07
「この先は本格的に山道になります」
ライルは一度言葉を切り、空を見上げた。
ヴァルデン山脈の頂を覆う濃い雲は、いよいよその色を濃くしているように見える。
「この時期の山は危険です。天候の変化は急激で、一度吹雪に巻き込まれれば、それだけで命取りになる」
「調査隊も、その天候で引き返したんですよね」
アルマが心配そうに空を見上げた。
「ええ。最低限の装備は持ち出せましたが、この天候を見ると、もっとしっかりした準備が必要かもしれません」
「近くに装備を揃えられそうな場所は?」
「麓に村がありますが、遺構とは逆の方向で、かなりの遠回りになります」
「そうですか」
クレイは先を急ぐべきか、遠回りになったとしても安全を取るべきか考える。
アルマがいる現状では安全をとるべきだが、クレイの胸中には言葉にならない焦りのようなものがあった。
「ライル、専門家としての君の判断は?」
「時間が許すなら、遠回りになっても準備を整えるべきです」
ライルの言葉に迷いはなかった。
「特に、旅慣れていないアルマさんもいます」
「足手まといにならないように、頑張ります」
ライルの視線を受けて、アルマは力強く答えたが、ここまでの旅でその顔には疲れが見えている。
「やはり遠回りになってもしっかりとした準備をすべきだとは思います。……しかし、どうしても嫌な予感が消えないんです」
「街で先生たちを襲ったやつらのことですか?」
ライルの言葉にクレイは頷く。
「なぜ襲われたのか、何者の仕業なのか、それは分からない。でも、何か嫌な予感がするんです」
クレイは言葉を切ってアルマのほうを振り返った。
「ライルには多大な迷惑をかけていますが、それは長年の信頼関係があってのこと。しかし、アルマさんは違います」
「クレイさん?」
「旅に誘ったのはこちらですが、アルマさんはこれ以上危険な場所に踏み込む必要はありません」
「そんなことはありません」
アルマの声は、いつになく強い調子を帯びていた。
「私の読解術は、単に古い文字を読めるだけの能力ではありません。時として、文字に残された書き手の感情も読み取れます」
彼女の左手の印が、かすかに輝きを帯びる。
「図書館で見た記録。そこには恐れと、警告と、そして何かを守ろうとする強い意志がありました。私には、その想いを無視することはできません」
「アルマさん、しかし」
「それに、少し楽しみでもあるんです」
クレイの言葉を遮って、アルマは微笑みを浮かべて続けた。
「図書館で過ごした日々は、この時のためだったのかもしれない。取るに足らないと思っていた私の能力も、役に立つ時が来るのかもしれない。そんな風に考えてしまうんです」
クレイは黙ってアルマの言葉に聞き入っていた。
「先生の考古学とアルマさんの読解術。その組み合わせには、何か意味があるのかもしれませんね」
ライルが静かに口を開く。
「ライル、君まで」
「確かに危険は伴います。しかし、ここにはこのライル・フォスターがいます」
ライルは少しおどけた表情を見せると、言葉を続けた。
「分かりました」
クレイは軽く息を吐く。
「アルマさんの決意、そしてライルの言葉。確かに、この調査には二人の力が必要不可欠なのかもしれません」
クレイの考古学の刻印は、触れた遺物の年代を教えてくれる。しかし最近、その反応は変化を見せ始めていた。
「ライル、具体的なルートを示してもらえますか?」
「天候の変化は早そうです。一刻も早く出発しましょう」
*
三日目の夕暮れ時、クレイたち三人は古い氷河湖の跡に辿り着いた。
「見えてきました」
眼前に広がる光景は、確かに調査報告書に記されていた通りだった。
氷河の後退によって姿を現した岩肌は、まるで巨人の手で削り取られたかのように平らで、その上に建造物群が広がっている。
「この配置、何か規則性がありそうです」
クレイは調査隊の残した略図を取り出し、目の前の光景と見比べる。
円を描くように並ぶ小さな祠のような建物。その内側に、より大きな建造物が放射状に配置されている。そして中央には、最も大きな神殿らしき建物の輪郭が見えていた。
「あの中央の建物です。扉があるのは、その内部のはず」
「思ったよりも足場が悪い、注意して進みましょう」
氷の状態を確認していたライルが注意の声をあげる。
「夜の氷上は、さらに危険が増します。まずは安全な場所で野営をして、明日の朝から動きましょう」
三人は遺構からやや離れた岩陰に野営の準備を始めた。夜の寒気は既に厳しく、息が白く凍てつく。
その時、不意に辺りが青白い光に包まれた。
「あれを見てください」
アルマの声に、三人の視線が遺構の中央へと向けられる。神殿の方向から、まるで脈動するように、かすかな光が漏れ出している。
そして、風のような、どこか懐かしい音色が、氷の谷間に響き始めていた。




