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3.運命の澱

続きです

 「ヴィクトリア様、お支度のお時間でございます」


 王妃付きの侍女長と世話役の侍女2名が、形だけ恭し気に執務室へ入ってきたのは夕方近くになってからのことだった。


「ああ、もうこんな時間なのね?」

 入室してきた侍女たちに視線を向けながら、ヴィクトリアは手にしていた羽ペンを脇へ置く。

 

「はい、王妃様から新しいドレスが贈られてきましたのでお召し下さい。ヴィクトリア様の見事な銀髪に映えると思います」

 侍女の片割れが手にしているのは、漆黒のような色味のドレス。

 髪の色には確かに合いそうではあるが、未婚の令嬢が纏うドレスにしてはいささか露出が多い。


「私の髪色に?流石、王妃様。素晴らしい御慧眼ですわ」

 

 不満を一言でも漏らせば、一字一句違えずどころか盛りに盛られた悪文となって王妃に届く。

 なので大げさに、ちょっと足りない感じに喜んで見せた。

 

 心にない世辞が上達したわね……、とヴィクトリアは心の中で呟く。


 彼女の言葉を聞いた侍女たちの口元が笑みに歪んだ。

 きっとおだてられれば簡単に舞い上がる、愚かな娘だとでも思っているのだろうか。


 王宮に入りたての頃はまだ、同情めいた視線を向けてくれる侍女も居たには居た。

 彼女らは王妃の不興を買い、知らぬ間に居なくなっていた。


 侮蔑、嘲り、揶揄い。


 笑みの下に隠された、ヴィクトリアの心をじわじわと突き刺してくる棘。

 無遠慮に突き刺さる棘の痛みに涙を流したのは、もう遠い過去の記憶だ。


 今はそういうものだと流せる胆力が、ある日を境に育ち彼女の自我を支えていく。

 実際侮られている方が変に探られない分、ヴィクトリアとしても都合が良いのである。



 ドレスは流石に一人で着る事が出来ないので、侍女たちに手伝ってもらう。

 王妃が用意したドレスだということで、着付けに手を抜かれることも雑に扱われることもない。


 訓練された王宮侍女らしい手さばきで、王太子の婚約者が作られていく。

 もちろん大人びた……と言えば聞こえがいいが、娼婦のような黒のドレスに見合う化粧も施される。

 

 大きな鏡に映る見覚えのない自分の姿を眺めて、ヴィクトリアは小さくため息をついた。


 彼女はもともと食が細い。

 

 食事を楽しむような場を、与えられたことも無かった。

 彼女にとって食事とは、倒れない程度に胃へ養分を入れる作業みたいなものでしかない。


 だから無駄な肉がつかないのは当たり前なのだけど。

 

 どうしてか胸に着いた肉だけは削げることも無ければ萎むこともなく、日に日に豊かに実っていく。


 そのたわわに実った果実が、細い腰をより細く強調させる。

 そして娼婦めいた濃いメイクは、睡眠不足で悪くなった顔色を隠す。

 毒々しく色づく濃い紅が乗った唇は蠱惑的に濡れ光り、性別問わず見るものを惑わせる。

 

 そのせいで、ヴィクトリアを男を夜な夜な咥えこむ悪女だという噂に真実味が帯びるのだった。


「お支度が整いました」

 

 髪を結い上げ、アクセサリーで体中を飾られていく。

 身を飾る宝石のほとんどが王妃の私物か、王族の財産として王宮で管理されている貸出品ばかり。


 ヴィクトリア個人の持ち物は、何処にも存在しない。


 公爵家を管理する伯父からすれば、嫁いで公爵家から抜ける姪に無駄な金をかけるつもりもなく。

 婚約者の王太子にとっては意に染まぬ相手へかける金はないということらしい。


「ありがとう。充分だわ」


 今夜の夜会は聖者の帰還に合わせて集まり始めた、他国の貴族たちとの宴。

 外交の場にもなるので、失態を見せるわけにはいかないとヴィクトリアは気を引き締めた。


 この大陸の大半の国が国教とする主神を祀る総本山に座する荘厳な大神殿。


 このシェバーノ王国の東の国境になる山脈を挟んだ先、大陸の半分という広大な領地を治めるエルレノヴァ神皇国の中心にある。

 

 聖者はその大神殿の重要人物にもあたるため、客の大半が皇国の貴族や高位聖職者たちだった。


 もちろん、聖者の母親がエルレノヴァ神皇国の皇女だったことも大きい。


「そうなると、王妃様に王太子様も遅い会場入りとなるかしら」


 どちらも互いに比べられ続けた経緯があるため、神皇国の人間がいる場にあまり長居はしたくないのが本音だろうか。

 国益にもならないことでいがみあわないで欲しいものだと、ヴィクトリアは考えた。


 他国の貴賓が多く集まる夜会なので、ヴィクトリアへの噂話や憶測でしかない悪評は控えめである。

 外へ恥を振りまくのは流石に憚れるのだろうか。

 

 彼女は出来る限り一人にならないよう気を配りつつ、貴賓たちへ挨拶を交わし合っていた。


 ——なのに。


「ザクセン王太子殿下とサフィリア嬢のご入室です」


 時間的には遅刻にもほどがあるが予想よりもかなり早い王太子の入場に、ヴィクトリアは王族の入場口へ顔を向ける。


 国外の貴賓たちは婚約者でもない令嬢の手を取って現れた王太子に、怪訝そうな顔を浮かべていた。

 ……が、その反応もつかの間のこと。


「あの令嬢の胸に輝くのはまさか……聖石なのか?」

「なんという透明度だ……」


 サフィリアのドレスの胸元に清らかな輝きを放つ石。

 神秘的な輝きを纏う石と、その持ち主のサフィリアの笑みで貴賓たちの空気が一変する。


 『聖石』

 

 それは生まれ落ちる際に神からの祝福と呼ばれる星が夜空から降り、その夜に生まれた選ばれし赤子の手に握られている聖なる守り石。

 その石の持つ不思議な力と、持ち主の心が清らかであればあるほど透明度が増すというものだった。


 デビュタントの時、サフィリアが神の祝福を手に生まれた娘だと公表されたのだ。


 公爵家の正当な嫡子であれ、母を殺して生まれ落ちた呪われた公爵令嬢。

 かたや、公爵家の傍系であっても、聖なる石を手に生まれ神の祝福を受けた伯爵令嬢。


 どちらが王太子妃に相応しいのか、その答えは明白だった。

 

 何をしても悪く取られ、憎まれる一方のヴィクトリア。

 サフィリアは慈愛に満ちた微笑みひとつで誰からも愛される。


 サフィリアのデビュタントに立ち会った王太子は、苦々しい顔を浮かべながら隣に立つ彼女へ向かって舌打ちしてその場から立ち去った。

 去り際「外れを掴まされた」と、言い捨ててきた彼の声は今も呪詛のように耳の奥に張り付いている。

 

 ——それからというもの、自分の居るべき場所で微笑むサフィリアの姿を度々目にする事となるのだった。

 

 今、ヴィクトリアの目の前に広がる光景のように。

 

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