第十四話
また新たに、ある生徒会メンバーによるカツアゲ事件の告発が憲兵隊にもたらされた。これもまたどうせあべこべに告発者の方が逮捕されることになるのだろうと綾音は思いきや、こっちの事件は順当に加害者の方が処罰された(その事実が公表されることはなかったが)。
二つの事件の違いが、綾音にはわからない。素直にそのことを尋ねてみても、舟橋隊長も隊員たちもただニヤニヤと笑うばかりで、すぐに話をごまかしてしまう。
そんな八月も下旬に入ったある日のこと。舟橋隊長が、隊員の一人に大きなダンボール箱の載った台車を押させて、詰所に入ってきた。
「何ですか、それ?」
「開けてみて」
中には、マカロンだのワッフルだのミルフィーユだの、この学校の食堂でも購買でも他のどこでも、決して手に入れられるはずのない高級菓子の類が、箱ごとぎっしり詰まっていた。
「どうしたんですか、これ?」
「常務委員の六角さんからの差し入れ。何かあった時や、何もない時でも時々、こうして呉れるの」
それで綾音にはピンときた。生徒会メンバーに対する告発への対応は、被疑者の属する生徒会内の派閥によって変わるのに違いないと。実際、件の二つのカツアゲ事件において、見逃された一人は、六角が管掌する経理部の人員であり、捕まった一人は、六角と同じ常務委員で収容所長の北小路雪乃配下の刑務官である。六角と雪乃の仲の悪さは、生徒会内において、広く知られていた。
五時半頃、隊長の退勤を見送り、綾音も寮に帰るべく廊下に出たところ、ドアのすぐ傍に一人の生徒が立っていて、呼び止められた。
綾音はその生徒に見覚えがあった。綾音の服役中、何度も目にした刑務官だ。彼女は綾音に、ここと同じ階の一番奥にある所長室を今すぐ訪ねるよう、慇懃に求めてきた。
そこに待つのはもちろん、ちょうどさっき綾音が思いついた仮説に現れた北小路雪乃である。綾音は嫌でも、以前その雪乃により一月余りに渡って、自身の肉体をほしいままにもてあそばれた恥辱の記憶を思い出さざるをえない。
彼女は当然、そんな女には会いたくなかったが、たかが憲兵隊の副隊長が、大臣にも関白にも例えられる常務委員の呼び出しを拒めるはずもない。綾音は、何があっても取り乱さないよう自分に言い聞かせつつ、刑務官がノックして開けたドアの内へと足を踏み入れた。
「久しぶりだな。まあ、座れ」広い机を前に悠々と椅子に腰かけた雪乃が、妖しく微笑んで言った。
「このままで結構です。どういったご用件で?」綾音がドアの付近に直立したまま、無愛想に言った。
「もっと近く寄れ。話がしにくい」
「今の私の所属はご存知ですよね。また私に変なことをしたら、収容所長だろうと常務委員だろうと容赦なく逮捕しますからね」
「お前、解放戦線のスパイだろ」
綾音の心臓がドキリと跳ねた。声の上擦らぬよう気を付けつつ、
「いきなり何を……何を根拠に?」
「根拠などない。ほとんど直感だ。だがお前、生徒会に対して数々の怨みがあるよな。そんなにっくき団体に、わざわざ加入した理由は何だ?」
「生徒会に対する怨みなんてありません。この学校をより良くするため、生徒会に協力したい。加入の動機はそれだけです。ただ、あえて言えば、あなたのことは今でも個人的に怨んでますけどね。卑怯な手により、私の肉体を思うままに凌辱し続けたあなたを、私は絶対に許さない」
「自分に嘘をつくのは止めろ。もう義理立てする相手もいないのだろう」雪乃がフッと笑って言った。
「嘘? 何が嘘だって言うんですか?」
「何がって、お前、初めこそ――いや、そんなことはどうでもいい。お前の正体だって、別に今すぐ暴くつもりもないんだ。とにかく、これからお前と話したいのは、六角のことだ」
「……悪口でも聞いてほしいんですか?」
「いま私は義理立てする相手と言ったが、お前、六角に、その恋人を寝取られたそうだな」
綾音の顔が真っ赤になった。誰のせいでそんなことになったのかと腹立たしく思う。知らず目が鋭くなり、その元凶を睨みつけた。
「……だったら何ですか? 笑いたければ、勝手にどうぞ」
「六角に復讐したいだろ。その為に必要な情報を呉れてやる。ありがたく思え」
「彼女に復讐するなんて、夢にも思ったことはありません。ただ、もし、その情報とやらが、何らかの違反や不正に関するものなら、憲兵隊への情報提供として、聞くだけは聞いてあげますが」
「奴があちこちに菓子やら何やらを配っているのは知ってるか?」
「何だ、そんなことですか。知ってるも何も、今日実際に私たちの詰所にも運ばれてきました。それらが贈賄にあたるとでも?」
「そう安くもない菓子が結構な量、入ってただろ。その原資について、考えたか?」
「ご両親からの仕送りじゃないんですか?」
「奴ん家はサラリーマンの共働きだ。ここの授業料を払うだけでも楽ではないはずだ」
綾音は顎に手をやり、
「とすると……生徒会資金の不正流用?」
「それはなかった。少なくとも私には見つけられなかった。経理の仕事についてのみは、奴は誠実そのものと言っていい。不細工であるにもかかわらず、会長に気に入られている由だな」
「だったら一体……」
「ところでお前、常務委員が持つ特権のうち、誰もが一番羨ましがるであろうものが何だかわかるか?」
「それはもちろん……何ですか?」
「これだ」
そう言って、雪乃が机の引き出しから取り出したのは一台のスマホだった。綾音は何か見てはいけないものを見てしまったように唾を飲み込み、身体を固くした。実際、この学校においては、スマホの持ち込みは禁止されていて、もし見つかれば、一発で退学である。
「驚かないでいい。別に違反じゃない。例外についての別途の定めで、常務委員にはスマホの所持使用が特別に許されてるんだ。さてそれで、お前に本当に見せたいのは――」
雪乃はスマホを弄り、画面にある画像を出してから、それをそのまま綾音に手渡した。映っていたのは、履き古されて汚れた体育館シューズの写真で、そのシューズは、綾音にも普段から見覚えのあるこの学校の正式指定品だった。
「何ですか、これ?」
「フリマサイトに出された商品の一つだ」
「商品? この汚くて臭そうなのが?」
「落札価格を見てみろ」
「えーと……えっ、一万八千円? 嘘でしょ! 何ですか、この値段? 新品よりずっと高いじゃないですか」
「それだけじゃない。他のも見てみろ」
綾音はおぼつかない手つきで、画面を上から下へとゆっくりスクロールさせていった。体育館シューズの他にもこの学校の体操着やジャージなどの着古しが、未洗濯のまま幾つも出品されていて、やはりどれにも法外な値段が付いている。出品者は全て同じで、客からの評価は高く、そのコメント欄には「丁寧な梱包と迅速な発送、ありがとうございました」などといったお礼の言葉が数多く並んでいた。
「……汚ければ汚い物ほど高い落札価格が付いてるの、なんて言うか、きしょいですね。あ、これは変わり種、剣道の籠手が出てる。十二万四千円! なんでこんなボロボロなのが。しかも落札日まで、まだあと二日もあるのに……なるほど、これは良い商売ですね。でも、これだけの物、どうやって集めたんですかね?」
「知らんが、たぶん卒業生からでも貰ったんじゃないか。もういらないなら置いていけ、こっちで処分しとくから、とでも言って。あるいはもっと簡単に、卒業生の置き忘れが集めて捨てられていたのを、そのまま全部頂戴してきたとか」
「発送はどうしてるんですかね? ここから外に荷物を送る場合、中身の検査を必ず受けますよね。実家以外の場所に汚れた体操着なんて送ろうとすれば、たちまち怪しまれて、止められそうなものですけど」
「その業務を請け負っているのは経理部物品調達課、つまり、六角の手下だ」
「なるほど。それであなたは状況証拠的に、この出品者は六角さんであるに違いないと」
「そうだ。他に居るか?」
綾音はちょっと首をひねって、
「……常務委員は全部で四人居ますよね。他の二人が出品者である可能性は? 常務委員ともなれば、荷物の開封を拒むことぐらいできるでしょ」
「確かに、常務委員の荷物は送受共に機密指定が出来る。だが、そんなもの、あの猜疑深い六角が守るはずがない。何か弱みを握れないかと、こっそり開けさせるに決まってる。あとな、そもそもの話として、私を含め六角以外の三人の常務委員が、絶対にその出品者ではありえない根拠がある」
「なんですか?」
「こんなこと、自分で言うのも何だか、私の家はかなりの資産家で、他の二人も同様だ。もし金が必要なら、手紙を一本書けばいいだけの話で、わざわざ変態どもを相手に浅ましい商売をする必要など全くない。ありがたいことにな」
「使途の怪しいお金でも、送ってもらえるんですか?」
「生徒会内の工作に使うと言えば、いくらでも喜んで送ってくれる」
「……」
「話は以上だ。さて――」
雪乃が立って、綾音の方へつかつかと寄ってきた。綾音は反射的に一歩あとじさり、両手で胸の辺りを守るようにした。
「……何ですか?」
「今夜は私の部屋に泊っていけ。寮の方には言っといてやる」
「何を馬鹿な――あっ!」
綾音はドアに背中を押しつけられた。腰と頭に手を回され、口を口できつく塞がれて。綾音は何とか手探りでドアノブを掴んだが、なぜかその手をひねることが出来なかった。




