第二十話
翌日の昼休みのこと。綾音が昼食を終えて、腹ごなしに中庭を一人で歩いていると、前から同志佐藤が知らんぷりしつつ寄ってきて、さりげなく、植込みの陰へと誘導された。麗羅に作成を頼んだ例の監禁対象者リストを代わりに渡しに来たのだろうと思いきや、佐藤の口から低く流れ出た言葉に、綾音は心臓を凍らせた。
「望月麗羅を粛清する。理由はわかるな」
「望月先輩を粛清するですって! 彼女が何をしたって言うの?」綾音は全てを察しながらも、自然な驚きを装った。
「とぼけても無駄だ。お前も知ってるはずだ。だが、はっきりと答えてやろう。望月は、組織を私物化する為にクーデターを画策した。憲兵隊の隊長――つまり、お前と通じてな」
「まさか。私、何も知らないわよ」
「とぼけても無駄だと言っただろう。同じことを言わせるな。望月本人から、私は全てを聞いた。今朝も彼女から、ある紙片をお前に渡すべく、託された。その内容は、言うまでもないよな」
佐藤は、麗羅が細胞の長になった初めからの部下とのことで、その腹心のような存在だと綾音は認識していた。きっと麗羅もそう信じていたに違いなく、まさかここに来て裏切られるなどとは、夢にも思っていなかっただろう。
綾音はシャツの脇下を汗で湿らせながら、頭を必死に働かせた。どうせ言い逃れが出来ないのであれば、いっそ、この目の前の裏切り者を憲兵隊員の身分と職権でもって、今すぐ逆に逮捕してしまおうか。そして、その口から、他に逮捕すべき組織の幹部の名前を全て吐かせ、当初の目的どおり、彼女らを一網打尽にしてしまえば、あとはどうとでも――
佐藤が、綾音の考えを見透かしたように言った。
「変なことを考えない方がいい。少しでも妙な真似をすれば、今も私たちを見張っている私の仲間が、すぐにお前の正体を生徒会に告発する手筈になっている。憲兵隊の隊長が実は解放戦線のスパイだったと知ったら、奴ら、驚くだろうな。そして、その怒りたるやと想像すると、他人事ながら流石にぞっとするな。長い懲役のあいだ、看守たちに、お前はどれほどいじめられることか」
「……待って、違う、誤解よ。これにはわけが……」
今や、綾音の顔は完全に青ざめ、声ははっきりと震えていた。鬼と呼ばれる憲兵隊長にしてこのざまかと思うと、ちょっと情けない。そんな綾音を佐藤は嗜虐的な笑みを浮かべつつ、しばらく何も言わずに見ていたが、やがて口を開いて、居丈高に言った。
「安心しろ。お前を罰することはしないと、議長はおっしゃっている。お前はそそのかされただけで、裁かれるのは望月だけだ」
それを聞いた綾音は思わずほうっと長い息をついたが、すぐに、そんな都合の良い話があるはずはないと思い直して、
「ぬか喜びは嫌。本当のことを言って。もう覚悟は出来たから」
「何だ、お前はマゾなのか。そんなにお仕置きしてほしいのか?」
「まさか、そういうわけではないけど……さすがに何の処分も無しってわけにはいかないでしょ」
「いや、本当に何の処分も無しだ。議長の寛容さに感謝することだな」
「……本当に?」
「くどい。本当だ」
並の同志であれば、確かに、このような寛大な措置に恵まれることはなかったであろう。主犯の麗羅と共に、何らかのきつい処罰を受けさせられてのち、追放され、その後も陰に陽にいじめられ続けるに違いない。しかし、綾音は、スパイとして入り込んだ生徒会において、憲兵隊長などという顕職にまで成り上がっており、言うまでもなく、この利用価値は大きい。彼女を追放してこの利を捨てるような損な判断は、組織として流石に出来なかったのだろう。綾音は自らの幸運を思いつつ、神妙を装って言った。
「ありがたいことだわ。今後は一層議長に忠誠を尽くし、組織の為に励むわ」
「ああ、我々のみならず未来の生徒たちの為にも、お互い、議長の指導の下に粉骨砕身、共に励もう」取ってつけたような綾音の言葉に応えて、佐藤も殊勝らしく白々と言った。
「ところで議長ってどんな人? 私、会ったことないんだけど」
「今日明日中に直々の呼び出しが掛かるだろう。そこで自分で確かめろ」
「麗羅先――望月には具体的にどんな仕打ちが課されるの? やっぱり、殴られたり蹴られたりするの?」
「そんな野蛮なことはしない。ただ、裸にひん剥いて、骨董品のフィルムカメラで撮るだけだ」
「……口封じの脅しに使う為なのはわかるけど、ちょっと可哀想すぎない?」
「そうだな。しかし、望月もかつて、裏切り行為が発覚した自分の部下に対して、同じことをしている。同情の余地はない」
「……もう一つ、訊いていいかな?」
「質問が多いな。何だ?」
「あなたは望月のことを、演技でなく心から尊敬して慕っているものだと私は思ってたけど、その見方は間違っていたのかしら?」
「いや、間違いじゃない」
「なら、どうして急に心変わりして、彼女の不利益になるような注進に及んだの?」
「組織の為に私情を捨てるのは当然のことだ」
「間違っていたら、ごめんなさい。ただ、今後の私の活動の為に、どうしても確かめておかなきゃいけないことがある。昨日、私と望月は遊歩道の奥のケヤキの下で落ち合って話をしたんだけど、どうやら誰か尾行が付いていて、その様子をずっと見られていたらしいの。もしかしてだけど、あの尾行は、あなた?」
「……そうだ」
佐藤は無表情のまま低い声でそう言うと、すぐにくるりと背中を見せて、その場を足早に離れていった。




