姑の謎
亡き姑の話
うちの夫は、舅と姑がかなり年をとってから生まれた子です。
夫と私は、夫の方がかなり年上です。
そのため、姑は私から見ると、母親というより「祖母」と同じくらいの年齢でした。
今の私と同じくらいの年齢です。
私にとって姑は、いわゆる「嫁いびり」をする人ではなく、
「優しいおばあちゃん」
でした。
亡くなってからしばらくは、よく姑のことを思い出し、故人をしのんでいました。
ところがですよ……。
忘れたままでいれば、よかったのです。
心の底に沈んでいた記憶の蓋が、開いてしまいました。
もともと、私は「チマチマ」としたことが好きでした。
編み物、縫い物、ぬいぐるみ作り。
いわゆる手芸の類ですね。
ところが、姑が私のそうした趣味を、あまりよく思っていないらしいと感じることが度々ありました。
ある時、私がミシンで縫った布団カバーを見て、姑が言いました。
「それ、てなしがぬうたんか?」
大阪弁だったため、その時の私は意味が分からず、ポカーンとしていました。
何を言われたのか、さっぱり分かりませんでした。
ただ、
「褒め言葉ではない」
ということだけは分かりました。
その後、育児で忙しくなり、手芸どころではなくなったため、その言葉のこともすっかり忘れていました。
後から同居するようになり、気を使うこともありました。
晩年の介護も、大変といえば大変でした。
それでも、決して悪い関係ではなかったと思います。
私はずっと、
「いい姑だった」
と思ってきました。
ところが、姑が亡くなった後、遺品を整理していると、なぜか私が昔「なくした」と思っていた物が、いくつも出てきました。
私は、
「同じ物を、わざわざ買いそろえていたんだ」
と思っていました。
今考えると、なんというお人よしでしょう。
そして、楽器をあきらめ、
「昔好きだった手芸を、また始めよう」
と思った時、ふと思い出したのです。
「それ、てなしがぬうたんか?」
同居している間に大阪弁にも慣れ、その言葉の意味が、ようやく理解できました。
「それ、手のない人が縫ったのか?」
つまり、
「手のない人が縫ったみたいに下手だ」
という意味だったのです。
絶句しました。
ずっと心の奥にしまい込んでいた記憶が、突然よみがえってしまったのです。
ほかにもありました。
私のバッグが、いつの間にかなくなっていたこと。
そして、まったく同じバッグを、姑が使っていたこと。
とても気に入っていたバッグだったので、当時、夫に言いました。
「お義母さんが使っているの、あれ、私のバッグだと思うんだけど……」
しかし、夫は言いました。
「おまえの勘違いだ」
「だけど、私のバッグがないんだけど……」
「おまえがだらしないからだ」
それでおしまいでした。
姑がうちに来るたび、そのバッグを見ては胸がチクチクと痛みました。
それでも、
「きっと夫が、『使えばいい』と勝手にあげたのだろう」
と思うことにしました。
「ずっと使ってくれているのだから、気に入っているのだろう。私がプレゼントしたと思えばいい」
そう、自分に言い聞かせました。
そのほかにも、書ききれないほどの出来事が、後から後からドバドバと出てきてしまいました。
「思い出さなければよかった」
きれいだった記憶が、黒い影に覆われてしまいました。
息子が言いました。
「お母さんは、おばあちゃんのことを決して悪く言わないけど、僕は全然いい人だとは思えなかった」
だって、私は信じていたんですもの。
優しくて、いい人だと。
姑の自慢は「裁縫」でした。
いろいろな物を自作していました。
まあ、そのほとんどは夫が処分してしまいましたが。
先日、遺品として残っている座布団を、改めて見てみました。
大雑把な縫い目。
その他もろもろ……。
なんだか笑ってしまいました。
「今の私の方が、はるかにマシだ」
姑は、自分の得意分野を私に侵されたくなかったのでしょう。
だから、
「手なし」
という表現になったのだろうなと、今では苦笑いしています。
いい思い出だけを残していたかったのに、残念な記憶まで出てきてしまい、落ち込んだ時期もありました。
しかし、今は笑えます。
「ミシン縫いと手縫いの区別もついていない段階で、『裁縫が特技』とは言えないだろう」
おもしろい人だったのだと思います。
そう考えた方が、私も幸せです。
「姑シリーズ」、まだまだいろいろあります。
それもいつか、独り言のネタにできたらいいなと思っています。
完璧な人間なんていません。
私は、自分が病気になった時に、何度も駆け付けてくれたという、その記憶だけを残したいと思います




