第2話「ハコブネへようこそ②」
少女の後ろをついていき、光の扉をくぐると、そこはやけに古びた雑居ビルだった。
少しカビっぽい埃の匂いと、コーヒーの残り香が漂う事務所。
先ほどまでの無機質な高層ビルが建つ近未来都市とは違い、平成初期のドラマに出てきそうな、探偵事務所のようなレトロな雰囲気があった。
おさげの少女は、俺にユノと名乗り、シャワー室へ案内してくれた。
「タオルはこれを。着替えはココに置いておくよ」
「あ、ありがとう」
俺は、ユノに言われるがままにシャワー室へ入る。
浴室もないシャワー室。姿見鏡の中に居る少女を見ても、それがまだ自分であると認識できない。
熱めのシャワーを浴び、シャンプーとボディソープで身体を清める。
全裸で雨の中を歩いてきた俺の身体は予想以上に冷えていたようで、熱めのシャワーがビリビリと肌に痛い。
シャワーを浴び終えた俺は、彼女の用意してくれた、だぼだぼの白い無地Tシャツを着る。
贅沢を言える立場ではないが、せめて下着ぐらいは用意してほしかった……。
客用のスリッパを履いて、廊下を歩き事務所に戻る。
部屋の中央に置かれた革張りのソファに座ると、彼女は湯呑に入った緑茶を出してくれた。
「温まるよ」
「仮想空間なのに?」
「仮想空間なのに」
彼女は左手に持っていたお茶をズズっとすする。
俺も彼女の出したお茶を手に取り、ズズっとすする。
現実と同じように喉元に熱いものが通り、腹の中から体を温めた。
信じられない。これが、本当にVRなのか。
「さて、どこから話そうか」
彼女は俺の向かいに座ると、ガラス製のテーブルに湯呑を置いて顎に手を当てた。
幼女の外見をしているユノだが、その佇まいはどこか大人びていた。
きっと彼女も、現実の世界ではまた違う姿なのだろう。
もしかしたら、定年を既に超えた初老の男性だったりするのだろうか。
「何か失礼なことを考えていることは、顔を見ればわかるよ」
「い、いえ」
咄嗟に彼女から目をそらしてお茶をすする。
一呼吸おいて、俺はユノに質問する。
「ここは、日本ですか?」
「日本だ。しかし、日本ではない」
間髪入れずに彼女は答える。
「君は、ハコブネを異世界だと思っていたのだろう?」
「はい」
「先ほども言った通り、ここはハコブネという名の仮想空間だ」
彼女は小さな指先をこちらに向ける。
空中にモニタのようなものが立ち上がり、映像を映し出す。
「現在、西暦2090年。君のいた時代からは半世紀以上未来の世界だよ」
「2090……!?!?」
あまりにも突飛な数字に、俺は一気に現実感を失った。
「ハコブネは2050年にリリースされた、革新的なフルダイブVR型ソーシャルネットサービスだ」
彼女は、俺にハコブネの黎明期から、今に至るまでの経緯を説明してくれた。
彼女の説明を整理するとこうだ。
2050年ごろに実用化された、人間を仮想空間に転移させる技術。それがハコブネ。
同名のサービスは、ソーシャルネットとして人々に利用されていたが、時の政府が福祉目的に転用することを決断した。
例えば高齢者、身体障害者……ありていに言えば生産性の低い社会不適合者。
俺のいた2020年代でも言われていた社会問題は、2040年ごろには既に、軌道修正不可能なレベルになっていた。
資源の枯渇、労働力不足、広がりすぎた貧富の格差と貧困者の急増。
そして度重なる自然災害と紛争などなど。
世界は、おおよそ人間の住める場所ではなくなりつつあった。
世界中の政府は、生産性の低い人間を少しずつハコブネに移住させていった。
老いず、病まず、苦しまない楽園。それがハコブネという仮想現実。
どんな人間にも平等に与えられた理想郷。
現在、現実の世界は、技術進化によって支えられているそうだ。
AIとロボットの進化によって、生活は劇的に便利になった。
残った、あるいは残された人間たちは先進技術の恩恵を受けて、現実で生活しているとのことだ。
「現在、ハコブネのユーザーは全世界で50億人を超える。
世界の実に9割が、ハコブネに移住していることになるね」
「50億で9割? 世界人口は70億人ぐらいじゃ……?」
「度重なる疫病と戦争で10億人以上が命を落とした。
君の知らない、少し先の君の未来の話」
俺の死後、世界はほどなくして地獄の様相を呈したと、彼女は遠い国の出来事のように語った。
重すぎるし、到底想像もできない現実のあらましを聞いて、俺は沈黙するしかなかった。
「呼んだかユノ」
静寂を打ち破ったのは、聞き覚えのない男の声だった。
ユノは「あぁ」と口を開き、俺の頭上を指さして続ける。
「紹介しよう。
彼の名前はレイン。
ハコブネの管理者の一人で、ハコブネの仕組みには人一倍詳しい男だ。
この世界での生活やルールについて、わからないことは彼に聞くといい」
振り返ると、そこには細身な青年が立っていた。
学ラン姿にマント……バンカラといったかな?を羽織り、学生帽を深くかぶった青年だ。
腰には物騒な日本刀を帯刀し、背筋を伸ばしたまま、彼は鋭い目つきで俺を見下ろした。
「レインだ。ユノから紹介された通り、俺はハコブネの秩序を守る管理者の一人だ」
「イオです……よろしくお願いします」
自己紹介もほどほどに、彼は自分の分のお茶を入れると、壁に立てかけてあったパイプ椅子を開いて俺とユノの横に座る。
「管理者って?」
俺の疑問に答えたのは、レインではなくユノ。
「ハコブネの運営だよ。
説明した通り、ハコブネは仮想空間だからね。
この世界はプログラムで動いている。時代がどれだけ進んでもバグはなくならない。AIにある程度のデバッグは任せているが、それでも限界はあるからね。
今でも人間が対処するしかないバグやトラブルに対応している者は必要なんだよ」
続けてレインが口を開く。
「俺の仕事は、ハコブネの住人が重大な規則違反を犯していないか、大きなトラブルがないかを見回る仕事。といえばわかりやすいかな……」
彼は表情ひとつ動かさずに茶をすする。
「この世界の仕組みを理解するまで、彼の下で色々と教えてもらうといいよ。
言ってみればチュートリアル、ガイダンスみたいなものだね」
にへらと笑うユノ。
「ユノさん?ちゃん?」
「呼び捨てでいいよ」
「じゃあ、ユノ。ユノがそういう役割かと思っていたんだけど……」
俺が彼女に聞くと、一瞬ユノは眉をひそめ、それをごまかすように立ち上がる。
彼女は窓際までゆったりと歩いて、夜景を見つめながら、後ろで手を組み口を開いた。
「私には、私の役割があるからね。この場所を長く離れる訳にはいかない」
「役割?」
「そう、役割。いずれわかることだし、今はそれを知るべき時ではない」
後ろ姿で表情は見えないが、先ほどまでの軽い口調ではなく、低いトーンでの返答。
俺は、それ以上を聞くのは野暮だと思い、レインに同行することを了承した。
「まずは住居だ。好きなところに住めるけれど、今夜はココに泊まっていくといいよ」
振り返ったユノは、最初と同じように、少し他人をあざ笑うように俺に告げた。
なんの指示を待つでもなく、レインが俺の肩に手を置く。
「案内する。ついてきなさい」
と、レインはそっけなくバンカラマントを翻して部屋を出る。
急いで彼について行く俺に、ユノは「おやすみ」と、一言だけ残した。
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レインの後ろを歩く俺は、近未来の中にあってどこか懐かしいビルの廊下を、ぼんやりと観察していた。
この雑居ビルには他のビルのような無機質さはなかった。
剥き出しの配管に乱雑に塗られた白いペンキ。
赤く光る消火栓、避難経路を示す出口マークや、ゴウンゴウンと不気味な音を立てるエレベーターなど、俺の知る時代でも古臭いと言える風貌をしていた。
もっとオシャレなというか、マシなデザインにもできるだろうに。ガラス張りのビル群の中にあるのに、このビルだけは異質だ。
「あの、この街ってどこまで続いているんですか?」
俺の問いに、彼は歩みを止める。
窓の外のビル群を指さして、レインは口を開く。
「そうだな。おおよそ600平方キロメートル。東京23区と同等ぐらいの広さか」
「だいぶ広いですね」
「いや、だいぶ狭い」
レインと俺の価値観が食い違う。
「いやいや、23区と同じですし。けっこう広いんじゃ……」
俺の言葉を聞くと、浅くため息を吐くレイン。
「仮想空間ハコブネ。その広さは実質無限だ。
正確な面積は俺も知らない。ただ、人が想像できないほどの広さなのは確かだ」
「無限!?」
ごくりと唾をのんで彼の話を聞く俺。
「この町に定住する人間はそう多くない。ハコブネは無限だからな。
魔法の世界、荒廃した銃撃の世界、ドラゴンの飛ぶ街もあれば、現実世界と瓜二つな世界もある。自然に包まれた世界や宇宙空間……
人が想像できるものは、すべてハコブネにある。
俺も見たことがないようなものがたくさんある」
この世界のスケールが、俺に想像できるはずもなかった。
だが、同時にそれは、俺の眠っていた冒険心を刺激する。
無限に遊べるゲームの世界。
病気やケガ、食事の心配もなく、誰にも咎められずに1日中遊べる。
まさに理想の世界なのだろう。
夢想する俺は、少し浮かれ気分な足取りでレインの案内についていく。
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レインが案内してくれたのはネットカフェのような、狭いブースが立ち並ぶフロアだった。俺は区切られた3畳ほどの個室に通される。
「それではまた明日」
そう言って、踵を返すレインを見送った俺は、ブースの前で深くため息を吐く。
「考えるのは一度やめよう」
とにかく、今日はあまりにも色々な情報を脳に入れすぎた。一度眠って整理したい。
俺は、棚に備え付けられていた毛布と枕を取り出すと、ぶっきらぼうにマットにダイブした。
ボロ臭い天井を見つめていると、瞼が自然に落ちる。
腹も減らず、排泄も老いもないハコブネだが、それでも睡眠はある程度必要なのだそうだ。
ユノ曰く、脳がこの世界における唯一の身体。
常に酷使されている脳には、適度な休息が必須なのだとか。
そういえば、仮想空間の中でも夢を見るのだろうか。
なんてどうでもいい疑問を感じながら、俺は薄い毛布にくるまって眠りについたのだった。
to be continued




