27 呪い(2) ジェニファーSide
アンと名乗る、美しいパトリシアにそっくりな令嬢は、頼りなげにふわふわと歩いた。ブロンドの髪が揺れる。彼女の瞳はどこか頼りなく、儚さを漂わせている。
どこからどう見てもパトリシアなのに、ぽってりとした唇と大きな胸を揺らして歩く艶かしさは同じなのに、儚げな雰囲気が違うと言うべきか。
スローモーションのように彼女の髪の毛が私の横で揺れる。何かがこぼれ落ちていくような錯覚を覚える。私のオーガーンジーのバッスルドレスは陽光に煌めき、夏の輝きを体現したような最先端でありながら、明るい光に満ちている。
アンと名乗る美しい令嬢の着るドレスは、糊付けした目の荒いモスリン生地。ふわふわと広がる。腰からつけているシャトレーヌ型バッグの中には何が入っているか分からない。最高級品だと分かるシャンティレースの装飾があるのに、なぜか陰の気配を濃厚に漂わせて、彼女は物憂げな雰囲気で歩く。
あの以前に、私の前に仁王立ちして洗濯物に火をつける魔力を発揮したパトリシアとは全く別人のように雰囲気が違った。
子供ができたというのは本当なのだろうか。
たとえそうでも、ショーンの子ではないだろう。
ロゼッタ飾りの真ん中に光る石を外したい。
生きるか死ぬかの戦いなのだ。
これは、最愛の恋の行く末が死という結末を、変えるためのやり直しだ。
夏の日差しにも関わらず、サルーンはひんやりとしていて、涼やかだった。ショーンがゆっくりと陳列された石の間を歩いた。私はアンと名乗る令嬢の手を取り、その後ろを歩いた。時々、ショーンがこちらを振り向いて、私たちの様子を確かめた。
19世紀末に農業不況が発生したために、経済成長が著しく鈍化した。1870年頃からだ。ヴィーラもその例に違わず、不況が蔓延して、生まれながらにして大富豪だった貴族たちが適応できずに没落していくだろう。
所領の譲渡は必ず起きる。
所領の崩壊も。
つまり、チャンスを伺う私には、できることが必ずある。敵の弱点を突くことができる可能性はある。
「石の妖精がここだと言っている」
そう唐突にショーンが話だし、一つの薄いピンク色の鉱石を手にもち、ゆっくりと、アンと名乗っている令嬢のドレスのロゼッタ飾りの中心にかざした。
何かが起きた。
ショーンにクリスティアンと呼ばれていたいつも怒っている石の妖精の姿が、一瞬見えたような気がして私は目をしばたいた。
ロゼッタ飾りから、薄い翠色の気体が蒸発した。
「本当にごめんなさいっ!本当にごめんなさいっ」
パトリシアにそっくりな令嬢は、急に目に力を宿し、目から涙が次から次に溢れさせながら謝り始めた。
「あなたを殺そうとしたにも関わらず、あなたは命の恩人よ」
「私を殺そうとした?」
私はビクッとして聞き返した。ショーンも詰め寄った。
「君はパトリシアだな?」
「そうよ。私はパトリシアよ」
急速に力強さを取り戻していく、夫の元婚約者を私は見つめた。やはり、彼女は美しい偏屈魔女だ。
やはり茶番だった。
パトリシアだ。
何がパトリシアの妹のアンだ。
「そのシャトレーヌ型バッグの中を見せて」
私は厳しい声でパトリシアに告げた。パトリシアがためらったので、私が奪って開けて見た。
1枚の術書が入っていた。
「ジェニファー、だめだ!」
ショーンが止めるのも聞かずに、私はその術書を開いた。
『ジェニファーを生かしてはおいてはならない。その子たちも皆抹消すべし』
私が読んだのはその文字だ。
呪いが書かれているように見える。
おどろおどろしい挿絵が書かれていた。
「私は……ロゼッタ飾りの中に埋め込まれて石に操られていたのよ!アンリの仕業よ。彼は私を好きなようにした。そして、あなたの命を狙っているわ」
パトリシアはおそらく真実を語っている。そう感じた。
「君はアンリ・ジャゲールに仕込まれたんだね?」
ショーンは鋭い声で確認した。
「そうよ。クイーンズマディーノモベリー公爵家は多額の資金援助をアンリから受けたの」
私は怒りで我を忘れるかと思っていたが、どうやら冷静でいられるようだ。私は未来で自分に子供たちが生まれるのを知っているが、まだアンリもパトリシアも知らない。私はここで自分の子供たちが生まれる前に、犯人を突き止められたと言う思いでいるが、ショーンはそのことを知らない。
「でも、そんなアンリの資金援助くらいではだめ。あなたの所は持たないわ。それに悪いけれど、もうあなたの実家はお取り潰しさせていただくわ。所領は全ていただきます。準備を進めていたので、ちょうどいい。間に合いましたわ」
私はショーンを見て頷いた
決心がついた。
生きるか死ぬかなのだ。
これは私だけでない。
私の子供たちの命がかかっている。
クイーンズマディーノモベリー公爵家を立て直すには、パトリシアがアンドレア皇太子の正妻に収まる必要があった。そのためには私と子供が邪魔だ。
アンリ・ジャゲールの最終目的は、別のところにあるのかもしれないが、私が邪魔なのは両者一致したのだろう。
「当家にも 、ついにテレグラフができたのよ」
私は、ギルフォード・カースル5のテレグラフ室を使って、宮殿とドヴォラリティー伯爵家にテレグラフをした。この便利なツールは、宮殿やドヴォラリティー伯爵家との間のコミュニケーションを劇的に向上させたものだった。今日も最高の威力を発揮した。
『アンリ・ジャゲール伯爵家に踏み込むように。皇太子妃殺害計画の証拠がある』
短くそれだけ伝えた。了解、とだけ両方から回答があった。
「あなたじゃなければ良いのにと思っていたのよ」
私はパトリシアを振り向いて、しわがれた声で言った。
「農業所領の収入と利子だけではやっていけない貴族は多いわ。だから、こそ、皆、必死に非農業的事業で収入源泉の多様化を実現しようとしてあがいているのよ。なぜ、皇太子妃の命を奪って、自分がその椅子に座ることを目指すのよ」
「だって、あなたが奪ったんじゃないっ!」
私はパシッとパトリシアの頬を思いっきり引っ叩いた。
「だからって命を奪っていいわけないでしょうっ!いい加減に目を覚ましなさいっ!事業を起こすなり、所領を研究するなり、やれることは他にあるでしょう。人の命を奪って得るものなど、腐った根性のやることよっ!」
パトリシアが私に飛びかかってきて、私は引き倒された。後ろにひっくり返り、激しく頭を打つと予感した。
その一瞬、頭に走馬灯のように3人の幼い子たちの姿が蘇った。
ウィル……金髪でブルーの瞳の男の子。可愛い双子はブラウンの髪にグリーンの瞳のアーサーとロイ……。
ソウタ、ミナト、ヒナト……。
幼い3人がニコニコ私に微笑みかける姿が私の脳裏によぎり、涙が溢れた。鮮明な記憶が鮮やかに蘇る。
「マテルルーチェ・メッツロイトン」は輝く母の意味でつけた。
「私はここで死ぬわけにはいかないのよっ!バカっ!」
私は叫んで、パトリシアの腕をつかんで体勢を立て直した。すかさず彼女の腕を捻じ上げた。私は自分だけのために、ここまで頑張ってきたわけではない。未来に生まれる子供たちを守るために、ここまで頑張ってきたのだ。
私はここで死ぬわけにはいかない!
ここまでやってきて全てを無駄になんてできない!
キャッ!!
パトリシアは叫んだが、私は許さなかった。
生きるか死ぬか、なのだ。
2度も死んで死に戻りを果たした私は、負けるわけにはいかない。
私はパトリシアを立たせて、駆けつけた巡査と巡査部長と警部と警視に引き渡した。皇太子妃を狙った犯罪は国家反逆罪だ。
その日、警視総監と副総監の命で、アンリ・ジャゲール伯爵家とクイーンズマディーノモベリー公爵家に立ち入り捜査が行われ、公爵も伯爵も逮捕されたと報告を受けた。
彼らの所領の譲渡には、いよいよ拍車がかかりそうだ。
オーガンジーの薄い生地は陽光を受けて、夕暮れのギルフォード・カースルの庭を歩く私の周りに光を放った。多少汚れてほつれてしまった所もあったが、駆けつけたアンドレア皇太子の抱擁の前には、大したことではないように思えた。
死に戻った私は、息が止まるほどの恋をして、生きるか死ぬかのドキドキの戦いを制したのかもしれない。
私たちは熱いキスをした。切なさも怖さも何もかも忘れるほどのキスだった。




