08
夜明け前、氷河湖の縁で三人は最後の装備確認をしていた。
「気温が下がっています。日が昇れば少しは緩むでしょうが、今は氷が最も脆い時間帯です」
ライルは空を見上げる。
遠くの山頂がわずかに色を変え始め、やがて朝もやの中、淡い光が氷河の表面を照らし始めた。
「出発しましょう」
前夜から降り続いた細かな雪は、遺構の輪郭を柔らかく覆い、石造りの建造物群が白い絹の下に透けて見える。
時折、足元から不気味な音が響き、アルマはその度に息を呑んだ。
やがて三人は、氷河の後退によって露出した崖面に辿り着いた。
「ここを見てください。この灰色の帯状の層、これは火山灰が降り積もることで作られたものです」
アルマが興味深そうに近づき、ライルも手持ちの松明を傾けて照らす。灰色の地層は、まるで時の刻印のように、岩肌に横一直線に走っていた。
「この火山灰は、第二王朝以前の大噴火によるもの。その上に幾重にも重なった層の厚さから判断すると、ここは第二王朝成立以前に建てられたと考えられます」
「そんなに古い時代のものなのですか」
突如として吹き付けた風が、三人の周囲の雪を舞い上げる。北の空を見上げると、山頂を覆う暗雲が、わずかに色を濃くしていく。
「遺構全体はかなりの広さです。無闇に歩き回っていては時間を無駄にするだけです」
クレイは防水加工を施した手帳を取り出し、氷の下に透ける建造物の配置を書き写し始めた。
「まずは、ある程度、扉の場所を特定しましょう」
小祠が描く円弧。中央へと延びる石畳の参道。崩れかけた基壇の並び。アルマが読み上げる古文書の記述を参考にしながら、クレイのペンが遺構の姿を正確に記録していく。
「こうしてみると、この配置には見覚えがあります」
クレイは描き終えたスケッチを二人に示した。
「以前、南方の砂漠地帯で神殿遺構を調査したことがありますが、そこと似た特徴を持っています」
クレイはそう話しながら、新しいページに線を引き始める。
「小祠の基壇の向きは、ただの装飾的な配置ではありません。それぞれが意味を持ち、そして参道の軸線と交わる位置には、必ず重要な施設が置かれる」
雪が再び強まり、視界が悪くなり始めていた。足元の氷にも細かなヒビが入り始めている。
「先生、これ以上外にいるのは危険です」
「扉があるとすれば……」
クレイは最後の線を引き、一点を指す。
「この位置です。南方の遺跡でも、最も重要な区画はこの場所にありました」
ライルはクレイが示した場所を確認すると、安全なルートを確認する。
「氷の薄そうな場所は避けます。向こうから回り込みましょう」
やがて、巨大な建造物の輪郭が浮かび上がってきた。中央祭殿は、他の建物群を圧倒する存在感で、氷の下から姿を現す。
そして、予測通りの位置に、巨大な扉が確認できた。
クレイは扉に刻まれた文様を見上げる。考古学の刻印が、普段とは異なる反応を示していた。
年代を測ることすらできない。
「考古学の刻印が反応しません。何かが刻印の力を阻害しているのかもしれません」
アルマは扉に刻まれた文字に触れ、眉を寄せた。表面は冷たく、しかし何か生きているような温もりも感じる。
「この文字体系、少し特殊です。でも……」
その時、遠くで雷鳥の群れが一斉に飛び立ち、その直後、氷の上を伝わる規則的な振動が、三人の足に伝わった。
「誰か来ます。かなりの人数だ」
ライルが思わず舌打ちしながら二人に警告する。
「——氷上の足跡を辿ってきたのでしょうか」
「時間をください。この文字、きっと開く方法が……」
アルマの声には切迫感が滲んでいた。
「このままでは危険です。いったん離れて安全を確保しましょう」
ライルが状況を分析し提案する。氷の上を伝わる振動は、次第に強さを増していた。
「待ってください、もう少し……」
その時、アルマの左手の印が、突如として青白い光を放ち始める。
その輝きは、氷の下から漏れる光と呼応するように、ゆっくりと強さを増していく。
周囲の空気が、微かに震え始めた。




