25 元婚約者パトリシアの悪手 ジェニファーSide
貴族社会は閉鎖的だ。
道を踏み外していると勝手に決めつけて、特異性を有する人物について良からぬ陰口をヒソヒソと言うだけの人たちも大勢いる。総じて嫌な連中だ。
ショーン・メッツロイトンは私の兄だ。兄は彼らの餌食になる典型的な例だった。ぐしゃぐしゃの髪や、ヨレヨレのシャツなど、確かに身なりに構わなかった兄にも問題がある。
だが、その人となりは謎だ。私たち家族はショーンを愛していたが、彼は奇妙な空想癖があり、石の妖精が見えると言っては、私たち家族を困らせていた。貴族社会でその奇妙な振る舞いは好かれない。長い間、兄は貴族社会からつまみ者扱いされていた。
妖精については、ショーンには確かに見えるのかもしれないが、家族からするとそのショーンの妖精はたいてい怒っていて、手に追えない存在だった。父にも見えない妖精さんで、私からすると、物心ついた頃から、ショーンの妖精騒ぎは日常的で慣れ親しんだものだった。
久しぶりに会ったショーンはこざっぱりとした身なりをしていて、前の人生では見たこともないほど穏やかな顔をしていた。磨き抜かれた靴をはき、シャツにはアイロンがかかり、爪も磨かれている。ヘアスタイルは最先端だ。ブロンドのような赤褐色の髪の毛が魅力的に刈り込まれている。
兄のショーンが19世紀にできた気の利いたヘアドレッサーのいる高級ヘアサロンクラブに通っているのは一目瞭然だ。
メッツロイトン男爵家の次期当主として、申し分のない雰囲気に満ち溢れている。一目置かれ、また脚光を浴びる存在になったことが、自信を与えてくれたのだろうか。
ヘアサロンにたむろしているジェントルマンたちと交流している兄のショーンの様子が、私には想像できなかったが。兄は彼らのように虚栄を楽しんだり、フランス語を交わすことに興味を持てないはずだが、とにかく兄は素晴らしい変化を遂げていた。
「ジェニファー、久しぶりだ」
「お、お兄様、お久しぶりでございます。なんだか見違えましたわ」
私は予想もしなかったショーンの変身ぶりに驚きながらも、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。自分の力が必要とされて認められるということがショーンに良い影響を与えたように見える。
「ジェニファーこそ、皇太子妃にふさわしい美しい身なりで立派だ」
「ありがとうございます」
私は昔の兄の面影がいくらか残る、目の前の立派な紳士をぼーっと眺めた。
もしかして、お兄様は恋をされている?
大事な話とは、そのことかしら?
私は会社の売買契約書の束を閉じた台帳を鞄から出すのをやめて、兄を静かに見つめた。仕事の話は後だ。まずは、兄の嬉しい変化の原因を知ることからだ。
「子供ができたんだ。すぐにお相手の令嬢と結婚しようと思っている」
「まぁ!」
私は両手を握りしめた。
できちゃった結婚だ。
でも、19世紀のメッツロイトン男爵家の世継ぎである兄のショーンの立場からすると、社会的階級を無視した結婚の可能性がある。
ちゃんとした貴族の娘なら、結婚前に子供ができるような行為はしないのだから。
「どちらの方ですの?」
「植民地で出会ったんだ。彼女は素晴らしい。クイーンズマディーノモベリー公爵の……」
途端に、私の耳の奥で耳鳴りが激しくした。
なぜ、ここで、あの公爵の名前を聞くのか?
兄の口からなぜ?
パトリシアではない令嬢の名前が聞こえた。
だれ?
美しい偏屈魔女ではない、もう一人のクイーンズマディーノモベリー公爵の令嬢?
「紹介しようと今日は連れてきたんだ」
私はその言葉に心臓がドキドキしてしまい、あまりの衝撃で聞こえにくくなった耳を押さえた。両耳を押さえ込む。何かが激しくおかしいと感じた。
私の様子を心配気に見つめながら、兄のショーンがドアを開き、若い女性を招き入れた。
私はゆっくり床から目線を上げて行った。美しい刺繍入りの靴下、華奢な四角いつま先のフラットシューズがチラリと見えた。ドレスはため息が出るほど素晴らしい。
黄色い絹サテンのリボン、最高級品だと分かるシャンティレースの装飾が贅沢にあしらわれていて、ベルトにも絹サテンのリボンが後ろについている。ロゼッタ飾りがポイントで付いていて、スカート裾にはプリーツとリボンの装飾があるドレスだ。
非常に良い仕立てのドレス。
刺繍入り靴下。
華奢なフラットシューズ。
貴族令嬢で間違いない。
「パトリシア!」
私が悲鳴のような叫び声を上げると、女性はにっこりと笑った。
「違いますのよ。初めまして。私はパトリシアの妹のアンでございます」
私はぐるぐるとめまいがして、後ろに後ずさった。
どう見ても、パトリシアだ。
ぽってりとした桜色の唇。
美しいブロンドの髪。
令嬢然とした上品な色気。
頭の中でぐるぐる何かが回っている。
『パトリシアがアンリ・ジャゲール伯爵の元に駆け込んだ』
確か、リーヴァイ・ドヴォラリティー伯爵にパトリシアの動向を密かに確認して欲しいとお願いしたら、そう報告された。
アンリ・ジャゲール伯爵は、いかがわしい噂が絶えない、霊視ができる占い師だ。彼に魔術ができるとしたら?
パトリシアの瞳を私はジッと見つめた。
「あなた、洗脳されている?催眠術にでもかけられたの?」
私はパトリシアの両肩に腕を置いて、静かに彼女の顔をのぞきこんで聞いた。
「まっさかっ!ご冗談を」
私はすっと兄のショーンがパトリシアの背後に立つのを目の端で確認した。
兄のショーンが私に何かを合図している。私はパトリシアの顔をのぞきこむふりをしながら、兄の動きに集中しようとした。パトリシアが兄の方を振り返ろうとしたので、私はパトリシアに抱きついた。
「アンさまなのねっ!」
抱きついたまま、パトリシアの後ろにいる兄のショーンの顔を必死で見た。兄が合図をしようとしているのは何だろう?
「石の妖精さんがね、いつも僕に笑っていただろう?アンはそっくりなんだ。石の妖精さんはアンとは触れていない」
私はそれを聞いて頷いた。
「そうなのね!」
つまり、いつも怒っている石の妖精にこのアンと名乗る女性はそっくりだと言っているのか、そもそも、アンという女性の話は嘘だと言っているのか。そのどちらかだ。ショーンの妖精さんは、いつも怒っていたのだから。「笑わない」のがショーンの妖精の特徴だ。「いつも怒っている」のがショーンの妖精だ。
『石の妖精さんはアンとは触れていない』とは、ショーンはアンとは触れていないと言っているように受け取れた。つまり、子供はできていないか、ショーンの子供ではないということになる。
この話には裏がある。兄のショーンはそれを私に伝えようとしている。
前回の人生では、兄のショーンはガラクタを集めて世界中を放浪する、貴族社会の鼻つまみ者のままだった。私が兄と父の力に焦点を当てて、会社を起こしてそれが軌道に乗ったから、敵の行動が少し変わったのだろうか。
私は息が苦しくなった。
私の家族にこんな風に近づくのはやめて。
やっぱり私たちが命を失った原因は、パトリシアなの?
クイーンズマディーノモベリー公爵の仕業なの?
なぜ、奇妙な行動をとるのか私は分からなかった。
第一容疑者はそのまま圧倒的な容疑者なのかもしれない。
私が命を失う羽目になったのは、パトリシアを筆頭にクイーンズマディーノモベリー公爵の仕業を疑ったが、やはり、彼らの行動は奇妙だ。
私は覚悟を決めた。クイーンズマディーノモベリー公爵家をお取り潰しにするプランを発動すべき時が来たのかもしれない。
後でショーンにじっくり聞くとして、この令嬢は圧倒的な敵の可能性が高い。私の本心を悟られないように行動しよう。




