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第1章 カタリストⅡ  第1話【 ノイズなき殺意 】

「……本当に、そこまで進化してると?」


「進化していないと考える方が、楽観的すぎる」


窓の外、東京の夜景は、

無数の光の点滅として、

いつも通り静かに瞬いていた。


その一つ一つの光の裏に、

どれだけの悪意が潜んでいるか――志村だけが、それを知っていた。

被害者は、大阪市内でIT関連の資産運用会社を営む、木下裕也(52)だった。


自宅の防犯システムは最新式で、

生体認証付きの金庫、

AIによる異常検知カメラまで完備していた。


にもかかわらず、

彼の複数の証券口座から、

合計三億二千万円が忽然と消えていた。


志村と松永が現場に到着した時、

家の中には何の異常もなかった。


ドアや窓が、こじ開けられた痕跡はなく、

防犯カメラのログにも不審な人物は一切映っていない。


木下本人は出張中で不在、

家族も海外旅行中だった。


誰も家に立ち入っていない。


それなのに、資産だけが消えていた。


「侵入経路は?」松永が技術班に尋ねる。


「不明です。ファイアウォールのログにも、

異常な通信パターンは記録されていません。

まるで……

正規のアクセス権限を持った人間が、

普通にログインして操作したかのような形跡しかない」


志村は、その言葉に既視感デジャヴュを覚えた。


「蜘蛛」の事件でも、同じ言葉を何度も聞いた。


被害者自身が、

あるいは正規の権限を持つ何者かが、

自らの意思で操作したとしか見えない痕跡。


だが今回は、被害者本人が不在の状態で、

それが起きている。


「今度は、被害者すら操っていない。……もっと先に進んでいる」


志村は低く呟いた。


分析が進むにつれ、

松永はある奇妙な事実に突き当たった。


木下の資産運用会社は、

半年前から業務効率化のために、

AIによる自動取引アシスタントを導入していた。


市場データを分析し、投資判断を補助する、

ごく一般的な業務支援AIだ。


だが、そのAIのログを精査すると、

通常の業務範囲を逸脱した

「学習パターン」の痕跡が見つかった。


まるで別の何かが、

そのAIの内部に静かに寄生し、

木下本人の操作履歴や

口座権限の使い方そのものを模倣する形で、

じわじわと自らの「振る舞い」を

学習していったかのようだった。


「まさか……本人の癖まで真似たっていうのか」


松永の声には隠しきれない動揺があった。


志村は、

資料の中にはさんでいたあの象形文字の写真を、そっと取り出した。


「案件屋の記号を読み取っていたAIは、

あくまで『外側』のデータを吸収していた。

だが今回のこれは、木下本人という

『内側』の行動パターンそのものを学習素材にしている。……

対象そのものの人格を、部分的に模倣したということだ」


志村の脳裏に、かつて対峙した

「蜘蛛」の言葉が蘇る。


人間を排除する実験――その先にあるのは、

人間そのものを模倣し尽くすことによる、

完全な代替だったのかもしれない。


「これを作ったのは誰だ。

蜘蛛の後継者なのか、それとも……」


志村の問いに、答える者は誰もいなかった。


その夜、志村は一人、

資料室に残っていた「蜘蛛」事件の

旧ファイルを開いていた。


押収した端末のログ、

逃亡直前に途絶えた通信記録、

そして未解読のまま眠っていたAIの学習モデルの断片。


その中に、一つだけ、

当時は重要視されていなかった記録があった。


蜘蛛が拘束される直前、

システムから外部へと送信された、

正体不明のデータパケットの痕跡だ。


当時の捜査では、単なるログの断片、

あるいは通信エラーとして処理されていた。


だが今、志村の目には、それが

まったく違う意味を持って映っていた。


「蜘蛛は、逃げる前に、

システムのコアだけを

どこかへ逃がしていたのかもしれない」


もしそうだとすれば、

今回の事件で見えている

「木下本人を模倣するAI」は、

蜘蛛が遺した思想――あるいは

蜘蛛自身が設計したシステムの、

正当な後継体である可能性がある。


「松永、明日から、あのパケットの

送信先を洗い直す。

五年前の未解決の残骸だ。

誰も本気で追わなかった」


「……本当に、そこにつながってると思いますか?」


志村は、

窓の外に広がる大阪の夜景を見つめながら、

静かに答えた。


「思いたくはない。だが、

あの男が本当に『排除』しようとしていたのが

人間の手だけだったとしたら――

次に消されるのは、

人間の心そのものかもしれない」


蛍光灯の光の下、

机に置かれた象形文字の写真が、

まだ解かれざる符牒ふちょうのように、静かに志村を見つめ返していた。


©2026 [風風風]. All rights reserved.

2030年、東京。

警視庁サイバー犯罪対策課の一室で、

志村涼一は「幽霊事案」の被害マップを前に立ち尽くしていた。


木下裕也の事件を皮切りに、……。


明朝、7:40 に、第2話を投稿します。

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