ばあさまの最期
認知症・・・いろいろな形があると思い知った話
病院へ行くと、ばあさまが入院していたのは個室でした。
そう。
私が一時期、入っていた部屋です。
看護師さんが、何度も何度も痰の吸引をします。
そして、痰が入る容器は、あっという間にいっぱいになっていきました。
吸引されている間、ばあさまは苦しそうに首を振ります。
「なんで、こんなにいっぱい出るの?」
私は、覚悟をせざるを得ませんでした。
そして、夫に何度も何度も電話をかけます。
出ない!
「なんで出ないのよ!」
夫が悪かったわけではありません。
重要な会議中で、携帯電話を持ち込めなかっただけなのですが、私は激しい勘違いをしていました。
「今日の夜の便で帰ってくる予定です! 今、移動中のはずです」
夕方近くになって、ようやく夫が電話に出ました。
「何?」
不機嫌そうな声です。
「ばあちゃんが危篤なの! 何時の飛行機?」
私が叫びます。
「帰るのは明日の予定だよ。今からじゃ、最終便にも間に合わない」
私は、その場にへたり込みました。
そうでした。
夫が帰ってくるのは、明日だったのです。
「ご主人、相変わらずですねえ……」
看護師さんが苦笑いしました。
私が入院していたときに、お世話になった方です。
(「相変わらず」って言われてるぜ)
と思いつつ、私は看護師さんに伝えました。
「すみません。障害のある息子が帰宅する時間なので、一度、家に帰ります。もう一人の息子に連絡して、来てもらいます。彼なら運転免許がありますので。私は今夜、義母に付き添います」
その場で健君に電話をすると、
「分かった。帰省する」
と返事をもらいました。
都内にいましたので、十分に間に合います。
健君が来てくれると分かり、私は本当にほっとしました。
すると、看護師さんが言いました。
「鶴見さん自身、まだ体調が戻っていませんよね。退院してから、一か月もたっていないんですよ。付き添いは必要ありません。何かあったら連絡しますので、今日は帰ってください」
そう言われて、帰されてしまいました。
健君、帰ってくる意味なかった……
旅費~~~!!!
そして、その晩、ばあさまは持ち直し、なんとか危篤状態を脱したのでした。
◇
私は毎日、病院へ通いました。
しかし、ばあさまは危篤状態になってから、一度も意識を取り戻しませんでした。
毎日、電話が鳴るたびにドキリとします。
それから一か月ほどたった、早朝五時。
「お母さまの呼吸状態が悪くなっています」
病院から、一本の電話がありました。
電話口の声に、あまり緊張感がなかったため、私は、
「まだ大丈夫なのだろう」
と勘違いしてしまいました。
朝七時、私は病室に入りました。
そこで目にしたのは、必死に胸を押されているばあさまと、
「ピーーー」
と鳴り続け、すべての線が平らになっているモニターでした。
頭が真っ白になりました。
夫に電話をかけます。
「もう遅かった……亡くなっている」
すると、夫は言いました。
「後は頼んだぞ」
そして、ばあさまの臨終が確認されました。
私は、夫がすぐ病院へ来るものだと思っていました。
しかし、いつまでたっても現れません。
主治医の先生が、説明をするために待ってくださっています。
私は嫁です。
本来なら、息子である夫が話を聞くべきでしょう。
すると、別の看護師さんが知らせに来ました。
「なんか、もう葬儀屋さんが来ているそうなのですが……」
主治医の先生と、看護師さんと、私。
三人で顔を見合わせました。
私は夫に電話をかけました。
「あの……先生が待っていらっしゃるんだけど」
すると、受話器から怒鳴り声が響きました。
「行かねえよ! お前に任せるって言っただろ! 何を聞いているんだ! アホが!」
その場にいた全員が硬直しました。
そういうものなの?
普通、母親が亡くなったら、主治医の先生にお礼くらい言わない?
「すみません。認識にずれがあったようです」
私は平謝りしました。
恥ずかしいなんてものではありませんでした。
「では、死後の処置を始めます」
看護師さんが気を取り直して言いました。
準備のため、看護師さんたちは一度、部屋を出ていきました。
私は、ばあさまが亡くなったという事実と、夫の信じられない言葉の両方にショックを受け、うつむいていました。
そのときです。
ベランダのほうから、清掃員の方々が現れました。
四人くらいだったでしょうか。
ガラス戸を開け、明るく部屋へ入ってきました。
「窓ガラスを拭きまーす」
先頭にいた女性が、いたって明るく声をかけてきました。
私、硬直。
そして、
(今、まずいです)
と、目で訴えました。
先頭の女性は、すぐに気づきました。
「今、まずい!」
そして四人は、後ずさりしながら、「そうっと」ベランダへ戻っていきました。
私は、その様子が、昔見たテレビ番組のコントにそっくりで……
おかしくなってしまいました。
肩が震えます。
笑いが……
「いや、今、笑ってはいけない」
そう思うのですが、人間というものは、
「ダメだ」
と思えば思うほど、余計に止まらなくなるものです。
あのときの清掃員さん。
二十年後の小説のネタをくださって、ありがとうございました。
しっかり『竜の子』で、「笑い死に寸前」の場面に使わせていただきました。
今、これを書きながら、本当に泣いている私。
あはは……
そんなわけで、ばあさまは旅立っていきました。
でも、生きていた頃のネタは、まだいろいろあります。
これからも、ときどき書かせていただきます。
◇
ばあさまが亡くなった後のことです。
「死因は何だったの?」
と聞かれた私は、
「認知症の急激な悪化です」
と答えました。
すると、
「認知症で死ぬわけないじゃない。鶴見さんって、おもしろい~~~!」
と、げらげら笑った人がいました。
私は腹が立ち、
「急激な認知症の悪化で身体機能が低下して、誤嚥性肺炎を起こしたんです」
と言いました。
すると、その人はさらに笑いました。
「認知症、関係ないじゃない。誤嚥性肺炎なんて、よくあるじゃない」
関係なくなんか、ありません。
ここを読んでいる皆さまが、そのような認識を持たれないよう、心から願っています。
追記
ばあさまは、葬儀社の車で帰宅。
私は、自分の車の中で思い切り笑って、そして、泣きました。
必死で、涙を拭いて、平常心を取り戻します。
それでも
「直接、家に帰りたくない(だんなの顔を見たくない)」
と思ったので、娘が通う学校に寄って、娘を拾いました
娘がいれば、家で怒鳴られる事はないと思ったからです
娘、学校放送で呼び出され「へっ???」だったそうです。
そして、先生に「忌引きは〇日間だぞ」(忘れた)と言われたそうです
くだらない事は覚えております・・・(たぶん娘は忘れている)
自分は同じ思いをお嫁ちゃんや子供達にさせたくないです。




