第十五話 クロハとマシロ
アオちゃんと別れ、お腹を空かせて南雲家の前に辿り付いた頃。
スカイさんに診察券を託したタイミングで、ふと、思案するように口を開いた。
「個人を調べるとなると、公的な記録をあたるのが確実かと。ですが、私が今、DEMsの伝手を使うのは、得策ではありません」
DEMsは今、サクラちゃんに目をかけている。
彼女とDEMsが直接コンタクトを取りあっているとは考えにくいけど、それでも、こちらの動きが筒抜けになる可能性は、全くないとは言い切れない。
……と、なると。私たちが今、頼るべきなのは……。
「警察、ですか」
正直、気が進まなかった。
アキラさんとあんな別れ方をして、彼女の部下の何名かにも顔が割れてしまっている。
警察署にのこのこ顔を出して、また、アイリが槍玉にあがるのも嫌だ。……だから。
「シーカにおねがいする?」
私とスカイさんは、同時にコクリと頷く。
シーカを通じてなら、何とかなるかもしれない。
「さっそく明日、仲氏様に会いに行きましょう。休日ですから、場所は……」
「ドッグカフェ、ですね!」
スカイさんはキョトンと首を傾げる。
シーカは、あまり自分のアルバイト先を知られたくなさそうだったけど……でも、今は悠長なことを言っていられない。
サクラちゃんよりも先に、双子を救うことができるなら。使える手は、何だって使わなきゃ。
こうして私たちは、翌日、あさイチで、シーカが働いているドッグカフェへと足を運んだ。
「整形外科の、診察券?」
緑色のエプロンをしたシーカは、訝し気に眉をひそめている。
休日のお昼ごろということもあり、ドッグカフェには多くのお客さんが訪れていた。
様々な種類の大型犬が尻尾を振っている。
忙しいだろうに、シーカは合間を縫って、私たちに応じてくれた。
店内の裏、人の出入りが少ない場所で、スカイさんに差し出された診察券を受け取る。
「うん。人戒教の拠点で拾ったの。多分、クロハとマシロに関わりのある女性が落としたものだと思う。……この人が今どこにいるのか、調べたいんだけど……」
「なるほど。母さんに調べさせてくれってことか」
「……ごめん。あんなことがあったのに、頼みづらいよね」
「気にしないで」
私に手のひらを向けて、シーカは診察券を仕舞う。
「母さんは、私に借りがある。散々勝手なことをしてくれたんだから。このくらいこき使ってやらないと、割に合わない」
ぶっきらぼうな言い方だったけれど、それが、シーカなりの気遣いなんだ。
そう思うと、不器用な彼女を愛おしく思う。
「警察のシステムなら、チップを逆探知すれば、現在地を割り出すくらい、わけないはず。急げば、今日中には共有できる」
「でも、シーカのママ、おしごとお休みだよね? だいじょうぶなの?」
アイリの疑問は当然だった。自然と身体が前のめりになる。
「ああ。自宅謹慎はもう終わってるよ。ナナとアイリが庇ってくれたおかげで、何とか降格は免れたし。システムの使用許可はすぐ降りると思う」
「……ありがとう、シーカ。本当に助かるよ」
「礼を言うのは私の方。レノの命が懸かっているんだから、このくらいさせてほしい」
シーカは小さく笑うと、私の手を握った。
私たちはもう、ただの同級生じゃない。
大切なものを預け、預けられた、仲間だ。
「それでは、結果が判明次第、すぐに私に連絡していただけますでしょうか」
「うん、わかってる。早退させてもらって、真っ直ぐ家に帰るよ」
エプロンを脱いで、丁寧に畳むシーカ。
すると、アイリが軽く私の肩を叩いた。
「まってるあいだ、アイリたちは、どうするの?」
「うーん……アオちゃんと落ち合って、地道に足取りを追おうか。アオちゃんなら本拠地辺りの土地勘もあるだろうし」
スカイさんと三人で、この後の計画を模索する。
シーカは歩き出そうとする足を止めて、こちらに振り返った。
「何だ。アオまでナナ側に付いたの? さすが、私の心を絆しただけはあるね」
「ちょ、ちょっと。それ、どういう意味?」
「良い意味だよ。……アオにも、よろしく言っておいてくれ」
……何だか、保護者みたい。
頬を膨らませて、ジロリとシーカを見やる。
しかし、シーカは声を上げて笑いながら、手をヒラリと挙げて、店内へと入っていった。
「シーカ、明るくなったね!」
「……うん、そうだね!」
ふっと口の端を緩める。
診察券の調査は、シーカに……その先のアキラさんに、託された。
とはいえ、大人しく結果を待つわけにはいかない。
スカイさんのチップ経由でアオちゃんに連絡を取ったあと、私たちは再び、人戒教の本拠地の方へと向かった。
+++
けれど。その捜索は、思いがけない形で阻まれることになる。
異変に気づいたのは、アオちゃんと集合したタイミングだった。
角花高校がある港町を歩いていると、アイリが私の耳元に顔を近づけた。
「ねぇ、ナナ。あれ、なんだろう?」
「え?」
不思議そうに、大通りの一角を指差した。その先に、私も目を留める。
そこにいたのは、真っ黒なアンドロイドだった。
つるりとした装甲の、相貌がない人型のアンドロイド。
それが、一体、ぽつんと立っていた。
……いや。よく見れば、交差点に、建物の前に、路地の入口に、まるで、街全体を監視するように、複数体の個体が配置されている。
「あの紋章は……」
ふと、スカイさんが低く呟く。
「DEMsの機体です。捜索・確保型の……」
「DEMsの……!?」
その名を聞いて、途端に背筋が冷たくなる。
何の目的があって、こんな……。
「ライラさんの交渉が失敗したんじゃ」
「いえ、そのような事実は聞いていません。あのお方のプライドはエベレスト級ですが、このような事態を秘匿するような方でもありません」
遊園地のときに、私とアイリに目的を秘匿していたと思うけど……まあ、今はいいか。
「じゃあ、サクラを支援しに来たっつーことか? 何にせよ、マズいな」
アオちゃんは舌打ちをして、後頭部を掻く。
「こんだけウジャウジャいたら、双子を探すどこ、ろ……じゃ、ねぇ……ぞ……」
「……アオちゃん?」
すると、アオちゃんの目が虚ろになり、その場に、フラリと倒れ込む。
スカイさんもまた、いつもの凛々しい姿を崩していた。
涼しい顔の、あのスカイさんが、脂汗を浮かべている。一体、何が……。
「……ナナ様、辺りを見てください。人々が……また、ゾンビのように、なっています」
「っ!?」
私は急いで顔を上げる。
彼女の言う通り、道行く人々が皆、誰とも目を合わせず、言葉も発さず、ただゆっくりと、亡霊みたいに漂っていた。
……発表会のときと同じだ。
でも、アイリの直感が働いていないということは、彼らが襲ってくるようなことはないだろう。
現に、肩を叩いても、何も反応がない。口を半開きにして、千鳥足で歩き続けていた。
「な、なに……これ」
アイリの悲痛な声を受けて、ようやく、全身に鳥肌が立った。
休日の昼間。
賑やかだったはずの通りが、不気味な静けさに包まれている。
聞こえるのは、アンドロイドの規則的な駆動音だけ。
得体の知れない異変を前に、私はただ、立ち尽くすことしかできなかった。
「……ナ、ナナ様。これは、チャンス、です」
「っ! スカイさん!」
スカイさんは震える手で、こめかみに手を当てる。
そして、緊張した面持ちで、周囲のアンドロイドを見回した。
「DEMsの、機器は、非常に高い、技術力を、持っています。あれだけの数、を、投入すれば、双子はすぐに、見つかる、でしょう」
「そ、それって、ピンチじゃないですか! チャンスなんかじゃ……」
「しかし、今まさに、異常事態が発生、している。これなら、いかに高性能な、機器とて、まともには、機能、しないはず、です」
苦しみながらも、スカイさんは冷静に状況を読んでくれている。
……そうだ、パニックになっている場合じゃない。
状況を見て、今、私がやるべきことをしないと……!
「……ゾンビの立場になって、わかったぜ。これは、チップの異常だ。こめかみが、割れるように、痛ぇ」
「ええ……アオ様。何者かが、遠隔で操っているかのよう、です。これは、怪我の功名、です、ね。ライラ様と、ミホ様に、共有を……」
「二人とも、喋らないで! 安静にしていてください!」
「……………………」
私がそう言うと、二人は口を閉ざして、地べたに転がる。
けど、痛みによる苦しみというよりは、眠気と闘っているような感じだ。ひとまず、ホッとする。
……とはいえ、二人の推測は、私がケロリとしている理由と結びつくかもしれない。
それなら尚更、チャンスだ。チップを持つ双子やサクラちゃんもまた、意識朦朧としているはず。
DEMsよりも先に、サクラちゃんよりも先に、私はクロハとマシロに会わなければいけない。
そのための情報は足りていないとはいえ、きっかけになりそうな人物……峰石ヤクが通う病院の場所はわかってるんだ。
それなら。
「……病院の近くに、彼女の家があるはず。帰っているかはわからないけど、シーカの調べを待ちながら、周辺で手がかりを探そう」
「わかったよ、ナナ。……でも、二人はどうするの?」
アイリは息を潜めて、私に声を掛ける。
しかし、その小声は、アオちゃんとスカイさんにも届いていたようで。
二人は片膝を付きながら、その場に立ち上がった。
「……へへっ。情けねえとこ、見せちまったな」
アオちゃんは、額の汗を拭って、無理に笑う。
「オレはまだ、動けるぜ。スナミのためなら、このくらい、どうってことねえ」
「私も、お供、します。お嬢様より、お守りするよう仰せつかった身。この程度で、退きはしません」
「……ありがとう、ございます。でも、無理はしないでくださいね」
シーカとの連絡が取れない以上、二人と別れることはできない。
その事実に心苦しく思いながら、私とアイリは、二人に肩を貸す。
ゆっくりめな足取りで、徘徊する人々の群れをかき分ける。
異様な静けさに沈んだ街を、そっと縫うように進んでいく。
──早く、峰石ヤクの元へ。私は、クロハとマシロのことを何も知らない。
悠長なことをしている場合じゃないのはわかってる。
でも、交渉の余地があるなら、それに賭けてみたい。
その一心で、私たちは、おかしくなってしまった街の海を、進んでいったのだった。
意外にも、シーカからの連絡はすぐだった。
あとから知った話だが、街の人々の様子がおかしいのは港街一帯だけであり、シーカがいる街は特に異常はなかったらしい。
とはいえ、スカイさんのチップ経由で届いた情報は、かなり断片的だった。
それがチップ側の不具合によるものなのか、シーカ側の限界だったのかは、わからない。
けれど、居場所はわかった。それで十分だった。
「今いる病院から、そう遠くない邸宅。そこに、峰石ヤクさんはいます」
アオちゃんとスカイさんは白い顔で、力無く頷く。
二人の足取りは重く、ここに来る途中も何度かふらついていた。
それでも、二人は「行ける」と言って、退こうとしなかった。
そして、五分ほど歩いたところに、峰石ヤクがいるとされる建物が見えた。
ものものしい塀に囲まれた、大きな屋敷だった。
手入れのされていない庭、くすんだ外壁。
どこか、荒んだ空気が漂っている。
栄華と凋落が入り混じったような、そんな佇まい。
門と扉は、不用心にも、わずかに開いていた。
「……入るよ。気をつけて」
軋む門をくぐり、玄関へ進む。
呼びかけても、応える者はいない。
豪奢だけど埃っぽい廊下を恐る恐る進んで行くと、最奥にある一つの部屋から、苛立たしげな、女性の声が聞こえてきた。
「……あの出来損ない共……暴走か何か知らないけど、ちゃんと捕縛しておきなさいよね……信者のクセに、臆病で怠慢なんだから」
声がする部屋を、そっと覗き込む。
広い一室の窓際に、女性──峰石ヤクが、親指の爪を噛みながら、ソファに身体を沈めていた。
豪華なローブをしていなくてもわかる。
濃いお化粧と、彫りの深い顔。そして、全て事象を忌まわしげに見ているかのような態度……。
まさに、本拠地で見かけた女性そのものだった。
「……お邪魔しています」
「っ!?」
私が声をかけると、峰石ヤクは、びくりと肩を震わせ、こちらを振り向いた。
「な……っ、だ、誰よ、あなたたち!勝手に、人の家に入って来て……不法侵入よ!?」
「ご、ごめんなさい! 玄関が開いていたので、何かあったのかと心配で……」
「え、嘘……気づかなかったわ……」
ほんの少し、警戒心が解ける。
幸いなことに、通報されることはなさそうだ。……彼女にそんな余裕がないだけかもしれないけど。精神的に追い詰められているみたいだし。
「……って、ちょっと待って。あなたたち……」
バチッと目が合った瞬間、峰石ヤクの表情が強張る。
一人ずつをまじまじと観察して、そして、スカイさんに目を向けた。
「人戒教の本殿にいた女……よね。何しに来たの?」
……訝しげな表情を露わにしている。
けれど、私たちの目的を聞いてくれたということは、会話の余地はあるかもしれない。
少しだけ安堵すると、私はまっすぐに峰石ヤクを見た。
「私たち、クロハとマシロを探しているんです。逃走してしまったので、居場所に心当たりはないかと」
「し、知らないわよッ!」
部屋中……いや、家中に響き渡るような、金切り声。
「あの恩知らず共の行き先なんて、私が知るもんですかッ! 散々面倒を見てやったのに、育ててやったのに、それを仇で返されて……ッ!」
「待った。今アンタ、育てたって言ったか?」
アオちゃんの声に遮られると、峰石ヤクは両手で頭を掻き毟る。
「そうよッ! 私は、あの子たちの親代わり! 次期教祖にしてやろうと、住む場所も食べるものも与えてやって、目をかけてやったのッ!」
彼女の激情が、堰を切ったように溢れ出る。
その口ぶりには、愛情の欠片も感じられなかった。
あるのは、自分が施してやったという、傲慢な自負ばかり。
親代わり……ということは、彼女の話が本当なら、クロハとマシロには、実の両親がいるのか。
でも、それならどうして、この人のところで暮らしているんだろう。
疑問が次々と湧き上がってきたところで、ふと、峰石ヤクが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……そこの二人、休ませなくていいの?」
彼女の言う通り、アオちゃんとスカイさんは、限界が近づいていた。
無理もない。今まで、散々歩き回ってきたんだから。
お言葉に甘えて、ソファに座らせることにした。
二人は疲れ切った顔で「危険だから絶対に寝ない」と言っていたけれど、結局は、ものの数秒もしないうちに、目を閉じて、寝息を立て始めた。
「ありがとうございます、その……」
「ウフフ。お礼を言われるっていうのは、本当に気持ちがいいわ……でも、勘違いしないで。これは貸しよ」
「貸し、ですか?」
「ええ。あなたたちが、クロハとマシロを探して暴走を止めてくれるなら、それにあやかりたいのよ。全て無事に解決したら、私の元に寄越してもらえる?」
その声に、心配の色は見えない。
彼女はただ、無くしたものを取り戻そうとしているだけだ。
「…………断ったら、どうなるんですか?」
「何を言っているの? 荒くれ娘とメイド女を休ませてあげてるんだから、あなたに拒否権はないわよ」
精一杯の威勢は、あっさりと跳ね除けられてしまった。
私の返事を待つことなく、峰石ヤクは大きく息を吸って、吐いた。
「さて、と。二人のことを聞きたいんだったわね。暇だし、付き合ってあげるわよ」
ゴクリ、と生唾を飲み込む。正体不明の双子のことを、知る機会がやってきたのだ。
……本当は、本人たちの口から直接聞きたかったけど。
峰石ヤクはソファに座り直して、ふんぞり返った。
後から思えば彼女は、長いこと、自身のことを話す機会がなかったのだろう。
プライドが高そうな彼女が、弱点を晒すようなことを進んでするとは思えない。
それでもこのとき、話す気になってくれたのは、こちらとしては好都合でしかなかった。
「……私はね、空の神様なんてどうでもいいの。人戒教の教徒たちのことも、どうだっていい」
「え? じゃあ、なんで教祖なんて……」
「そんなの、チヤホヤされたいからに決まってるじゃない」
あっけらかんと、言い放つ。
何の違和感も、疑問も抱いていない顔が、妙に不気味だった。
「元々教祖だったのは、私の夫なのよ。彼の富と名誉に惹かれて、教徒になって結婚したの」
「そこまでするんだねぇ」
「……結婚に求める条件は、人それぞれだから……」
ムッと口をへの字にした峰石ヤクを見て、焦ってアイリを嗜める。
彼女の機嫌を損ねてしまえば、クロハとマシロのことが聞けなくなってしまうかもしれなかった。
峰石ヤクはアイリを睨みつけたまま、話を続ける。
「……旦那はその後、病気ですぐに急逝したわ。自分の立場と人戒教のことは、妻に一任するっていう遺書を残して、ね」
淡々と、出来事を述べているだけ。
旦那さんへを悼む言葉もなく、悲しんですらいなかった。
「もちろん、悩んだわ。でも、教徒からのお布施と羨望の眼差しは、代えがたいものがあった……でも……お金に物を言わす生活が祟ったのね。私もすぐに身体を壊した。足腰が弱くなったのよ」
「あ……」
そう言われて、ふと、本殿での出来事を想起する。
逃げるとき、二名の信者に支えられていたのは、そういう理由だったのか。
「だから、信者の中から、私の介護役を選抜することにしたの。進んで名乗りを上げたのが、西宮夫妻だった」
「にしみや?」
「ええ。クロハとマシロの、実の親よ」
ゴクリと唾を飲んだ。……ようやく、二人の本名を知ることができた。
西宮クロハ。
西宮マシロ。
その名前を、何度も、心の中で繰り返す。
「子供がいない私にとっては、一石二鳥だった。まるで本当の子供みたいに接してあげたわ。……それなのに」
峰石ヤクは唇を噛む。血が出てしまいそうなほどの勢いだった。
「あの子たちは、私を否定した。拒否した。育ての親も同然なのに、少しずつ、私の介護が乱雑になっていったの。酷いと思わない?」
「…………」
肯定してほしいのだろう。
そうですね、と、言ってほしいのだろう。
でも私にはどうしても、その言葉を吐けなかった。
この人は、クロハとマシロの気持ちを何も考えていない。
いくら育ててくれたとはいえ、最愛の両親に捧げられた子供が、見知らぬ赤の他人に懐くわけもない。
その事実に、峰石ヤクは気づくことができない。そんな彼女を、憐れに思った。
「いくら叱っても言うことを聞かないものだから、少し……ほんの少し、手がでることもあったわ。躾の一環でね。親子なんてそういうものでしょう?」
「……そんなの、おやこじゃないよ……」
アイリの小声は、私の耳にしか届かなかった。
彼女の拳に、そっと手を触れる。
「それでもあの子たちは、私への嫌がらせを止めなかった。食事の量を減らすとか、そういう、証拠が残らないような嫌がらせをね」
嫌がらせ……確かに、そうかもしれない。
でも、私にはそれが、せめてもの抵抗だったんじゃないかと思えてくる。
峰石ヤクの顔には怒りと悲しみが滲み出ていたけど、その感情の向こうに、自分がしてきたことに対するものは、何一つない。
それが、私の胸に、チクリと刺さった。
「そして、ついに私はカッとなって……揉み合いになったの。命の危険を感じた私は、手近なものを投げつけてやったわ。そうしたら、運悪く──クロハの頭に、当たってしまって」
「っ!?……そ、そんな……!」
「ぐったりして、動かなくなっちゃったのよ。だから、そのまま、我が家で療養させてあげたの」
「わ、我が家……? ど、どうして病院に行かなかったんですか……!?」
つい、声を荒げてしまった。
大人しく聞いていようと思っていたのに、黙っていられなかった。
クロハが意識を失っている間、マシロは、どれほど怖かったことだろう。
本殿で暴走するクロハに、何度弾き飛ばされても縋りついていたあの姿が、頭に過ぎる。
苦しい気持ちを抑えていると、またしても峰石ヤクは、キョトンと首を傾げた。
「こんなことが表沙汰になったら、私の立場が危うくなるじゃない。マシロも、渋々だけど納得していたし、大事はないと判断したわ」
たぶん、マシロは、納得したんじゃない。
選択肢がなかっただけだ。意識がない姉が傍に居る状況で、この人に逆らえる状況じゃなかった。
それを彼女は、納得と呼ぶのか。
怒りが、じわじわと、胸の奥に広がっていく。
でも、まだ、聞かなければならないことがある。
震える拳を、アイリが優しく触ってくれた。
「そして、案の定。数ヶ月前にすっかり元気になったわ。背中に変な痣ができていたけれど……私が付けたものじゃないし、放置したの」
「っ! そ、それって……!」
「よく知らないけど、願いが叶うのでしょう?」
峰石ヤクは、退屈そうに天井を仰いだ。
願いが叶う、という甘い言葉を口にしても、その顔には、何の感慨も浮かんでいなかった。
まるで、天気の話でもするような……。
古びたガラスのテーブルに、窓から差し込む光が、細長い影を落としていた。
壁に飾られた宗教画が、薄暗い室内の中で、ぼんやりと浮かび上がっている。
「……どうして、願いが叶うことを知っているんですか?」
「あの子たちがそう言ってたから。二人とも、大学で機械神学を専攻しているの。あんな暗号の内容なんて、すぐにわかったみたいよ」
機械神学……って、何だろう。というか……だ、大学生!?
「驚いたでしょう。あの子達二人共、小柄だから」
峰石ヤクは不敵に笑った。
……いや、体格もあるけど、クロハもマシロも、あどけない顔立ちをしている。年下だとばかり思っていた。
それにしても、あの不可思議な暗号をすぐに解読できるなんて、実は、ミホ先輩に匹敵するほどの知識を持っているのかもしれない。
「私は今でも半信半疑よ。条件もわからないままだし。でも、それを知った一部の教徒たちは、大盛り上がりしたの。神のお告げだー、とか何とか言ってね。……ハァ、本当に馬鹿馬鹿しい……あんな異様なものを崇めるなんて、どうかしてるわよ」
そう言い切ると、峰石ヤクは口を閉ざした。
話し飽きたのか、それとも、もう語ることはないと言わんばかりなのか。
アクセサリーを指先でいじりながら、視線を窓の外へと向けてしまった。
これ以上は引き出せない。そう判断した。
でも、聞けてよかった。
二人のことが、少しだけわかった気がした。
事情も、背景も、全部じゃないけれど……それでも、あの双子の姿と、今聞いた話が、頭の中でゆっくりと、繋がっていく。
深呼吸をして、気持ちを切り替える。そろそろ、本題に入ってもよさそうだ。
「……クロハとマシロの居場所に、心当たりはないですか」
「さあねぇ」
峰石ヤクは、吐き捨てるように呟く。
暴走が終わったら寄越せと言った割には、心底興味無さそうだ。
爪の汚れでも確認するように、自分の手元をじっと見ている。
「けど、見当くらいはつくわ。大学とウチを行き来するだけだった二人の行く先なんて、たかが知れてるもの」
その言葉が、ズキリと響いた。
二人の世界が、どれだけ狭かったのかが窺えた。
「どうせ、ウチの近所にある、西宮のお家にでも帰ったんじゃないの? 育ての親より、生みの親がいいってわけ。やっぱり、所詮はガキねぇ」
……西宮の家。それは、十分にありえる話だった。
行き場を失い、傷つき、暴走するクロハを抱えたマシロが、最後に縋るとしたら。
本当の両親と、本当の我が家かもしれない。当たってみる価値はある。
「……ありがとうございました。もう、結構です」
手がかりを掴んだ。それならもう、この屋敷に用はない。
私はアイリと一緒に、アオちゃんとスカイさんを起こす。
「ああ、そう。じゃあ、よろしく頼むわね。さっさと捕まえてくれると助か……」
「助かるって、介護の手立てがないからですよね」
私は、彼女の言葉を遮った。
自分でも驚くくらい、平坦な声だった。
頭の奥が、すっと冷たくなっていくのを感じる。
自分勝手なシーカのお母さんに対しては、怒りが爆発した。
許せなくて、言葉をぶつけずにはいられなかった。
でも、今は違う。
この峰石ヤクという女性に対して湧き上がって来た気持ちは、怒りなんかじゃない。
もっと静かで冷たい──軽蔑だ。
「約束しましたからね。無事に解決できたら、クロハとマシロはあなたの元に送ります」
「えっ……ナ、ナナ……?」
アイリは寝ている二人を起こす手を止めて、私の肩を掴む。
けれど、私は動じずに、峰石ヤクの窪んだ目を見ていた。
「でも、これだけは伝えておきます。あの子たちは、あなたの私物ではありません」
「な……生意気な……あなたみたいな小娘が、この私に説教するつもり?」
喚き散らす峰石ヤクに、もう、何の感情も向けなかった。
怒る価値も。憐れむ価値も。この人には必要ない。
この人に向けるエネルギーは、全部、クロハとマシロを助けることに使いたい。
こんな人、心を揺らす価値もない。
私は、くるりと背を向けて、寝ぼけ眼のスカイさんに肩を貸す。
アイリは眉を八の字にして、私と峰石ヤクを見比べながら、アオちゃんをおんぶした。
「……はっ! ナ、ナナ様。私は、どのくらい睡眠を……?」
「だいたい、十五分くらいですよ。もう用事は済んだので、帰りましょう」
「ちょっと! 私は済んでないわよ! 無礼なことを言ったんだから、謝んなさいよッ!」
「謝りません。さようなら」
それだけ言い残して、部屋を後にする。
峰石ヤクはまだ金切り声を上げていたけれど、振り返る気にはならない。
足腰のせいか、追いかけることはしなかった。
スカイさんの重さと体温を一身に受けて、廊下を歩く。
すると、突然、アイリが私の背中を叩いた。
「……ねぇ、クロハとマシロ。本当に、あの人に、わたしちゃうの?」
「ううん。峰石ヤクは、無事に解決したら、って言ったでしょ? 少なくとも、この遺物騒動が解決するまでは、渡さないつもり」
私がそう言うと、アイリはプッと噴き出した。
肘の身体を突いて、「わるいこだねぇ」と呟いた。
せめて、強かと言ってほしい。
けど確かに、今までの私じゃこんな、難癖をつけるようなことはしなかったかもしれない。……誰の影響だろうか。
冷たい屋敷を出ると、外は相変わらず、異変に沈んでいた。
徘徊する人々と、規則正しい動きで歩き回るアンドロイド。
そんな光景の中でも、私の心は不思議と定まっていた。
——待ってて。クロハ、マシロ。
双子が背負ってきたもの。その重さの片鱗を知った今、もう、迷いはなかった。
何があっても、あの子たちを助ける。
力ずくじゃなく、無理やりじゃなく、ちゃんと対話して、納得の上で救いたい。
……エゴかもしれない。迷惑かもしれない。思い過ごしかもしれない。
でも、それだって、対話しないとわからない。
「——ナナ、様!」
ふと、スカイさんの鋭い声。
彼女が指差した方に視線を向けると、黒い装甲の、DEMsのアンドロイドが、私たちの方へ近づいて来ている。
整然とした駆動音と振動が、地面から伝わって来るようだった。
「な、何だ、あいつら。捜索用じゃないのかよ!?」
「正確には、捜索・捕獲用でございます。おそらく、双子の捜索が困難と判断して、ナナ様とアイリ様の捕獲に舵を切ったのやもしれません」
「何にせよ、これではマズいです! あの子たちの元に向かわないと行けないのに……!」
頭の中で、いくつもの考えが溢れ出てくる。
クロハとマシロを早く追わないと、サクラちゃんに先を越されてしまう。
でも、DEMsのアンドロイドに囲まれては、身動きが取れなくなる。
すると、スカイさんが、静かに前へ出た。その背中が、とても大きく見えた。
「ここは、私たちが食い止めます。ナナ様とアイリ様は、双子を追ってください」
「で、でも、二人とも、体が……!」
アオもスカイさんも、異変に蝕まれて、まだ満身創痍のはずだ。
そんな状態で、DEMsの部隊を相手にするなんて。
「オレらなら、平気だ。休憩したおかげで、だいぶ回復したしな」
「そして、こんなときもあろうかと、用意していたものがあるのです」
そう言うと、スカイさんは私から離れて、スカートの中をまさぐった。
下着のインナーが丸見えになりそうで、目を逸らす。
「こちらです」と言って取り出したのは、二つの籠手のような装具だった。
金属質で、複雑な意匠が施されている。見るからに、玩具なんかではない。
「ミホ様から頂いたものです。発田サクラと戦闘になる可能性を危惧して、前もって作成を依頼していました。もちろん、報酬はたんまりと」
スカイさんは一つを自分の腕に嵌め、もう一つをアオちゃんに放った。
装具が、二人の腕で淡く光る。
「……ん? なんだこれ。さっきまでの頭のぐらつきが、すっと引いたような……」
アオちゃんが目を見開く。スカイさんも、ふっと息を整えた。
「なるほど。この外装は、チップへの干渉を和らげる機能があるようです。こんなことなら、最初から装備しておくべきでしたね」
「そ、そうですね……って、いや、ダメですよ! 目立っちゃうじゃないですか! それに、峰石ヤクも素直に話をしてくれたかどうか……」
少なくとも、話がしたいと言ってやって来た人が、あんなゴツい道具を装備していたら、何をされるか怖くて話す気になれない。
……まあでも、二人の体調がよくなったようでよかった。ホッと胸を撫で下ろす。
「力も底上げされているみたいだぜ。さすがは、有名研究者の発明っつーことか」
アオちゃんが軽く拳を握ると、ぴしり、と空気が鳴った。
ミホ先輩のことだ。もしかしたら、こうなることを見越して発明したのかもしれない。
……って、さすがに買い被りすぎだろうか。彼女ならやりかねないとは思うけど……。
「カッカッカ! これならいけるぞ……! ド派手にやろうぜ、姐さん!」
「え、ええ。……ナナ様とアイリ様は、早急に西宮の邸宅へ向かってください。くれぐれも、発田サクラにはお気をつけて。戦闘になるようでしたら、撤退してください」
「……はい、わかりました。お二人も、無理はしないでくださいね!」
アオちゃんとスカイさんは、迫りくるアンドロイドのほうへ駆けていく。
私はその背中に感謝して、アイリの顔を見上げた。
「……悔しいなぁ。撤退って言われちゃった」
「……うん。でも、スカイ、正しいよ。今の私たちじゃ、サクラとはたたかえない」
アイリは私の頭に手を置いてくれた。悔しい気持ちが、少しだけ薄れた気がした。
「いこう、ナナ。西宮ってかいてあるいえを、さがせばいいんだよね?」
私は力強く頷く。
そして、この辺りにあるという西宮の家を探して回ったのだった。
+++
街の外れの、古びた一軒家。
そこの門に、西宮と書かれた表札が掲げられている。
近づくと、玄関先に人影が見えた。私とアイリは足を止め、物陰からそっとうかがう。
「お、お願い。お父さん、お母さん……! 少し、だけ、休ませ、て……!」
ぐったりしたクロハを背負うようにして、マシロが玄関の戸にすがりついている。
その前には、中年の男女が立っていた。双子によく似ている。けれど、その様子がおかしかった。
二人とも、虚ろな目をしている。街中の人々と同じだ。異変に蝕まれている。
しかし、それはマシロにも当てはまっていた。
スカイさんが言っていた通り、やっぱり、チップに反応する異変なのだろうか。
「ヤク様、の……修業は、終わった、の、かい……?」
マシロが必死に呼びかけても、そんなうわ言を繰り返すだけだった。
ぼんやりと宙を見つめるばかりで、娘に目線すら向けない。本当に、壊れた人形みたいだ。
「なんで……なんで、わかって、くれないの!? お父さん! お母さん!」
……ひどい。
両親の耳に、悲痛な声が届いていないわけがない。
アオちゃんとスカイさんだって、受け答えはできていたんだから。
単にあの人たちは、峰石ヤクに差し出した手前、我が子たちを受け入れたくないだけ。
プライドとか、教祖様に落胆されるのが嫌だとか、たぶん、そういう理由で。
見ていられない。そう思った瞬間、アイリが先に、物陰から足を踏み出した。
「マシロ」
「っ!?」
呼びかけると、マシロは勢いよく振り返った。
私たちの姿を見るなり、その顔が恐怖と敵意に強張る。
「あ、あなたたち、ど、どうして、ここ、に……」
意識がないクロハを背負ったまま、マシロが後ずさる。
「こ、来ないで! お姉ちゃん、には、指一本、触れさせない! あなた、だって、力を奪いに、来たんでしょう!?」
「違うよ。私たちは、あなたたちを助けに来たの」
「嘘だッ! 誰が信じる、もんか!」
無理もない。双子はずっと誰かを襲い続け、ずっと狙われ続けてきた。
だから、こんなに頑なになっている。
それに、たった今、実の親にまで拒まれたばかりなのだ。誰も信じられなくなって、当然だった。
「お願い、話を聞いて。私は」
私が一歩踏み出すと、マシロは、びくりと身を震わせ。
クロハを抱え直して、よろよろと、逃げ出そうとした。
「来ないで! あっちへ行って!」
「待って、マシロ!」
逃げるといっても、その足取りは、見るからに覚束なかった。
クロハを背負って、かつ、身体の異変もある。完全に、満身創痍だった。
そう遠くまでは逃げられないだろう。
とはいえ、私も体力の限界が近い。今日は一日中、街を走ってばかりだったから。
私はマシロの背中を追う。
話を聞いてほしい、話がしたい、その一心で。ただただ、追い続けた。




