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4.用意された悪意

更新でーす

 「ヴィクトリアお姉様、いらしてたのね。今夜のドレスは王妃様が贈って下さったものでしょう? とてもお似合いよ」


 王太子のエスコートを受けながら大広間へ入って来たサフィリアは、ヴィクトリアの姿を見つけて微笑みながら声をかける。

 そして自ら率先してヴィクトリアの元へ向かい丁寧な所作でカーテシーを贈った。


 ——まあ、あの悪女。まだ居たの?

 ——あの女にまで清らかな笑みを向け姉として慕うだなんて、サフィリア様はなんてお優しいこと。


 皇国の貴賓達とあいさつを交わしていた時は、ヴィクトリアを見えないものとして扱っていた国内の貴族達の視線が集中する。

 今夜も婚約者のいる未婚の令嬢にはとても見えない、大胆に開いた胸元のドレスを纏う公女の姿を見てさざ波のように笑い声が広がった。


 そんな悪女と言われる娘に対しても、穢れない笑みを向けるサフィリアに対して人々はこう呼ぶようになる。


 あの令嬢こそ『聖女』に違いない、……と。


「……ありがとう。王妃様から頂いたのよ、褒めてくれて嬉しいわ」


 サフィリアは幼い頃からヴィクトリアに懐いてくれていた。

 屋敷や王宮でも、優しい声をこうしてかけてくれるのは彼女だけだ。


 優しい従妹の気づかいに、ヴィクトリアはずっと感謝していたはずだった。


 でも、いつしか向けられた笑みに違和感を感じ始め、居心地が悪くなる。

 優しくしてくれている従妹に対して抱いてしまう、罪深い感情に彼女は混乱した。


 ——気持ち悪い。

 

 胸の奥からこみあげてくる嘔吐く感覚を、どうにか抑え込む。


「お姉様、顔色が良くないわ。ここは私たちに任せてお休みになって! ねえ殿下、よろしいでしょう?」

「ん? ああそうだな。退席を許そう、心優しいサフィリアに感謝するんだな」


 これからダンスタイムとなるような時間に現れて何を言っているのか、お任せになるような雑事はもう残っていない。

 それでも断続的に襲う吐き気に、彼女はめまいすら感じるようになる。

 

 だから、二人の言葉に甘えて退席させてもらうことにした。


 

 これ以上具合が悪くなって執務が滞ることになったら、ヴィクトリア自身の悪評を更に後押ししかねない。

 だから公爵家の馬車が迎えに来るまで、執務室の長ソファの上で体を休めようと横になった。


 半刻ほど眠っていただろうか、彼女はゆっくり長椅子から身を起こす。

 浅い眠りではあったけども胸につかえるような息苦しさが消えていたことに彼女は安堵した。


 侍女が呼びに来ないということはまだ迎えの馬車が来ていないということか。

 眠っていたのは大した時間ではないと解釈して、ヴィクトリアは長椅子から立ち上がった。


 乱れた髪を整え直していると、化粧を落としシンプルな衣装に着替え直した姿が鏡に映り苦笑してしまう。

 これが彼女の本当の姿なのに、いったい他の人たちは何を見て彼女を評しているのか。


「……さて、帰る前にザクセン様へ挨拶をしておかないとね」


 夜会での貴賓達とのやり取りを、ヴィクトリアや官僚たちに丸投げしている男に尽くす礼などあるとは思えない。

 あとが面倒くさいことになる。


 後日、ねちねちと嫌味を言われ続けるよりは目を瞑って頭を下げてそれを回避することを彼女は選んだ。

 

 行政エリアにある執務室を出て、王族の私室のある奥の宮殿へ足を運ぶ。

 王太子の居住エリアの入口で、彼が戻ってきていることを確認してから中へと入る。


 彼の部屋の前までたどり着くと、珍しく部屋の扉の前に立っているはずの護衛や侍女の姿もなかった。

 

(……珍しいこと。でも不用心ね、あとで進言しておこう)


 部屋の前に向かうと、扉向こうから男女の声がヴィクトリアの耳へ届く。


「ああ、まったく聖者聖者と忌々しい。神皇国の連中め」

「もう、殿下。リアがお傍にいるのにそんなに怒らないでくださいませ」


(この声は……)


「でも、聖者様がご帰還になるということで、お姉様との婚姻式の話が止まっているのだから良かったじゃないですかぁ」

「……まあ、既にこの国の人間でもない男に金をかける愚策も、そう考えればいい事ではあるな」

「それにもう一押しじゃないですか。時間が出来たのですもの……ね?私にいい考えがあるの……」


 王太子が人払いをしている理由をヴィクトリアは理解する。

 聞きなれているはずの従妹の声なのに、甘え上ずった女を匂わす響きに鳥肌が沸き上がった。

 

 この場に居ることを室内の二人に知られるのはまずいと感じて、彼女は静かにそこから離れ迎えに来た馬車へ足早に飛びこむ。


 ——噂があるだけでは不貞の罪に問えない。とはいえ犠牲となるような貴族の令息を作り出すのも難しいでしょうね。


 車輪の音が響く馬車の中で、あの部屋から聞こえて来た言葉を繰り返し反復させて彼らの真意を彼女は探る。

 

 実際、ヴィクトリアに自由な時間など存在しない。

 ひたすら執務室の机の前で、積みあがる書類の処理に奔走する日々。


 王宮と公爵家との往復が全ての生活の中、いったいどこで男を漁る暇があるのだろう。

 それでも身の回りに注意を払わなければと決意するように表情を引き締めた。


「……様、ヴィクトリア様」


 御者台から掛けられた声が耳に届くと、思考を押し留め彼女は顔を上げる。


「どうかしたの?」

 

 キャビンの中から窓越しに御者へ声をかけた。

 

「屋敷へ戻る道で事故があったようで、市街のほうに遠回り致しますんでお屋敷に戻るのに少々お時間が……」

「わかったわ。道はあなたの方が詳しいのだし任せます」


 馬車が方向を変えている間、ヴィクトリアは窓から真っ暗な夜空を仰ぐ。


(魔力が戻り始めていることを、伝えるべきなのかしら)

(でもただの勘違いだとしたら……いえ、伝えたところで変わることなんてないもの)


 聖者が魔王軍に勝利したと報せが入った頃だったと、彼女は記憶を探る。

 枯れた井戸のように枯渇していた魔力が、ほんの少しづつではあるけど戻ってくる確かな感覚を彼女は覚えていた。


 それで扱いが変わられても、正直言えば困ると彼女は憂う。

 

 王太子が従妹への思いを向けているのは、ヴィクトリアにもわかる。

 この座を用意してくれた母には悪いが、生き地獄のような場所から抜け出したいまでヴィクトリアは願っていた。


 ガガガッ。


「きゃあっ」


 キャビンが突然大きく揺れ、馬たちの嘶きと共に馬車が止まる。


「ヴィクトリア様、申し訳ねえです。車輪が壊れちまったようで……替えの馬車を取りに行ってきます」

 

 御者が慌てて馬を落ち着かせるように手綱を引いた。

 そして背後のキャビンに向かってそう声をかける。

 

「ええ、故障じゃ仕方ないものね……じゃあ、戻るまで待っています」

「いえいえ、こんな暗い通りにご令嬢を一人にしておくわけにも……ああ、そうだ。この通りを抜けると人通りの多い場所に出ますから、大きな店にでも入っていてください。このあたりなら下級貴族の方々も食事に利用する場所でございますし」


 御者の言う通り、この暗さだとキャビンに誰かが近づいてもわからないだろう。

 誰が見ているのかわからないので、御者にその通りまで案内してもらうのも迷惑をかけてしまいそうだ。


「わかったわ。通りのお店の中で待たせてもらうから、代わりの馬車を用意して迎えに来てちょうだい」


 御者の言う通り、治安もさほど悪くなさそうな地域のようだ。


 今のヴィクトリアは化粧っ気もなく、アクセサリーもつけていない。

 高位貴族には到底見えないシンプルな衣装を纏っているので、この程度の距離なら追いはぎに襲われることも無いだろう。


 念のため雨除けのフード付きローブを羽織り、顔と髪を隠しながら馬車から離れる。

 小走りに明るい通りを目指して、ヴィクトリアは掛けだした。


 彼女が無事に通りへ出るまで御者は壊れた馬車の傍で見守っていた。

 闇の中から光へ溶け込む彼女を見ていた御者は済まなげに、一度だけ頭を下げ小さな声で呟いた。

 

「許してください」


 ……と。


 


 一方、通りを目指して走るヴィクトリアの心臓は不思議なほど躍動する。

 

 生まれて初めて感じるつかの間の自由に胸を高鳴らせながら、彼女の小さな翼が夜空に大きく羽ばたいた。

 


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