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第十五話

 誰か容疑者が居れば、何はともあれ、まず逮捕してしまうのが、公安部や憲兵隊の常の仕方である。しかし、まさか、雲の上の人たる常務委員を相手に、そういうわけにもいかない。つまり、六角を捕まえ、獄に落とすためには、誰にも否定しようのない確実な証拠が必要で、それは今回の場合、彼女のスマホに尽きると綾音は考えた。

 さて、そのスマホはどこにあるのか。常に携帯しているのか、あるいは、ずっと寮の自室に置いているのか。綾音は考えあぐねて、望月麗羅を例のケヤキの大木の陰まで呼び出し、意見を訊いてみた。

「身柄の確保と家宅捜査を同時にすればいいじゃない」

「その為には人数が要ります。だけど、憲兵隊の連中は既に皆、六角に買収されているので――」

「ああ、そうか。計画を打ち明けたが最後、それはすぐに六角に漏れちゃうってわけね」

「ええ。そしてそうなれば、件の売買にかかわるアカウントやデータは、全て消されてしまいます」

「私は自室に置いてると思うな。いくら例外の定めでスマホの所持を許されているといっても、わざわざそれを教室で使用して、周りから要らぬ嫉妬を買う必要なんて、どこにもないもの。いかに厚かましい彼女でも、たぶん、そのぐらいの配慮はできるでしょ。実際、彼女が人前でスマホを使っていたなんて話、聞いたことないし」

 綾音はいろいろ考えたすえ、結局、空き巣をするしか方法は無いと覚悟を決めた。

 二学期に入ってすぐの日の昼休みのこと。彼女はそれを実行すべく、六角の部屋の合鍵を借りに、団員寮の事務室を訪れた。

「いくら憲兵隊の副隊長さんの頼みでも、それは無理です。勘弁してください」一人で当番をしていた一年生が困り顔に言った。

「ほら、これを見なさい。捜索令状よ。わかったら、さっさと渡して」紙片を掲げ示した綾音が居丈高に言った。

「……請求者と承認者、どっちの欄にも、同じあなたの名前が書かれているじゃないですか。一人二役のそんな令状が有効であるとは、とてものこと思えないです。せめて、裁判資格のある役職者の承認を貰ってから、出直してきてください」

「憲兵隊の副隊長には、その資格が無いって言うの? そんなこと、どこかに書いてあったかしら? 何という規則の何条何項、地球が何回まわった時? 今すぐ教えてちょうだい」

「……とにかく、無理なものは無理です」

「あなた、私たちの捜査を何としても邪魔する気ね」

「私の一存ではどうとも出来ないんです。わかってください」

 綾音は壁に掛かった時計をちらと見て、

「十二時四十九分、会務執行妨害の現行犯で、あなたを逮捕します」

「えっ、嘘、ちょっと待って、そんな――」

「嫌ならとっとと合鍵を渡しなさい。大丈夫、あなたに迷惑はかけない。十分、いや五分で良いの。用が済んだら、すぐに返すから」

 昼休みが終わる間際の時間であり、今、寮内をうろついているような人間は綾音の他、誰も居なかった。綾音は慌てることなくゆっくりと階段を上り、初めて踏む三階の廊下を足音を忍ばせて歩いた。

 六角の部屋は一番奥の東南角にあった。震える手で鍵穴に合鍵を差し込み、手首をひねる。ガチャリと錠の外れる音がして、ドアはあっさりと開いた。

 綾音はさっと中に身を入れると、何を恐れてか、すぐにまたドアに鍵を掛けた。そして、早く済ますにしくはないと、鼓動の落ちつくのを待つ間もなく、すぐに家探しに掛かった。

 部屋は、洗面所とトイレとユニットバスを片側に備えた短い廊下と、東と南にそれぞれ広い窓の嵌った八畳ほどの一間とから成っていた。調度は全て、濃い色合いの木目調のシックな物で揃えられている。綾音は脇目も振らず一心に、それらの中身を漁りまくった。

 しかし、目当ての物はなかなか見つからなかった。机の引き出しに無ければ、どこの棚の中にも無い。クローゼットにしまわれた冬の制服のポケットにも無ければ、部屋の隅に置かれた小型の冷蔵庫の中にも無い。綾音は焦りの色を次第に濃くしつつ、最後に、ベッドのマットと台のあいだに手を差し入れ、ひとわたり探ってみた。

「ん……なんだろ?」

 何か小物の入った布袋が手に触れた。スマホではない。引き出して、中身を取り出してみると、それは綾音には全く未知の用途不明品だった。

 プラスチック製でピンク色をしている。細長い球と棒の部分に別れて、五十センチほどの紐で繋がっている。棒にはダイヤルが付いていて、右に回すと、軽いモーター音が上がり、球の部分が細かく震える。

 綾音はさらに、ダイヤルを目一杯まわしたまま、その球を吊るしてみたり、振り回してみたり、肩に当ててみたり、においを嗅いでみたりした。しかし結局なにやらわからず、いずれ、こんなことをしている暇はないとほどなく諦め、その謎の小物は元の場所に戻した。

「残念。無駄骨だったか……」

 どうやらこの部屋にスマホはないらしい。六角はそれを常に持ち歩いているのだろう。綾音は引き上げることに決め、開け放していた引き出しや棚を順に閉じて回った。

 その時、外の階段の方から、話し声がした。午後からの授業が既に始まっているこの時間にどうしてと思いつつ、綾音は残りの棚を急いで全て閉め終え、ドアの傍まで早足に行き、耳を澄ませた。

 話し声は足音と共に次第に近づいてきて、ドアのすぐ向こうで止まった。綾音は慌てて自分の靴を回収し、真横のトイレの扉を開き、滑り入った。

 錠がガチャリと開いたのと、トイレの扉が閉まったのが同時だった。綾音は窓のない真っ暗なトイレの中で息をひそめて、簡素な扉一枚隔てただけの向こうの様子に聞き耳を立てた。

「少し蒸してるわね。冷房つけようか」

「ええ。お邪魔します」

 後者の声を聞いて、綾音は胸を締めつけられた。それは聞き違えようのない、綾音の元恋人の莉々華の声だったからだ。

 いま彼女が六角と交際していることを思えば、これは特に驚くほどのことではなかったが、それでも、ただそうした場面を想像するのと、実地に接するのとでは、やはり、心に受ける衝撃の度合はまるで違う。しかも、その後の二人の会話はあまりに生々しく、綾音の肺腑を抉るに充分だった。

「シャワーぐらい浴びさせて」

「必要ないわ。いいえ、むしろ、そのままで」

 ほどなく、居室の方から、ベッドの軋る音や、押し殺しても殺しきれない艶めかしい吐息やあえぎ声がかすかに響いてきた。綾音は暗闇の中、トイレの蓋の上に一人うなだれて座って、それらをじっと聞き続けた。聞きたくないと思いつつも、なぜか聞かずにいられない。やがて、例の謎の小物のモーター音も聞こえてきて、彼女はここに初めて、それの使用方法について思い至った。

 それから、どのぐらいの時間を過ごしたのか。綾音には十時間にも二十時間にも感じられたが、実際には三十分ほどのことであったろう。ようやく事を終えたらしく、二人は一緒に歩いてきて、綾音の潜むトイレと壁一つ隔てただけのユニットバスに入った。

 ほとばしるシャワーの響きと、寛いだ会話の声が聞こえてきた。綾音はずらかるには今しかないと思い、傷心に沈む暇もなく、便器から立ち上がった。

 その時、トイレットペーパーやら何やらの置いてある扉の上の棚上で、小さな光がチカチカと点滅していることに気づいた。手を伸ばして触れたのは、薄く平べったい物体で、もしやと思って取って見ると、それは果たして、スマホであった。

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