04
「ヴァルデン山脈まで、どのくらいかかりますか?」
夕暮れ近くの王立図書館。閲覧室の窓から差し込む光が徐々に赤みを帯びていく中、アルマは地図を広げながら尋ねた。
彼女の指先は、ソルステンから北方へと伸びる街道を辿っている。
「馬車で十日ほど。途中の街道は整備されていますが、山域に入ってからが問題です」
クレイは地図の縁を押さえながら答える。
「遺構のある場所までは、さらに二、三日かかります。ただし、地形や天候次第では……」
考古学協会からの通達から二日。
調査の不許可、記録の押収という事態を受け、非公式な調査へと舵を切ることを決めた彼らは、必要な準備の検討を始めていた。
「私、旅慣れているわけではないので……」
アルマの言葉に、クレイは顔を上げる。
司書という職業柄、長期の旅などしたことはないだろう。不安そうな表情を浮かべる彼女に、クレイは微笑みかけた。
「その点については、少し心当たりがあります。山岳地帯での調査経験も豊富な、腕の立つガイドを」
「お知り合いですか?」
「ええ。私の調査によく同行してくれる人物です。この件についても、きっと力になってくれるかと」
「頼りになりそうな方ですね」
「今夜、さっそく会ってみましょう。この時間なら、たぶんあの店にいるはずです」
*
ソルステンの西地区にあるその通りは「冒険者横丁」と呼ばれていた。装備店や宿屋が立ち並び、遠方への旅の準備を整える者たちで賑わっている。
日が沈み、街灯に火が灯り始める頃、クレイとアルマは、通りの奥にある店を訪れた。
店の前には「銀の羅針盤」と書かれた看板が掲げられている。
「おや、先生、こんな時間に珍しいですね」
二人が店に入ると、奥から陽気な声が響いた。
茶色い髪を後ろで束ねたその男は、細身だが体幹の良さを感じさせる。
「やあ、ライル」
クレイを先生と呼んだ男——ライルは、クレイの横のアルマに気づくと、柔らかな物腰でお辞儀をした。
「お連れがいるとは、これまた珍しい。この店の店主、ライル・フォスターと申します」
「アルマリア・ヴィンターと申します。アルマで結構です。王立図書館で司書をしています」
「図書館の……」
ライルは一瞬考え込むような表情を見せる。
「……先生、今日は何か相談事ですか?」
クレイが頷くと、ライルは店の奥の小部屋へと二人を案内した。
「ここなら人目を気にせず話せます」
三人の前にはライルが用意したお茶が置かれている。
「また何か面白い遺跡でも見つかったんですか?」
「実は……ヴァルデン山脈まで、調査に行きたいと思っています」
「ヴァルデンなら私もよく知っている場所です。しかし、あの山域は侮れない。険しい地形に加えて、天候の変化も激しい」
ライルは眉を寄せる。
「……この件は非公式な調査で、調査隊を出せるわけではないのです」
「非公式?これまた珍しい」
ライルはクレイの表情を読み取ろうとするように視線を向ける。
「……相当の理由がありそうですね」
「ええ」
クレイは一瞬ためらったが、決意を固めたように続ける。
「詳しい事情は、街を離れてからでないと話せません。しかし、それでも、君の力を借りたい」
ライルはしばらくクレイの表情を見つめていた。
そして、ゆっくりと頷く。
「……それだけの理由がある、と」
「はい、ライル、あなたを信用しての相談です」
「先生がそこまで言うなら」
ライルは立ち上がると、部屋の明かりを少し落とした。
「まずは必要な準備の話をしましょう」
「話が早くて助かるよ」
ライルは奥の倉庫から古い地図を取り出してきた。端は擦り切れているが、山域の詳細な地形が克明に記されている。
「アルマさん、山の経験はありますか?」
ライルが地図を広げながら、アルマに問いかけた。
「いいえ。図書館の仕事柄、長期の外出すらほとんど……」
「そうですか」
ライルは考え込むように腕を組む。
「まあ、装備を整えれば、体力的な部分はなんとかなります。むしろ問題は寒さですね。山の寒さは、街とはまた違いますから」
アルマはうなずきながら、自分の薄手の服を見下ろす。
「ご心配なく、必要な装備はこの店で揃えられます」
ライルは立ち上がって倉庫の方へ向かう。
「ライル、準備には何日くらいかかりますか?」
「そうですね……装備の確認に二日。それと、街道の様子も見ておきたい。三日あれば準備は整います」
「分かりました。では、三日後にまたここに」
「任せてください。それまでに準備を整えておきます」




