契約1 自惚れた主人公
俺の名前は契ワタル。十六歳の高校生だ。
四年前に母親を亡くし、今は妹のユイと二人で暮らしている。父親は海外を飛び回るフリーライターで、毎月生活費だけが口座に振り込まれてくる。
「行ってきまーす」
今日もいつも通り、マンションを出る。
変わらないはずの学校生活へ向かって。
不謹慎な話かもしれないが、母さんがいなくなってから俺の人生は少し歪な形で変わった気がする。
「おっ、こんなところに500円見っけ」
通学途中で落ちていた500円玉を拾う。
「おはよう、契」
「おはよう」
女子から特別モテるわけじゃないが、クラスメイトとの関係は悪くない。
「おはよう、契君」
「おはよう、田辺さん」
クラスどころか学年でも人気の美少女と、普通に挨拶を交わせる程度の距離感だ。
「よーい、始め!」
テストは、そこまで勉強していないのに上位に入る。
ピッ――
笛の合図と同時に、ワタルは勢いよく跳び箱を飛び越えた。
運動神経も悪くない。多少絡まれても、喧嘩ならそれなりにどうにかなる。
何て言うのかな。
フィクション作品でよく見る「主人公補正」ってやつが、俺にはあるらしい。
「主人公補正」って、こういう感じなんだろうな……。
一日の終わりとともに、学校のチャイムが鳴る。
「契、ゲーセン行かないか?」
「悪い、今日は買い出し当番だからまた今度!」
クラスメイトからの誘いに、ワタルは申し訳なさそうに手を上げた。クラスメイトと別れたワタルは自転車置き場へと駆け込み、バッグを前かごに放り込むと、そのままペダルを踏み込む。
「主人公補正、ずっと続けばいいのになぁ。そしたら人生ずっとイージーモードだし、最高じゃん」
くだらない妄想をしながら、ワタルは一人で笑った。
「フフ……フハハハハハ!」
その時だった。
「えっ……」
横から突っ込んできたトラックに気づくより早く、視界が一瞬で白く弾ける。衝撃と同時に、ワタルの身体は自転車ごと宙に跳ね上げられた。
ワタルの意識が、ゆっくりと暗く沈んでいく。
――おいおい、トラックは聞いてないぞ。いや、落ち着け!トラックに撥ねられても、俺には「主人公補正」がある。 たぶんこのあと、目の前に女神みたいなのが現れて助けてくれる。
ついでにチート能力でももらって、異世界に転生して――九死に一生ってやつだ。そうだ、そうに決まってる。
自分の中にある“都合のいい結末”を、ワタルは疑わなかった。
その瞬間――
『アンタ、まだ生きたいか?』
「……来た」
頭の中で響くこの声は女神か?
「ああ、生きたい。俺はまだまだ死ぬわけにはいかない!」
『生きたいなら、私と契約しな』
「契約?」
『そう。私と契約すれば、この事象は“なかったこと”にできる』
「……」
『なに? 嬉しくないの?』
「いや、嬉しいけどさ……なんか他にあるだろ。チート能力付与とか、異世界転生とか。もっとこう、い
ろいろあるだろ!」
『……悪いけど、今のあたしのお財布事情でそれは無理』
「お財布事情って何!? それ金かかるの!?」
『当たり前でしょ。なに異世界転生してチート能力手に入れて美女たちからチヤホヤされる夢とか見てるの?そんな都合の良い展開がある訳ないじゃない。サンタさんが実在するとか、AV女優が本気喘いでいるとかそれと同じくらいフィクションだっての。ちゃんと現実を見なさいよ』
「おい!さらっと思春期男子の夢ぶち壊すこと言いやがったぞこいつ!」
『アンタを生き返らせるのは簡単よ。でも、その代わり――“代償”を貰うわよ』
「“代償”か……」
――包帯を巻いた片腕が疼く。
眼帯をつけている片目が、なぜかビームでも出そうな気がしてくる。
『ああ、大丈夫。そんな二重の意味で痛々しい代償じゃないから……』
ワタルの頭に浮かんだ中二病じみたイメージを、女はあっさりと切り捨てた。
『アンタにとって、”一番大事なもの”を貰うだけよ』
「生き返れるならなんだってくれてやるよ。右手だろうが左足だろうがな」
『いや、手足取ったら別方面から怒られるからやめとく』
「誰にだよ……」
『じゃあ、契約成立ってことでいいのね』
「ああ」
ワタルがそう答えた瞬間、女は小さく息を吐いた。
そして、ワタルの目の前で光が弾ける。
「お前は……」
声だけだった“それ”は、形を持って現れた。
背には白い翼、 身長は小柄で線の細い少女。
ただ、その存在はどこか“人間のそれ”とは違っていた。
「あたしの名前はアリス。天使よ」
「天使……これが……!?」
初めて見る天使の姿に、ワタルは言葉を失った。
(まぁ、契約者は大体この反応ね……)
アリスは内心で軽くため息をつく。
だが――ワタルは違った。
「ちっくしょう!! ボンキュッボンの女神じゃないのかよ! なんで断崖絶壁の天使なんだよ!」
予想していた“天使像”とのあまりの違いに、ワタルは拳を床に叩きつけた。
「……おい、誰の胸が断崖絶壁だ、コラぁ!!」
ドスの効いた声と同時に、ワタルの胸ぐらが掴まれる。
「こんな代償はあんまりだろ!!」
「よーし、もう一回殺す。もう一回だけお前を殺してやる」
その時だった。
ワタルの左掌が、眩い光を放つ。
「なんだこれ……!!」
「ちっ....契約成立よ」
次の瞬間、視界が一瞬途切れた。
まばたきのあと、ワタルは自転車のハンドルを握ったまま、歩道に立っていた。
「……あれ?」
さっきまでの空間が嘘のように消えている。
「俺は……一体……」
先ほどまでワタルを撥ねたはずのトラックは、どこにもなかった。
「……え?」
折れ曲がっていたはずの自転車も、何事もなかったかのように元の形に戻っている。
「いっけね、銀行行かないと……!」
父親が生活費を振り込む日だったことを思い出し、ワタルは慌てて駆け出した。
銀行の出入口付近。
ATMの前に立ち、操作を始めようとした、その瞬間――
バシュッ――
「ッ……!!」
足に鋭い衝撃が走る。
遅れて、焼けるような痛みとともに血が滲み出した。
「ぐああああああっ……足がああああ!!」
「うるさい! 黙らないと次は脳天にぶち込むぞクソガキ!!」
ワタルは転がりながらホールの方へ視線を向ける。そこではすでに、銀行が何者かによって占拠されていた。
「……へっ」
そこにあったのは、ちょうど銀行強盗の現場だった。
「とっととこっちにこい、クソガキ!」
強盗の一人に腕を掴まれ、ワタルはホールの奥へと引きずられる。そこには、すでに縮こまって怯える被害者たちがいた。
(銀行強盗とか……マジかよ)
状況の異常さに、頭が追いつかない。
ワタルの中で、違和感だけが膨らんでいく。
しかし――
(おかしい......今までなら……こういう時、“主人公補正”で銃弾には当たらないはずだろ。なのにそれが起きない……?)
今まで当たり前のように存在していた「主人公補正」という幸運が、この銀行強盗の現場では一切働いていない。
(一体……どうなってる!?)
その時だった。
「おぎゃああああああ!」
「お願い、静かにして……!」
銀行の中で、赤ん坊の泣き声が響く。
母親は必死にあやしながら、怯えた表情でその小さな命を抱きしめていた。
「おい、うるせえぞ!」
苛立った強盗の一人が、赤ん坊の方へと銃口を向ける。
引き金に指がかかろうとした、その瞬間――。
「やめろぉぉぉぉ!!」
ワタルは両腕を押さえつけられたまま叫び、強盗の顔面へ頭突きを叩き込んだ。
「ぐっ!?」
不意を突かれた強盗がよろめく。赤ん坊へ向いていた銃口が逸れ、その目がゆっくりとワタルを睨みつけた。
「テメェ……」
母子からワタルへと標的が変わる。
(落ち着け……俺には『主人公補正』があるんだ)
恐怖で心臓が激しく脈打ち、足が震える。
(大丈夫だ。自分を信じろ)
それでも、自分に言い聞かせる。
「お前なんか……怖くない!」
強がるように叫んだ瞬間、左掌がかすかに熱を帯びた。
淡い光が、掌の奥から滲み出す。
「テメェ……どうやら死にてぇようだな」
強盗は銃口をワタルへ向ける。
「来るなら来いよ……」
ワタルは震える声を必死に押し殺した。
「俺は死なない! 絶対に死なない!」
(主人公補正がまだ俺の中にある限り――)
左掌の光が、徐々に強さを増していく。
「うるせぇ!!」
正義面して歯向かうワタルに苛立った強盗が、引き金を引いた。銃声と同時に、弾丸が一直線にワタルへと放たれる。
(クッ――!)
ワタルは思わず目を閉じた。
数秒立つ、しかし、痛みは来ない。
(……?)
違和感を覚えながら、ワタルはゆっくりと目を開く。眼前には――巨大な紋章が宙に浮かんでいた。
それは盾のように展開し、ワタルと周囲の人間を覆い守っている。
「なんだ……これ……!?」
「驚いた……まさか自分から『因果』の発生現場に飛び込むなんてね……」
「!?」
強盗たちの背後に、アリスが腕を組んだまま壁にもたれていた。
「お前……」
「安心しなよ。あたしは天使だからね。こいつらには見えてない」
軽く肩をすくめる。アリスはそう言いながらゆっくりとワタルの元へ歩み寄ると、拘束具に触れ、あっさりと外した。
「さて――」
アリスはワタルを見下ろすように笑う。
「その『主人公補正(笑)』でカッコつけなよ、ワタル」
その瞬間、ワタルの左掌に、再び力が満ちていく。
「貴様、拘束を解きやがったな!!」
強盗たちは一斉に距離を取り、全員がワタルへ銃口を向けた。
ワタルは左掌を強く握りしめたその瞬間――
「歯ぁ食いしばれぇぇぇ!!」
強盗たちの頭上に、それぞれ魔法陣が浮かび上がる。
強盗達が引き金を引こうとしたがもう遅かった。
魔法陣の中心から、拳の形をした光が“同時に”撃ち出される。
ドンッ!!
視認する間もなく、強盗たちの身体が吹き飛んだ。
「――っしゃあ!!」
ワタルは思わず拳を握る。
「やっぱり『主人公補正』は消えてなかったんだ……やったー!!」
その瞬間だった。
「突撃!!」
武装した警察が、銀行へと一斉に踏み込んできた。
それからしばらくして、買い物を終えたワタルは、自転車の籠に買い物袋を入れて、足を引きづりながら帰路についていた。
「で、アンタいつまで俺についてくるんだよ」
振り返ると、アリスがふわりと宙に浮かびながら後をついてくる。
「いつまでって、アンタが天使の仕事を終えるまでずっとよ」
「ずっとって……」
ワタルは露骨に顔をしかめた。
「そういえば言い忘れてた」
アリスは思い出したように指を立てる。
「あんたが言ってた『主人公補正(笑)』だけど」
「おい.....」
「あれ、正確には『因果』って呼ぶの」
「フェイト?」
「人間で言うところの運気みたいなものね」
アリスはさらりと言った。
「で、あんたは元々その『因果』の量が異常だった」
「異常?」
「そう。多分こっちの手違いでね」
「……は?」
「だから元に戻したのよ」
ワタルは眉をひそめる。
「待て待て待て。話が見えない」
アリスは肩をすくめた。
「簡単に言うと、アンタに『主人公補正』なんてものは最初からなかったのよ。ただ運が異常に良かっただけ」
ワタルの足が止まる。
自転車の車輪がアスファルトを擦る音だけが響いた。
「えっ……」
「というか……契約の代償として、あんたの運気を徴収したと言った方が正確かしら」
「……は?」
アリスの言葉に、ワタルは固まる。
「嘘……だろ……でも、強盗を倒したのは……。あれこそ『主人公補正』じゃないのか?」
「ああ」
アリスはあっさり頷く。
「でも、あれは別物」
「別物……?」
「アンタがあたしと契約したことで、天使の力を使えるようになっただけよ。だから、あの力はアンタ自身の運じゃない」
ワタルの表情から少しずつ血の気が引いていく。
「じゃあ……俺の『主人公補正』は……」
「契約したあの瞬間からソレはもうないの」
アリスは容赦なく言い切った。
「そんなバカなァァァァァァァァ!!」
アリスから告げられた衝撃の事実に、ワタルの悲鳴が夕暮れの住宅街に響き渡る。




