第二十九話
これまでになく大規模なものになるに違いない次の本格的な侵攻に備えて、綾音は何人かの部下たちにノルマを課し、募兵に走らせた。しかし、見込みのありそうな人間は、たいてい既に入江たちの側がスカウト済みで、結果はまるで芳しくなかった。
綾音は考え抜いた末、ある一策を思いつき、邑子に相談を持ちかけた。そして、ある蒸し暑い夜のこと、綾音は一人こっそりと収容所を脱け出て、体育館裏まで、あらかじめ呼び出しておいたある女に会いにいった。
その女の名は、佐藤真由美という。解放戦線において、かつて綾音と同じ細胞に属し、その直属の上司がクーデターを企てるや、そのことを、綾音に対する嫉妬から当時の議長に密告した、あの同志佐藤のことである。
綾音がその場に着いた時、彼女はまだ来ていなかった。倉庫の扉に繋がる短い石段に座り、手持ち無沙汰にしばらく待った。突然、近くの藪の中からガサリと耳立つ音がして、驚きつつ目をやったその先に、淡い月の光に照らされて、佐藤が一人で立っていた。
「おどかさないでよ。何でまた、そんな所に?」
「私はお前を信用していない。呼び出しが罠である可能性を当然に考慮した。で、何の用だ?」
「……兵隊を借りたいの。生徒会が今、二分して争っているのは、あなたも知ってるでしょ。私たちの方に味方して」
「馬鹿を言うな。何でわざわざ我々が。そもそもお前は何なんだ? 私たちの同志であることは、もう止めたのか?」
「まさか。私はもちろんずっと解放戦線の一員で、それは今も変わりないわ。そして、それゆえにこそ、この取引をあなたに持ちかけることを思いついたと言っていい。最近新しく議長に就任したあなたに」
前代の議長が事実上引退した昨年の晩秋以降、綾音の知らないところで、その後継をめぐって、激しい内部抗争があった。もともと優秀な同志であった佐藤は長らく続いたその抗争を何とか勝ち抜き、一月半ほど前のこと、ついに新議長の座に就いた。以後、組織はまとまりを取り戻し、生徒会のゴタゴタも手伝って、その勢力は日々着実に拡大していた。
「兵隊を貸せば、見返りを与えるということだな。見返りは何だ?」
「組織の合法化。以後、解放戦線の一員ということだけが理由で、逮捕されることは無くなるわ。言論の自由も保障する」
「……それだけか?」
「生徒会の活動を評し、提言をする為の審議会を立ち上げ、誰か解放戦線の人間をその委員の一人として迎える」
「……私たちの目的はあくまで、公平で公正な生徒会長選挙を復活させること。その程度の条件では、まるで話にならないな」
「一足飛びに選挙まで実現させようたって、それは無理。望み過ぎよ」
「そうか。だったら、入江と交渉するまでだ。さっそく明日にでも、こちらから出向いてみようかな」
「……入江の方でも、選挙までは認めないはず。他に何か希望があれば、こっちで聴くわ。言ってみて」
「そうだな。その二つの条件に加えて、私を今のお前の位置に座らせろ」
「私の代わりに常務委員にしろ、ということ?」
「そうだ。外からどんなに吠えたところで、どうせ今の腐った生徒会は変わらない。であれば、私が直接中に入って、大鉈を振るうまで。なおお前は、生徒会内においても私の部下として、誠心誠意、私に仕えろ。馬車馬のごとく働いて、すべての生徒たちの為に尽くせ」
綾音は考えた。佐藤を常務委員にすることによって、邑子の身に何か直接の危険が及ばないかと。そして、佐藤の真の意図が何であれ、その点についてはまあ大丈夫だろうと結論づけた。実際に憲兵隊を動かすのが自分でありさえすれば、もし、いざということがあっても、どうとでもなるだろう。名目だけの常務委員として、ずっとテキトーにおだてておいてやれ。
「それも認めれば、本当に兵隊を出してくれる?」
「私自身が指揮を執り、同志総出で助けてやる」
「持ち帰って検討してみる。時間をちょうだい」
「私は別に急いでいない。好きにしろ」
しかし結局、この話は纏まらなかった。邑子が、事前に相談を受けていない追加の条件を、頑として拒絶したからだ。
「どうしてあなたが私以外の人間の部下にならなきゃいけないの? 意味がわからない。その女一体、何を考えているの?」
「たいした考えは無いと思います。あるとしてもせいぜい、憎む私を下風に立たせて、優越感に浸りたい――その程度のものかと」
「あなたはその女に憎まれてるの? それはなぜ?」
「あ、えっと、それは、つまり……私は、私の職務の性質上、広く誰からも嫌われていますので。いずれ、私が邑子さまの配下であることに変わりはありません。どうか、私のことは気にせず、この条件にもご承認を」
「認めません。交渉は打ち切りよ。相手にはそう伝えなさい」
「いや、しかし、それでは、入江たちとのあいだの兵力差は埋まらず、もはや、この建物を守る術が――」
「不快な相手に媚びてまで、助けを借りる必要などないわ。あなたは常に、私の命令だけ受けていればいいの。わかった?」
「……はい」
「ではまたあなたに、新たな命を下します」邑子が、ことさらに表情をつんと澄まして言った。「あなたは今、所長室のソファを寝床にしているわね。今夜からまた、この宿直室に戻って、ここのベッドで寝なさい」
「……それでは、会長の寝るところが無くなってしまいます。部屋の設備にご不満はさまざまお有りでしょうが、なにぶん、今の状況下では――」
「違う。そうじゃない。私は部屋を移らないわよ」
「しかしそれでは――」
「今夜からあなたは、私と同じベッドで一緒に寝るの」
邑子はベッドの上でもわがままで、するもさせるも、相手の意思などまるで頓着しなかった。もっとも綾音も、しおらしかったのは初めだけで、じき同様にふるまいだした。二匹の獣はお互いの肉体を飽きることなくむさぼり合い続け、陽が昇りはじめてもまだ、終る気色を見せなかった。




