第十八話
公邸からの帰り道、綾音が雪乃に尋ねた。
「もう一人の生徒会長――朋子名誉会長の方も、あそこに住まわれているんですよね?」
「そうだ。出てこられなかったが、おそらく二階の自室におわしただろう」
「邑子代表会長の名字、朋子名誉会長のと同じですね。どういう関係ですか?」
「知らん。余計な詮索をするな。不敬だ」
「私が想像するに、二人はきっと腹違いの姉妹ですね。邑子代表会長が正妻の子で、朋子名誉会長は愛人の子」
雪乃は何も答えず黙っていたが、やがて、何を思ったかポツリと、
「逆だよ」
「えっ、逆?」
「会長の父君は――理事長のことだが――幼い頃より美しく聡明な邑子様ばかりをかわいがられ、見合い結婚の正妻の子である朋子様のことは、いつもほったらかしにされておられた。それで、ずっとそのことを気にかけておられたお優しい邑子様は、自身が生徒会長に就任される際、自分が生徒会長になるなら、同い年の姉妹である朋子様も同様に生徒会長になるべきだと譲られなかった」
「……どちらかが副会長に納まる、というわけにはいかなかったのですか?」
「正妻の子も愛人の子も身分は同等であり、そこに上下があってはならぬ、とおっしゃっていたとかいないとか」
「代表権を持ってる方が、明らかに上だと思いますけど」
「メンツの問題だと思う。ほら、普通、世間の人間は、同じ高校の生徒会長でも、代表権の有無によって違いがあるなどとは考えないだろ。鵬泉の生徒会長と聞けば、それだけで何の疑問もなく、さすが広幡家の娘と承知するに違いない。ところがだ、これがもし、生徒会長でなく、副生徒会長であってみろ。軽んじられるというほどのことはないにしても、どうしてもそのぶん割り引いて見られることになる」
「でもそれだと、同じ期に二人の生徒会長が居ることになり、結局、それはなぜだとの疑問を呼ぶことになりますよね」
「おそらく邑子さまは自分が生徒会長であることを、あるいは卒業後において、あったことを、特に学外に向かって公表することはあるまいよ。朋子さまの体面を少しでも損なうことのないようにな」
「……邑子さまって中等部の時は、どのような学園生活を送られていたのですか。やはり中等部でも生徒会活動を?」
「邑子さまは高等部に入学される直前まで、スイスに留学されておられた。戻ってこられた理由は知らぬ」
「朋子さまも邑子さまも、ほとんど表に出てこられないのは、どうしてですか?」
「朋子さまはもともと内気なおかたで、中等部においても、滅多に教室に出てこられることはなかった。非常に神経の細やかなおかたであるらしく、人づきあいがあまりお得意ではあられないらしい。邑子さまについては――これは完全に私の憶測になるが――ひとり自分だけが表立つことを控えられているのではないかと思う」
「……わからないですね。どうしてそんな必要が?」
「お前、邑子さまにお会いして、どんな印象を持った?」
「すごく綺麗な女性だと思いました」
「それだけか?」
「……態度は堂々として、挙措は機敏で、笑顔は屈託なく、声音も爽やか。要は、見た目のみならず、すべてが華やか、とでもいった感じですかね」
「そうだろ。いわゆる深窓の令嬢とは全く違うタイプだが、あれほど艶やかで魅力的な女性など、他にはおるまい。それを、姉妹であれば、どうしても比べられがちであるところ、一方にあれを置かれてみろ。たださえ繊細な朋子さまにおかれては、どれほどみじめなお気持ちになられるか……」
「それって、邑子さま本人が、そういうふうにおっしゃったんですか?」
「言ったろ、あくまで私の推測だ。もっとも、私はそうと確信してるがな。まあいずれ、お二人とも生徒会長であることに間違いはないわけで、私どもとしては、どちらに対しても誠心誠意お仕えする、これあるのみだ。ところでお前――」と雪乃は急に立ち止まり、すぐ横を半歩ほど下がって歩いていた綾音を振り向いて、「今日知ったこと、解放戦線に報告するのか?」
思いもよらぬタイミングで、その話題をまた持ち出されて、綾音は当惑した。が、なんにせよそんなこと、認めるわけにはいかない。綾音は表面、平静を装って、あくまでとぼけた。
「まだそんなこと言ってるんですか。だから私はスパイじゃありませんって」
「まあ、好きにすればいい。それでお前、邑子様のこと、どう思った?」
「いま言ったじゃないですか。とても華のある綺麗な女性――」
「違う。もっと内面についての評価を訊いている。つまり彼女は――広幡邑子代表取締役生徒会長は、お前が忠誠を尽くすのに足る人物か?」
「いやまさか、私のような下賤が至尊を評するなど、恐れ多くて――」
「本音を聞きたい。言え」憂いの色を帯びた真剣な目が綾音を見ていた。
綾音は気圧されたようにごくりと唾を飲み込んで、
「……ちょっと会っただけのことで、やはり何とも。ただ、憎めそうにない人だなとは思いました」
「うん、そうか」
雪乃はそう言って、また歩きだした。そして、分かれ道まで来ると、また立ち止まって、
「私は三年生で、来年には卒業する。その後の邑子様のことが心配でならない。お前、私の代わりに、彼女を守ってやってくれないか」
何を考えているのかと綾音は思う。綾音はあくまで解放戦線のスパイであり、そのことは雪乃もうすうす気づいているらしいのに、あえてそのスパイにそれを頼むのはなぜか。
しかしまさかそんなことを訊けるはずもなく、綾音は心にもないことを白々と述べ立てた。
「もちろんですとも。解放戦線の連中が何を企んでいようと、会長にその手を触れさせるようなことは、今後も絶対にさせません。もし、私の手に余るようなことがあっても、その時は、他の部署にも協力を頼み、万全を期しますので、ご安心を」
「うん、そうか。ただ、私が本当に心配しているのは、解放戦線よりもむしろ、その、他の部署の奴らなんだがな」
「えっ、それはどういう……」
「まあ、そのことは、追々話そう」
無表情にそう言い捨てて、雪乃はその場を後にした。




