第十七話
憲兵隊長は勅任官にあたり、その辞令書は生徒会長の手ずから交付される。九月半ばの一日、綾音はそれを受け取るため、朝から雪乃に伴われて、生徒会長公邸をおとなった。
生徒会長公邸は他のどの建物からも離れて、森林公園めいた区域の西端から、さらに少し歩いたところにあった。コンクリート打ちっぱなしの二階建ての建物で、周りを鋭い忍び返しの付いた高いフェンスで囲まれている。門扉にかぶさる小さな屋根の裏には半球形の監視カメラもくっついていて、まるで零細ヤクザの組長宅のようだと綾音は思った。
雪乃がインターフォンを鳴らすと、すぐに、柔道でもやっているに違いない屈強そうな大きい女が出てきた。どうやら警備部の人間らしく、護衛兼使用人といったところか。恐い顔に似ず、辞儀は丁寧で、二人は丁重に迎え入れられた。
玄関でスリッパに履き替え、良く磨かれた廊下を大きい女の後に付いてパタパタと歩いた。案内された部屋には、一人掛けのソファ二脚と三人掛けのソファ一脚とが、ガラスのローテーブルを挟んで据えられていて、綾音は、雪乃が一人掛けの方に腰を下ろすのを見て、自分もそれに倣った。
「会長公邸といっても、中身は特に贅沢というわけでもなく、一般の家とほとんど変わらないですね。ちょっと意外でした。この革のソファはちょっと高そうですけど、それでもこのぐらいの物なら、たぶん並の家庭の応接間にも無いことは無いでしょうし」綾音が、大きい女が下がるのを待って、言った。
「そりゃそうだろ。会長は実際にここで公務を執られると共に、お暮しになられているわけだからな。無駄に装飾に凝ったところで、うるさいだけだ」いつになく緊張しているらしい雪乃が前を見たまま言った。
「そういえば会長って、ふだん授業にはちゃんと出席されてるんですか? 私、入学式の時に一度見たきり、彼女のこと、校舎でもどこでもお見かけしたこと無いんですけど。まさか、ここにずっと引き籠っていなさるんじゃ……」
「どちらの会長も全ての授業をきちんとお受けになられている。もっとも、校舎の方には、確かに、通われておられないがな」
「どういうことですか?」
「教師の方がここに来るんだ」
「……つまり、一対一の家庭教師みたいに?」
「そうだ。各教科の担当が、それぞれ空いた時間に順繰りにやってくる」
ここでいったん会話が途切れて、部屋に静寂が落ちた。綾音は今の会話にふと違和感を覚えて、頭の中でその再現を試みた。
と、その正体はすぐに判然とした。どうして直後に気づかなかったのか。あるいは緊張のせいか。
雪乃が綾音の様子に気づいて、顔を横向けた。
「どうかしたか?」
「……今、どちらの会長もって言いましたよね。それってどういう――」
その時、ノックの音も無く、ドアがだしぬけに開いた。すわ生徒会長かと綾音が目を上げると、入ってきたのは、あの白豚とは似ても似つかない綾音の見知らぬ背の高い美人だった。
つややかで軽やかなボブの髪。美しく涼しげな目に、高く通った鼻筋。少しぷっくりとした色っぽい唇。豊かで形の良い胸。細い腰から急に張り出した女らしい尻回り――綾音の隣に座る雪乃も相当な美人であるが、いま目の前に初めて見るその女は、それに優って美しい。
雪乃が立って、気を付けをして、頭を深く下げた。綾音も、誰だろうといぶかりながら、慌てて雪乃の真似をする。女は、三人掛けのソファの真ん中に長い足を組んで座ると、二人を立たせたまま何の挨拶も無しに、いきなり綾音に訊いてきた。
「鬼高辻というのは、あなたのこと?」
綾音は戸惑った。とっさに言葉が出てこない。雪乃が代わって返事をした。
「左様でございます。不埒きわまる六角の一党を排除するにあたり、彼女は非常に役立ってくれました。迅速果敢にして容赦のないその働きは、まさに鬼と呼ぶにふさわしいものでした」
「へえ、かわいい顔して恐いのね」
「私はただ、するべき仕事を誠実に行ったまでです……ところで失礼ながら、あなた様は、その、どちら様で?」
女は一瞬、きょとんとして、それからすぐに、おかしそうに笑い出した。
「あなた、私が誰だかわからないの?」
「ええ」
雪乃が慌てた様子で、綾音を叱った。
「お前、本当に失礼だぞ。ここはどこだ? 何をしにここへ来た? それを考えれば、答えは自ずと明らかだろ」
「いや、でも、私の知ってる生徒会長は、このかたとは容姿が全然違って……」
「ああ、そうか。これは迂闊だった。お前もとうに知ってるものとばかり思い込んでいたが……」
「雪乃、あなた、もしかして、彼女に私のこと、教えてないの?」女が、どこか楽しげな調子で訊いた。
「申し訳ありません。つい、失念しておりました……おい、高辻、よく聴け。ここにおわすは、紛れもなく当代の生徒会長、広幡邑子さまだ。恐縮して、以後、心して仕えよ」
綾音は困惑しつつ、
「えっ、いや、それってどういう……私の知らないあいだに、生徒会長の交代があったということですか?」
「違う。お前の知ってる生徒会長――朋子さまも邑子さまも、どちらも同時に初めから生徒会長だ」
「……つまり、今この学校には、生徒会長が二人居ると……」
「そのとおりよ」女が、ますます混乱する綾音をやはりおかしそうに見て言った。「ただ、それぞれの役割というか権限には大きな違いがあって、あなたが従前知っている生徒会長には生徒会を代表する権利が無くて、私にはあるの。いわば彼女は名誉生徒会長とでも言うべき立場であって、私の方は代表取締役生徒会長とでも言ったところかしらね」
「……驚きました。そんなこと、どこにも公表されてないですよね。どうして、隠されているんですか?」
「私自身は別に隠していないわ。ただ他の者たちが言いたがらないだけ。特に警備部の連中などは、そっちの方が助かるみたいね」
その時、開いたままだったドアを控えめにノックする音がした。見ると、さっきの大きい女が黒塗りの平べったい盆をその太い両腕で捧げるようにして入ってきて、それをローテーブルの上に、ひざまずきつつ置いていった。盆の中に入っていたのはもちろん件の辞令書で、広幡邑子代表取締役生徒会長はそれを無造作に片手で取って、綾音の方に突き出した。
「私、あなたのこと、何だか気に入っちゃったわ。また遊びに来なさい。今度は菓子でも食べながら、ゆっくり過ごしましょう」
綾音は辞令書を恭しく受け取りつつ、自身の感情の置き所に困った。というのも、彼女は本来、反生徒会組織の一員であるが、それにもかかわらず、今、その倒すべき組織の憎っくき首領から思いがけない好意の言葉を掛けられて、ちょっと嬉しく感じてしまったからだ。じかに接する敵の首領は、不躾ながらいかにも無邪気で、不思議な愛嬌があった。そして何よりその女は、滅多に並ぶ者のないほどの美貌の持ち主であり、綾音は愚かなほどに面食いだった。




