第十三話 信用と信頼
遊園地の日と、その前日。
合計二日も学校をサボってしまったわけだけど、それを咎める人は、誰もいなかった。
むしろ、教員からも両親からも、「課外活動お疲れさま」と、労いの言葉をもらった。
ライラさんが手を回してくれたのだろうけど、どうやったのかは聞いていない。
……どういう設定で話を付けたのか、すら。
でも、それで問題なかった。
だって、どんな活動をしたのかは秘密ということになっていたから。
たとえ聞かれたとしても、「それは言えない」といえば、それで済んでいた。
シーカから「会いたい」と言われたのは、遊園地での出来事から一週間が経過した頃だった。
指定されたのは、シーカの家でも学校でもなく、街の片隅にある、小さなドッグカフェ。
シーカとレノちゃんが働いているお店だ。
午後の日差しが柔らかくなり始める時間帯。
レトロな木製の扉を開けると、カランカランと、心地良い鐘の音が響いた。
お客さんは一人もおらず、時計の音だけが響いている。
店内は天井が低くて、木の温もりが至るところに感じられた。
壁は白漆喰で、所々に小さな額縁が飾られていた。
犬の写真や、手書きのイラスト。
どれも、この店を長年愛してきた人たちの痕跡みたいだった。
奥には、木製のカウンターテーブルが続いていて、その上にはお茶っ葉の入った小瓶が、色とりどりに並んでいた。ハーブの甘い香りが、ほんのりと、漂っている。
入ってすぐのところには小さな柵があって、『靴を脱いでお上がりください』と書かれた札がかかっていた。
柵の奥には、柔らかそうなラグが敷かれていて、その上に、くたびれた風合いのソファーが、いくつか置かれている。
アイリと一緒に柵を跨ぐと、何匹かの犬が、不思議そうにこちらを見た。
その中で、レノちゃんだけが、尻尾をブンブンと振りながら近づいてきた。
「わんわんっ!」
「あははっ! くすぐったいよ、レノ!」
アイリはその場にしゃがみ込み、レノちゃんのアプローチを一身に受ける。
まるで笑っているみたいに舌を出して、くねくねと身体を動かした。
「レノ。あんまり、はしゃがないよ」
声の方を向く。
そこには、カウンターからひょっこりと顔を出した、シーカの姿があった。
彼女はすっくと立ち上がると、慣れた手つきでお茶の缶ケースとカップを手に取る。
緑茶の良い匂いがこっちまで漂ってきた。
緑色のエプロンを身に纏うシーカは、制服のときとも私服のときとも印象が違っていた。
いつもの、モデルさんのようにスマートな感じは薄まり、代わりに、穏やかで温かみのある雰囲気が露わになっている。
どっちのシーカも素敵だなと思った。けど、本人には……言わないでおこう。
「いらっしゃい。今日は貸し切りにしてもらってるから、適当に座って」
寝そべっている犬を踏まないように気を付けながら、二人掛けのソファに座る。
清潔にされているけど、様々な色の犬の毛が付着していた。
「……ねぇ、シーカ。どうして……」
「ん?」
シーカはお盆を手にして、こちらに近づく。
可愛らしいデザインの蓋つき紙コップを、私とアイリに渡してくれた。
「どうして、集合場所をここにしたの? シーカの家でも、よかったのに」
シーカは何も言わずに、壁に寄りかかる。
そして、腕を組んで、顔を逸らした。
「家には今、意気消沈の母さんがいるから。顔合わせたら、気まずいと思って」
「……どうして? 私とシーカのお母さんは、何も」
「わかってるクセに」
「………………」
やっぱり、ライラさんが言っていたことは、事実だったんだ。
シーカはあのとき、遊園地にいた。
私とシーカのお母さん──アキラさんが戦っていたところを、見ていた。
無意識に、頭の中に記憶が蘇る。
警官たちに囲まれた、湖畔の広場。
アイリの力を借りて、アキラさんを攻撃して、撃退したこと。
「悪かった」
「え?」
そう言って、シーカさんは深々と頭を下げる。
楽しそうにしていたレノちゃんが、くぅんと鼻を鳴らして、彼女の足元に駆け寄った。
「本当なら、ナナを危険な目に遭わせるようなことはしない予定だった……と、ライラとスカイが言っていた。でも俺が余計なことを言ったせいで、お前とアイリは」
「い、いやっ、気にしないで! わ、私も、自分の力を試してみたかったから……って、別に、アキラさんを踏み台にしたとかそんなんじゃなくて、ええと……!」
正直、怒ってやりたい気持ちもあった。
警察官相手に戦うことになったわけだし、大勢の大人に囲まれたという恐怖心も、未だに少し残っている。
怒りの感情に踏み切れないのは、シーカ達の言い分もわかるからだ。
権限を集めると豪語したのに、正当防衛すらできないんじゃ、お話にならない。
これは、信用とか信頼の問題だ。
それに、結果論とはいえ、私もアイリも無事だし、誰も傷つかなかった。だから……。
「ちょっとだけ、こわかったけど。ナナも、アイリも、がんばったよ!」
「ほ、ほら、アイリもこう言ってるし……ね?」
アイリの無邪気な声と笑顔が、場を和ませる。
自分の気持ちをどう伝えればいいのか、頭を悩ませていると、ふと、とあることを思い出してしまった。
「……わ、私の方こそ、ごめんなさい。私、シーカが隠してたこと、聞いちゃった。本人の口から聞くべきだったのに」
シーカは頭を下げたまま、手のひらをこちらに向ける。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「あんなの、不可抗力だろ。だから、謝る必要なんてない」
いつも通りの、涼やかな表情。
でも、何故だろう。ほんの少し柔らかく見えた。
「むしろ、嬉しかったんだ」
「え?」
「私はずっと、自分が何なのか、わからなかった。それでいえば、私はアイリと同じだ」
名前を呼ばれて、アイリがキョトンと首を傾げる。
シーカはフッと笑みを零したあと、何度も何度も深呼吸をした。
「……私は……私は、女性じゃない。男性でもない。この身体には、どっちの性別も内包されている。名前が付いてないくらい、珍しい病気だ」
シーカは、自分の身体に目をやる。
タートルネックのインナーに、羨ましいほど細いくびれ。
筋肉質な四肢と、スラリと伸びた身長。
「このことを知って、気味悪がらなかった人間は、ナナが初めてだったよ。それどころか、私の代わりに母さんに怒りをぶつけてくれた」
「…………」
私は、何も言えなかった。返す言葉を探したけれど、見つからなかった。
だから、黙って頷いて、シーカの言葉を受け取った。
「……二人には、話しておこうと思う。つまらない話だけど……聞くかどうかは、任せる」
「きく!」
「聞くよ」
私とアイリの声が重なる。
興味本位とかではなく、単に、シーカのことが知りたかったから……。
いや。壁を取り払って、歩み寄ってくれた彼女に、応えたかったんだと思う。
窓の外では、風が木々を揺らしていた。
葉の擦れる音が、静かな店内に、柔らかく響いた。
「母さんは、子供ができにくい身体だった。だから、ようやくお腹に授かった双子を、絶対に大切にしたいと思っていたらしい」
無意識に、アキラさんの顔が思い浮かぶ。
彼女の気高さは、そういうところから来ているのかもしれない。
「ところが、その性別の異なる双子は、母胎の中で混ざってしまった」
「そんなこと、あるんだね」
アイリがポツリと呟く。
私自身、そういう事例は今まで聞いたことがなかった。
私たちの反応を気にせず、シーカは言葉を続ける。
「不思議なことに、身体に異常はなかった。が、染色体を見ると、性別が混ざっていたのが明らかになった。……このことを聞いた父親は、資産を置いて逃げたよ」
苦悶の表情が、シーカの顔に浮かび上がる。
でも、それもすぐに収まった。
「残された母さんは、私を女の子として育てることにした。当時は、ただ染色体がおかしいだけで、女の子の身体つきだったらしいから」
「当時……ってことは」
「そう。ちょうど、中学に上がったときだ。声変わりが始まった。喉仏も出てきた。ガタイも良くなった。……それ以外の特徴は、今のところはない」
シーカはそう言うと、首元に指を引っかけて、肌を露わにした。
確かに、女性にはない突起物が、喉に見えた。
「私はパニックになって、母さんを問い詰めた。そしたら、あっさりと真実を話してくれたよ」
「……それで、誰も信じられなくなったんだね」
「そうだ。加えて、自分が何者なのかもわからなくなった。性別なんて括りで自分を定義づけられるとは言わないが、それでも、自分を見失うのには十分過ぎた」
自分を見失う。
それがどれだけ辛いことなのか、私にはわからない。
でも、何か思うところがあったのか、アイリはとても悲しそうな目で、「わかる、きがする」と呟いた。
私にしか聞こえないくらい、とても小さな声だった。
「それからの三年間は、地獄だった。学校中に広まって、晴れて私は好奇な目の対象。金もカツカツだから引っ越すこともできない」
「……高校では、そんな噂、聞いたことなかったよ」
「飽きたんだろ。ま、中学のときとは違って、先生がちゃんと配慮してくれたってのもあるが……それよりも」
シーカは突然、私の前に躍り出た。
その場でしゃがんだことで、目と目が合う。
「ナナ。お前のおかげでもあるんだ」
「えっ……わ、私?」
思わぬ発言に、ポカンと口が開いた。自身を指差して、続きの言葉を待つ。
「チップがない。……たったそれだけで、クラス中が騒ぎ立てて、ナナのことが話題で持ちきりになった。……そのおかげで、私のことは話題に上がらなくなったんだと思う」
それを聞いて、改めて自覚する。
今の私は、園縁高校の有名人だ。
そんな人と同じクラスにいたら、確かに、噂の話題性は薄くなるかもしれない。
シーカのためになっていたのは嬉しいけど、南雲家の生活スタイルって、それだけ異常だと思われているのか……。ちょっと……いや、だいぶ悲しい。
「とはいえ、助かったわけじゃない。実際、私の性別に関する話を耳にしたこともあった。……でも、ナナがいてくれたことで、私は、少しだけ快適だったんだ」
「そんなの、知らなかったよ。私、知らず知らずのうちに、シーカを救ってたんだね」
「今まで言ってなかったからな。……って、私、最低だよな。私の代わりに矢面に立ってるのは、ナナなのに」
シーカは立ち上がり、申し訳なさそうに目を伏せる。
「気にしないで」という言葉が口から漏れそうになったけど、飲み込んだ。
きっと今の彼女はそんな慰めを求めていないだろうから。
私はぬるくなった緑茶を半分ほど飲み込む。苦味がなくて、スッキリした美味しいお茶だった。
しばらく、沈黙が続く。
私もアイリもシーカも、ただ黙って俯いていた。
「──レノの権限を、アイリに渡そうと思う」
淡々とした声だった。
感情を込めないようにしている、というより、もう、何度も自分の中で咀嚼してきた言葉、という感じがした。
「……理由を、聞いてもいい?」
聞き返すことはしない。
シーカの言葉は、しっかりと私の耳に届いていたから。
でも、私には、彼女の顔を見ることができなかった。
重苦しい空気だけが、肌に纏わりついた。
「病院、行ったんだ。スナミの様子を見に来てくれって、アオに言われて」
そう言われて、息を飲み込む。
私も何度か顔を見せたことはあるけど、シーカの姿は一度も見かけたことがなかったから。
アオからも、特に聞かされていなかった。
他人とは壁を作っていたのに、どういう心境の変化があったのだろう。
そんなことを思っていると、シーカは鼻を鳴らした。
「わかってる。柄にもないって言いたいんだろ? ……私はスナミとアオの連絡先消してたし、正直、行くつもりなかったよ。でも、アオが土下座までするもんだから、半ば仕方なく行ったんだ」
「ど、土下座……」
思わず絶句する。
想像はつかないけど、実直な性格なアオなら、やりかねないと思った。
「アイツの気持ち、今ならわかる気がする。……もしレノが、スナミと同じように、無理やり権限を奪われて、確かな保証も治療場所もないまま、眠ったままにされたら……私でも、誰かが傍に居てほしいって思う」
「シーカ……」
「目覚める保証は、未だにない。でも、病院で眠っているスナミの脳は、死んでなかった。それに、DEMsの息がかかってる大きい病院に行けば、もっと安全に生命維持ができるらしい」
シーカはこめかみに手を当てて、私にホログラムの画面を見せてくれた。
そこには、たくさん難しい言葉が並んでいて、全部は読み解けなかったけど……しっかりと、ライラ・ロストーリ・ノースシュタインの直筆サインが書かれていた。シーカの名前も。
「実を言うと、今でも迷ってる。レノが植物状態になるのは、やっぱり、怖い」
シーカの声が、僅かに揺れる。
そして、震える手でレノちゃんの頭を撫でた。
その身体が、とても小さく見えた。
「でも……レノと見る最後の記憶が、恐怖で終わる方が、もっと嫌だ。だったら、覚悟ができてる今、安心できる状況で、ナナとアイリに預けたい」
「さいごじゃないよ!」
アイリは慌てた様子で、シーカの顔の前で手を振る。
シーカは「そうかもな」と、半ば諦めた言葉を口にして、少し笑った。
「……ハハハ、ずるいよな。私、自分の怖さを、二人に押し付けたんだ」
「そんなことないよ!」
自棄になっているのか、アイリは大きな声で主張する。
それに呼応するかのように、何匹かの犬が「わん」と吠えた。
私はシーカに近づいて、両手を握る。
心配になるくらい、ひどく冷たかった。
「権限を集めるって決めたのは、私とアイリだから。シーカが背負うことじゃないよ」
過去の出来事で心を閉ざしていた彼女が、今、私に、心を開いてくれている。
それがたまらなく嬉しくて、涙が出そうになった。
必死に耐えて、私は、シーカの目を見る。
彼女の瞳は、真っ直ぐ輝いていて。宝石のように美しいと感じた。
「………………」
返事はない。
唇が、ひどく震えていた。
クールでぶっきらぼうな、いつものシーカからは想像もつかない、もろい表情だった。
シーカは、レノちゃんのことを、何より大切にしている。
だからこそ、権限を渡すことを、ずっと、拒んでいた。
それでも、渡すと決めてくれた。
それがどれだけの決断か、私には、想像することしかできなかった。
私とアイリの手を優しく払い、シーカは、足元のレノちゃんを抱き上げる。
レノちゃんはつぶらな瞳で、彼女の目をじっと見つめた。
「──レノ。ちょっとの間だけ、お別れだ。すぐ、迎えに来るから。約束する。だから……」
「くぅん」
レノちゃんは、わかっているのかいないのか、シーカの頬をぺろりと舐める。
その瞬間、シーカの目から、堪えていた涙がこぼれ落ちた。
「……ありがとう」
シーカはそれだけ言って、ただ小さく、頷いた。
その瞬間だった。
「ア、アイリ。痣が……」
「え?」
アイリの鎖骨の痣が、淡く、光り始めた。
レノちゃんのお腹にある痣も、同じように明滅している。
二つの光が、共鳴するかのように揺れていた。
私とシーカは、思わず顔を見合わせる。その光が何を意味するのか、これっぽっちもわからなかった。
「わんっ!」
レノちゃんは尻尾を振って、床に降りる。
そして、アイリに飛びついた。
アイリはきゃっと声を上げてから、嬉しそうに笑う。
痣の光は、いつの間にか消えていた。
もしかしたら、幻だったのかもしれない。でも、今はそれでよかった。
一人と一匹の様子を、私とシーカは黙ってみていた。
彼女の穏やかなその微笑みに、どんな気持ちが含まれているのか、私には読み取れない。
「皆、私を見て勝手に決めるんだ。女だ男だってさ。それは、母さんも同じだった。私の気持ちなんかお構いなし」
涙がポロポロと零れていた。
シーカは、それを止めようともしなかった。
力が抜けたように、その場に崩れ落ちていく。
私は何も考えずに、その身体を強く抱きしめた。
「そんな中で、レノだけが私の味方だったんだ。私が何者でも、無邪気に尻尾を振ってくれる。私を私として見てくれる」
「だから、レノちゃんが好きなんだね」
シーカはコクリと頷く。私に身体を預けて、ゆっくりと息を吐いた。
「ずっと怖かった。レノを失うのが。だから願いを叶えて、長生きさせようと思った」
言葉が途切れる。シーカは、目元を乱暴に拭った。
「……でも、それじゃ母さんと同じだ。レノの意思も聞かずに、勝手に道を決める。母さんが私にしてきたことと、何も変わらない」
胸がチクリと痛む。
彼女が一人で抱えてきたものの重さが、じわじわと伝わってくる気がした。
「こんなのは、もうやめる。……って言いたいところだけど、結局、私もレノの道を勝手に決めることになる。ナナたちに頼ることにもなる。母さんと、大して変わらないかもしれない」
シーカは私の肩を掴んで、身体を離す。
その目にはもう涙はなく、清々しい笑顔が残っていた。
「それでも、怖いまま何もしないより、自分で選んだ方がマシだと思ったんだ」
その言葉に、今度は私の目から涙が溢れる。
シーカは、「何でナナが泣くんだよ」と言って、声を上げて笑った。その笑い声で、また涙が零れた。
しばらく泣いたあと、ふと、アイリとレノちゃんの方を見やる。
すると、いつの間にか、レノちゃんがアイリの膝の上に頭を乗せて、スヤスヤと眠っていた。
「珍しいな。レノが誰かに身体を預けて寝るなんて。私でも中々されたことないぞ」
驚いたように目を丸くするシーカをよそに、アイリは、ゆっくりとレノちゃんの頭を撫でる。
その様子を見て、他の犬たちも意気揚々とアイリの傍に近寄っていく。
そして、アイリの周りをたくさんの犬が囲んで、眠り始めた。
「うわわっ……ナナ~、シーカ~、たすけて~。うごけないよ~」
困り果てたアイリの声に、思わず笑いが込み上げてきた。
シーカも、口元を押さえながら、肩を揺らしていた。
さっきまで泣いていたのが、嘘みたいだった。
アイリが、犬に埋もれたまま、こちらを恨めしそうに見ていた。
でも、その顔は、困っているのか、嬉しいのかわからないような、不思議な顔だった。
レノちゃんは笑い声を聞いても、アイリに身体を預けている。緩やかに尻尾を振っていた。
その姿を見て、レノちゃんは、アイリのことを心から信頼しているように見えた。
あのモフモフの黒い身体が、そう語っているように見えた。
……レノちゃんが何を考えているかなんて、私たち人間にはわからない。
だから、これは私の勝手な想像だ。
それでもシーカは、レノちゃんは、大切なものを私たちに預けると決めた。
それが、どれだけの覚悟がいることか。その重さを、私は、ちゃんと受け取らなきゃいけない。
絶対に、責務を果たす。
私は、誰一人傷つけることなく、権限を集める。そして、全員を救う。
いつの間にか、店内は橙色に染まっていた。
窓の外は夕暮れで、建物がじわりと赤くなっている。
窓から差し込む光も、さっきより柔らかく、温かみを帯びていた。
カウンターに並んだお茶の小瓶が、その光を受けて、きらきらと輝いていた。
私はその輝きを、大切な思い出として──決意として、胸の中に刻み込んだ。
+++
権限の譲渡は、安全を考えて、ミホ先輩のラボで行われた。
どうやら先輩のラボはちょっとしたシェルターのようになっているらしく、電波障害にも物理的な破壊にも頑丈らしい。
集まったのは、ミホ先輩、ライラさんとスカイさん、私とアイリ、シーカとレノちゃん。
レノちゃんとアイリのみが、ラボ内の開けた空間に入り、他の人は周囲で待機。
ホログラムの壁によって、出入りはできないようになっていた。
シーカは、不安そうな目でレノちゃんを見つめている。
そんな彼女の拠り所になりたいという思いで、私は彼女の背中を優しくさすった。
「レノ。おいで」
アイリが床に膝を付いて、レノちゃんと目線を合わせる。
見つめあう二人を、誰も口を挟まずに見守っていた。
「わんっ!」
レノちゃんが鼻先をペロリと舐めてから、その鼻をアイリの唇に寄せる。
指示していたわけでも、示し合わせていたわけでもないのに、レノちゃんは自ら権限をアイリに譲渡した。
次の瞬間、二つの痣が、同時に淡く光った。ドッグカフェで見たのと同じ光景だった。
そして光は、レノちゃんのお腹から、アイリの胸へと流れ込んでいく。
少しずつ、レノちゃんが瞼を閉じ始め、その場に倒れ込んだ。
「レノ……!」
震えるシーカの声は悲痛なものだった。
けれど、レノちゃんはアイリの膝の上で、安らかに、静かに、寝息を立てている。
クロハとココナさんのときのような暴走が起きる気配もなく。
粛々と、そして穏かに、権限の譲渡は終了した。
安全が確認されると、ミホ先輩は、ホログラムの壁を解除した。
シーカはすぐさまレノちゃんに駆け寄り、抱き締める。
「……寝てるだけ、みたいだ。ちゃんと心臓の音も、脈拍もある」
張り詰めていた力が、ドッと抜けたように、目から涙が零れ落ちる。
ややあって、感情を露わにして、声を上げて泣くシーカを、今まで見たことがなかった。
「絶対に、目覚めさせるから」
自然と出た言葉。
これは決して慰めなんかじゃなく、私の本心と覚悟だった。
目元を擦って、溢れそうになる涙を拭きとる。
「……ああ。頼んだ」
シーカは、短く、それだけ言った。
眠るレノちゃんを見つめるその横顔には、自分で選んで、自分で託すと決めたその強さが、確かに表れていた。
「ふむ……暴走は権限譲渡の代償ではないようだね。何か他に条件があるのか……ブツブツ」
物寂しい雰囲気でも変わらず、ミホ先輩は一部始終を観察しながら、小難しい独り言をつぶやいていた。
半分も理解できなかったけど、彼女がそうやって考え続けているというだけで、とても頼もしかった。
——大丈夫。
心の中で、もう一度誓う。
レノちゃんも、ココナさんも、スナミちゃんも。みんな、必ず取り戻す。
預けられたたくさんの想いを、胸の奥に、ぎゅっと抱きしめた。
レノちゃんの権限を得てから、アイリにはいくつかの変化があった。
「なんだか、頭の中がすっきりした感じ。前より、いろんなことを思い出せる気がする」
ひとつは、言葉だ。あのたどたどしかった喋り方が嘘みたいに、滑らかになっていった。
譲渡を終えてすぐは変わりなかったのに、日が経つにつれて、はっきりとわかるようになった。
まだ舌足らずなところは残るけれど、言葉の数も増えた。
以前は一言二言で済ませていたことを、ちゃんと文章にして話してくれるようになった。
「き、記憶が戻ったの?」
「ちょっぴり。まっくらで何もないのと、びょういんでだれかとお話してたの。おいしいものも、たくさん食べた」
彼女が口にする記憶は、とても断片的だった。
脈絡もないし、肝心の名前や出身地、家族のことは何もわからない。
でも、アイリが自分のことを語り始めた。それだけで、嬉しく思えた。
そして、もうひとつの変化。アイリは傘だけではなく、斧にも変身できるようになった。
レノちゃんに宿っていた遺片の力を、受け継いだんだと思う。
ココナさんの鎖の力が、クロハに渡ったみたいに。
ミホ先輩とライラさんの予想は、正しかった。権限を集めるほど、アイリは強くなっていく。
そして、そんなアイリの変化を実感した、すぐのことだった。
「ただいまー」
「おじゃましま~す」
その日は、学校がお休みだった。
昼近くまでゆっくり眠って、南雲家にスカイさんが訪れる。
アイリや行方不明の双子。そして、レノちゃんやスナミちゃんの様子など、情報共有をしていた頃。
お母さんの帰宅と共に、可愛らしい声が玄関から聞こえてきた。
お客さんとは珍しい。
スカイさんとアイリを残して、様子を見に階段を下りる。
すると、買い物帰りのお母さんの後ろに、見覚えのある少女が、満面の笑みで立っていた。
「こんにちは、ナナさん」
「……サクラちゃん」
私は思わず後退る。
発田サクラ。
角花高校に通っていて、何故か私に執着している女の子。
「あら。ナナ、覚えてたの? サクラちゃんのこと」
「え? 覚えてたって、どういうこと?」
何も知らないお母さんは、靴を脱ぎながら、呑気に笑った。
「商店街で声をかけられてね。何でも、昔、ナナと同じ病院に入院してて、仲良くしてもらったんですって。それですっかり話が弾んじゃって、せっかくだからお茶でもって……」
お母さんの言葉が、途中で耳に入らなくなった。
……同じ病院? 仲良くしてた? そんな記憶、これっぽっちもない。
ぞくりと、寒気が走る。
サクラちゃんはいつも、知らないうちに私のことを調べ上げている。
「さ、上がって上がって。今、お茶を淹れるからね」
「はい、ありがとうございます」
サクラちゃんは、礼儀正しく頭を下げる。
お母さんの買い物袋を見て、「持ちますよ」と声をかけていた。
「ナナ様」
「うわっ!」
突然、背後からスカイさんが話しかけてくる。
もしかして、部屋まで話が聞こえていたのだろうか。
スカイさんは無表情ながらも、戦々恐々とした様子でサクラちゃんを見ていた。
「サクラ、来てるの?」
「あっ。ちょっと、アイリ……!」
私の制止を聞かずに、アイリはそそくさと居間へ入っていく。
私とスカイさんも、その後を追った。
にこやかな表情で椅子に座っているサクラちゃんと、アイリの目が合った、その瞬間。
ピシ、と、サクラちゃんの表情が凍りついた。
凍てついた目が、アイリへと注がれる。その瞳には、剥き出しの苛立ちが滲んでいた。
「お二人も、一緒だったんですね。もしかして、一緒に暮らしているとか?」
穏やか声色なのに、ぞっとするほど冷たい。
膝の上で組まれた手が、音を立てそうなほど握りしめられている。
笑顔のまま、全身から、どす黒い感情が溢れているみたいだ。
「アイリは、ナナといっしょだよ。ねるときも、ごはんも、おふろも」
「ちょ、ちょっと、アイリ! お風呂はたまにでしょ!?」
「ナナ様。その発言は火に油かと思われます」
しまった。つい……恐る恐る、サクラちゃんの顔を見やる。
「へぇ。お二人とも、仲が良いんですね」
しかし、さっきまでの憎悪の感情は既になく。両手を重ねて、無邪気な笑顔を振りまいていた。
……目は、一切笑っていなかったけど。
「それにしても、ナナと同じ病院にいたなんてねぇ」
そんな攻防(?)を知る由もないお母さんが、昆布茶とお茶菓子をテーブルに置いてくれた。
促されて、私たちも椅子に座る。
「僭越ながら、お伺いしてもよろしいでしょうか。ナナ様は、どうして入院をしていらっしゃったのですか?」
「あら。そういえば、スカイさんには伝えていなかったわね」
そう言って、お母さんは熱々の湯呑に手をかける。
いつものことながら、よく舌が火傷しないなと感心する。
「ナナはね、昔、時々、意識がプツリと途切れることがあったの」
「ナルコレプシー、というものですか? 聞いたことがあります」
「お医者さんはそう診断していたけど、正確な原因は不明のままだったわ。入院してすぐに、回復の傾向が見られたから、一年後、すぐに退院したの」
スカイさんは背筋をピンと伸ばしたまま、首を傾げる。
お母さんはまた一口、お茶を飲んだ。
「あの頃のナナ、お友達も少なくて、心配してたのよ。でも、サクラちゃんと仲良くしてたなんて、ちっとも知らなかった」
「…………」
お母さんの微笑みから、私は背を向ける。
心臓から嫌な音が響いていて、ここから逃げ出したい気持ちにすらなってくる。
お母さんの言っていることは正しい。でも、私は回復したなんて思っていない。
確かに、入院していたあの一年、お医者さんは回復傾向にあると言っていた。
意識が途切れる回数が減って、症状も落ち着いてきている、と。
看護師さんたちも、両親も、何事もなかったかのように、いつも通り接してくれていた。
でも……私自身の感覚としては、何も変わっていなかった。
意識は、相変わらず途切れていたのだ。
不思議だったのは、誰も、それに気づかなかったこと。
私の意識がないはずなのに、私はちゃんと喋っていたらしい。笑っていたらしい。
検査をしても、異常は見つからなかった。
どうしてそんなことになっていたのか、今でも、わからない。
意識が途切れなくなったと自覚したのは、退院してから、半年くらい経った頃だった。
このことは、今まで、誰にも言ったことがない。
お父さんとお母さんは、私の病気をきっかけに、すっかり考え方が変わってしまった。
元々アナログ思考だったのが、更に肥大化してしまった。
かさみ続ける治療費も相まって、あの一年は、南雲家にとって、ずっと重たいものだった。
だから、回復傾向にあると言われたとき、二人がどれだけほっとしていたか。
よく覚えている。その安心を、壊したくなかった。
「私、ナナさんに恩があるんです」
ふと、サクラちゃんが自分の胸に手を添えて、口を開く。
「私、心臓の病気だったんです。治療も辛くて、毎日、死と隣り合わせって感じで。不安で仕方がなかったんです」
「ああ、そういえばそうだったわね。ナナの口からも聞いていたわ」
「………………」
サクラちゃんの病気のことなんて、知らない。
彼女と仲良くしていた記憶なんて、どこにもないのに……ぽっかりと抜け落ちていることが、不気味で仕方が無かった。
けれど、私は愛想笑いを浮かべて、お菓子に手を伸ばす。まったく味がしなかった。
「加えて、同じ病室の子からのイジメもあったんです。それでも、ナナさんが来てくれるようになったことで、パタリと止んだ。数時間しか一緒にいられませんでしたけど、その一年間の思い出は、かけがえのない宝物なんです」
サクラちゃんは、私を見つめる。
その目は、恋する乙女そのものだった。
頬がほんのり赤らんでいる。瞳の奥に星でも宿っているみたいに、キラキラと輝いていた。
「優しい声で、笑いかけてくれて。手を握ってくれて。私の心を守ってくれた。あの時間は、私の世界の全部でした。今でも、目を閉じれば、あの瞬間を思い出せます」
うっとりとした口調だった。
これはもはや恋というよりも、心酔……危うい感情のように見える。
「これは、一生かけても、返しきれないくらいの恩なんです。だから、今のナナさんのことも、絶対に、お守りしたい」
全員の視線が、私に向けられる。
知らない記憶の中の自分に、こんなにも想いを寄せられている……それが、嬉しいのか、戸惑うべきなのか、自分でも、よくわからなかった。
「ナナは、サクラにとっても、おんじんだったんだね。じゃあ、サクラは、アイリと同じだね」
「……は?」
心臓が跳ねるほど低く、暗い声色。
サクラちゃんは表情を一変し、淀んだ目をアイリに向けた。
「今、あなたの話はしていません。というか、一緒にしないでくれませんか?」
サクラちゃんは吐き捨てるようにそう言うと、すっかり温くなったお茶を飲み干した。
そして、すっと立ち上がり、私の肩を掴む。
「ナナさん。折り入って、お話があるんです。少し、お時間いただけませんか」
遺片のことだ、と、すぐにわかった。
それはスカイさんも同じだったようで、彼女もまたお茶を飲み干し、立ち上がる。お母さんとアイリだけが、首を傾げていた。
「僭越ながら、サクラ様。私も同行してもよろしいでしょうか?」
「……まあ、いいですよ」
思わぬ返事だったのか、スカイさんは一瞬だけ、ピクリと眉毛を動かした。
「何か不穏な雰囲気ねぇ。悩み事でもあるの?」
「そうなんです。ナナさんに大事な相談事があって……あ、お茶、美味しかったです。ごちそうさまでした!」
にっこりとサクラちゃんは笑う。飛び切り可愛い、甘い笑顔だった。
けれどその目の奥には、何か決意のようなものが宿っていた。
サクラちゃんを自室に招くと、彼女の顔がパァッと明るくなった。
居心地が悪いのか、座布団に座ってもソワソワソワソワと、周囲を見渡したり、その場に立ったり、座ったりしていた。
「お、落ち着いて、サクラちゃん。私たち、何もしないから」
「はい。サクラ様が妙な真似をしない限りは、ですが」
「……スカイ、一言よけいかも」
そんな感じで、三人で雑談をしていると、およそ十分後くらいに、サクラちゃんは落ち着いてくれた。
ゆっくりと、部屋の空気をたっぷり吸い込んで、吐き出す。
「失礼しました。この後、師匠との約束もあるので、簡潔にお話しますね」
「師匠?……もしかして、イチコ先生のこと?」
サクラちゃんが、何度かそう言っているのを耳にしたことがあった。
私が尋ねると、サクラちゃんは私に身体を近づけて、手を触った。
「はい! 恋愛の師匠なんです。同僚の先生とお付き合いしていて……」
「おや。イチコ先生という方は、確か、アンドロイドなんですよね? 教師型の。であれば、恋愛感情を持っているはずがありません」
「あ……い、いや、そんな話、どうでもいいんです。さっさと本題に入ります」
明らかに目を泳がせて、不自然に咳払いする。
隠し事をしていますと言っているようなものだ。
「……私、ナナさんが頑張ってるの、知ってますよ。鍵の権限を集めてること。最近、ワンちゃんの権限を譲ってもらってましたよね」
ヒヤリ、と、空気が変わった。私はほんの少し、サクラちゃんから遠ざかる。
「ど、どうして、それを」
「ナナさんのことなら、何でも知りたいので」
それでもサクラちゃんは、べったりと私にくっついた。
アイリとは違って体温が高く、しっとりとした肌が、絡み付いた。
「それでですね、ナナさん。私、ずっと考えてたんです。ナナさんを、これ以上危険な目に遭わせたくないって」
「え……?」
「だってナナさん、戦うの苦手でしょう。血を見るのも、人を傷つけるのも。遊園地では頑張ってたみたいですけど……あんなおっかない戦い方、見ていられません」
遊園地のことまで知ってたんだ……。
サクラちゃんの声は、本当に私を案じているように優しくて、不安げだった。
だからこそ、次の言葉が、ひどく唐突に響いた。
「なので、今の遺片の権限を、イチコ先生に渡してください」
言葉が、出なかった。
サクラちゃんの目は、一切揺るいでいない。
冗談でも、脅しでもない。本気の目だった。確かな決意が、静かに燃えているようだった。
「私と師匠は、ナナさんよりもずっと強い。あの例の双子だって、簡単にやっつけられます。権限を貰って、双子を倒せば、全て解決ですよね。ナナさんは、二度と戦わなくていい」
「駄目だよ」
気がつけば、口からこぼれていた。
やっつける。
その言葉が、妙に引っ掛かった。
サクラちゃんは本気だ。
本気で私のためを思って、そして、本気であの双子を倒すつもりでいる。
「やっつけるなんて、倒すなんて、そんなことは駄目。私は、誰も傷つけずに終わらせたいの」
「何故ですか?」
心の底から不思議そうに、私の顔を覗き込む。
本当に、わかっていないのか。自分が、どれだけ怖いことを言っているのか……。
「双子は、敵ですよね? 何回も、ナナさんや周囲の人を襲ったらしいじゃないですか。凶暴で、醜悪な、最低な人ですよ?」
「それは、そうだけど……でも、クロハもマシロも、きっと事情があったんだよ。二人は……」
そこまで言って、私は口を閉ざす。
私は二人のことを、何も知らない。だから、どんな事情があるかなんて、わからない。
けど二人は、人戒教の祭典のとき……お互いに庇い合って、名前を呼んで、手を伸ばし合っていた。
ひたむきに、ただ生きようとしているように見えた。
だからこそ、やっつけて終わりなんて、したくない。
権限は取り返したい。
でも、あの子たちを傷つけたいわけじゃない。穏便に済む方法が、あるはずなんだ。それに……。
「……それに、戦うってことは、サクラちゃんも危険な目に遭うってことでしょ。そうなるくらいなら、私が」
「私は平気です。強いですから。それに、ナナさんの為なら何だって」
「私が平気じゃないの」
思わず、声が大きくなった。
「シーカが、大切なレノちゃんを、私に託してくれた。私になら預けられるって。その思いを、サクラちゃんに丸投げすることはできない」
私は全員の目を見て、ハッキリと宣言する。
そして、改めて、預かったものの重みを噛みしめた。
レノちゃんの命。
ココナさんを、スナミちゃんを、みんなを目覚めさせる使命。
それは私が引き受けると決めたことだ。
「だから、私がやらなきゃいけないの。サクラちゃんは、イチコ先生の権限を、アイリに渡してくれれば、それでいいの」
しん、と沈黙が落ちた。
サクラちゃんはしばらく黙って私を見ていた。
その顔から、すうっと、いつもの甘い笑みが消えていく。
しっとりした小さな手を離し、身を退ける。
「……残念です」
ひどく、冷たい態度だった。
さっきまでの柔らかい雰囲気は、もう、どこにもなかった。
まるで、スイッチで切り替わったみたいな……その変わり身の早さが、何よりも、怖かった。
「私は、ナナさんの為に言っているのに。わかってくれないんですね」
「サ、サクラちゃん……」
「もういいです。それなら、同盟は解消です」
私にだけは決して向けないはずの、突き放すような言葉。
同盟らしいことはしていなかったけど、それでも、彼女は私と決裂した。
それが、紛れもない事実として突きつけられた。
「私は、私のやり方でやります。ナナさんが何と言おうと。だってそれが、ナナさんを守る一番の方法だから。手始めに、危険な双子を始末することにします」
「待って、サクラちゃん!」
「次に会うときは、敵かもしれませんね」
振り返らずにそう言い残して、サクラちゃんは去っていった。
その背中には、怒りと哀愁が混ざり合ったような、複雑な思いがあったような気がした。
サクラちゃんがいなくなっただけで、部屋が、急に冷たく、広く感じられた。
「……ナナ」
「ナナ様」
アイリとスカイさんが、心配そうに私を見る。
「うん……大丈夫」
私は取り繕って、笑顔を浮かべる。でも、うまく笑えている気がしなかった。
本当は、大丈夫なんかじゃない。
サクラちゃんと……最も敵にしたくなかった人と、決裂してしまった。
後悔と罪悪感が、私の心に溢れる。
もっと、うまい言い方があったんじゃないか。
サクラちゃんと同盟を結んだまま、やれることがあったんじゃないか。
そんな考えが、頭の中を巡っていた。
でも……譲れないものは譲れない。
クロハとマシロを倒すなんて、したくない。
皆を自分の手で取り戻す。それを、曲げることはできなかった。
——大丈夫。
何度も、自分に言い聞かせる。
サクラちゃんも、きっとわかってくれる。
しかし、どれだけそう思おうとしても、胸の奥の小さな棘は、ずっと、そこに刺さったままだった。
窓の外では、いつの間にか日が傾き始めていた。
昼の光をぼんやりと滲ませていた。白くにごった光が、部屋の中まで、淡く差し込んでいた。
「……アイリ。そろそろ、ごはんにしようか。スカイさんも、どうですか?」
くぅと鳴いたお腹が、気を紛らわせてくれる。
食べ損ねた昼食を求める余裕はあるみたいだ。
私は二人の顔を見ずに、その場から逃げるように、階段を下りていくのだった。




