プロローグ 友との約束
夕暮れの病室。
医療器具に繋がれた母親が、白いベッドの上に静かに横たわっていた。
心拍モニターが刻む電子音。
その間隔は、少しずつ、確実に長くなっていく。
「母さん……」
ベッドの傍らでは、少年が小さな手で母親の痩せた手を強く握りしめていた。不安と恐怖に揺れる瞳で、ただ必死に母親を見つめる。
「ワタル……ユイと共に……幸せに生きて……」
母親は最後の力を振り絞るように、途切れ途切れの声で想いを伝えた。
「うん……分かってるよ。だから……だから頑張って!」
少年は必死に言葉を返す。
しかし、その願いが届くことはなかった。
母親の瞼はゆっくりと閉じられ、そのまま二度と開くことはない。心拍モニターの音が、長く、静かに伸びた。
「母さん……?」
握りしめた手から、少しずつ温もりが失われていく。
「母さん...!母さん母さん!!」
少年はその現実を受け入れられず、ただ母親の名を呼び続けることしかできなかった。病室の窓から差し込む夕陽だけが、親子を静かに照らしていた。
「17時48分……。残念ですが、ご臨終です」
医師はベッドから母親の手をそっと取り上げ、脈を確認し、そして静かに首を横に振る。母親の命の灯火が、今まさに消えたのだ。
「あ……」
少年の唇が震える。
その事実を理解した瞬間――
「うあああああああああっ!!」
抑え込んでいた感情が一気に溢れ出した。少年は母親の亡骸にすがりつきながら、声を枯らして泣き叫ぶ。
病室には、悲痛な慟哭だけが虚しく響き渡っていた。
だが、その光景を少し離れた場所から見つめる存在がいた。
誰の目にも映らない、一人の天使。
純白の翼を背に生やした少女――アリス。
彼女は悲しみに暮れる少年を見つめながら、静かに目を伏せた。
『アリス……これは契約ではなく、親友としてのお願い』
脳裏によみがえるのは、母親が生前に残した言葉。
『ワタルを……ユイを……あの子たちをお願い……』
最後の願い、最後の託宣、アリスは胸の前で両手を握り締める。
「……分かってる」
誰にも聞こえない声で呟いた。
彼女は泣き続ける少年へ静かに視線を向けた。
「――契約としてではなく、友として約束は必ず守るわ」
そう誓いながら、アリスは悲しげに微笑む。
「だから安心して。天界でゆっくり休んでね、ミチル……」
病室の窓から差し込む夕陽が、眠るようなミチルの横顔を優しく照らしていた。その魂はすでに肉体を離れ、穏やかな光に包まれながら天へと昇っていく。
アリスはその光が見えなくなるまで見送り、そして視線を泣き崩れるワタルへ向けた。
「ここからは、私の役目よ」




