第四八話 手鎖心証 前
「この度は誠に、誠にっ、申し訳なかった!」
手鎖五十日が確定した、その日の晩。
伝蔵の家に、書店問屋の旦那衆三人が紋付き姿のままで謝りに来た。
あの蔦屋重三郎ですら他人行儀な顔をして、伊勢屋吉兵衛と近江屋新右衛門の行事とならんで、頭を下げていた。
父伝左衛門の連座が心底堪えていた伝蔵は、愛妻お菊の膝枕でまんじりともせず三旦那を無視し続けた。明日には町奉行与力が手鎖をもって家にやってくるのだ。
それでもなお重三郎たちも平伏をやめない。
「伝蔵、話だけでも聞いてあげなさい」
しばらく無言の膠着を見かねた伝左衛門が取りなしの声をかけたが、無視。やがて音を上げたのはお菊だった。
ぐぅ~。
「ご、ごめんなさい。お昼から何も食べてなくて」
顔を真っ赤にして言い訳する妻の膝から、伝蔵もようやく起き上がると、
「寿司を取ろう。そこのばか重の奢りで、なっ!」
すると伊勢屋吉兵衛が立ち上がり、重三郎の肩に手をおいてから手配に家を出て行った。
「企みはいつからだよ」
「去年の夏。お前からあの洒落本三作を受け取った、三日後だ」
重三郎は座を崩して胡座をかいた。足の痛みは重いのかうっすら脂汗をかいていた。
「お前、葵小僧って知ってるか?」
「知らない」
「嘘だろっ?」
近江屋新右衛門がすっとん狂な声をあげた。
伝蔵は不明に悪びれるどころか、興味なさそうに鼻息した。
「あちこちから頼まれる戯作を書いてると芝居や講談はネタになるけど、かわら版みたいな出所不明の話はネタにできないから見ないようにしてるんだ。親父殿は」
「もちろん、知ってる」
伝左衛門は名前で察しがついたらしく酸鼻きわまった顔をつくった。
「神稲徳次郎とは真逆の、江戸市中を今、恐怖に陥れている極悪盗賊だ」
葵小僧。
寛政二年から三年の春にかけて江戸市中を荒らし回った盗賊一味である。襲撃された商家は東海道筋を越えて上方、西方にまで及ぶともいわれた広域強盗団で、松平家の家紋「葵」を用いた提灯をさげて商家を襲う手口から、その名がついた。
後世の記録では、逮捕後に自供した内容から、わかっているだけでも襲撃した商家の三十人から四十人の婦女が強姦され、中には抵抗したことで殺害後に犯され、一家も皆殺しにあっている。
町奉行もこの悪虐非道な手口から満足な目撃証言が取れず、手をこまねいているのが現状だった。
そこまで聞いて、伝蔵は月代を激しく掻きむしった。いつもの察しがついたのだ。
「その葵小僧の悪行を伝えた瓦版に、私の洒落本の絵が使われていたのか」
お菊は亭主が何を言いだしたのかと怪訝な顔をする。近江屋新右衛門も驚きで半口が開いたままだ。
けれど重三郎だけは神妙な顔で頷いた。
「大半の瓦版が洒落本から堂々と図案(構図)をそっくりそのまま盗作して一枚四文で売り廻ってるんだとよ」
「最近のかわら画は画師を雇って筋を書くそうだよ」伝左衛門も相づちを打った。
「まず、そのデキのいい瓦版を止めるために、私を吊し上げたのか」
「お前だけじゃねえだろうが。おれも、それに行事役二人も追従したろ?」
葵小僧は、瓦版の繁盛ぶりを見て強盗計画を立てている。
それを外堀から埋めていくための情報封鎖こそ、筆禍計画だった。
計画の先駆けとなったのは、去年五月に出た町触れである。
伝蔵から洒落本三部を受け取る七月の二ヶ月前にあたる。
触れの内容は、出版物を規制する享保年間の御条法が貼り出された。しかしこれは書店問屋に向けたものではなく、瓦版屋に向けた葵小僧の報道規制を目的としていた。
だから重三郎も無視できた。
伝蔵と洒落本の趨勢について、まだ時代への抵抗、賭け事感覚だった。
公儀はその町触れに効果が無いとみるや、十月の町触れで瓦版屋が多く盗写している洒落本の規制に乗り出した。もちろんここからは重三郎たち地本問屋もきっちり対応した。
ただし、あの[教訓読本]の仕掛けをして──。
単純に洒落本を摘発するだけなら、別に山東京伝でなくてもよかったのだ。
瓦版屋は江戸市中に三百を超え、泡のように日々現れては消える。町方が取り締まるのは事実上、不可能だった。だから彼らが好んで写し盗っていた人気戯作者=山東京伝本人を摘発し、「放埒な画」ごと手鎖をかけた。五十日。
猥褻図画の御条法破りとしては前例のない重い罰だ。一過性だったとしても瓦版屋への見せしめ効果は期待大だ。
結果として、瓦版屋だけでなく洒落本を手がける戯作界まで震え上がることになるだろう。それほどまでに葵小僧を調子づかせる煽り報道を封じ込めるため、劇薬を流す必要があったのだ。
「まったく、誰がそんな大仰な絵図を描いたわけ、重三?」
「おれじゃねえよ。ん、これは言っていいのか? 長谷川平蔵っていう──」
「分かったもういいその名から先は言わないでくれどこの誰かはもう知ってるっ!」
伝蔵が早口でまくし立てると、重三郎は目をぱちくりさせた。父がたまらず噴き出した。
「なんだ、知り合いなのかよ」
「親父殿の親友だ。祝言にも来てた。私も多少、いやほんのちょっとだけ世話になった、気がする」
それを聞いて、重三郎も近江屋新右衛門も話を通しやすくなったと思ったのか、ホッとした顔を見合わせた。そこへ寿司の手配に行っていた伊勢屋吉兵衛が戻ってきた。
「蔦重、ちょうど屋台が見つかったから屋台ごと来てもらったんだが、いいかな?」
「おお、そっちの方が好きな物を摘まみやすくていいな。庭から入ってもらおうぜ」
商家旦那衆の金銭感覚は、庶民とはどこか違っていた。伝蔵は大息した。
「大火を消すために自分の家に火をつけるなんてどうかしてるよ。おまけに私の家にまで飛び火させるとかさあ」
母大森とお菊と百樹が庭にまで入った寿司屋台に並んで寿司をつまむ。
その背中を眺めながら、伝蔵は縁側でとなりに悪態をついた。
「敵を騙すにはまず味方からってのが兵法だろう。江戸っ子はな、ガキの頃から勧善懲悪を嗜んで育ってきてんだ。善を助けて悪を挫くってな」
神稲徳次郎を思いだして伝蔵も言い返せないでいると、重三郎は言葉を継いだ。
「おれだって身上半闕所はべらぼうに痛ぇよ。行事二人にしたって商売お構いだ」
「でもそれは」
「いいから聞け、この二人だってな、家に帰れば嫁入り前の娘に慕われる父親なんだよ」
伝蔵は行事二人を見て、目線を下げて鼻息した。
「同じ娘を持つ親にしてみたら、葵小僧は鬼畜生だって? それにしたって身代まで賭けるとか、江戸っ子の向こう見ずが過ぎるよ。町奉行には?」
「話を通してりゃ、親父さんにまで連座はいってねえかもな。けどな、おれ達から話を通して一芝居打ったら手心が入って、計略が瓦版屋に悟られる。案の定、初鹿野さまは激怒だったろ。あれでいいんだ」
「まったく、あの悪党蔦屋が遊女じゃなく、男なんかに惚れるとはね」
重三郎は気を悪くするどころか、不敵にニカリと笑ってみせる。
「長谷川様って人にはよ、なんかこう、この人ならなんかやってくれる、こっちから支えてやりてぇ、そんな侠気を感じたんだ」
それも言い返せなかったから、伝蔵も黙っておいた。
「肉を切らせて骨を断つ。苦肉の策だってよ。なんでも葵小僧は、犯して気に入った娘だけ残して一家皆殺しにするところまでやってる。しかもその娘が預けられた先の商家も襲って、その娘をまた犯しに現れたんだとよ」
伝蔵は恋女房と顔を見合わせて、眉根をひそめた。
「ひどすぎる、本当のことなのか?」
重三郎は酒をお菊の酌でやりながら軽く唸った。
「長谷川様から直に聞いたんだ。その娘は今、火盗改で見張ってるんだとよ。おれだって戯作者の端くれだ。派手に話を盛ってるとは思えなかった。話に立ち合った伊勢屋と近江屋と一緒になって血の気が引いたんだ」
「なら、葵小僧はまた、その娘さんの前に現れる、か」
「ふん。葵小僧って野郎は要するに、江戸全体を揚屋だと見てるのさ。まとまった金を奪ったら、そのうち女が抱きたくなる。けど町方の見廻りが厳しくなって身動きができなくなり、さらにテメーの悪事を囃したてる瓦版っていう大向うの声までなくなれば、身に詰まされて余計に女が欲しくなる。とくにテメーの体に馴染んだ女がよ」
それが長谷川平蔵の描く、葵小僧への罠だ。
「それで半闕所にお構い、手鎖か。やれやれだ。私たちの苦肉が無駄にならなきゃいいけどね」
伝蔵は酢の利いた小鰭を口に入れて、顔をしかめた。




