第四九話 手鎖心証 後
翌日。北町奉行所から与力と小物がやって来た。
長谷川平蔵の思惑がどうであれ、町奉行所は本気で伝蔵を懲らしめにきている。手鎖に手心を加えてくれるはずもなかった。
瓢箪型の手錠に左右から手首を入れて、施錠。その上に護符のような封紙を巻く。
「この封紙を破るな。破れたら手鎖の期日は十日延びるぞ」
「それじゃあ、風呂や便所もこのままですか」
「当然だな。家人がいる有難味を骨身に染みこませるといい」
「どうも、ご親切に」他に言葉は見つからなかった。
「あの、恐れながら」お菊が申し出た。この鎖の上から布を巻くことはできますでしょうか」
「ならん。ゆえに家から奉行所に出向く日以外は、極力出歩かない方がよいぞ」
「出向く日は、十日に一遍でしたっけ?」伝蔵が訊いた。
手鎖刑には封紙の点検として、出頭日がある。取換えに町方が来てくれるわけではない。
「五日に一遍だ。封紙が破れたら六十日となり、そこから先は十日に一遍となる。封紙の取り換えと思えば、十日より五日の方がよいであろう」
市中引き回しほどではないが、手鎖姿で町中を通わせることで恥をかかせるという社会的制裁の一環なのだろう。
与力が帰り、見送りに出たお菊が戻ってきた。
伝蔵はなんだか尻の収まりが悪くなって、
「すまないな。祝言を挙げてすぐに、亭主が罪人になっちまって」
「ううん。事情はもう心得てますから。誰にでもできることじゃないです。それに」
「それに?」
「お寿司、おいしかった。あんなにたくさん食べたの、初めて」
お菊の恥ずかしそうな笑顔に、伝蔵は肩が軽くなった気がして大笑した。
今朝。母大森が、よねの生前から買い続けている顔なじみのかわら版屋から一枚買ってきた。葵小僧のことではなく、山東京伝が手鎖にあった話を報じていた。
手鎖を受ける直前に、手鎖にされている自分の様を見るのはなんとも複雑な気分だった。
「しかもこの顔、まるっきり艶二郎じゃないか。私はここまでブサイクじゃないぞ」
近所で売り歩いてるくせに洒落本から切り抜いただけで、本家に取材に来ないとはどういう了見なのか。むしろその安直さにがっかりだ。
「ごめんくださいよ」
「はーい」
男声のおとないにお菊が玄関に行って戻ってくると、二人を案内してきた。
「これは、四方先生っ」
伝蔵が畏まろうとして腰を浮かせると、四方赤良(大田南畝)から手でやんわりと制された。そばに控えるふっくらした顔立ちの若い女性が、身請けした元遊女の三保崎ことお賤なのだろう。母親の還暦祝いでとなりにいた釣り目の女性とは真逆の顔をしていた。
「随分な筆禍に遭ったものだよなあ、折助」
「はい。まあ、不徳の致すところです。浅草のほうでも私のことは?」
「ああ、昨日まで葵小僧のことばかりだったのに、急に宗旨替えしたみてぇにお前の災難を書きたててるよ。かわら画が気になるだろうと思って買ってきたぜ」
付き合いの長い先輩は察しが良い。
「はい。実は近所の読売は艶二郎でした」
「そりゃあ、災難だったな。──浅草版も艶二郎だぜ」
笑いながら浅草版を見せてくれた。お菊も伝蔵の背中ごしから覗きこんでくる。
誰も私の素顔を知らない。絶望した。
伝蔵は思わず畳に手をつこうとして、お菊に後ろから肩を掴み止められた。封紙を損傷しないように。それから少しだけ話をして四方ご両人は笑顔で帰っていった。
「お菊。お客様にお茶はお出ししたの?」
姑の指摘に新妻はあっと声をあげて、平謝りの声が聞こえてきた。
そういえば学問吟味の話を聞いておけばよかったと伝蔵もがっかりしていると、また玄関が開いた。
「ごめんください」
「まあ、これはこれは、森島様」
母大森の声が一段上がった。ややもして、久しぶりの獅子鼻が顔を出す。
「よっ、大戯作者。手鎖心中やいかに。築地の瓦版を持ってきてやったぞ」
「私の顔は当然、いい男なのでしょうね?」
「はっはっはっ、無論だとも」
清々しいほどのざまあみろな獅子鼻の笑顔に、伝蔵も苦笑した。
四方赤良が置いていった浅草版に続いて築地版でも〝艶二郎〟が席巻する。
伝蔵は、瓦版が葵小僧の悪業に飽きて、江戸っ子の興味が矛先を変えつつあるのを予見した。
「京橋、浅草、築地にも艶二郎、現る。まさに苦肉の計、ここに成れり。か」
そして、
「ほっほっほっ。あのっ、帰宅早々、これ。なんなんですっ?」
「ほっほっ、魯西亜に伝わる舞踊だ。わたしはこれを〝手鎖音頭〟と名づけるっ」
「ほっほっほっ。兄さぁの見舞いに来て、あーしは何に巻きこまれたんでしょ!?」
両手を手鎖と同じ胸の位置で交差させてしゃがみ込み、その状態で片足ずつ前に蹴り出す。一人でやると見映えはしないが、伝蔵、百樹、万蔵、そして偶々《たまたま》居合わせた北尾政美の四人で一列になって廊下で足並みを揃えると、母大森とお菊、万蔵の細君三人が爆笑している。
デンデデン デンデデン デンデデン デンデデン
伝蔵が罰を科せられた岩瀬家の落胆を案じて、万蔵は笑いを持ってきてくれたようだ。
彼の笑いはやっぱり伝蔵も敵わないけれど、それでも心に頑く誓うのだ。
手鎖音頭は流行らないし、流行らせない。




