第3話「ハコブネへようこそ③」
深い、深い眠りについていたようだ。
雑にパーテーションで分けられた個室で俺は目を覚ます。
目を開けると、ブラインドから差し込んだ朝日に、細かい埃の粒子が輝いていた。
見慣れない部屋、知らない肌触りの毛布とマット。
俺は一瞬パニックになるが、すぐに昨日の出来事を思い出した。
俺は死んで、未来の仮想現実空間に転生したのだ。
毛布を剥いで、目線を股間に落とす。
息子不在。
10時間の格闘の末、理想的な美少女の姿を手に入れた俺は、もう男ではないことを思い出す。
いや、自認は男のままなんだけど、そもそもこの世界では性別という考えはあるんだろうか。
一晩眠れば思考はクリアになっているかと思ったが、むしろ頭は混乱していた。
ただ一つ確かなこともある。
ユノとレインの話を聞いて、もし戻れたとしても、現実の世界に戻ろうとは思わないことだ。
俺がいた現実もさほど良い時代とは思えなかったが、それよりも地獄になった未来の世界。
対してハコブネは、無限の可能性と永遠の自由が約束された楽園だ。
俺の主観ではあるが、この場所の方が、魅力的でリアルに感じられる。
「自由に生きるって最高だ」
自分に言い聞かせるように声を上げる。
自分の物とは異なる高く透き通った声が、静かに誰もいないフロアに響く。
目をぱちくりとさせ、毛布をたたむ。
ひとまず下に降りよう。
俺は、スリッパを履いて、今にも壊れそうなエレベーターに乗って事務所に向かった。
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俺が事務所の扉をノックすると「どうぞ」という声と共に、レインが扉を開いた。
「おはよう。よく眠れたか?」
「えぇ。ここ数年で一番よく」
「それはなによりだ」
レインは昨日と変わらない服装で、俺と雑談をこなしながら、ドリップしたコーヒーを淹れる。
「あの、ユノは?」
「仕事だ。そろそろ戻ってくる頃だろう」
「こんな早朝から?」
「ユノにしかできない仕事だからな」
いやだいやだ。こんな早朝に仕事だなんて。
ブラック労働はこの世界でも健在だったか。
俺はそういうしがらみみたいなものは嫌いなんだ。協調性なんて知らない。
社会人なんて言うものになる前に、死んでこの楽園に来れたのは、ある意味好運だったのかもしれない。
なんて、毒を吐いてみる。
「ただいま」
気だるげに事務所に入ってきたユノ。
彼女は俺を見ると「おはよう」と一言挨拶をして部屋の奥にある席に座った。
大仰な社長椅子に座る彼女は、机の上に組んだ足を行儀悪く乗せ、天井を見ながら大きくため息を吐いた。
「行儀悪いぞ」
その様子を見ていたレインが、不機嫌そうにユノに小言を言う。
対するユノは悪びれる様子もない。
「行儀なんて、この世界では不要だろう」
「イオに悪影響だ」
「ふふ、それもそうだね」
ユノとレインの会話を聞きながら、俺はブラックコーヒーを飲む。
うまい。
眠気で回らなかった頭に、ローストされた香ばしいコーヒーの匂いが、一気に覚醒モードのスイッチをONにする。
目の覚めた俺は、コーヒーを置いてユノの方に半身を向ける。
「ユノは、昨日言ってた役割って奴をしてたの?」
「…」
俺を見てユノは一瞬黙る。しかしすぐにユノは口を開く。
「折角だし、私の仕事を少し見せてあげるよ」
「えっ!?ナイショなんじゃ・・・」
「別にナイショじゃないさ。たまには気分転換も大切だろう」
ユノは悪戯っぽく笑いながら、コーヒーに大量の砂糖を入れていた。
そうか、病がないなら糖尿病とかもないのか。
なら、好きな物を好きなだけ飲めるし食べられるんだな。
俺がそんなことを思っていると、レインが俺の姿を見て口を開いた。
「その恰好ではさすがに、か」
レインの言葉で、俺はTシャツ一枚だけであることを思い出す。
「ああ、制服があるだろう?あれを彼に」
「わかった」
レインとユノが俺の方を見ながら、俺の身なりについて話をつけていた。
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何かを取りに部屋を後にしたレインは、何かを持ってすぐに戻ってきた。
レインからもらったのは黒いブレザーの学生服だった。
というか、この世界の運営サイドの制服は学生服がデフォルトなのか?
ひとまず、俺は手渡された服を着ることにした。
俺がスカートの履き方に戸惑っている様子を見たレインは、面倒そうに俺の胸元に手をかざした。
「え? 襲われる!?」
と思った次の瞬間、彼の手が光りだし、俺は思わず目を瞑る。
ゆっくりと目を開くと、俺が持っていたスカートはその場にはなく、鏡に映った少女は、持っていたスカートを履いていた。
「手動で着てもいいが、自動で着る機能もある。
生活を便利に、効率よくする機能はほかにもあるから、あとで少し教えよう」
レインは表情を変えずに俺に言うと、すぐに踵を返して部屋を後にした。
仮想空間。なんて便利なんだろう…。
「着替えは済んだかな?」
レインと入れ替わるようにして会話に入ってきたユノ。
俺が彼女を見て頷くと、彼女は「では」と何食わぬ顔で、昨日と同じように光の扉を開いた。
「これも、この世界の機能?」
「ああ、エクステンションについては教えてなかったね。
あとでレインから教わるとイイよ」
「エクステンション…」
俺がユノの言葉を復唱すると、彼女は気だるげに口を開く。
「説明すると長くなるから割愛するが、まあ便利スキルだと覚えておきたまへ」
「はあ」
他愛もない話をしながら、俺たちは光の扉をくぐる。
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光の先は、俺が転生して最初に見たガラス張りのビル街だ。
「ユノの仕事は、ここの見回り?」
「いや?そういうのはレインの仕事だよ」
見回りじゃないにしても、こんな誰もいないビル街で何を?
俺が首をかしげていると、目の前のガラス張りのビルに向かって、ユノは歩みを進める。
ビルの中に人の気配はない。
と思い、よく見ると、殺風景な白いエントランスに人影が一つ…。
「ユノ!?」
エントランスのフロントに立っていたのは、ユノ。
いや、ユノを大人にしたような姿の女性だった。
ユノのような白衣姿ではなく、白いスーツを着た女性。
口角を上げてまろ眉をハの字にしているユノとは違い、スーツのユノは口を一文字に閉じて、無機質な表情でこちらを見ている。
「不思議がることはない。こいつはNPCだよ」
「NPC? じゃあAIというか、ただのキャラなのか」
「そういうこと。私の仕事はこの子たちのログの確認だ」
「ログ?」
「この場所を訪れる客のね」
ユノがNPCの前で手のひらをかざすと、大量の文字列が流れるウィンドウが出現する。
「春だねぇ、いつもより多いこと…」
「え?なにが書いてあるの?」
「ふっ、イオ。
君はゲームをリセットして新たにキャラを作り直したり、SNSで複数のアカウントを所持したことはあるかな?」
「ま、まあ何度かは」
「ハコブネもね、そういう世界なんだよ」
高速で流れるログの文字列を見ながら、彼女は俺に語る。
ユノの役割。それは、この世界の住人たちの名前や容姿、プロフィールの管理なのだそうだ。
現実ではどれだけの手順が必要かわからない、名前の変更や、容姿の変更。
住まいの変更も、この世界では一瞬でできてしまう。
「いつの時代も、春先は数が多いんだよ。まあ、今年はここ数年では少ないかな」
ログを見終わると、ユノはウィンドウを閉じて踵を返した。
「仕事終了。今日も働いた」
「え?」
「え?って?」
「いや、あれを見て、終わり???」
「そうだよ。3日に1回程度、ログを確認するのが私の通常業務だ」
「いや、もっとガッツリ働いているものかと・・・」
たった数十秒、文字列を斜め読みしただけで仕事と言えるのだろうか?
俺が少し呆れ気味に言うと、ユノは誇らしげに平たい胸を張った。
「ハハ、この時代に長時間労働なんてナンセンスだよ。
君のいた時代にいまのログを全て読んだら、数人で数日ぐらいかかるだろうけどね」
ユノの言葉をさすがに誇張表現だろうと怪訝に思う俺。
「そんなに????」
しかし、ユノは冗談でもなく、淡々と述べる。
「言っただろう?ここはハコブネだ。
何でも手に入る。それが例え頭脳であろうとも」
ユノの言葉を聞いて、俺は乾いた笑いを返すしかなかった。
昨日の夜ですら、ハコブネはなんかすごい世界なんだなと思っていたが、
それでも俺は、このハコブネのスケールをまだ理解していなかったと知る。
自由すぎる。
この世界では容姿も、身体能力も、出自も年齢もすべてが自由だ。
だが、ユノの説明に俺は一瞬だけ、足元がぐらつくのを感じた。
この世界で、頭脳だけは固有の能力、というより自分を唯一定義する個性と思っていた。
でも違う。
計算能力も、速読も、物事の判断も。すべて、カスタマイズできる要素だ。
じゃあ、この世界における自分とは?
体も、脳も、生き方もデザインできる世界で…
俺は、どこにいるんだろうか――――
to be continued




