第二十八話
その後もしばしば入江らの兵隊たちは収容所に寄せてきた。しかし、当初のように強引に突入を図ってくることはなく、すべて玄関あたりでの小競り合いに終始した。
六月も最後の週に入った月曜日の昼休みのこと。それまで立場を明確にせず無言を貫いてきた二年生にして経理部長を務める萩原陽菜乃が、邑子のもとを訪ねてきた。
「ご存知ですか? 衰えたかに見えた解放戦線の活動が、ここに来て急に活発化していることを。さっきも中庭の真ん中で、サングラスを掛けマスクをして工事用のヘルメットを被った女が、生徒会批難の演説をがなり立てていました。このまま奴らの跋扈を許し続ければ、やがて、とんでもないことに……」
「どうすればいいと思う?」
「決まってます。入江さんたちとの不毛な争いを直ちに止めることです。そして、前のとおりに生徒会の業務を再開し、不逞の輩をまたビシバシと取り締まる。これしか無いです」
「こっちがそうしたくとも、あっちにその気がないのが問題でしょ。何よりまずあいつらに、私たちを攻めるのを止めさせなさいよ」陪席している綾音が、不服を表して言った。
「ですから、そこは取引で。彼女らは今、代表印を喫緊に欲しています。寮の光熱費や食費の支払いが直前に迫ってますからね。なので、これを材料にすれば、そう悪くない条件で講和も可能かと」
「賊と交渉などしないわ」邑子が即座に言い切った。「彼女らにはただ、すぐに私に謝罪に来るよう伝えなさい。いいわね」
萩原陽菜乃は苦い表情をして、
「……今、あっちの陣営においては、生活指導部の者たちが内申点の加算をエサに兵隊を広く集めて回っていて、その数を着実に増やしています。次の攻勢はきっと、これまでになく大掛かりなものとなり、ここの守備はそれに、どうあがいたところで耐えきれないでしょう。完全に負けてからでは、取引も何も無くなってしまいます。お気持ちはわかりますが、どうかこのこと、ご賢察を」
「聞こえなかったかしら? 私は今、賊とは交渉しないと言ったの。だからこの話はこれでおしまい。ところで、あなたに訊きたいことがある。あなたは本当のところ、どっちの味方なの? 私、それとも入江たち?」邑子が首を軽くひねり、意地悪そうに微笑んで訊いた。
「……それはもちろん、邑子さまです」
「実は、信頼のおけるある筋からタレコミがあったの。あなたと入江のあいだで話し合いが持たれて、ある取引が成立したと」
「……入江さんと話をしたのは本当です。ただ、その内容はあくまで、邑子さまとのあいだを取り持つためのもので、取引などは何も……」
「入江はあなたに次の生徒会長の座を条件に自身に味方するよう頼み、あなたはそれを受け入れた、というふうに私は聞いたけど、それは間違いということ?」
「デマです。決まってます。馬鹿馬鹿しい」
「じゃあ、あの覚書も作り物かしら。いま言った内容が書かれていて、あなたと入江によく似た筆跡で、署名まで入ってたけど」
「まさかそんな物が……あるわけないでしょう」見るからに顔を青くして、萩原陽菜乃は言った。
「それがあるのよ。入江の机の中に仕舞ってあったのを拝借してきたと、その協力者は言ってたわ。綾音、向こうの部屋に置いてある私の書類箱を、箱ごとちょっと持ってきて」
「ち、違うんです! あれはあくまで入江さんをたばかる為に、計略として書いたもので、全然本気では……と、とにかく、私の心は常に邑子さまの下にあります。そのことお忘れなく、くれぐれも誤解など無きよう。では、邑子さまもお忙しいでしょうから、今日はこれで失礼します。ごきげんよう」
「捕まえて!」
綾音が叫ぶやドアが開き、複数の憲兵隊員たちが雪崩れ込んできた。脱兎の勢いで去ろうとした萩原陽菜乃と先頭の隊員がぶつかって、どちらも派手に床に転がった。
残りの隊員たちが折り重なって、萩原陽菜乃の上に載っかった。萩原陽菜乃は「私を誰だと思ってる! 次の生徒会長だぞ! お前ら全員、覚えてろ!」と喚いたが、とっさに誰かから「うるせえっ!」と頭を強く叩かれて、すぐに静かになった。
「愚かなことをしたものね。私、あなたのこと、買ってたのよ。わざわざ奴らに組せずとも、もともと私は後継に、あなたを指名するつもりだったのに」邑子が、両脇を固められて立たされた経理部長を、さげすむ目で見て言った。
「嘘だ!」萩原陽菜乃が、太い鼻血を垂らした顔を憎々しげに歪めて叫んだ。
「嘘じゃないわ。どうして、そう思うの?」
「お前、自分がそうだからか、顔の綺麗な女をひいきしがちじゃないか。実際、今そこに立ってる女も、それだけが理由で重用されている。お前は私のこと、便利な道具としか思ってないだろ。だから、仮に今は本気で私を後継にするつもりでいても、どうせその時になれば、やっぱり誰か美人を選ぼうと、気を変えるに違いないんだ」
「そんなことあるわけ……ないとは確かに言えないわね」邑子が、ナポレオンフィッシュに似た萩原陽菜乃の顔をまじまじと見ながら言った。
「ちきしょう! このルッキズムの権化め! 貴様、やっぱり許せねえ! いつか必ず、復讐してやるからな!」
顔が綺麗なだけと悪口された綾音だが、さすがに相手が哀れに過ぎて、怒る気になれなかった。他の者たちも同様らしく、本来追加で一、二発、殴りつけてもいいところ、却って皆、彼女に、同情のまなざしを向けている。悲しげな背中を見せて被疑者が連行されてゆき、綾音は気を取り直すように邑子に言った。
「それにしても、知りませんでした。まさか会長が、独自の諜報網をお持ちだったとは。しかも、かなり優秀な人間をお使いのようですね。ただ入江と経理部長の協同を探知するのみならず、その証拠となる覚書まで入手してくるだなんて」
「何を言ってるの。あんなのハッタリに決まってるじゃない」
「え、あれ、ハッタリだったんですか?」
「そうよ。間違ってたら間違ってたで構わないから、鎌をかけてみただけ。あなただって、入江とあの娘が裏で手を握ってる可能性ぐらい、考えたでしょ」
「でも会長は、協同の条件まで言い当てたようでしたけど、それはどこから?」
「次期生徒会長の座以上に、あの娘が欲しがりそうなものが、他に何かあって?」
「覚書まで交わしたということは?」
「口約束を簡単に信用するような抜け作に、私は経理部長を任せたりしないわ」
聞けば単純なそのハッタリに引っかかってしまった萩原陽菜乃経理部長は、充分抜け作だろうと綾音は思った。邑子も自分で言いながら同じように感じたのか「でも、今にして思えば、私は彼女を過大評価していたかもね」と、しれっと言い添えた。




