第十八話 年の瀬の親孝行
この年の師走。百樹が書いた戯作が二本、仙鶴堂・鶴屋喜右衛門の校閲を通った。
『鷺岡勧進 御富興行曽我 全三巻』
『〈御誂〉両国信田染 全二巻』
師匠の七光りでも山東鶏告という名前で出版に漕ぎ着けられたことは百樹の実力だ。伝蔵も誇らしく、草稿へ走らせる画筆にも力が入った。
『両国信田染』は、天明五年六月から九月の間だけ清涼寺の釈迦如来像が回向院へ出開帳行事に材を取った物語だ。
情夫が浮気して家を追い出され、女郎にまで落ちた葛の葉が働き先で釈迦如来に出会って男女の仲になり、指切心中まで誓い合ったが、釈迦如来の腕の梵字をお灸で消そうとする。ところが釈迦如来は木像なので香木の薫香によって葛の葉の変化がとけ、九尾の狐・玉藻の前が姿を現し、回向院のご開帳を妨げようとしていたことが発覚。玉藻の前は回向院の脇を逃げ去って石になるが、和尚の祈念によって石は壊れて滅び、回向院のご開帳が流行るという内容だ。
葛の葉が玉藻の前という仕掛けは面白いが、悪趣へ落ちる展開にやや説得力に欠ける。指切心中を軽く見過ぎている。男と女の関係、心情(恋愛)を描き切れていないのは百樹が男として女を知らないからだ。
弟の挿絵は伝蔵が自分の仕事をこなしながらの別作業になるので、徹夜仕事が続いた。
滑稽図本『当世雛形 小紋新法』は『小紋裁』の続編だし、洒落本『客衆肝照子』で扇屋の菊園を描いた。森島万蔵の『正月初夢景清塔の瞑 全二巻』は、知識人向けのばか真面目な笑い筋だったろうから画もふざけ過ぎないようにしたはずだ。
「あー、あと一つだけ、あれも憶えてるな」
タダ働きもした。
『芸自慢童龍神録』という全二巻の黄表紙で、作者は恋川好町。通称は北川真顔。
真顔とは二年前の『志やれ手拭いあわせ』で校合(確認作業)を頼んだ先輩戯作者だ。直接家まで草稿を持ち込んできて、挿絵を頼まれた。
「なあ頼むよ、伝蔵。拙の戯作に箔をつけておくれよ」
真顔は仕事を頼みながらお茶請けに出した〝にせ捻頭〟をボリボリ。これで無礼を感じさせない得な人、いや猿が枝をかじってるみたいで見てて飽きない。普段ふざけていても狂歌を捻らせれば、そのウガチに四方赤良も唸るほどだから、人とは不思議の塊だ。
「真顔さん、この板元はどこです?」
「とき屋だよ。兎と亀の、屋」ボリボリ。
聞いたことがない。伝蔵は襟巻きを下げながら母が淹れてくれた茶をすすった。
「伝蔵は蔦屋や鶴屋に重宝されてるから知らねえだろうけどさ、江戸には三百以上の板元があるんだぜえ?」ボリボリ。
伝蔵も折に触れて、蔦屋重三郎から何度も忠告されてきた。
『株仲間の外の版元とは絶対に付き合うな。どうせすぐ消えるし、板株ごと持ち去られると厄介だからな』
江戸で地本問屋株仲間が幕府によって公認されたのは享保六年(一七二一年)のこと。翌年には江戸で書籍取締令が発令され、類板・重板が刑罰対象となった。
類板の禁止は、他の書物に対し部分的に類似、または剽窃(盗作)した内容を出版してはいけないこと。また重板の禁止は、本屋が無断で別の本屋の書籍と同じ内容物を出版することだ。書冊が売り切れて再度刷り直して出版する〝重版〟とは別になる。
重三郎が最初に勤めた地本問屋鱗形屋孫兵衛から独立するきっかけになった、吉原遊郭のガイドブック『吉原再見』がこの重板の禁令に触れた。重三郎に言わせればこの事件は「たかが禁令されど禁令」なのだと教訓にしている。
できた黄表紙は本屋株仲間に加盟する版元が「行事」へ送り、その内容チェックを経て町奉行に提出。そこで出版許可がおりて登録されたものを〝書籍〟といったり〝板株〟といったりする。
板株は、書籍を正式な手続を経て出版すると書籍に権利(株)が生じる。その権利は板木を売り払わない限り、原則その地本問屋に属する。板木が摩滅したり火災などで焼けたり、もしくは実物がなくなっても保有でき、なんなら質入れまでできた。地本問屋にとって命とも言うべき財産だった。
そんな制度の外でも書籍を販売したいと思うのが商魂、人情というもの。株仲間に入りたくても資金がないため参入鑑札が取れず、外へ弾き出されているのが実情だろう。
真顔は、株仲間の版元からそっぽを向かれた自分の戯作を株仲間未加盟の草双紙問屋、かわら版屋に持ち込んだのだろう。連中も、人気戯作者の作画をつければ読み手がつく。濡れ手に粟、ひと稼ぎしたら戯作者をその場に残してドロン、という思惑が見え隠れする。
だがそれすらも真っ当に売れれば、の話になる。
株仲間加盟板元の署名がないものは販路を持たず、戯作者の名で売れる黄表紙はほんの一部だ。
それゆえ見世棚を持たず、草双紙を一枚刷りにして売る業種「かわら版屋」が急増した。
かわら版屋の中には、避難所やお救い小屋の場所を地図にして売る目先の鋭い瓦版もあったが、大抵は嘘八百で、板元の所在も知れず泡みたいに現れてはすぐ消えていく。江戸は商売の見切りが速いのだ。
そうはいっても黄表紙は一冊四文から十二文。これに対し、瓦版は一枚四文だ。一冊十二文で買った黄表紙の画を版木に彫り直し、その画だけ摺って売れば三枚で元が取れる。ボロ儲けである。
「いいですよ、真顔さんには借りがありますからね」
「だろ? だから頼むよ。どうでもいいけど、これうめぇな」
用意した〝にせ捻頭〟を残らず平らげて真顔は草稿を置いて帰っていった。
「結局、真顔さんの原稿、いつ引き渡したんだっけ。それすらもう覚えてないな」
北川真顔は年が明けても、伝蔵に年始の挨拶にすら顔を出さなかった。
こっそり師匠・恋川春町に言いつけてやろうかとも思ったが、伝蔵も良くしてもらっている大先輩画師に了見が狭いと思われるのも癪だ。それよりも弟のことだ。
「百樹、鶏告にも男女のイロハを教えておかなければいけないよな」
弟はまだ十七歳。母がなんと言うだろうか。説得するのに骨が折れそうだ。
天明六年正月。
蔦屋重三郎の主催で狂歌三大家の四方赤良、朱楽菅江、唐衣橘洲編の『狂歌評判俳優風』《きょうかひょうばんわざおぎぶり》が正月刊行された。
年の瀬に江戸中から集められた狂歌を、選者三人が厳選して[立役][実徳][若女形][娘形]などの部門に分けて評価される。特筆すべきは女性狂歌師も貴賤の別なく正当に評価され、狂歌は女性にも開かれた文芸だとアピールする狙いもあった。
伝蔵には初刷りの献呈本が正月に配られて岩瀬家では家族みんなで見る。
秩父庄司次郎重忠 山東京伝 スキヤ
春の野の梅かかげ清たずねては乞食の家ものぞく重忠
花川戸助六 山東黒鳶 スキヤ
助六がかさにかゝりしあくたいは舌にもつかぬちり桜かな
忍者 山東汐風 スキヤ
忍び出て見こす親方首尾の松シヰ(椎)の木やしき声が高塀
「兄上が、[立役]で上々半白吉だ!」
百樹が歓声をあげた。
伝蔵の狂歌一首が達人名人が集まる枠の中で、中の上段という評価を得て入選した。
上々半白吉は、上々と上々吉の間にある評価位で「吉」の字が白抜きされている。相撲の番付なら前頭筆頭あたりといったところ。
その上は上々吉、上々々吉、上々々大吉で、主席には極上がつく。そこまでいくと博覧強記の知識と鋭いウガチを兼ね備えた豪傑なので、伝蔵のような若造が逆立ちしたって届かない境地だ。
それよりも山東汐風(百樹)、山東黒鳶がそろって入選したことは岩瀬家の快挙として、家族を明るくさせた。よねも一時は戯作をやめると落ち込んでいたが、頬を上気させて母と父に自分の名前を見せている。
それにくらべて百樹はどこか斜に構えていた。
「兄上。わたし達の入選は、蔦重さんが兄上への忖度ではないのですか」
重三郎なら、世間への話題になればなんだってやるだろう。耕書堂に花が欲しいといったセリフも伝蔵はまだ憶えていた。
いまや人気戯作者にまで駆けあがった山東京伝の直弟子二人を、お披露目口上代わりに揃い踏み入選させたとなれば、新年恒例の狂歌文集にこれ以上の花を添える話題もない。
「百樹。私は謙虚な戯作者なんだ、兄妹全員を認めて戴いた三選者には感謝しているんだよ」
伝蔵が笑うと、百樹はまだ唇を尖らせて押し黙った。弟なりに戯作者の理想があるようで、駆け出しにして既に戯作者意識だけは高い。そんなことよりも両親だ。
いまや飛ぶ鳥落とす勢いの蔦屋重三郎が推し出す年の瀬の狂歌文集に、わが子全員の名前が並んだのを睦まじく微笑み合っていたので伝蔵は是とした。
少しはのうらく息子も親孝行ができた正月になったかなと思う、伝蔵だった。




