09 一番星の下で初デート(1)
「領地が抵当に入っているという噂は本当なんだな」
突然、暗闇から出てきた背の高いスラッとした男性にギョッとして、私は後ずさった。
美しい男。
アンドレア皇太子で、前夫。
「な……なぜここにっ?」
私はオデロー公爵のところから戻ってきたところだった。馬車には門の前でおろしてもらった。木々の手入れが追いつかず、幽霊屋敷過ぎて恥ずかしかったのもあるし、頭を冷やすために少し歩きたかったのもある。
ギルフォード・カースル5は、門から館までは2マイル以上もある。渓流を越える必要があるし、幾つかの門を越える。
まもなくあたりは真っ暗になる。
雪は残っているが、私にとっては子供の頃から慣れ親しんだ道のりで、このまま歩いて帰るのは平気だ。
「なぜって、君の話が気になったから」
前夫は少しぶっきらぼうな口調で言ったが、要は私に関心があるということ。彼が私の実家まで来るとは思わなかったから、完全にサプライズだ。私は密かに赤面した。なんだか彼が少し可愛く思えたから。
前夫の佇む位置からだいぶ離れたところに、4人の人影が見える。どうやら、従者も連れてきたらしい。
「だいぶ待った」
「それはそれは。こんな所でお待ちいただきまして、申し訳ないですわ。中途半端な魅力しかない私を、妻にする気になりましたか?」
前夫は「うっ」とした表情でしばらくフリーズしたが、私に提案を持ちかけた。
「中途半端という言葉は良くなかった。謝る。いかにも愛人候補というより、君は本命候補という感じだという意味だ。立ち話もなんだから、馬で屋敷まで送ろう」
うん?
さらりと凄いことを魅惑的な表情で言った。
私は本命候補(という感じ)な、の、か。
赤面する。
私も前回は夫に恋をした。
え!?
ガラにもなく顔が赤くなる。
まさか。
――彼にはまた恋ができる……の?
私はアンドレア皇太子にうなずいた。
私はこの美しい男の正妻になるつもりだ。
飛び込んできたチャンスは生かさねば。
彼の瞳は私を見つめて煌めいている。
――今日のうちにキスはしよう。
チャンスを逃さないようにしよう。
逆プロポーズをあっさり蹴った前夫は、18歳の没落令嬢の落ちぶれっぷりを、わざわざこんな所まで確認しにきたのだろうか。
彼にされたことを思い出して、恥ずかしさでたじろぐ。確か一糸纏わぬ状態でキスを……。今度は先に進めるだろうかと考えた。
このまま何もせずに帰してしまったら、きっと後悔する。
一度は私と恋に落ちて、パトリシアに婚約破棄を言い渡してたアンドレア皇太子。彼はあっという間に私と結婚して体の関係を結んだ。しかし、数年後に彼はまたパトリシアに目移りをした。それが前回だ。
彼の馬に一緒に乗った。
彼が私の後ろに乗り、後ろから手綱を持つ彼に、私は体ごと包み込まれて、ハッと息を飲むんだ。彼の体温を感じる。彼の息が私の耳や首筋に自然とかかる。
彼の低い声は慣れ親しんだ声で、私に不思議な安堵感をもたらした。
空には一番星が光り、なんともロマンティックな宵の口。
まだ雪が残る道を2人一緒に馬でゆっくりと進んで行った。
前回は無かった経験で、私の心は期待で思わず弾み、少し、胸がドキドキする。
馬は並木道を進んで行き、従者たちもかなり離れてはいるものの、静かについてきた。
「気になることは何でしょう?」
私は彼の息が私の耳にかかるのがくすぐったくて、思わず身をすくめながら聞いた。
少しの沈黙の後に、彼が聞いた。
「君は未来が分かるのか」
「えぇ」
私はうなずいた。
「君と結婚した場合、子は何人か」
「3人。男の子が3人生まれるわ」
即答した私の答えを聞いて、彼は黙り込んだ。
「ウィンブルドンのテニス大会は世界的な大会になるわ。この先何十年も150年後も続く一大イベントになる。来年も開催されるわ。1879年のフランス大統領はジュール・グレヴィよ。あなたと私は今年結婚するわ」
「君は占い師か魔女なのか?」
「いいえ。ただ知っているだけよ」
私は彼がゆっくりと進める馬の上で、奇妙な話をしている変人になったような気分だ。
だってそうでしょう?
未来が分かる能力は私にはない。
死に戻ったから知っているだけだ。
前世の記憶が、より広範囲に私に知恵を授けているだけだ。
「皇太子である私を何かの目的で洗脳しているのか?」
「いいえ」
「クイーンズマディーノモベリー家のパトリシアと婚約破棄をするメリットは何か答えられるか」
私はそこで黙った。
婚約破棄のメリットは何だろう?
「可愛いあなたの子どもたちに、会えることかしら」
私の声は不覚にも震えた。
涙がにじむ。
ダメだ。
こんな調子ではダメだ。
自分が不甲斐ない。
美しい男を落とす時に、この類の方向性の話題は間違えている。
私は本当に変人だろう。
この美しい男からすれば、戯言を言う奇妙な変人に見えるだろう。
ただ、事実なことも確かだ。
――あの子たちにもう一度会いたい一心で私は生きている。あの子たちを守りたい一心で、メッツロイトン家を再興したい。
「世継ぎか」
「世継ぎになるかどうかは、あとで決めてもいいと思いますわ。私はこだわらないのです。子供たちが無事に幸せに生きられるなら、そこはいいのです」
私は本心を告げた。
2マイルはあっという間だった。
私たちの馬の上での初デートは終わりに近づいた。
「会社を設立して、メッツロイトン家を再興するつもりです。あなたに関係なく、私はこの家を立て直すつもりです」
家の前まで来たので、先に降りた彼に馬から降りるのを手伝ってもらった。
「会社?」
美しい男の瞳が煌めいた。
長いまつ毛が瞳を縁取り、グレーのようなグリーンのようなブルーのような瞳が私を見つめる。
ドヴォラリティー伯爵にはない、情熱的な瞳。
「えぇ、ドヴォラリティー伯爵が一時的に出資してくれるのよ」
その言葉に美しい男は一瞬だけ怯んだように思う。
「リーヴァイのことだな?」
「えぇ、そうよ」
真っ直ぐな鼻筋の下には決意を固めたような唇があるが、一瞬だけ唇の端が歪んだ。
「分かった。ここのビリアード・ルームに特別な球があると聞いたことがあるが、本当か?」
「え?そうだったかしら」
私はいきなりの彼の質問に驚いた。
正直に答えた。
「そのような話は聞いた事がないのですが」
「見たいのだが、可能だろうか」
私はあまりの突然の申し出に驚いたが、書斎もビリアード・ルームも見てもらった方が良いと判断した。このデートの時間をもっと引き伸ばしたい。
「いいわよ。ただ、20分だけ待っていてくれるかしら?」
彼がOKとしたので、私は急いで家に駆け込んだ。




