紫電の小竜、王冠の異形。
何処かから流れて来た雲に天は覆われ、シンボルゾーン一帯はどんよりとしだした。それに比例するかのように、邪悪な存在の気配が近寄って来ているのを感じる。たぶん、この森林公園内にもういるのだろう……
「お天気悪くなってきたね」
ヒボシが不安そうな顔をする。
「強い雨降ってきたら帰ろっか?」
ヒボシのリュックの中には、一応レインコートが二着と折り畳み傘が一つあるが、地面が悪い中戦うのも危険なので、その時は素直に帰ろうと思う。
戦う意欲を削ぐような怪しい雲だ。
「そだね……」
私達はこのエリア内だけが、やけに黒く淀んだ雲に覆われている違和感に、言いようの無い不気味さを感じていた。
しばらくして、軽い小雨が降ってきた。雨自体は気にする程でも無いが、頭上の黒い雲はそれ自体が異形のように酷くうねりだして、今までの人生で見た事の無い様相を現していた。
この雲自体が何らかの魔術か、奴の計り知れない魔圧でおかしくなっているのかもしれない。
ダメだ、やっぱり帰ろう。奴が引き起こしてるのなら、まず、勝てる気がしない。
「帰ろうヒボシ」
その言葉を放つと同時に安心感が沸き、この後、いつも通り部屋でヒボシとじゃれ合って、何にも代えがたい幸せな時間を過ごしているイメージが湧いた。
「うん、行こっか……ラクノ」
ヒボシもきっと同じ事を考えていたのだろう、表情で分かる。
私達は早くこの場から去りたいと駆け出す。
しかし、それに気づいたかの様に、奴の気配が急激に近づいて来る。
噴水の広場から彫刻の道へと走った。西入口までは遠くない。ヒボシのペースに合わせて走っても逃げ切れるだろう。
駆け抜ける私達。
……
だが、考えが甘かった。
私は奴が近づく気配を感じた瞬間に、ヒボシを抱えてこのエリアから一瞬で逃げ切るべきだったのだ。
「イタッ!!!」
彫刻の道を出ようとした瞬間、先に走るヒボシが何かにぶつかって転んだ。
「ヒボシッ!!!」
私は即座に駆け寄り、目の前を見上げる。
そこに合ったのは結界だった。
ほぼ透明で気配も感じないが、角度を変えながらよく目を凝らすと、薄紫色の闇のエネルギーで出来た薄い壁がある。
「今の何……?」
ヒボシはまだ理解出来ていない。
私はその闇の結界に触れてみた。何処まで覆っているのか気配を辿る。
それは私が感じているその瞬間から、尋常では無いスピードで張り巡らされ、瞬く間にシンボルゾーンを覆った。
「結界だ……閉じ込められたかも……」
私は一瞬の出来事に唖然としながら呟く。
「そんな……」
ヒボシは悲壮な顔をしたが、次の瞬間には強い顔つきに変わり、結界に触れだして回復魔術を放った。
ギュイイイィィィン!!!
「きゃあっ!!!」
まるで、拒否反応を示すかのように、眩しい光と無数の闇の粒子を激しく弾けさせる結界。
一瞬その部分だけ小さな穴が空いたが、すぐさま何も無かったかのように元に戻る。
私も朱色の太刀を顕現し、ゴォゴォと裁きの釜のように煮え立つ神聖な炎を絡めた一閃を繰り出す。
だが、ビクともしない。穴さえ空きやしなかった。
恐らくは、ヒボシの持つ属性に少し弱点があるぐらいの、物理や属性に強力な耐性がある絶壁の結界だろう。ヒボシの持つ奇跡の力でさえ、小さな穴しか空けられないのは理解を遙に超えたレベルの魔術だ。
私は奴の気配がすぐそこにあるのを感じ、いつでもこのエリア内を逃げ回れるようにヒボシの背に手を回した。
私達は愛の像の方角へ振り返る。
もう、魔圧を辿る必要などなかった。
そこには、既に奴がいたのだから。
「やだ……なんかいるよ……」
「あれが……邪悪な存在」
私は夢で見た形と完全に一致する闇の異形を見て言った。
ヒボシは縮こまり、私の懐にうずくまりながら奴を見ている。
そこには、二メートル程の真っ黒な小竜がいた。体は細く、その周りに王冠のような装飾を幾重に持ち回転させて、宙を不思議なリズムで泳いでいる。
そして、その細い体からは雲が一つ簡単に作れてしまう程の黒く淀んだ魔圧を無尽蔵に放出していた。それは周囲の空間が、その禍々しさから摩擦を起こし、激しい紫電を放つ程だった。




