第十話 仮定、そして覚悟
混乱状態の角花高校から、逃げるように外へ出たあと。
近くまで送ってくれたイチコ先生と別れて、私、アイリ、シーカは、バスを待っていた。
その間、シーカは少し離れたところで、ライラさんに連絡を入れ始める。
多分、今すぐ会って話したい……みたいな内容だと思う。
普段生活していて、チップがないことによる不便さは感じたことがない(慣れている、とも言える)けど、リアルタイムな連絡手段だけは、羨ましさを感じずにはいられなかった。
「日賀志ミホの家に集合だってさ。場所、わかる?」
「わかるよー! アイリ、おぼえてる!」
手を大きく上げ、高らかに宣言するアイリ。
シーカはコクリと頷くと、こめかみから手を離した。
「連絡ありがとう、シーカ」
「別に。ナナにはチップがないし、アイリのは壊れてるんでしょ」
いつも、私は他人にフリーライドする形になってしまう。
皆は気にしないでと言うけれど、私は気にするのだった。
「あっ。そういえば、シーカに聞きたいことがあったんだけど」
「何?」
「ライラさんに会いに行こうって話。どうして、アイリ経由で伝えてくれたのかなって。まるで、聞かれちゃいけないみたいな……」
「そりゃ、聞かれちゃいけないでしょ」
バッサリと言い切った瞬間、目の前にバスが止まった。
シーカに続く形で乗り込むと、彼女は声を小さくして続けた。
「あんな事態になったのに、私たちだけで会いに行くって変でしょ。ライラって誰?……って言われて、従姉妹ですとか、そんな言い訳は通用しないような状況だったし」
「それは……そうだけど、でも、隠す理由にはならないよ。あの場にいる全員に、ライラさんのことを伝えて、協力を仰いでも」
「ナナ。それは悪手だよ」
シーカは、呆れたように首を横に振る。
「スナミとアオ。サクラとイチコ先生。彼女たちは現状、私たちと同じ立場にいることを知らない。せっかく情報格差があるのに、わざわざ同じ土俵に引き上げる必要はない」
「…………」
サクラちゃんに限っては、私とアイリが同じ立場にいることを知っている。
シーカまでは……どうだろう。彼女は私にしか興味なさそうだし、知らない可能性はある。
とはいえ、同盟を結んだことは、ライラさんの耳に入れておくつもりだ。
サクラちゃんは同盟について、秘密にしてほしいとは言ってなかったし、そもそも、この同盟に何の意図があるのかすら知らされていない。
でも……シーカがそのスタンスなら、ちょっと伝えづらくなっちゃった。きっと怒るだろうなぁ。
「それに、ライラのバックにはDEMsがついてる。ミホには天才的な頭脳と技術力がある。信用はしてないけど、それは事実だ。その強みを、アイツらにまで持っていかれたくない」
「持っていかれたくないって、そんな言い方……泥棒じゃないんだから」
「泥棒になるかもしれないんだよ。人数が増えると、裏切りが出る可能性だって上がるから。最悪の場合、派閥が生まれて対立するかもしれない。……つまり、何が言いたいかって言うと」
シーカは小さく息を吸って、吐く。そして、冷たい表情で、私とアイリを一瞥した。
「現段階でうまくいっている協力関係に、水を差す必要はない」
そう言い切ると、これ以上話すつもりはないと言わんばかりに、口を真一文字に結んだ。
私は、何も言い返せなかった。
シーカが慎重なのは、短い交友関係の中でも十分知っていた。
やっぱり彼女は、レノちゃん以外の存在を信用していない。
改めて思い知らされる。
私はまだ、シーカのことを何も知らない。
好きな食べ物も、好きな映画も……どうして、壁を作るのかも。
いつか、彼女と心の底から仲良くできるときは来るのだろうか。
答えは出ないまま、窓の外の景色は、見慣れた街並みへと少しずつ変わっていった。
+++
ミホ先輩のラボは、不用心にも開いていた。手をかざすまでもなく、ぽっかりと。
眠そうに瞼を擦っていたアイリは、建物を見るや否や、パァっと顔を輝かせた。
握っていた私の手を放して、スキップで駆け寄る。
アイリのお尻に犬の尻尾が見えたような気がした。
「ミホーっ!あいにきたよ……って、うぎゃああっ!」
突然の悲鳴に、シーカと顔を見合わせる。
ラボに足を踏み入れると、その理由はすぐにわかった。
「うわっ、臭っ……ていうか、汚っ……」
以前来たときの、清潔で整然とした空間は、もはや見る影もなかった。
床には、空になった栄養補給ゼリーの容器やペットボトル、洗われていないタッパーが、無造作に転がっている。
その他にも、バラバラになった機械やそのパーツ。コード。汚れた布切れ……元の状態に戻すには、軽く一週間はかかりそうなレベルだ。
足の踏み場もない道を、恐る恐る進んで行く。
すると、ようやく、メインの研究スペースが見えてきた。
全部のモニターには、解析データらしき文字列が表示されたまま、つけっぱなしになっている。
そして、部屋の中央には、簡易ベッドが据えられていて──その上に、眠るように目を閉じて横たわる、ココナの姿があった。
「ああ、来たか。すまないね、散らかっていて」
ふと、視界の外からミホ先輩の声が聞こえた。
「ミホ先輩……ちゃんと、寝てますか……?」
彼女の顔は、ひどくやつれていた。
目の下には、隈が濃く滲んでいて、車椅子を動かす手は荒れている。
綺麗だった髪は見る影もなく、ボロボロで、ギシギシになっている。
ポニーテールを、結んですらもいない。
「んー……どうだったかな。覚えていないや」
「お、覚えていないって……」
こともなげに言うミホ先輩に、私は言葉を失った。
食事も睡眠もお風呂もそっちのけで、ただひたすら、彼女は、ココナさんが停止した原因を調べ続けていたのだ。
「まったく、無茶な生活ですこと」
呆れるように言ったのは、先に着いていたライラさんだった。
ラボの雰囲気にそぐわない豪勢な赤いソファに座って、優雅に紅茶を飲んでいる。
そしてその傍らには、スカイさんが控えていた。
いつも通りの無表情だったけど、指先で鼻を摘まんでいる。
「大体、何故未だに車椅子なんかで移動しているんですの。義足の方が優れているというのに」
「最新のものが優れている、というのは、凝り固まった老人の発想だよ、ライラ嬢」
ミホ先輩は骨ばった手で、車椅子をポンポンと叩く。
……この前まで使っていたものと全く同じに見えるけど、オーダーメイドなのだろうか。
「私には、この古臭い機械が合っていてね。義足なんて、宝の持ち腐れさ」
「……とか言って、歩くのが嫌だとか、最新機器だと分解してしまうとか、どうせ、そういう理由なのでしょう?」
「おお。さすがはDEMsの箱入り娘。その辺の雑草が考えることなんて、お見通しということか」
「その呼び名、やめていただけます?……反吐が出るほど、嫌いなんですの」
バチバチと、お互いの視線に火花が走る。
これ以上ヒートアップする様子はないけど、どうしてもハラハラしてしまう。
本来なら、決して同席しないはずの二人。DEMsのお姫様と、DEMs嫌いの天才研究者。
この二人がこうして並んでいるのは、ひとえに、共通の目的があるからだった。
「しかし、徹夜した甲斐はあったよ。おかげで、色々なことがわかった」
ミホ先輩は疲れた顔のまま、それでも目だけは爛々と光らせて、私たちを見る。
座るように促されたけど、座れるような場所はなく。
私とシーカは仕方なく、その場に立ったまま、話を聞くことになった。
……アイリは、うろうろと辺りを物色している。壊したりしなきゃいいけど……。
「まず、根本的なところから話そう。そもそも、ライラ嬢が日本に来た理由である、神の部品……ここでは便宜上、遺物と呼ばせてもらう」
ライラさんは紅茶を口にしながら、こめかみに手を当てた。
私たちの前に大きなモニターが現れて、そこに、ハートの錠前みたいな模様が描かれた物体が、映し出される。
「残念ながら、DEMsが撮影できた画像は、落下中のこの一枚だけ。計算上の落下地点には、何も残っていなかった……だからこそ、私たちはこう判断したのです。遺物は、地面にぶつかった拍子に、砕け散ったのかもしれない、と」
「砕け、散った……?」
「ああ。そして……バラバラになった遺物──ここでは遺片と呼ばせてもらうが、それらは、元の形を保たずに、それぞれ別々の生き物やアンドロイドに取り憑いた」
ミホ先輩が言い切った後、しばらく沈黙が流れた。
じゃあ、アイリの鎖骨にあるあの痣は……レノちゃん、ココナさん、スナミちゃん、イチコ先生、そして、クロハ。
あの子たちの身体に浮かんだ模様は、遺物に取り憑かれた証……?
「待って」
すると、シーカがピンと手を挙げる。
一見すると冷静だったけど、よく見ると、目が泳いでいた。
「話が飛躍しすぎてない?……百歩譲って、遺物とやらが砕けてなくなったのはいいとしても、取り憑いたって……幽霊じゃあるまいし」
「……まあ、そう思うのも無理はないね」
肩を竦めて、目を伏せるミホ先輩。
想定通りの質問だったのか、一切動じていなかった。
「でも、そうとしか考えられないんだよ。遺物が持つ能力が、判明してしまったんだから」
「落下地点での調査が済みましたの。破片の一つも見当たりませんでしたが、ほんの僅かに残留していた信号と電波を解読して……DEMsの英知をもってしても、ここまで時間がかかりました」
ライラさんはハァ、と、大きな溜め息を吐く。
よく見ると、彼女の顔にも疲労が溜まっていた。任せてしまって申し訳ない気持ちになる。
「教えてくれれば、代わりに調査してあげたのに。私なら、三日で特定できたよ」
「お黙りなさい、日賀志ミホ。……コホン」
ライラさんにキツく睨まれたミホ先輩は、ヘラヘラと笑って両手を上げた。
あくまでこの二人は、目的が一致しているから協力しているだけで、根っこの部分では相容れないままのようだ。
そして、ライラさんは真剣な眼差しで私たちを見る。
五歳ほど年下の女の子とは思えない、荘厳な雰囲気。思わず、ごくりと唾を飲み込む。
「遺物の能力。それは、ありとあらゆる生物や道具に変身できる、といったものでしたわ」
「……変身……そ、それって……!」
「そう。アイリが傘、レノが斧、ココナが鎖になれるのは、その能力のおこぼれをもらっているから。こう考えると、色々と辻褄が合うんだよ」
理屈はわからない。
原理もわからない。
でも、状況を見るとそうなんじゃないかって思ってしまう。
消えた遺物。
遺物の変身能力。
アイリ、レノ、ココナ、クロハの変身能力。
錠前の模様。
……これら全てが、一つの線で繋がった。
「……まあ、説得力はある、かも、しれないけど」
すんなり受け入れてしまった私とは裏腹に、シーカは不服そうな声色で、床に視線を向ける。
でも、完全に納得いってないという態度ではなかった。
「そして、ここからが肝心だ」
ミホ先輩の声が、数オクターブ高くなった。
彼女はさっきよりも興奮気味に、眠っているココナさんの側に近寄る。
「状況証拠による推測でしかないのだが……おそらく、遺片を宿した者同士が体液接触すると、遺片の権限が、もう一方へ譲渡されてしまう」
……権限?……それって、何だろう。譲渡って、どういうこと?
考える暇もなく、ライラさんが補足を加える。
「体液接触と決まったわけではありませんが、とにかく、何かしらの条件が揃ってしまうと、権限の譲渡が行われる。そして、譲渡された側は、宿していた遺片の力を、意識ごと、根こそぎ奪ばわれてしまうのですわ」
「い、意識ごと奪われるって……じゃあココナみたいに、植物状態になるってこと?」
シーカの問い掛けに、ミホ先輩とライラさんは揃って、コクリと頷く。
「557号機が活動停止する直前。クロハと557号機の顔の位置は、非常に近かった。そして、逃げる際に僅かに見えた、クロハの暴走……あの時、確かに彼女は、鎖にも変身していた。だから」
「……状況証拠による推測って、そういうこと」
悔しそうに呟くシーカの握り拳は、力なく項垂れている。
私はそんなシーカの背中に手を触れた。取り乱している彼女をどうにかしてあげたかったから。
とはいえ、動揺している私に、気の利いた言葉が思いつくわけもなく。
純粋に、ミホ先輩に気になっていることを尋ねた。
「でも、どうして意識まで取られてしまうんでしょうか。力だけならまだしも……」
「さぁ、それはわからない。そもそも、条件が本当に体液接触なのかすら、定かではない。我々にはまだ情報が足りないんだ。……ただ」
ミホ先輩は近くにあったコーヒーを手に取って、飲む。
苦かったのか、眉間に皺を寄せた。
「……これは私の予想なのだが、遺片に内包された情報体……オカルトっぽい言葉で表すと、魂、とも言えるが。これが宿主の神経系、ないしアンドロイドの中枢演算機構に、量子レベルで干渉しているんだ。譲渡の際に、媒介となる体液中の特定の物質が……」
「お待ちなさい、日賀志ミホ。それでは、遺片の権限構造が、宿主の同一性を保持したまま転移する理由の説明ができませんわ。私の見立てでは、遺片そのものが一種の自己組織化する情報結晶であって、宿主はあくまで器に」
「いいや、ライラ嬢。それは違うよ。器という受動的な表現は、相互作用の本質を」
「ライラ様、ミホ様。僭越ながら、私共にでもわかる言葉を使っていただけないでしょうか」
スカイさんが口を挟んだ瞬間、二人は、ピタリと発言を止めた。
私とシーカが完全に置いてけぼりんなていることに、ようやく気付いたみたいだ。
「失敬。つい、熱が入ってしまった。では、わかるように言い換えよう」
そう言って、ミホ先輩はとあるモニターを引っ張り出す。
その拍子に、周囲の物が雪崩のように床に落ちて行った。
物色していたアイリはその音に驚いて、「きゃあ!」と声を上げる。
しかし、ミホ先輩は全く気にするそぶりを見せず、指を使って絵を描き始めた。
「家を想像してくれ。遺片を宿した者は、その家の中で暮らしている。ところがある日、よその誰かに、無理やり家を追い出された。挙句、家の鍵まで奪われてしまったとする」
ミホ先輩が描く絵は、上手いとは言えないけれどわかりやすく、それでいて可愛らしかった。
でも、だからこそ、その絵にはどこか悲壮感が漂っていた。
「追い出されてしまったら、どこも行けないじゃないですか」
「そうだ。家を失った本人は行き場を失い、あてもなく彷徨うしかなくなる。今の557号機が、まさにそれさ。アレの家を開ける鍵は、もう、手元にはない」
「その鍵を持っているのが、あの双子……クロハ、ってことか」
「…………」
シーカの言葉を聞いて、ようやく……ようやく、自覚した。
ごちゃごちゃしていた頭が、すっと、一つのこと事実に集約していく。
私の、所為だ。ココナさんが権限を奪われたのは、やっぱり、私の所為なんだ。
ミホ先輩は、私に責任はないと言った。
でも、今までの推測が正しいのなら……あの時、クロハを見逃そうとしていなければ、ココナさんは襲われることはなかったということになる。
「……そういえば、ミホ先輩、ココナさんのデータの……バックアップとやらがあるって言ってましたよね。じゃあ、ココナはまた動くようになるんですか?」
縋るような気持ちで、ミホ先輩に問う。
ココナさんが心配、という気持ちはもちろんあったけど、その実、自分がもたらしてしまった結果が大したものではないのだという保証が欲しかったんだと思う。
我ながら、卑怯で、卑劣で、最低だと思った。
そして、ミホ先輩は無慈悲にも、首を横に振った。一瞬だけ、ライラさんのことを睨みながら。
「残念ながら、手元に、557号機のバックアップデータの受け入れ先はないんだ。ボディの中の意識データはかろうじて動いているようだが、起動することができない以上、どうしようもない。……同等の、高品質な器がないと、復活はできない」
そこまで言って、ミホ先輩は手を叩いた。
この話はもう終わり……とでも言いたげな様子で、俯きかけた私の顔を上げさせた。
「もう一つ、伝えなければいけないことがある」
「ちょ……ちょっと、日賀志ミホ。貴女、本気で伝える気ですの?」
ライラさんは椅子から立ち上がり、ミホ先輩の車椅子を掴む。
決して乱暴ではなかったけど、その動きには迫力があった。
ミホ先輩はライラさんの手を払い、まるで汚いものを触ったかのように、ハンカチで拭った。
「道具化したときに記されえていた、願いが叶うとかいう暗号。あれはおそらく、砕けた遺片の権限を集めた一人にこそ、与えられるものなのではないだろうか」
「……っ!」
私とシーカが、ほぼ同時に息を飲む。
心臓の鼓動が、急激に早まった気がした。
「二人とも、冷静になってくださいまし。このことに関しては、証拠すらない単なる妄想、妄言です。可能性の一つ、というだけですからね」
ライラさんはぴしゃりと言い放つ。
高鳴る心臓に、大きな大きな釘を刺されてしまった。
「そんなことより、遺片が全部でいくつあるかわからないことの方が重要ですわ。ココナ、アイリ、レノ、そして、クロハは確認が取れていますけれど、他に何人いることやら……」
不意に、私とシーカの視線が交錯する。たぶん、今、全く同じことを思っていると思う。
「やはり、DEMsが世界中の人々のチップから情報を取得して、調べさせるべきですわ。時間はかかりますし、本来であれば許されない行為ですが、なりふり構わっている状況では」
「……そのことなんだけど」
口を開いてくれたのは、シーカだった。
非常に言いづらそうに、冷や汗が一滴、額から垂れている。
……というか、今日集まってもらったのはこれが目的だったはずだ。
シーカは、発表会での出来事を報告した。突然の襲撃。操られた生徒たち。
そして、同じグループだったサクラちゃんとイチコ先生、スナミちゃんとアオちゃんが、それぞれ鍵を宿していたこと。
ライラさんは、黙って話を聞いていた。
スカイさんが二杯目の紅茶をカップに注ぎ淹れると、ラボの臭い匂いの上に、かぐわしい匂いが被さっていく。
シーカが話し終えても、ライラさんはそのカップには手を付けず、硬い表情のまま、口を開いた。
「……気味の悪いほど、タイミングが良いですわね」
「けれど、これで新たに二人、把握できたということになるね。発田サクラに至っては、ナナが同盟を結んでいるようだし。経緯はともあれ、上々の結果だ」
ミホ先輩の言葉に反応して、シーカがジロリと私を小突く。
「何故、ここに来る前に教えてくれなかったの」と言いたげな瞳で、睨んでいた。
……こういうことの積み重ねで、信用は減っていくのだ。
ただでさえ、シーカは私のことを信用していないというのに……。
でも、今共有したんだから、少しは見逃してほしい。
「その二名のことは、一度置いておくとして。問題なのは、生徒たちの襲撃の件ですわよね」
ライラさんは、言葉を詰まらせる。言おうかどうか、迷っているみたいだ。
「一般人が一斉に操られたように意識を失い、動き出す。目が覚めると、当人たちに記憶がない。……こんな芸当ができる存在なんて、一つしか心当たりがありませんわ」
「えっ……こ、心当たりがあるんですか!?」
思わず、声がひっくり返る。
恥ずかしく思っている余裕はなかった。
「ええ。けれど、まだ確証はありません。私、憶測で物事を語るのは、大嫌いですの」
それを聞いて、願いが叶うの流れを思い出す。
気になるけど、不安を煽るような発言は、私もあまり好きではない。
「襲撃の件は、私共で調べておきましょう。日賀志ミホとも、情報は共有しておきますわ。……やれやれ。ひと段落したかと思えば、また忙しくなりそうですわね」
肩を回すライラさんを見て、無意識に「ごめんなさい」という言葉が漏れる。
ライラさんは、ほんの少しだけ微笑んだあと、咳払いをした。
「そんなことを言っている暇はありませんわよ、ナナ。貴女方がやるべきことは、無理に動かず、身の安全を確保すること。いいですわね」
紅茶が入ったカップをソーサーに置いて、ライラさんは立ち上がる。
それを見たスカイさんは、手際よく椅子やティーポットセットを片付け始めた。
紅茶は彼女が飲み干した。
「日賀志ミホ。貴女も、不摂生な生活はやめなさい。ココナのことを思うのなら、尚更」
「言われるまでもないさ。この後、家に戻って風呂に入るとするよ。祖父母にも心配かけてしまうし、タッパーも、洗って返さなければいけないからね」
「……フン」
興味なさそうに鼻息を鳴らすと、ライラさんはスタスタと、足の踏み場もない床を歩き出した。
私たちには、一切目もくれない。「さようなら」の言葉もなかった。
けれど、出口のところで足を止め、踵を返す。
ややあって、ライラさんは真っ赤なドレスの裾を摘んで、会釈をした。
スカイさんもまた、こちらに向かって深々と頭を下げる。
改めて、二人が裕福な育ちなのだと思い知らされた。
「私も、もう帰る」
扉が閉まった瞬間、シーカはポツリと呟いた。
間を置かずに、まるでライラさんたちの後を追うような形で、そそくさとこの場を後にする。
「シーカ、またね」
アイリの声が響くと、シーカはこちらを一瞥した。
震える唇を動かして、何かを言いかけようとしたけど……やめた。
くるりと踵を返して、ラボを出ていく。
残ったのは、私とアイリ。そして、ミホ先輩とココナさんだけになってしまった。
「やれやれ。目的を同じとする協力者だというのに、素っ気ないなぁ」
呆れるような口ぶりで、ミホ先輩は後頭部を掻く。
ボロボロとフケが落ちたのが、気になった。
「あの、ミホ先輩。もう少し、ここにいてもいいですか?」
「ん?……構わないけど、何か、気になることでもあったかな」
「いえ、その……言いづらいんですけど、ミホ先輩がちゃんとお風呂に入ってごはんを食べるのか、見届けないと、気が済まないというか……」
半分は本当で、半分は嘘だった。
本当は、このままアイリと二人っきりになってしまうと、私が巻き込まれてしまったことの重大さに押しつぶされてしまいそうで、怖かったんだ。
それに……ココナさんのこと。
私の所為で活動停止してしまった彼女のことを、もう少し、目に焼き付けていきたかった。
自分の罪と、ちゃんと向き合わなきゃいけないと思ったから。
「ああ、なるほど。つまり、一緒に風呂に入り、一緒に食卓を囲みたいということだね。私はそれでも構わないよ」
「な、何を言い出すんですか!? い、一緒にお風呂なんて、そんな」
ミホ先輩は、ヘラヘラと笑いだす。
張り詰めていた気持ちが、少し和らいだような気がした。
もしかしたら、彼女は、私が不安な気持ちでいっぱいなことを見抜いていたのかもしれない。
気を使わせて申し訳ないと思いつつ、とてもありがたかった。
「いっしょにおふろ、いっしょにごはん!」
「おや、アイリはノリノリみたいだよ」
「…………ダ、ダメだよ、アイリ。今日は家に帰るよ。ミホ先輩は疲れてるんだから」
「えー」
アイリは、不満そうに唇を尖らせる。
正直、かなり揺らぎそうになったけど、それを必死に押さえ込む。
そんな私たちを見たミホ先輩は、またしてもヘラヘラと笑いだした。
「……さて。ここを出る前に、ゴミや臭いタッパーをまとめなければな」
「あ。私、手伝いま……」
「結構だ。それよりも……ホラ。気になるんだろう?」
ミホ先輩は、横たわるココナさんに親指を向ける。
思った通り、彼女には私の考えなんてお見通しだったみたいだ。
その言葉に甘えて、物で溢れた床を歩く。
目を伏せたままのココナさんは、見惚れるほど美しかった。
「ココナ、ねてるの?」
アイリの無邪気な問いかけが、胸に刺さった。
……遺物のこと。
権限譲渡のこと。
願いが叶うこと。
たくさんの情報に、足がすくみそうになる。
それでも私は、アイリを守る。
皆を守る。
誰一人傷つけることなく、この大きな非日常を終わらせる。
そして、双子からココナさんの権限を取り戻して、返す。
やるべきことはわかっている。でも──本当に、私に、そんなことができるのだろうか。
その問いに、答えは出なかった。
鬱屈とした気持ちは、一向に消えそうにない。
だって、私はつい最近まで、普通の高校二年生だったんだから。
自然と、私の手は、ココナさんの手を握り締めていた。
それを見たアイリも、真似をするようにして、もう片方の手を取る。
「ココナ、つめたいね」
「そうだね」と返す言葉は、震えていた。
ただ一言口にしただけなのに、目の奥が、じわりと熱くなった。
+++
角花高校の集団意識喪失事件から、二週間が経った。
あの後、どうやって収拾したのかは、未だに知らされていない。
私には連絡手段はないし、シーカは警戒心からか、アオちゃんたちの連絡先を削除してしまったみたいだから。
かといって、直接、角花高校の門を叩くわけにはいかない。
私とアイリとシーカは、あの場にいた重要参考人だ。現場にノコノコと帰ってくる犯人はいない。
……まあ、私たちはむしろ被害者側なんだけど。
ニュースでは、講堂の換気設備の不備による酸素不足が原因として報じられていた。
舞台袖に隠れていたおかげで、人戒教のときみたいに顔写真が流出することもなく、噂にもなっていない。
でも……一体、どうやったらこんなことができるのだろうか。
それこそ、ライラさんの……DEMsの、記憶データ消去機器でもないと、難しいような気がするけど……うーん。
「ナナ、かえろっ!」
アイリの無邪気な声を聞いて、我に返る。
いつの間にか、今日最後の授業が終わっていたようだ。
アイリはニコニコして、私を抱き締める。
少し前なら、このやり取りにクラスメイト全員が反応していたけど、今はもうすっかり慣れたようで、誰も私たちを見ていなかった。
……正直、アイリが転校して来たときは、アイリが影響で今より目立ってしまうことを懸念していた。
けれど、それはまったくの杞憂だった。
むしろ、アイリのおかげで、クラスメイトの私を見る目が変わったのだ。
チップがない子、ではなく、アイリの隣にいる子、として見られるようになった。
まあ、それはそれで噂にはなっているんだけど……でも、アイリとの学校生活が楽しくて、今までよりも気にならなくなったのだ。
「いつもありがとうね、アイリ」
「?……また、ありがとう?」
困ったように首を傾げるアイリがなんとも可愛くて、つい、微笑んでしまう。
机の上に広げたノートや筆記用具をカバンに仕舞うと、私とアイリは手を繋いで、学校の外を出た。
……その時だった。
「ねぇ、ナナ。あそこ」
「え?」
アイリが指差した、先。校門の前。
そこに、見覚えのある姿があった。
「もしかして、アオちゃん?」
そう呟いた瞬間、アオちゃんと視線が合う。
彼女は血相を変えて「ナナ、アイリッ!」と叫んだ。
私たちは急いで、彼女の側に駆け寄る。
アオちゃんの顔はひどく濡れていて、それが汗なのか、涙なのか、わからなかった。
世話焼きで、姉御肌で、気が強いアオちゃんが……今は、まるで別人みたいだ。
「ど、どうしたの、アオちゃん。何でここに」
「ス……ス、スナミがっ……アイツ、がっ……オレ、どう、すること、も……」
言葉は途切れ途切れで、要領を得ない。
息は荒れていて、声も、身体も震えている。
「アオちゃん、落ち着いて。一旦、場所を移そう」
「………………」
返事はない。
アイリにも手伝ってもらって、力なく項垂れる彼女を半ば引きずる形で、その場から連れ出す。
目的地は、園縁高校の近くにある、小さな公園だ。
ここは、放課後になっても、生徒や子供の姿がほとんどない穴場なのだ。
とはいえ、私自身、あまり来たことはなかったんだけど。
公園のベンチにアオちゃんを座らせると、アイリは黙って彼女の背中をさすった。
けれど、一向に呼吸は整いそうにもない。
「ごめん、アイリ。ちょっと待っててね」
「……う、うん」
不安気なアイリの頭を優しく撫でて、現金対応している自動販売機へと向かう。
アイリは子供っぽいけど、決して馬鹿じゃない。
高校二年生の授業についていけているくらいの頭脳はある。直感も冴えている。
だからこそ、今、アオちゃんが異常な状態であることも、十分わかっているみたいだ。
「アオちゃん、これ、飲んで。ゆっくりでいいから」
「…………」
アオちゃんは、震える手で缶を受け取った。一口飲んで、大きく息を吐く。
しばらく、誰も何も言わなかった。夕暮れの風が、静かに吹いていた。
「……スナミが、植物状態になった」
心臓が、嫌な音を立てた。
ようやくアオちゃんが、言葉を絞り出してくれた。
それなのに、その言葉は、あまりにも残酷で。
「ど、どうして」
植物状態。
その言葉の意味を、うまく処理できなかった。
マイペースで、宇宙の話になると目を輝かせていた、あのスナミちゃんが。
「わからねぇ」
アオちゃんの声が、また震えた。
「昨日の、放課後。学校の帰り道で、襲われたんだ。そっくりの姉妹が、道の前に立ってて」
そっくりの姉妹……まさか、クロハとマシロだろうか。いや、でも、そんなことって……。
「不気味に思ってたら、片方が、急に。スナミに近づいて……口に……キス、をして。それで」
アオちゃんは缶を両手で握り締めたまま、俯く。
拳が白くなるほど、力が入っていた。
自然と、私は、彼女の手に触れていた。
傷だらけの小さな手は、ひやりと冷たい。
「そしたら、スナミが倒れて。何をしても、目が、覚めなくて。病院に連れて行ったら、原因不明だって言われた。警察は、動いてくれてる、けど」
私の手を払うことなく、アオちゃんは自身のこめかみに手を当てた。
ほんの少しの振動が伝わった瞬間、空中にホログラムが映し出される。
画像や映像、文章など、様々な媒体の記録が、ズラリと並んでいる。
どうやら、昨日アオちゃんが見聞きしたことをまとめたもののようだ。
そして、スナミちゃんを襲ったという姉妹の姿も、ちゃんと映っている。
髪型も服装も違うけど、間違いない。
やっぱり、クロハとマシロだ。
彼女が嘘を吐いているとは、これっぽっちも思っていなかった。
それでも、こうして確かな真実を突き付けられると、言葉を失ってしまう。
スナミちゃんとの付き合いが短い私でも、呆然としてしまうんだ。
小さい頃から一緒だったアオちゃんの立場は、それ以上に……比べ物にならないくらい、失意していることだろう。
しばらくの間、沈黙が流れる。どこかから、夕飯の匂いがした。
「……スナミを襲った、アイツら。去り際に、アイリの名前を言ってたんだ」
「えっ。アイリの?」
アイリはそう言うと、キョロキョロと周囲を観察し始めた。
今のところ、彼女の直感センサーは落ち着いているみたいだけど、油断はできない。
「それで、危ないって思って……ここに、来たんだ。本当は、昨日のうちに来れていれば、よかったんだが……気が動転して、それどころじゃなかった。悪い」
「謝らないで、アオちゃん。今この状況で一番混乱してるのは、アオちゃんなんだから。むしろ、アイリのことを気にかけてくれて、ありがとう。嬉しいよ」
「…………」
すると、アオちゃんは、真っ直ぐに私を見据えた。
怒りと、恐怖と、焦りが、ぐちゃぐちゃに混ざり合ったような、そんな目だった。
「……なぁ。知ってること、全部、教えてくれよ。スナミは、助かるのか。何でアイツらは、アイリの名前を知ってたんだよ」
一瞬だけ、迷いが生まれる。
ライラさんからは特に何も言われてないけど、シーカは、情報共有に消極的だった。
シーカの言い分は一理あったし、私も、あの時は納得していた。
でも、ひどく心が弱っているアオちゃんを前にしてしまうと、そんなことは言っていられなくなる。
私は、アオちゃんの助けになりたかった。
「……あの姉妹は………双子は、クロハとマシロって言うの」
私は、ゆっくりと口を開いた。アオちゃんは黙って私を見つめている。
「アオちゃんとスナミちゃん。サクラちゃんとイチコ先生。……そして、私とアイリと同じで、道具に変身できて、片方はそれを扱うことができるの」
「ナナ……お前も、そうだったのかよ」
「今まで黙っていて、ごめんなさい」
「……謝罪はいらない。さっさと情報を教えてくれ」
急かすアオちゃんのペースには乗らず、私はあくまで冷静に、脳味噌を回転させる。
彼女は今、パニックを起こしている。
それに多分、双子への憎しみも強いままだ。
関係性を崩さないように、けれど、ちゃんと伝わるように、言葉を選ばないと。
「……双子は、人戒教に関係している。信者たちは、この痣が付いている人を狙っているみたいなの。目的までは、まだわかってないけど」
そう言いながら、私はアイリの襟元を優しく引っ張る。
ハートの錠前みたいな、あの模様を見せた。
「人戒教か……クラスメイトに熱心な信者がいたはずだ。まさか、そいつから……スナミの痣のことが、伝わったのか」
「その可能性は、高いかも」
どうして、クロハとマシロが初対面のはずのスナミちゃんを襲ったのか疑問だったけど……アオちゃんの呟きで合点がいった。
ふとした拍子に見えてしまったのかもしれない。
その後は、ライラさんとスカイさんにお世話になっていること。
そして、ミホ先輩の存在を伝えた。頼りになる人たちで、紹介したいとも。
それ以外のことは──遺物のことや、シーカのことは、今は、言わなかった。
「……まあ、大体事情はわかった」
それっきり、アオちゃんは、口を一文字に結んだまま、手元の缶を見つめていた。
夕日が、アオちゃんの横顔を、橙色に染めている。
彼女は今、何を考えているのだろう。
声をかけるべきか、何度も迷った。
「……頼む、ナナ」
絞り出すような声が、耳に入る。視線は未だ、缶に向けられていた。
「スナミを救う方法があるなら、オレはお前に協力する。だから」
気丈なアオちゃんの目には、涙が滲んでいる。
その姿には、覚えがあった。
何もわからなくて、誰を信じればいいかもわからなくて。
それでも、大切な人のために、手を伸ばさなきゃいけなかった……あの頃の自分と、今のアオちゃんが、重なって見えた。
それを自覚した瞬間、私の胸の奥が、カッと熱くなる。
アオちゃんは、こんな私を頼ってくれている。
大好きな幼馴染の為に、なりふり構わずに。
私は、彼女の涙を無駄にはできない。彼女の声に応えたい。
「……うん。大丈夫だよ、アオちゃん。一緒に戦おう」
戦うなんてことは、私にはできない。
血や傷を見るのは怖いし、誰かを傷つけたくはない。
もちろん、傷つけられたくもない。
それでも、私は戦える。私は、私のやり方で戦うんだ。
誰かが傷つけられる前に、先に動く。
誰かを傷つけるくらいなら、別の道を探す。
全員が納得できる形で権限を集めて、そして、願いを叶えてもらうときに、眠っている皆の意識を取り戻してもらう。
不幸も争いも生まない、ハッピーエンド。
私は、これを目指す。そのために、戦う。
──夢物語かもしれない。第一、願いが叶うのだって、本当かどうかすらわからない。
何より、この選択は私のエゴだ。自己中だ。
「絶対に助けるから、少しの間だけ眠ってて」なんて言われて、素直に首を縦に振るわけがない。
目覚める保証なんて、どこにもないのだから。
「ナナ」
ふと、アイリの声が聞こえた。アイリは深い海のような髪を靡かせて、私の前にしゃがむ。
「ナナ、つよい。そして、やさしい。だから、だいじょうぶ」
いつもと変わらない、たどたどしい言葉。
私を励まし、信じてくれる言葉。
出会ったときから、私は、アイリの存在に救われている。
目立つのが嫌で。
傷つくのが怖くて。
嫌なことは全部避けて、誰かの後ろに隠れて、生きてきた。
そうやって、隅っこで小さくなっていれば、いつか嵐は過ぎ去ると、そう思っていたから。
でも、違った。
私が縮こまっている間に、ココナさんが眠った。スナミちゃんが眠った。
私が動かなかった分だけ、周りは代わりに傷ついていく。
──そんなのは、もう、ごめんだ。
「ごめん、アイリ。私のワガママに、付き合ってくれる?」
「……もちろん」
迷いのない、真っ直ぐとした返事だった。
「わたし、ナナのためなら、なんだってする。おんじん、だから」
アイリは、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。
まるで、どこかの女神様のようだ。
精神年齢とも、外観年齢とも似つかわしくない、妖艶な表情。
思いがけず、心臓が高鳴る。アイリのこんな一面、初めて見た。
「スナミを救うためなら、オレ、何だってするからな」
勢いよく立ち上がったアオちゃんは、私の眼前に拳を突き付ける。
赤く腫れていたけれど、その目にはもう、涙は流れていなかった。
「無茶なことはしないでね」
そう言って、私は彼女の拳に、力いっぱい、自分の拳を叩きつけた。
「じーっ」
すると、アイリが私たちの様子を見ていた。しばらく首を傾げた後、おもむろに手を握り締める。
「ぐー?」
あどけない声色で呟くと、真剣な眼差しで、私たちの間に割り込んできた。
「おう、アイリ。これはグータッチだぞ。女同士の決意表明だ」
「?」
困ったように眉をひそめるアイリを見て、笑みが零れる。
アオちゃんも、つられて笑っていた。
さっきまで落ち込んでいた顔が嘘みたいに、柔らかくなっていた。
しばらく、私たちは三人で笑いあう。
そして、二人の笑顔を見て、気づいた。
ごちゃごちゃした胸の中が、頭の中が、不思議なくらい、スッキリとしている。
ずっと俯いていた自分が、ようやく、顔を上げたような……そんな感覚。
靄のかかった神様は、依然として私たちを見下ろしている。
けど、もう、私はあの顔を見ることはないだろう。
だって、今見るべきなのは、上じゃなくて前なのだから。
街の灯りが、ひとつ、またひとつと、灯り始めている。
その灯りは、私の心に灯されたものと、同じように思えて……改めて私は、自分の足で、戦いへと踏み出す覚悟を固めたのだった。




