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霊笛  作者: 野中
霊笛・幕間2
72/72

幕間2

「はぁ、この森で、人外が? いやいやまさか。山裾の森の中に住んでる連中はそれなりにいるが、今まで人外の話なんて聞いたことはないねぇ」

山道で薪を背に負った老人は寝耳に水の顔で、痛みがあるのか腰をさすった。


「もっと奥に住んでいる人間? いるよ。陶芸家の兄ちゃんなんだが、半年くらい前から目が見えなくなっちまって…五日くらい前に挨拶したな。妹さんがよく面倒を見てくれるって話をしたっけね。でもおかしな話だよ、いやね、こっちの記憶が確かなら…」






× × ×






駆ける先には、阿鼻叫喚の地獄絵図。何がどうなっているのか読めなかった。しかし。

「夜彦先輩」

「ああ」

鈴虫の鳴き声を聞きながら、わたしたちは、足を速める。


夜。森の中。

わたしたちからは、まだ距離のある場所に、小屋が見える。

ただし、樵が仕事道具をしまっているような、小さな休憩場所に見える―――――要するに掘っ立て小屋。


小屋の前の広場には、横に寝かされた数多の木材が、大きさごとにきれいに並んでいた。そして。



大勢の人がいる。



あかあかと灯された松明の明かりの中、彼らの影が狂人の踊りみたいに揺れていた。

その人影の大半は、…おそらくすねに傷持つもの。噂で聞く、この宿場町周辺に根城を構えた盗賊団に違いない。不揃いの鎧やあまり手入れされていない武器がちらちらと視界を横切る。

その中に、小ぎれいな服を着た男たちが数人混じっており、変に目についた。


けれどそれら以上に、妙なものが彼らの間を蛇のように這いまわっている。

細長い姿や動きは、ただの蛇に見えなくもない。その大きさを除けば。


だが全身を覆うのは、鱗ではない。華やかな着物の柄だ。


交錯する、怒号と悲鳴。あがる血飛沫。小石みたいに放り投げられる人体の一部。

夜彦の生真面目な横顔に、一瞬嫌そうな色がよぎる。




「どうやら、入り組んでいるようだな。だがおれたちの仕事は…真緒」


「了解です」




私は背にした弓を取った。速度を落とす。夜彦へ先を譲った。

手元で矢を番える。同時に軽く跳躍。


夜彦の背を駆け上がった。その逞しい肩をさらに蹴って―――――夜の闇に舞い上がる。

身をひねり、足場のない不安定さをものともせずに、



「騒がしいことだ」






目にもとまらぬ早撃ち―――――五射。


自分とて、動きを頭ではもはや理解していない。覚えている身体が勝手に動く。






身体は正確に獲物の方へ向き、指は的確に弓を操る。射抜いた先を確認するまでもない。手応えは、あった。

ここは森の中だ。枝葉に邪魔され、視界は効かない。確認より先に、次の動きが重要になる。


大地に降り立つ私の目に映ったのは、夜彦の背中。彼の身は既に騒乱の中にあり、




「祓寮・太刀式―――――参る!!」




びりびりと皮膚を痺れさせる一喝が轟いた。


巌めいた彼の長身が、騒乱の渦を一直線に駆け抜ける。大太刀が、問答無用で振るわれた。

その姿は、一見、理不尽な暴力の嵐。戦い方と性格がそぐわない人物だ。


それとも、あれが本質だろうか。


声の大きさや気迫から、気配だけで周囲を伸してしまいそうな巨躯に見えるが、夜彦の体型は意外と普通である。

というのに、彼が一直線に駆け抜けた後は、いっさいの障害物が消えているのだから、なんの冗談かといつも思う。


さすがに丸太を割って行ったりはしていない。

が、闇の中から突然出現した男に、皆が度肝を抜かれている。


大半は、すぐ我に返った。さすがは盗賊と言ったところか。残るは、身なりのいい男たちを守る、上物の武器を手にした、――――おそらくは護衛たち。



泡を食ったまま動けないのは、身なりのいい男たち数名だけ。そして、夜彦に吹っ飛ばされた連中だ。



あの勢いで、怪我を与えても、誰も死んでいないのが、逆にすごい。

突如現れた夜彦に、誰かが誰何の声を上げるより早く、―――――濁った悲鳴が上がった。

着物の柄をまとった蛇が、ぐるぐると巻き付いた男が絶叫。



「た、助け」



一見蛇、だが太い縄のようにも見えるその、動く細長い生き物には、先ほどわたしが放った矢が五本、突き立っている。


彼目掛け、わたしは、男たちの合間を縫って全速力で馳せ寄った。

合間に、陽の小太刀を抜刀―――――、




一閃。




蛇の胴体を叩き切った。いや、浅い。削いだ程度だ。刹那。


全身が総毛立つようや怨嗟の声が広間を席捲―――――蛇の姿が、地中へ吸い込まれるように雪崩落ち、消える。

手応えを掌に反芻しながら、わたしはつい、険しい顔になった。



「仕留め損ねたか」



大太刀を背に、近寄ってきた夜彦の言葉に、わたしは唇を噛みながら頷く。

「いや、上等だ。陽の小太刀でなければ、斬ることすらかなわなかっただろう」

いや。陽の小太刀、だからこそ。





(一撃で、仕留められたはず)


私は、小太刀を見下ろした。





陽の小太刀。

代々御神刀を鍛える鍛冶師の一族が、二千年以上前に退魔の力を宿す鋼を鍛えたもの。


…それを、振るったのだ。


本来であれば、一太刀で始末をつけねばならないものを。

明らかな、実力不足。もしこれが、



(本当の後継者であったなら)



最後に見た、兄の言葉が脳裏に響く。






―――――ぼくは君が憎いよ。






しかし、すぐさま内心の歯噛みを切り捨て、わたしは夜彦に手にしたものを見せた。

「夜彦先輩。これを」

先ほど、人外から切り取った布を差し出せば、見下ろした彼は首をかしげる。


「ただの布、だな」

上等の布地ではあるが、それだけだ。だがこれが、人間を襲った。

「人外が関わっているのは間違いない、か」

会話の最中にも、周囲の人間が、ぞくぞくと正気に返っていく。そうなれば、行動は早い。


「は、祓寮―――――おかみの人間だ!」

夜彦が大声で名乗った理由が、これだ。相手がどう出るかを知りたかった。

全員が、泡を食って逃げ出す。


うっそりその動きを見送る夜彦の顔は険しい。怒っているわけではない。この顔は。




分からん。




と、思っている。つまり、状況が理解できない。わたしも同意見だ。ひとまず、

「適当に捕縛します」

事情を聴かねば、はじまらない。


頷く夜彦を尻目に、わたしは助走もなく最大速度に身を乗せて、―――――軽々、逃亡の先頭に飛び出し、

「話を聞かせてもらう」




振り向きざまに身を屈め、対象の足を薙ぎ払う。




相手の逃亡の素早さが災いした。最初に転倒した身体に引っ掛かり、複数がさらに転倒―――――多発するもらい事故。


ただし、夜目のきく人間か、器用に避けて行く者もいる。

…あまり、捕らえた人数が多くても、やりにくいだけだが。



自分だけ逃げ去ろうと言う性根が気に食わない。



足がそちらへ踏み込んだ―――――時には、

「う、ぉっ!」

わたしは小太刀を真横へ振り抜いた。首筋を狙ったのに、刀で受け止められる。

少し、感心。相手は、なかなかの腕前だ。


振り払われた。その力に身を任せ、後ろへ跳んだ。距離を取る。


「賊を始末しに来たか、祓寮」

憎々しげな声。ともすると、権威が嫌いな人間かもしれない。わたしは淡々と応じる。

「いや。祓寮が相手取るのは人外だ」


「殺しにきておいて、今更」

わたしが首を狙ったことを言っている。とはいえ、

「多少の怪我なら、同僚がなおせるからな」

致命傷でも、即死でなければ何とかなるのだ。相手は憎々し気に叫ぶ。



「恵まれた人間ならではの傲慢さ、だな!」



祓寮は公の機関。そこに属するならば、選良であろう、と。


決めつけ、距離を詰めてくる男に、わたしは手の内で小太刀を逆手に持ち替えた。

興味もないだろうが、とぼそりと呟く。






「わたしの母は、暗殺者だ」






盗賊と同類かそれ以下の、汚れた職業。


同時に跳ね上がったわたしの手が、相手の片腕を斬り飛ばす。


騒乱の中、鈴虫の鳴き声だけが、我関せずとのんびり響いていた。






× × ×






逃げた雑魚に、再び戻る度胸はないだろう。


団体の要と見られる人物とけが人と死人を分け、拘束も終わった頃合いに。

「おぉーい、夜彦、真緒ちゃーん」


虚脱したその場へ、片手を振り、おっとり刀で現れたのは。


「綾月…事後処理担当が来たぞ。事態を整理してもらおうか」

夜彦が、ぐるり、周囲を見渡し、真面目な顔で断言。


「はっきり言って、状況が読めん」

やってくる、月光の下でも鮮やかな極彩色の頭を見遣り、わたしは同意を示して頷いた。

この宿場町の外れ、山裾の、森の中では、凶悪な人外が住み着き、旅人たちにも被害が多発し、往生しているのだと町の実力者たちから請われ、祓寮が動くことになった。


今日は、下見。



本格的に動くのはまた後日、となった…なっていた、わけだが。



「一気に進んだ方がいいのかもしれませんね」

慣れない森の行軍のせいだろう。

疲労困憊の態でふらふらと近くに来た綾月が、夜彦への私の台詞に頓狂な声を上げる。


「進むのぉ? 帰ろうよ。それか、休もう?」


第一声が、これだ。

もともとないヤル気が、さらに穴を掘って地中深く潜ってしまっている。


「そこまで仕事熱心じゃなくていいじゃない。しかもなに」

明るければ眩暈を起こす色彩の羽織をぱたぱたさせて、彼は嫌そうに周囲を見渡した。

「なんで頼まれてもない仕事してんの? こいつら盗賊でしょ…あれ…なんかおかしなの混じってない?」

気のせい?


我関せずの態で首をかしげる仕草が、非常に腹立たしい。

つい無言で冷えた眼差しを向ければ、綾月が身をすくめた。



「分かってるよ、地元の人間が言う『もうちょっと先』を舐めてたオレが悪いよ!」



その通り。

地元の人間が、森のもっと奥に住む者がいるという言葉に、ならついでにその人物にも話を聞くか、という流れになって、先へと道を進み続けた結果が。



今である。



住んでる場所は、もうちょっと先だね、という言葉に従い、黙々と足を進めたが、あるのは獣道ばかりで一向に家屋が見えない。綾月がやけっぱちで呟く。

「見落としたかな…それとも嘘つかれたとか…」


「そんな人物には見えなかったが」

すかさず、夜彦。わたしも苦い顔で便乗。

「それは綾月の判断か、それとも妄想か?」

綾月は肩を落とし、


「ごめんなさい」


あっさり負けを認めた。

「そんな目で見ないでよ…もぉ。旅籠の方には式を飛ばして連絡入れたから、いいとして…あああ、進むしかないよね、確かに」

ようやく観念した綾月が、諦観の表情になった。


「腹をくくったなら状況を整理してくれ」

根気強く待っていた夜彦が、広場で拘束している者たちを親指で示す。

「賊は賊と分かる。だが、身なりのいいヤツが護衛連れで一緒にいるのはどういうことだ」

「護衛?」

いないけど、と不貞腐れた顔で、綾月。

「真っ先に逃げ出した。今はいない」


彼らは、雇い主に金をもらうより、公の機関に捕縛される危険を避けたようだ。わたしとしても、雇われ者までわざわざ捕まえておく必要を感じない。


「取り残された間抜けな雇い主、あれはどういう連中だ」


「どういうって」

綾月が、まじまじと夜彦を見遣った。すぐ、ため息をつく。これが夜彦だしね、と諦めを表情に浮かべ、

「宿場町で祓寮に依頼してきた町のお偉方の顔、覚えてない?」

夜彦は堂々と切り返した。

「何人いたと思っている」

綾月の口がへの字になる。わたしは納得。


彼らは、依頼人の中にいたのか。ちなみに依頼の場に、わたしは同席していない。

ここにいる町の実力者は三名ほど。

護衛連れとは言え、祓寮への依頼が通ったこの時点で盗賊たちと一緒にいたということは、後ろ暗いものがあるに違いない。

「盗賊たちと、通じていたか」

夜彦が、侮蔑の眼差しを彼らに向ける。

「旅ともなれば、お大尽になればなるほど連れ歩く人間が増えて、大所帯で旅籠に泊まることになるしねえ、旅籠へ事前に連絡があるのは自然な流れ、か」

呟いた綾月が、難しい顔になった。独り言めいた口調で続ける。

「その情報を盗賊に流してたんだろうけど…ねえ、そこまでして甘い汁って吸いたいものなの?」

血の味がしそうだ、と綾月は喉をさすった。


このあたりの盗賊一味は規律正しい動きをする、とは聞いていたが。

このような仕組みまで出来上がっていたとは恐れ入る。


さすがに大皇の御幸に手を出すことは大やけどの元と分かっていたようだが、この辺りで起きる盗賊被害の犠牲の規模が狙ったように毎度大きな理由が見えた。


「なんにしたってね」

すぐ、興味の失せた顔になって、綾月は夜彦と私を見遣る。

「盗賊退治を含め、彼らのつながりに関しても、調べは近衛たちに任せよう」


「動くか? 大皇さま第一の連中が。行きとて、噂はあったのに、無視して通った奴らが」

「やり方次第だよ」

やけっぱちの動きで、綾月は派手に片目を閉じて見せる。


「大皇さま、東宮さまの鶴の一声の威力ってすごいんだよ。さっき式で連絡飛ばしてたオレが一番偉いけど!」


さりげなく自画自賛、綾月はため息をつく。

「そんなことより、ここの連中皆まとめて人外に襲われてたの?」

「悲鳴を聞いて駆けつけた時は、既にな」

夜彦の返事に、綾月は断言。


「じゃ、旅人が襲われてるって話、虚偽だよね。標的は、彼らだけだ」

「言い切れるか?」


「あんまりにも人外について話がなさすぎるんだよ…周辺の住人は被害の話を知らなかった。伏せるにしても限度があるでしょ」

「だが町の実力者たちは総出で祓寮に依頼してきたぞ。ここにいる三人はともかく、賊と関わりのない者をどうやって言いくるめたんだ?」


「往来する旅人たちが収入源の宿場町だ、噂だけでも打撃は大きいよ。ただでさえ、盗賊の害があるのに」

私は頷いた。

「宿場町が避けられてはな。調査してもらって、何事もなければそれでよし、安全を触れ込める、ということか」


夜彦と綾月が話している間、絶えず私の視線が向いていたため、誰も暴れ出したりはしなかったが、このままおとなしく捕らえられていてくれるとも思えなかった。

手引するものが、宿場町にまだいる可能性もある。


それにしても、何が幸いするか分からない。

綾月の目算が狂わなければ、わたしたちはさきほどの場面に遭遇することはなかった。

人外のあの勢いでは、彼らは全滅していただろう。もちろん、助かって罰されるより、あの場で死んでいたほうが良かったのではないかという見方もできるが。


「脛に傷持つ側からすれば、」

綾月は億劫そうに欠伸をこぼす。

「何事もなかったならそれでよし、祓寮が面倒ごとを始末してくれたら万々歳、だ。…ん、真緒ちゃんそれなに」

いきなり、綾月がわたしの胸元を示した。何かと思ったが、


「ああ、…先ほど問題の人外から切り取ったんだが」


布切れを懐にしまっていたことを思い出し、綾月に差し出す。そこに何を見たか、彼は一瞬鼻白んだ。

「うわぁ…よくこんなものしまっとけるね。もうどうせならこれも旅籠に送っとこうか。長あたりに」

綾月は受け取る代わりに、懐から紙を取り出す。符だ。それを軽く上下に振れば。



―――――ピィッ。



高い鳴き声を上げ、白い小鳥に変じたそれが、わたしの手から布切れを引っ掴み、夜の空へ飛びあがる。

「なんにせよ、虚言で祓寮っていう公的機関を動かした罪は重くなるよ」

綾月の双眸から、すうと温度が抜けた。表情も消える。

そのあたりの判断は、それこそわたしがするものではない。ひとまず、


「綾月、けが人をみてくれるか」

わたしが声をかければ、

「…腕が落とされてるヤツが一番重症だけど…ねえこれどうやったらこうなるの。骨の抵抗とかさ…あ、関節? 関節あたりを狙うわけ?」

綾月が私を見る。とはいえ、答えを求めているわけではないだろう。彼は答えなど待たず、けが人たちに目を戻した。


「血止めだけしとこう。今元気になられると厄介だし」

淡々と、冷酷な物言いをして、綾月はけが人に無造作に近寄る。

わたしにはあまり適性のない符による処置をして、振り向いた。


「じゃ、オレたちは先へ進もうか」


周囲に満ちた不穏な気配をものともせず、散歩にでも出る口調で、綾月。

「話に聞いた家を訪ねるのか?」

鈴虫の声が響く中、夜彦が尋ねれば、


「先に何があるのかは分からないけどさ」

綾月が、足元を軽く蹴った。

「地中に、人外が残した痕跡が残ってる」


三人そろって、地面を見下ろす。それぞれの帯あたりで、カラスの根付が揺れた。






× × ×






「あの親子四人が来て、もう五年になるかね…まだ新参者の類さ。どこから流れてきたのか、身なりも品もいい一家だったよ。…さっきの話かい? ああ、気にすることないよ。おかしいとは思ったんだが、こっちも歳だしねえ。覚え違いか…そうさね、家族は五人だったのかもしれないね。二人いたのかも…妹さんがね」






× × ×






わたしたちは、一軒の慎ましい家に行き当たった。


人の気配はなく、中に入れば。

揃って、眉を顰める。



「なんだ…これは」



玄関口から、奥の部屋まで、血の筋ができていた。まるで赤い川だ。

家中、ひどく荒らされている。物色されたあとだ。


…奥の、部屋では。



青年が一人、あおむけに寝かされていた。



顔は土色で、呼吸もしていない。刀で数度、胴体を貫かれている。

いかにも、勢いの刺し傷。玄人のものではない。これでは、相当苦しんだはずだ。

冷静に検分していると、

「その人が、陶芸家だろうけど」

目に巻かれた包帯を見遣り、綾月。


「人外を追ったら、人の家に着く、か…ヤな予感するよ。ねえ真緒ちゃん、彼の傷は」

答えてほしい言葉は予測できた。が、これが人外の与えた傷だとは、言えない。


「やったのは、人間だろう。刀傷だからな。傷跡からして、刺した相手は、刺すのに躊躇いはなさそうだが、技量はない。人を殺すのには慣れているが、素人…要するに」



「盗賊か。先ほどのような」



夜彦が厳しい顔になる。綾月が、マズいものを食べた表情を浮かべ、

「五日前までは、その人生きてたんだよね…会ったって証言があったもんね?」

「依頼があったのが、今日の昼…いやもう、昨日か。ふむ、これは、…どうも」


「今回の人外の騒ぎは」

凄惨な死に方をしているにしては、やたら穏やかな青年の表情を見下ろし、わたしは呟いた。




「この人の死が引き金か?」




目をふと、彼の目元に巻かれた包帯に止める。

もとはきちんと巻かれていたのだろうが、ほどけかかっている。ここに運ぶ時、乱れてしまったのか。



運ぶ…誰が。



おそらく、この青年は玄関口で倒れた。殺された。

これほど家を荒らした盗賊が、わざわざここまで、死体を運ぶだろうか? こんな森の中だ、発見とてされるかどうか。


「そう言えば、四人か五人家族と言っていたが、他の家族はどこだ?」


彼は半年前、目が見えなくなった、とも聞いた。

病気か何かで光を失ったなら、まだ包帯を巻き続ける理由はあまりない気がする。空気や日光が毒になる、などと言った理由なら、話は別だが。

とはいえ、死者にはもう関係はあるまい。

巻きなおすにしても、一旦ほどこうと、わたしは包帯を解いた。とたん。



「…なに?」


我知らず、息を呑む。



仕事柄、夜目はきく。その視界がおさめた光景は。

「どうした」


「夜彦先輩、綾月」

少し、喘ぐような声が出た。






「このひと…目が潰されている」






どういうことだ。


一瞬、不気味な空白が満ちた、そのとき。

「―――――二人とも!」

綾月が上げた切羽詰まった声に、わたしは咄嗟に外へ身を投げた。迷いはない。


どこにいようと、いつだって、逃走経路は確保しておくものだ。

庭へ飛び出したわたしの視界の隅に、畳を跳ね上げ、床から、吹き上がる水の勢いで何かが飛び出したのが見えた。


あろうことか夜彦はソレ目掛け、



「ぬぅんっ!!」



ぶぅん、音を立てて、大太刀を振り回す。とたん、

―――――べちぃっ!

平手打ちでもされたような音を立て、大太刀の腹で容赦なく引っ叩かれた相手が庭先へ転がり出た。


力技すぎて、呆気にとられる。それが有効なのが、また理解の範疇外だ。


…転がり出た、と言ったところで。

それは、人間でも、獣でもない。


―――――着物。だけ、だ。


人が着衣したままの形で、のろり、立ち上がろうとするなり。

その形が、はら、とほどけた。刹那。


シュゥッ!


蛇が這い寄る動きそのままに、綾月に襲い掛かる。

彼はわずかに身をさばき、避けるにとどめた。攻撃は、しない。


人外も、再度綾月へ襲い掛かる様子はなかった。

どころか、死体の前に陣取る。そこで、わたしたちを威嚇。



―――――窮鼠。



同じ印象を覚えたか、綾月は、顔をしかめた。

「あー、これこっちが悪者かぁ」

何かをあきらめたように天井を振り仰ぎ、手を乱暴に自分の懐に突っ込む。


「後味悪くなるヤツだ」


「仕方がない」


応じた夜彦も、何かを振り払う態度で、大きく息を吐いた。




「人間を、襲ったのだ。もう、変質は、はじまっているだろう」




綾月が、手を横薙ぎにした時。

その指先には、何枚かの符が挟まれている。

切れ味のいい動きと裏腹に、


「なにか、いい方法はないのかなぁ…」

子供が、怪我した場所が痛いと訴えるような弱い呟きをこぼす。刹那。




「…え、あれ?」




綾月が目を見張った。直後、わたしも気付く。

誰も、何もしていない。なのに。

耳を澄ますように、人外が動きを止めた。一瞬、音が消える。とたん。






風が吹き込むように、その記憶が、――――――頭の中に飛び込んできた。











青年が、泣いている。こちらに背中を向けて、泣いている。これは、今奥の部屋で、死体となっている青年だ。

食事も喉を通らないほどの、命を縮める嘆きを抱えて、彼は泣いていた。


「親どころか、妹のお前まで…おれはひとりで、これからどうすればいい」


なんのために生きればいいんだ、とさめざめ泣いている。

それでも朝が来て、夜が来る。腹も減れば、喉も乾く。

針を呑むように息をする青年を、臍を噛む気分で、彼女は見ていた。




『彼女』。


…青年の妹の着物が、それだ。




彼女は、母から娘へとだいじに受け継がれた、うつくしい着物だった。


いつからか意識を持っていた彼女も、主人である娘の死を悲しんでいた。が、その兄である男の嘆きも放っておけなかった。

このような森の奥では、誰も気にかけない彼の背中は、日に日に小さくなっていく。


どうにかしなければ。



彼女が抱いたその思いは、―――――どこまで強かったのだろう。



彼女は、ある日唐突に動けるようになった。

血肉こそまとえなかったが、影のような肉体が生じ、普通の人間のように家事をすることも可能になった。五感も芽生え、新鮮な感覚に、有頂天になると同時に感謝した。


これで、青年を手助けできる。憔悴した彼の姿は、あまりに危うく、見ていられなかった。

青年が眠っている間に、様々な雑事をこなしていると、当然、彼も気付くようになる。



「お前かい。お前、そこにいるのかい」



墓を作ったばかりの妹を、青年は呼んだ。

彼の視線から逃げる拍子に、うっかり着物の裾が見えてしまったのもよくないのだろう。


「ここにきてくれないか。話をしておくれ」


乞う言葉に、…しかし、どうしようもない。

彼女は、喋ることができない。体温がない。人外だ。青年の目に映るわけにはいかなかった。

それを、どう察したものか。

ある日、乞う言葉が消えて、不思議に思った彼女は。




血の匂いに気付いた。




居ても立っても居られなくなり、青年の仕事場に駆け込めば。


「見えなければ、いいんだろう?」

彼は仕事道具で、その目を―――――自ら。






「これで、そばにいてくれるかい」











「真緒ちゃん!」

切羽詰まった綾月の声。目の前で手を叩かれた心地で、わたしは瞬き。


視界の中、人外が大きく身を震わせた。何かを振り払うように。

それを尻目に夜彦が室内を斜めに走った。



大太刀で、下から掬うように、蛇体を両断しようとする。寸前。



人外が、一度身を引き、跳ね上がった大太刀の下を掻い潜った。

夜彦の動きは、決して遅くない。それに対応した人外の反応が異常なのだ。

綾月が符を投擲。だが、追い付けない。

刃のように切れ味鋭い符の束は、人外の軌道を追って突き立つが、足止めには間に合わなかった。


逃げようとしているのだろうか。


思うが、それは先ほど垣間見た『彼女』の記憶とそぐわない。

それでも応戦のために陽の小太刀を構え、わたしはあえて、正面から飛び込んだ。


自分でもどう動いたか分からないが、気づけば小太刀の刃が人外の力に満ちた布にかみつき、そして。




―――――真っ二つに引き裂く手応え。




確かな感覚を掌に感じながら、わたしは。






(おまえ、死にたいのか)


ぽつん、と胸の中心で、悟った。






あの青年は、盗賊に殺されたのだ。家は、盗賊に荒らされたのだ。

しばし、彼女が留守にしている間に。


悲痛のあまり、彼女は復讐に走った。

目の前の人外は、寄る辺を失ったのだ。

しかし、こう、ならなくとも。





―――――あの青年は、自ら目を潰してしまった。心がもう、壊れていたのだ。


いずれ、生活は破綻しただろう。





…その、すべてに。

わたしの胸の中から、猛烈な感情がわき上がった。



同情か。憐憫か。怒りか。いや。違う。これは、…慈悲、だろうか。



どうすることもできないと無力を噛み締め、ただ心を寄り添わせる。

知らず、わたしは呟いた。



「すまない」



こんなことしか、わたしにはできない。

同時に、だめだ、と思う。

こんな、弱い心では。

対象を斬り捨てる、ことなど。

だが、あふれるものは、止めようもない。


思いさす、なり。





―――――陽の小太刀が、燃えた。





わたしは目を見張る。燃えた、と言っても、火炎が生まれたわけではない。

あらわれたのは、光。

太陽のように強い、だが、…やさしいひかりが、泡のように弾けた、と見るなり。




爆発する勢いで燃え上がった。


小太刀の刃を中心に。




それが、見る間に人外を覆いつくす。

一呼吸のうちに、人外は灰になってしまった。


直後、ひかりも消え、…夏の終わりの風が、灰を一つ残らず攫って行ってしまう。





「びっくりしたぁ…でも、おめでとう、真緒ちゃん」


呆気にとられて動けないわたしに、綾月がにこり、微笑んだ。





「陽の小太刀の力、引き出せたね。本性は浄化の力って聞いてた通りだねえ」


縁側まで出てきた綾月が、やれやれ、とその場に座り込む。

戸惑ったままわたしがその動きを見ていると、ふと綾月は荒らされたときにだろう、そばにあった転がった文鎮を拾い上げ、…苦い顔になる。


「どうした」



「見覚えある家紋が刻まれてる」



それが重いもののように夜彦へ手渡し、綾月は肩を落とした。

「五年前やってきた新参者の家族、だったっけ」

綾月と同じものを見た夜彦が厳しい表情になる。座り込んだ綾月を見下ろした。




「夜彦も覚えてた? ここに住み着いたのは、秋津宮で権力闘争に敗れて流れてきた一族だね。…なるほど、抱えていた絶望は、そもそもが、深かったんだ」




わたしの視界の端で。





鈴虫がなく庭の隅に、墓らしきものが三つ、見えた。






× × ×






ようやく旅籠へ帰りついた時には、太陽は真上に昇っていた。


事態の報告を終えたわたしたちに伊織が、片眼鏡を押し上げ、にこりと微笑んだ。



「はい、お疲れさま」



綾月が死体のように横たわる両脇で、夜彦とわたしは正座だ。

「今更だが…だらしないぞ、綾月」

額を押さえた夜彦にも、返る言葉はない。屍のようだ。万色を宿す髪も萎れた風情だ。


伊織がいたわってくれる。



「慣れない森の中を徹夜の強行軍ともなれば、体力のない術式には厳しいよ。太刀式ならばいいというわけでもないけれどね。皆、よくやった」



そこで、障子の向こうから、失礼します、と声がかかった。

伊織の許可に入ってきたひとを見て、わたしは驚きの声を上げる。


「凜さまっ?」

現れるなり、静かな波紋が室内に流れ込んだ気がした。

こんな清澄な空気感を持つ女性を、わたしは他に知らない。


「え、ほんとっ?」

報告以外、指一本動かさなかった綾月が、現金に跳ね起きた。

「ほんとだ、え、夢?」

盆の上に湯飲みを乗せ、入ってきた淑やかな女性の姿に、綾月が極彩色の花に戻る。たちまち、視界がうるさくなって、イラっと来た。


凜は顔をあげ、一言。



「お疲れ様です」



相変わらず、余計なことは言わない方だ。そして無表情。だが、気遣いの気配を感じる。

なにより、毎日見ているにもかかわらず。


―――――意識を呑まれるようなうつくしさ。


見るたび、同じ人間かと疑ってしまうほど、水晶めいた透明な空気をまとっている。


ささくれ立っていた心がやわらぐ。同時に、汚れた格好のまま相対するのが恥ずかしい。

存外に手際よく、皆の前に湯呑を置き、急須からお茶を注いでいく凜の動きをぼんやり見ているうちに、わたしは我に返った。


「あ、そのようなこと、わたしが。凜殿…いえ、凛さまが、雑用なんて」


「…動いているほうが、凛さまは気が楽なようでね」


伊織の言葉に、わたしは動けなくなる。恐縮しながら茶を淹れてもらっていると、

「そう言えば、陽の小太刀が人外を浄化したのだったね。コツは、掴めたかい」

伊織が声をかけてくれた。わたしは俯く。


膝先に置いた陽の小太刀を見つめ、歯切れの悪い声で呟いた。



「なんとなくは…」



語尾を力なく飲み込んだ私の視線の先で、小太刀はただいつも通りの様子で、そこにある。

この、本来の継承者は、―――――兄だ。


唯一の、正妻の子だった。

対する私は、妾の子。いや、妾、とすら言えたのかどうか。

母は、父の命を狙って放たれた暗殺者だった。

しかし返り討ちに遭った彼女は屋敷に捕らえられ、…その間に、わたしを宿し、出産した。

彼らは、愛し合っていたわけではない。その結びつきが、単に双方の利益になったのだ、とあとからわたしは聞かされた。


なにせ、双方とも、『強さ』を求め、研鑽する一族だ。


血が交われば、より強い子が生まれるだろう。それを求めた結果が私だった。

それだけの、話だ。

頃合いを見た母は、わたしを連れて父の家を出奔したが、すぐさま追手がかかり、数年も経たないうちに、わたしは屋敷へ連れ戻された。


つまりわたしは子供の頃、暗殺者として生きた数年がある。


それらを忘れさせるように、父をはじめ、一族郎党、わたしに戦闘技能を叩きこんだ。

その頃はまだ、兄がいた。わたしは彼を守り支える兵隊として育てられた。

それが一変した原因は―――――陽の小太刀だ。一目見るなり、わたしはこれに触れてみたいと思った。


そういった、妖しい魅力が、この刃にはあったから。だが触れられるのは、正統な後継者のみだ。わたしには、許されない。


察したか、ある日戯れに、父が言った。




―――――勝負して、兄に勝ってみせよ。




そうすれば触れさせてやる、と。

単純にわたしは喜び、そして。




「そういえば、あれ、凛さまがやったんでしょう」




上機嫌に言う綾月の声に、わたしは目を瞬かせた。

見るものをうつくしい夢の中へ誘うような姿の凜が、微かに首をかしげる。


彼女がこちらの言葉に反応を返してくれる、という事実だけでも相手を夢見心地にさせる、という自覚はあるのか、ないのか。


綾月が嬉しそうに微笑む。

「人外と相対している最中、おれたちに人外の記憶が見えたのって」


「話を聞いた限りでは、あのときかな? ほら、凜さま、これにこもっていた強力な怨念を宥めて頂いたでしょう」

伊織の指先が、畳の上に置いていた布切れを取り上げた。それは、わたしが人外から切り取ったものだ。


「こちらに届くと同時に、凜さまに浄化して頂いた。その時、同じ布に影響が伝わった可能性は、確かにあるね」

凜に差し出された布を見遣り、綾月が頷く。


「見事なくらい、なんの怨念も残ってないね」

わたしには何の変哲もないただの布に見えるが、術式の二人には、別のものが見えているようだ。

夜彦が唸った。

「そんな危険なものを、気軽に旅籠へ送ったのか」


「長もいるし、何とかなるかなって思って。あの状況でそこまで面倒みきれないよ」

綾月は悪びれない。布を伊織から受け取った凜が、その表面を労わるように撫でた。


伊織を見る。



「これで守り袋でも、作りましょう」



今、なんの気配も残っていないとはいえ、人外の一部だったものに、この言い様。肝っ玉と発想が普通ではない。対する伊織は、面白がっている。


「確かに。守護の念とは相性がよさそうですね」

凜がふと、私を見た。

何を考えたかは分からないが、すぐ目を伏せられる。凜の視線は真っ直ぐすぎて、心臓に悪い。


「では皆様、失礼します。出立は明日。…本日は、しっかりとお休みください」

丁寧に頭を下げ、凜が退室する。

所作は物柔らかだが、今の言葉は命令に近い力を持っていた。

…これは、今日これからわたしが仕事をしていれば叱られそうだ。


「心配なさっていたんだよ」


神妙な顔つきのわたしたちに、上座で正座していた伊織が、楽しそうに言う。

綾月が、彼をもの言いたげに見た。結局何も言わず、湯呑に口をつける。


その様子を尻目に、わたしは小太刀を見下ろした。

月下、あのとき、人外に影響を及ぼしたのが凜ならば、わたしはあの方に助けられたことになる。

小太刀の扱い方を、多少なりとも掴むことができたのだ。

だが一方で、こうも考えてしまう。



(一生、知らなくてもよかった)



なんにしろ、一番の問題は、やはりわたし自身なのだ。いつも、考えてしまう。

わたしは、この小太刀に相応しいのだろうか。

―――――本当の、小太刀の継承者である兄は、わたしに負けた。


その事実を、幼い頃わたしは気にも留めていなかった。意味を、考えなかった。


長子、しかも男子である兄にとって、それがいかほどの屈辱であったか、深い傷となったか、想像すらしなかった、…わたしは愚かだ。


結果、兄は小太刀の力をふるえなくなるほどだったというのに。

彼はその理由を、憎しみを覚えたからだと言った。

小太刀は敏感に、兄の負の感情を察してしまう、と。



陽の小太刀。



なるほど、わたしが今日体感した力の質は、その名通りのものだった。あれはまだ、力の片鱗に過ぎない。

人外に対して、強力な武器にもなるだろう。


それでも、これ以上は踏み込み切れない。いや、踏み込んでいいのだろうか、と。

迷いが、吹っ切れない。



「真緒」



伊織の呼びかけに顔をあげれば、既にほかの二人は退室していた。

「とりあえず、今日は休みなさい」

労わるような伊織の声は、優しい。だがその瞳が怖くて、咄嗟に頭を下げた。

「はい」

どこまで読まれただろう。伊織は、なによりその洞察力が恐ろしい。


「…気が済むまで悩むといい。中途半端が一番いけない。ただ」

退室するわたしの背に、人生の大半を、暗闇を見て過ごしてきた男の言葉が突き刺さる。



「自滅に周囲を巻き込まないように、速やかな解決を、―――――待っているよ」



その通りだ。

このような仕事なのだ、いい加減な姿勢は、周りごと地獄へ落としかねない。

「心得ております」

わたしはむしろ、甘やかされるより、このくらい突き放してくれた方が、やりやすい。


揺らぎが鞭打たれ、芯が通った。

廊下で深く頭を下げ、障子を閉める。

そうだ、憎まれるくらいは今更だ。

その程度のことで、得たものをなかったことにするのはばからしい。



わたしはやはり、未だ小娘にすぎないのだな、と自嘲。


叱られなければ、目も覚めないとは。



今日、相対した人外が、わたしの方へ飛び出してきたことを思い出す。

その前に、小太刀が一度、人外の身体を断ち切っていたことを思い出せば、やはりあれは自殺だったのだ。あの人外は、確実に殺してもらうことを望んでいた。

踵を返し、与えられた部屋へ戻りながら、拳を握り締める。


わたしは決して、あのようにならない。

自ら死を選ぶなど。



ごめんだ。



暗殺を生業にしていたのだ、どれほど貶められようと、今更だった。

帯に挟んだ小太刀を意識する。少なくとも、小太刀は私に応えた。



応えて、くれた。



わたしが陽の小太刀に相応しい、とは未だ言い切れないけれど。

(答えなど、最初から決まっている)

はじめて身近に見たその日から、わたしは陽の小太刀に惹かれている。

手放すなど考えられない。



ならば相応しくあるよう、研鑽を積むべきだ。



綾月に言えば、脳筋と笑い出されそうな結論だが、構うものか。


完全に吹っ切れた、とは言えないが。

進むべき道が見えた気がして、足取りが自然と軽くなる。




今日はよく眠れそうだった。







読んでくださった方、ありがとうございました。

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