09
氷の上を伝わる振動が次第に強まっていく。
遠くから馬のいななく声が響き、吹き付ける雪が視界を遮る中、アルマの指先は巨大な扉に刻まれた文字の上を辿っていた。
「騎馬の数は十以上、装備は整っていますが、この環境には不慣れそうです」
ライルは周囲を警戒しながら状況を説明する。
「この文字、どこかで……」
アルマはつぶやきながら、必死に記憶を辿る。
読解術の刻印の反応は薄いものの、幾度となく古文書に触れてきた経験が、彼女に微かな手がかりを示していた。
「先生、アルマさんを頼みます」
ライルはそう言い残すと、氷上を巧みに滑るように離れていく。その手には、背嚢から取り出した幾つかの小さな布袋が握られていた。
「クレイさん、私に時間をください。きっと、この文字の意味が……」
「ええ、分かりました」
クレイは剣を構え、アルマの前に立つ。遠くで、ライルの姿が霧の中に消えていく。
やがて、騎馬の集団から混乱した怒号が上がった。
白い煙が立ち上り、隊列が乱れ始めたのが見える。
「さすがライル」
しかし安堵する間もなく、数人の騎馬が煙を抜けて姿を現した。
「見つけたぞ!」
馬上の襲撃者が叫び、クレイに向かって斬りかかってくる。クレイの剣が青白い光を放ち、その一撃を受け止めた。
クレイはアルマを守るように立ち回る。一週間前まで錆びついていた剣は、今や研ぎ澄まされた刃となって、襲撃者の武器を次々と弾いていく。
「先生!」
更に数名が接近してきた時、影のような姿が横合いから現れた。
ライルの短剣が、巧みな動きで敵の死角を突いていく。
「左からも来ている!」
この騒ぎで位置が知られたのか、さらに複数の足音が響いてきた。
「——分かってきました。これらの文字は、王朝初期の祭祀文字を基にしているようです。とても古い言葉……」
アルマの声が途切れた瞬間、不思議な感覚が彼女を包み込む。
それは通常の読解とは明らかに異なる感覚だった。文字の意味を理解するのではなく、まるでその知識が直接頭に流れ込んでくる。
アルマの意識が、ゆっくりと遠のき、そして不思議な映像が浮かび上がった。
星を見上げる人々の姿。巨大な扉に向かって詠唱を捧げる儀式。そして、扉を閉ざすための封印。
全てが、まるで自分の記憶であるかのように鮮明に浮かび上がる。
「アルマさん!ここはいったん引きましょう!」
クレイの声が、遠くから聞こえる。
気がつけば、アルマの両手は複雑な印を結んでいた。まるで長年その術を使ってきたかのように、体が自然と動き出す。
左手の刻印が青白い光を放ち、扉の表面に刻まれた文字が次々と光を帯びていく。
やがて、重く閉ざされていた扉が、ゆっくりと内側に開いていった。
「ライル、扉が開きました!」
「俺が時間を稼ぎます!奥に!」
扉が開いたことを確認すると、ライルが小さな袋を追っ手たちの足元に投げつけると、勢いよく黒い煙が吹き出す。
ライルの声に促され、二人は素早く扉の内側へと滑り込んだ。
外から怒号と馬の蹄の音が迫る中、すぐにライルも扉の奥に姿を現す。
「扉を閉めなければ……」
力をあわせて扉を閉めようとしたクレイとライルをアルマが遮り、再び扉に手を触れた。
「アルマさん?」
アルマの両手が再び複雑な印を結び始めると、扉は重々しい音を立てながら閉じていく。
*
「今のは、私が……?」
アルマの声には困惑が滲んでいた。自分の行動が信じられないという表情で、両手を見つめている。
「大丈夫ですか、アルマさん。どこか体に異常は?」
「私、扉を開いて、そして封印までしてしまいました。でも、どうやって……」
「お二人とも、その話はあとにしましょう。まずは、安全の確保を」
ライルの言葉にクレイは頷き、あらためて周囲を見渡した。
扉の内側は、想像していた以上に広大な空間が広がっている。
天井まで一直線に伸びる柱。壁面に刻まれた幾何学的な文様。そして、正面には長い参道が、闇の中へと続いていた。
ライルが灯した松明の光が内部を照らし出し、壁面の文様がより鮮明に浮かび上がる。
「奥に進みましょう」
壁面の文様が、まるで彼らを導くかのように、かすかな光を放っていた。




