65
# エピソードタイトル
第65話
# 公開状態
公開中
# 公開日時
2026-07-07 18:00:04 (+09:00)
# 文字数
3129文字
# 本文
渦を巻いていた風が消えた部屋には、崩れた石材の軋みだけが低く残っていた。
エルンストの体は、部屋の中央に倒れ伏したまま、動くことはなかった。
クレイは剣を下ろすと、アルマとライルのもとへ駆け寄った。
「二人とも、無事ですか」
壁に背を預けていたアルマが、かろうじて頷く。
「はい、なんとか」
ライルもまた、石畳に手をつきながら身を起こそうとしていた。
「俺も大丈夫です。……先生こそ、ご無事で良かった」
クレイは短く息をつくと、部屋の入口へと目を向けた。
「サラさんと、リオは」
ライルの視線が、わずかに揺れた。
「サラさんが敵に傷を負わされて、俺だけ先生の手助けのために駆けつけました」
言い終えたライルの表情は、硬いままだった。
クレイは、次の言葉を継げなかった。隣のアルマも、口元を手で覆ったまま動かない。
部屋には、沈黙だけが残った。
「お前たち、勝手に人を殺すなよ」
静寂を破る聞き慣れた声が、入口の暗がりから響いた。
「あたしが、そんな簡単にくたばると思ったか」
「サラさん!」
アルマが駆け寄る先には、リオに肩を借りたサラが、脇腹を押さえながら、ゆっくりと歩み入ってきていた。
浅黒い肌からは血の気が失せ、足取りは重い。それでも、その双眸は、確かにクレイたちを見据えていた。
「こっちはうまくやったようだな、クレイ」
*
再び五人が揃ったところで、クレイは、改めて円形の部屋を見渡した。
壁一面を埋める見知らぬ意匠、床を走る幾筋もの溝と、その果てに据えられた一つの石碑。
星の力を追い続けた長い旅路の、これが行き着いた先だった。
「先生、これからどうすれば……」
「ここが終着点だと思うのですが、やはり、この石碑でしょうか」
ライルの言葉に答えながら、クレイは左手の腕輪へと指を触れた。
「クレイさん、剣が……!」
アルマの視線の先で、クレイの腰に提げた剣が、ひとりでに淡い光を帯び始めていた。
クレイが剣を掲げると、青白く輝きを増したその刃から、幾条もの光が立ちのぼり、宙で緩やかに像を結んでいく。
やがて五人の前に、長い衣をまとった一人の人物の姿が浮かび上がった。
その姿を見た瞬間、アルマが息を呑んだ。
「この人は、ヴァルデンの記憶で、見た……第二王朝、最後の王」
それは、かつてアルマが、ヴァルデン山脈の神殿で、刻印を通して垣間見た遠い時代の光景。
その中で、王として、第二王朝の最後を見届けた人物に違いなかった。
王の像がゆっくりと顔を上げると、五人の頭の中に、不思議な声が響いてきた。
『彗星に座する女神が遺し、星詠みたちが継いだ刻印の力。その力が司る星のエネルギーは、いずれ人の手に余る。事実、その力は争いを呼び、この地に一度、破滅をもたらした』
アルマの脳裏を、あの記憶がよぎった。力を奪い合い、暴走の果てに滅んでいった、遠い時代の人々の姿——。
『私は、その力を消し去る術を求めたが、行き着いたのは、力そのものは消せぬという理であった。できるのは、ただ一つ。二度と悪用されぬよう、永久に封じることだけだった。されど、それを成すには、私の力は足りなかった』
『私は、我が刻印をもって、過ぎた時と、来たるべき時とを、わずかに垣間見た。いつか、それを成しうる者が現れると信じて』
王は、朽ちた部屋を見渡すように、両の手を広げた。
『この力は、枯れた星を再び活かすことも、また、永久に封じることもできる。それゆえ、託す相手を誤れば、再びの破滅を招くだろう。だからこそ、歴史を正しく解し、力の何たるかを知る者にしか、私はこれを託せぬ』
その言葉を聞いたクレイとアルマは思わず顔を見合わせた。
『星のエネルギーが封じられれば、それと因を同じくする刻印の力もまた、やがて薄れ、消えていくだろう』
王の視線は、正面に立つクレイへと注がれた。
『星詠みの末裔よ。汝は、それを知る者だ。この星の行く末を、汝に託そう』
言い終えると、王の像は、糸がほどけるように光の粒へと還り、剣の内へと吸い込まれていった。
「すべて分かりましたね。私たちの役目も、その目的も」
クレイは、しばらく剣に目を落としていたが、アルマの言葉に頷くと、この旅を共にしてきた仲間の顔を見た。
「僕は、星のエネルギーを封じようと思います。……ですが、そうすれば刻印の力も失われる」
「今さらだな。刻印の力は便利だったが、あたしはもとより、この腕一本で生きてきた。クレイの好きにしろ」
クレイは、そのサラらしい答えに口元をわずかに緩めると、アルマへと目を移した。
クレイの視線を受けたアルマは、すぐには答えなかった。自らの手のひらに視線を落とし、そっと指を握り込む。
「……私は、この刻印があったからこそ、司書になれて、そして、皆さんと旅をすることができました。書庫の文字を読み解き、遠い時代の記憶に触れ、知りたかったことの多くを、知ることができました」
「アルマさん……」
「これを手放すのは、寂しくないと言えば、嘘になります」
クレイが言いかけた言葉を遮り、アルマは顔を上げた。その視線が、傍らのサラ、ライル、そしてリオへと向けられる。
「でも、この旅で気づいたんです。皆さんを支えてきたのは、刻印の力だけではありません。それぞれが積み重ねた技と、経験。それこそが、皆さんの力なのだと」
「それはアルマさんも同じです」
アルマはクレイに向けて、力強く頷いてみせた。
「私の出す答えは、クレイさんと同じです」
「リオ、君はどうだい?」
「俺にはもう、刻印の力は必要ありません」
リオは、腰に提げた投石紐にそっと触れると、サラとライルに向けて、はにかむような笑みを向けた。
ライルは労うかのように、リオの肩を軽く叩くと、その視線を石碑に向けた。
「先生、お願いします」
だが、クレイは動かなかった。
自分をじっと見たまま口を開かないクレイに、ライルは訝しげな表情を見せた。
「……先生、どうかしましたか?」
「ライル。君はどうですか」
その言葉に、ライルは一瞬目を見開くと、困ったように眉を下げた。
「先生……まさか、気づいていたんですか」
「君が明かさないのには理由があると思ったので、聞きはしませんでした。ですが、君とはだいぶ長い付き合いですからね」
ライルの肩から、ふっと力が抜けた。
「ライルさんも刻印の能力を……。私全然気づきませんでした」
二人の様子を見ていたアルマが目を見開き、傍らのリオも、驚いたようにライルを見上げた。
ただ一人、サラだけは、小さく肩をすくめている。
「俺には、危険を察知する力があります。大層なものじゃありません。危ない気配をなんとなく感じる、その程度の冴えない能力です」
ライルは、自らの手のひらへと目を落とした。
「でも、その力に頼りすぎれば、いつか勘の鈍った日に、仲間を死なせてしまう。だから俺は、その力に頼らずに済むように、技術を磨いてきました」
「それも知っています。僕は、君の力ではなく、君自身を信頼していますから」
ライルは、しばらく言葉を探すように口を結んでいたが、やがて、いつものような穏やかな笑みを浮かべた。
「……もちろん、俺も先生の判断に従います」
クレイは、もう一度、ここまでともに歩んできた、旅の仲間の顔を見た。
知識を愛し、危機に立ち向かう勇気も持つ、アルマ
常に仲間のために動き、信頼に応え続ける、ライル
自らの信念を貫き、古き伝統を守る砂漠の民、サラ
その境遇を、自らの力で跳ね除けようとする、リオ
「これが僕の、僕たちの、冴えない能力の使い方だったのですね」
クレイは剣を鞘へと納めると、部屋の最奥の石碑へと歩み寄った。
そして、大きく息を吸いこむと、その手を、静かに石碑へとかざした。




