。でも、ヤク様は騒ぎを恐れて、病院に、行かせて、くれなかった」
きっと、峰石ヤクにたくさん懇願したのだろう。
暴走を止めようと、必死にクロハさんにしがみついていたときみたいに。
でも、それを聞き入れてくれなかった。それが、どれだけ絶望的だったことか。
ましてや、マシロさんは、たぶん、半分洗脳状態にあった。
そんな状況で峰石ヤクに抗うことなんて、できなかったはずだ。
「そんなとき……お姉ちゃんの、身体に。アレが、宿ったの」
「アレって……あの痣のこと?」
「そう。死にかけてたお姉ちゃんが、一命を、取り留めた」
ぽつりと呟いたその言葉に、嫌な予感がした。
「だから、この力は、お姉ちゃんを、生かしてくれてる……ううん。無理やり、繋ぎとめてる、っていうのが、正しい、のかも」
「そんな……」
「……お姉ちゃんの、傷は、死んでても、おかしくないものだった。なのに、痣が出た、瞬間。傷が治った。……と、いうことは」
「遺片の力がなくなったら、瀕死の状態に戻ってしまう……」
頭を殴られたような、そんな衝撃だった。
そうか。
だからマシロさんは……クロハさんは……心を閉ざしていたんだ。
アイリやサクラちゃんが権限を得たら、クロハさんの命が危ないから。
「だから、渡せないの。誰にも」
マシロさんはそう言うと、キッと私を睨み付ける。
視線から向けられる敵意や警戒は控えめだったけど、それでも、彼女の強い意志が感じ取れた。
「あなたが、良い人だっていうことは、わかった。でも、これだけは……お姉ちゃんの、命だけは、奪わないで」
「………………」
ココナさんも、スナミちゃんも、レノちゃんも救いたい。みんなを、目覚めさせたい。
そのために私は、双子の権限を得なければいけない。そう思っていた。
全員を助ける一心で……でも、まさかその行動自体が、クロハさんを危険に晒すことになるなんて。
——どうすれば、いいの。
クロハさんを犠牲にするなんて、できない。
私の信条は、誰も傷つけずに、誰も死なせないことだから……。
「っ! ナナ! アンドロイドがくる!」
「えっ!?」
アイリの叫びが聞こえた瞬間、ズシン、ズシン、と、重い足音が近づいてきた。
路地の入り口に、黒い装甲が姿を現す。
DEMs製のアンドロイドだ。一体や二体じゃない。
アオちゃんとスカイさんの守りをすり抜けてきたのだろうか。次々と、こちらへ向かってくる。
「駄目っ! 近寄らないでっ!」
私はアイリを傘に変身させて、双子を背に庇う。
けれど、何度呼び掛けても、アンドロイドたちは歩みを止めようとしない。
声が聞こえないのか、それとも、聞く気がないのか。
……仕方がない。アイリに斧になってもらって、このアンドロイドたちを倒すしか……!
そう思って、口を開きかけた……その時。
ピ、という、無機質な音が、辺りに響き渡った。
『——全機、傾聴せよ』
アンドロイドたちの胸部から、男性の合成音声が鳴る。
同時に、彼らの動きが、ピタリと止まった。
『ライラ・ロストーリ・ノースシュタインの命により、本作戦を、中止する。対象の確保を、放棄。全機、即時、停止モードへ移行せよ』
「……ライラさん?」
その名前に、思わず息を飲む。
ややあって、アンドロイドたちは、告げられた言葉のとおり、一斉に動きを止めた。
そして、踵を返し、整然と、来た道を戻っていく。私たちには、見向きもせずに。
「……ライラのおかげ、だよね?」
「……たぶん……」
彼女は今、イギリスで、DEMsの偉い人と掛け合ってくれているはずだ。
きっとライラさんは、遠い場所から、私たちを守ってくれた……のだろう。
そう思うと、胸がじわりと温かくなる。
退いていくアンドロイドの群れを見送って。私とアイリは一先ず、ホッと息をついた。
「……助けてくれて、ありが、とう。でも、あたしたち、もう、行かなきゃ」
すると、マシロさんが、そっとクロハさんの体を抱え直した。
そして、ふらつく足で立ち上がろうとする。私は思わず引き止めた。
「待って。また逃げるの? そんな体で、どこに……」
「逃げるしかないでしょ」
マシロさんは、力なく笑った。
「ここに、居続けるわけにも、いかない。それに、モタモタしてたら、発田サクラに、捕まる。今度こそ、お姉ちゃんの、力は、奪われる」
その言葉に胸が詰まった。
サクラちゃんは双子を倒し、権限を奪うつもりでいる。
でもクロハさんから権限を奪えば、クロハさんは死んでしまう。
そのことを、サクラちゃんは知らない。
……いや、あの子のことだ。きっと、真実を知っても、殺そうとするだろう。
「あなたが、発田サクラから私たちを守ってくれるなら、話は、別だけど」
「………………」
守りたい。守るつもりも、ある。
でも、本当にそれでいいんだろうか。
私がつきっきりで双子を守り続ける。それは、根本的な解決にはならないと思う。
クロハさんは、権限を奪われたら死ぬ。
この問題がある限り、双子はずっと、サクラちゃんの標的であり続ける。
逃げて、隠れて、怯えて。そんな日々が続くだけ。
——私がすべきことは、それじゃない気がする。
これ以上、双子をサクラちゃんのターゲットにしない。
そのために本当に必要なのは、クロハさんの命の問題を解決することだ。
権限を失っても、クロハさんが死なずに済む方法を見つける。
そうすれば二人は、もう逃げなくていい。
誰も死なせずに、アイリに権限を集めることができる。
でも、どうやって……ここまで考えて、ふと、さっきまで私たちを追い回していた存在が、頭を過ぎった。
DEMs。
街中を一瞬で掌握し、あれだけのアンドロイドを自在に操る、桁外れの技術力。
それを目の当たりにしたばかりだ。あれほどの力があれば、もしかしたら、クロハの延命だって……。
「……そうだ!」
光明が見えた気がした。
「マシロさん。あなたに、行ってほしい場所があるの」
「場所?」
「日賀志ミホっていう人の、研究所。すごい天才科学者なの。あの人の技術なら、もしかしたらクロハさんの体を、なんとかできるかもしれない」
すると、マシロさんの顔が、ぎょっと強張った。
「……あなた、正気? 日賀志ミホって……私たち、前、あの人のアンドロイドを、襲ったんだよ? のこのこ行ったら、どうなるか」
「大丈夫。ミホ先輩は、たぶんもう、そんなこと気にしてないと思う。過ぎたことより、目の前の興味のほうが、ずっと大事な人だから」
マシロさんは、ポカンと、口を少し開けてこちらを見つめている。
私は気にせず、言葉を続ける。
「それに、だからこそ、なの。サクラちゃんも、まさかあなたたちが、敵だったミホ先輩のところに逃げ込むなんて思わない。盲点なんだよ」
「盲点……」
「うん。あの研究所、いろんな妨害の仕組みがありそうだった。簡単には近づけないはず。それに、今、一番安全なのは、きっとミホ先輩のところだよ」
クロハさんのことも、何かわかるかもしれないし。
マシロさんは、しばらく迷うように黙っていた。眠る姉の顔と、私の顔を見比べた。
「……アドバイス、は。ありがたく、聞いておく。でも、それを聞くかどうかは、私の判断。それだけ。じゃあね、南雲ナナ」
突き放すような言葉。
でもその響きに、さっきまでの棘はなかった。
それに——いつの間にか、名前を覚えてくれていた。
マシロさんは、ゆっくりと歩き出す。
私は、その背中に声をかけた。
「マシロさん。クロハさんのこと、私が絶対に何とかするから」
一瞬だけ、マシロさんは足を止める。
そして振り返った。
怪訝そうな目が、私とアイリを見つめる。言葉の真意を測りかねるような、そんな表情。
それでも最後に、マシロさんは、小さくこくりと会釈をしてくれた。
——絶対に何とかする。
私はその誓いを胸に刻んで、ぐっと拳を握りしめたのだった。
+++
「お久しぶりですわね、ナナ」
向かいの席には、金髪をくるくる巻きにした少女。ライラさんの姿があった。
彼女の大きなキャリーケースが店内の隅に置かれ、スカイさんはその近くに粛々と立っている。
場所はもちろん、いつもの喫茶店。
でも、今日は珍しく、スカイさんが淹れた紅茶ではなく、カフェラテを口にしていた。
どうやら、マスターからのサービスらしい。
「お帰りなさい。それから、ありがとうございました。おかげで、私たちも双子たちも、捕まることなく、無事に話をつけることができました」
「それはよかったですわ。……それで、まずはそちらの状況からお伺いしても?」
「……はい。わかりました」
カフェラテを一口飲んで、私は、先日あったことを話す。
サクラちゃんと対峙したこと。
街の人々がゾンビみたいになっていたこと。
峰石ヤクと出会ったこと。双子の境遇。
そして、クロハさんの権限のこと。
ライラさんは至って冷静な態度で、私の言葉に耳を傾けていた。
拙い話を一通り終えると、「大体のことはわかりましたわ」と言って、軽くチップを操作する。
「……あの。街の人々ってどうなったんでしょうか。私たちが帰る頃には、収まっていたようですけど……」
こめかみに手を当てたまま、ライラさんは口を開いた。
「ええ。発表会の時と同じように、誰も、朦朧としていたことは覚えていませんでしたわ。ガスが充満していたという設定で、何とか情報統制はできましたけれど」
「何から何まで、ありがとうございます」
「これについては私(わたくし)の手柄ではありません。DEMsがやったことですわ」
つまらなそうに、目を伏せて呟くライラさん。
ハァと大きな溜め息を吐くと、ゆっくりとした動きで頬に手を当てた。
「この私に断りもなく介入し、かつ、あれだけのDEMsのアンドロイドを派遣させたんです。このくらいのことはさせてやらないと、割に合いませんわ。……そうは思いませんこと?」
うふふ、と、ライラさんは上品に笑う。
しかし、目が笑っていなかった。
空気を紛らわすためにカフェオレをもう一口飲んだけど、味がしなかった。
「……それにしても、日賀志ミホにも感謝を伝えておかなければなりませんわね。瀬戸海アオとスカイの外装準備。それと、例の双子の保護までしていただいたんですから」
あとから知ったことだが、マシロさんは結局、私の言葉を聞き入れてくれたらしい。
ミホ先輩の研究所はいきなりの大所帯になったみたいだけど、ミホ先輩にとっては垂涎の的だったようで、快く引き受けてくれた。
私は彼女の懐の広さと、有能さに、感謝してもしきれない。
先輩と呼ぶのも烏滸がましいくらいだ。
「でも、ライラさん。どうやってDEMsを説得したんですか? あんな勝手な行動をするほど、サクラちゃんの支援に前向きだったんですよね?」
「ああ、そのことですか」
ライラさんは、ふっと、唇の端を上げる。
見た目相応の、無邪気で悪戯っぽい笑みだった。
「本部の老人たちに、こう説いて差し上げたのですわ。『双子を力ずくで確保し、発田サクラに権限を奪わせるのは、悪手だ』と」
「あくしゅ?」
「ええ。『南雲ナナは人心掌握の技術に長けている。だから双子を南雲ナナに籠絡させ、権限を譲り受けるのが確実。そのうえで、アイリの権限をまとめて、岩鬼イチコに渡す』と。そうすれば徒労の必要もないでしょう?」
理路整然とした言葉に、私は言葉を失った。
確かにそれなら、DEMsの目的に沿っている。
……けど。
「……それじゃあ、結局、私が権限を集めても、最後はサクラちゃんに……」
「まさか」
ライラさんは、ばっさりと、切り捨てた。
細められた目元が、妙に妖艶だった。
「あれは、本部を納得させるための建前ですわ。岩鬼イチコに権限を渡すつもりなんて、私には、これっぽっちもありませんの」
「えっ……?」
「前も話した通り、私自身がナナとアイリを応援したいから……守るという約束を果たしたいから、ですわ。DEMsが掲げる大義は立派ですが、友人を駒として使い潰すようなこと、私は許せませんわ」
自然と、胸が熱くなった。
ライラさんはDEMsの令嬢でありながら、組織を欺いてまで、私を守ろうとしてくれている。
あの板挟みの中で、自分なりの答えを見つけて……。
「礼はいりませんわ。勝手にやっていることですもの」
感謝の気持ちを口にする前に、ライラさんは小さな手のひらをこちらに向けて来た。
ツンとした表情だったけど、その頬は少しだけ赤らんでいる。
相変わらず、不器用な人だ。
「とにかく。これでしばらくは、DEMsは強引には動けません。貴女は貴女のやり方で、権限を集めなさい。……それで、ナナはこの後、どうするつもりですの?」
そう問われて、私は背筋を伸ばした。
ライラさんのおかげで、猶予が生まれたんだ。このまま足踏みをしている場合じゃない。
私には、やらなきゃいけないことがある。
「ライラさん。相談があります」
背筋を伸ばして、真っ直ぐライラさんを見つめる。
「先ほども話した通り、クロハさんは、瀕死の身体を遺片の力で、無理やり生かされているみたいなんです。だから、権限を譲渡したら……死んでしまう。それじゃ。私の信条にも反するんです」
「……それは、厄介な話ですわね」
「なので──DEMsの技術で、クロハさんを助けられないか。それを考えてほしいんです」
ライラさんの片眉が、ぴくりと上がる。
「あれだけのことができるDEMsなら。クロハさんの身体を延命する技術だって、あるんじゃないですか? 権限を奪っても、あの子が生きていられる方法があれば……」
ライラさんは無言のまま、綺麗なサファイアの瞳で私とアイリを見た。
ややあって、ふぅと息を吐く。
「……まったく。貴女は本当に、誰も切り捨てられない人ですのね」
呆れたような、けれど、どこか優しい声だった。
「いいでしょう。その件、引き受けますわ。幸い、延命や生命維持の技術なら、心当たりがあります。申請や許可に時間はかかりますが、糸口になるかもしれません」
「っ! ほ、本当ですか……!?」
「で・す・が。過度な期待はなさらないこと。遺片に無理やり生かされた身体なんて、前例のない話ですわ。物事が簡単に進むとは限りません」
そう厳しく言い放つと、ライラさんはカフェラテをぐいっと飲み干した。
そして、徐にその場に立ち上がる。
「ここまで来たら、貴女のお人好しに、とことん付き合って差し上げますわ」
「! は、はいっ!」
上品に差し伸べられた手を、私は握り締める。
その小さな手には、確かな思いがあった。
サクラちゃんとの決着。すべての権限の行方。そして、街を操る謎の存在。
——まだ、何も終わっていない。
でも今は、一歩ずつ、私たちにできることを進めていくしかない。
そう思った、矢先のことだった。
「お邪魔しま~す!」
「……え?」
お客さん? でも、私たちが使っている間は、貸し切り状態になっているはずだ。
勢いよく、後ろを振り向く。すると、そこにいたのは……。
「サ、サクラちゃん……!?」
「はいっ、ナナさん! あなたのサクラちゃんですっ」
「はぁい。ご無沙汰しておりますぅ」
可愛らしく微笑む少女。
そして隣には、同じくニコニコと笑っているイチコ先生の姿があった。
「ナナ。へんしん、しよう」
「うん」
私は距離を取り、アイリを傘に変身させる。
スカイさんもまた、すぐさまライラさんの元に駆け寄って、戦闘態勢を取った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。私たち、別にナナさんと戦いに来たわけじゃないですよ?」
「………………」
私たちは、固く口を閉ざす。
どうしてこの場所がバレたのか、目的は何か。そんなことがモヤモヤと頭の中を駆け巡った。
「あらあらぁ。サクラさん、信用度が足りないようですねぇ。よろしければ、私の口からお話致しましょうかぁ?」
「……ハァ。その方がよさそうですね。じゃあ師匠、よろしくお願いします」
イチコ先生は緩やかな花柄のワンピースを翻して、一歩前に出る。
そして、両手を高く上げた姿勢のまま、口を開いた。
「南雲ナナさん。サクラさんと、二人きりで、お話する機会をいただけませんでしょうか」
「……え、お、お話、ですか?」
お話なんて、サクラちゃんには縁遠いものだと思っていた。
だって彼女はそんなことせずに、力でねじ伏せてしまう。私の説得も聞いてくれなかったのに。
「どういう風の吹き回しですの? まさか、大人しく私たちに協力する気になったのですか?」
「いいえ、それはサクラさんの意思ではありません。ただ単に、南雲ナナさんとお話がしたいだけなんです」
「さしずめ、ナナ様をお一人にしたタイミングで、お二方が奇襲を仕掛けるつもりなのでしょう。そのような丸見えの罠、このスカイ・ハセフジが許可しません」
イチコ先生は眉をひそめて「しかし……」と呟く。
すると、サクラちゃんが、先生の前にずいっと乗り込んだ。
怒りを内包した、冷酷な表情を浮かべていた。
「部外者が話に割り込まないでくれる? アンタの許可なんて要らない。それに、イチコ先生は連れて行けないんですよ。連れて行きたくても、ね」
そう言って、サクラちゃんはこめかみに手を当てる。
そして、小難しいことが書かれた、とある一枚の資料を、私の目の前に提示した。
「一週間後、イチコ先生は、TC──製造元の定期検査に行くんです。だからその日は丸一日、施設に箱詰めなんですよ。これがその証明書です」
嘘の書類じゃないか?
そんな考えが一瞬、頭を過ったけど、ライラさんの「確かに間違いないようですわね」という言葉で、思い直した。彼女が言うなら本当だろう。
「けれど……定期検査、ねぇ。……岩鬼イチコ。貴女、ソレは誤魔化せるんですの?」
「ご心配には及びません。何回も潜り抜けてきましたから」
……どういうこと? 二人は、何の話をしているの?
困惑する私に気づいたのか、ライラさんは私の裾を控えめに掴み、小声でこう言った。
「一目見てすぐにわかりましたわ。岩鬼イチコとかいうアンドロイド、マルウェアが入っていますの」
「マル……?」
「……簡単に言えば、悪意のあるプログラムですわね。第三者が入れたものでしょうけど」
ライラさんはサクラちゃんを睨み付けるが、サクラちゃんは腕を組んで、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「私がするわけないでしょ。やったのは、イチコ先生の同僚。私はたまたま、それを知っただけ。何の関係もない」
「でしょうね。貴女のような女子高生が、このような高度なことをできるとは思えませんし」
「チッ。いちいち癪に障る女……」
「……え、ええと……」
未だにピンと来ていない私に、ライラさんは大きく溜め息を吐く。……本当に申し訳ない。
「教師型、護衛型、介護型、保育型……世の中のアンドロイドのほとんどは、それ専用に企業が開発したものですわ。それ故、個人が開発したような脆弱なプログラムは、注入できないようになっています」
「え……そ、それなのに、イチコ先生に、悪いプログラムが入り込んでるんですか?」
「ええ。それも、第三者が意図的に入れた代物です。これが製造元にバレてしまえば、岩鬼イチコは、即刻処分対象です」
「そうなんですか……じ、じゃあ、マルウェア? を入れた人も、逮捕され……」
「はい。そうなるでしょうね」
言い切る前に、イチコ先生が口を挟んだ。
いつもの穏やかさは消え失せ、更に、真っ黒な瞳の色が、鮮やかな桃色へと変わっていた。
「ですが、トウジ様は優秀なお方です。私の愛は、検査を潜り抜けるのです。今までも、そしてこれからも。つまり、私が活動停止しない限り、この愛が枯れることはないのです」
「さ、さすがです、師匠! その恋愛に対する姿勢、憧れますっ!」
……なるほど。
イチコ先生は、サクラちゃんにとって、恋愛の師匠だったというわけか……。
「……まあ、私としても、この遺物のゴタゴタが終わるまでは、大事にはしないつもりですわ。入れられたのが恋愛感情のパッチなら、大した騒動になることもないでしょうし」
ライラさんの言う通りだ。
もし、イチコ先生が処分なんてことになったら、遺片を集めるなんて言ってる場合じゃなくなる。
「……話は脱線しましたけど、ナナさん。改めて、どうですか? 私とお話、してくれますか?」
……事情はわかった。
でも、未だに彼女の目的がわからない。
けれど……自分で言うのもなんだけど、サクラちゃんは、私のことを愛している。
だからこそ、私に直接的な危害を加えるようなことはしないはず。
むしろ、サクラちゃんは、アイリやミホ先輩の研究所を襲う可能性の方が高い。
それならいっそのこと、私が近くにいて見張っていた方が、安心できるかもしれない。
それに、何より。私は、サクラちゃんのことを知りたい。
せっかくの歩み寄ってきてくれた機会を、無駄にはしたくなかった。
「……わかったよ。場所と時間は?」
「ナ、ナナ様!」
スカイさんが、珍しく声を荒げる。彼女の顔を見ることは、できなかった。
「わぁ、嬉しいですっ! じゃあ当日は、お昼ごろに南雲家にお迎えに行きますねっ!……あ、そうそう。先に言っておきますけど……」
華やかなサクラちゃんの笑顔は、すぐに、冷たいものになる。
その眼差しは鋭く、淀んでいた。
「もし、誰かが隠れて見張ってるとか、そういうのがあったら。私、その泥棒女を殺しますから」
そう言って、サクラちゃんは私の手元──アイリを指差す。
恐ろしく低い声色は、それが嘘ではないことを証明しているようだった。
『…………ねえ』
すると、そのとき。今までずっと黙っていたアイリが、ふいに言葉を発した。
傘の状態なのに、何故か彼女が、じっとサクラちゃんを見つめているような気がした。
「何ですか? 文句がありますか? それなら、自分の行動を鑑みて、ナナさんにベタベタするのは止め……」
『あなたのこと……なんだか、知ってる気がする』
「…………………………………は?」
サクラちゃんは口元を引きつらせた。
まるで時間が止まったかのように、店内が静まり返る。
私は驚いて、アイリを見た。
けれどアイリは、それ以上言おうとはしなかった。
本人にも、よくわかっていないのかもしれない。
アイリの記憶の断片は、どうして彼女に反応したのだろうか。
「気のせいでしょう。あなたみたいな人、私は知りません」
サクラちゃんは、ピシャリと切り捨てた。
その声色から、アイリへの嫌悪は、今まで以上に増大しているように見えた。
「そ、それでは、さようなら、ナナさん。当日、楽しみにしてますねっ!」
さすがの彼女も動揺しているのか、イチコ先生の手を握ると、逃げるように喫茶店を後にした。
私は、ライラさん。スカイさん。そして、人間の姿に戻ったアイリと顔を見合わせる。
——一体私は、サクラちゃんとどんなことをお話するんだろう。
不安と警戒を抱えたまま、私は、その場に立ち尽くすのだった。
カフェラテは、すっかり冷めてしまっていた。




