step24 遠い約束
step24
杉材の香りが漂う再建されたクラブハウス。
デスクの上に、きれいに畳まれたガストンズのユニフォームが置いてある。
「確かに契約はシーズンが終わるまでだったよ。何度もいうが、だからといって……」
立ち上がったオーナーが責めるような目でボックを見た。
「自分でも仕方がないことなんです」
ボックは軽く唇を噛んだ。
「何とかならないのか、お願いだ!」
オーナーは椅子に腰を落として腕を組んだ。
「……またいろいろな街を見たくなったみたいなんです」
ボックは絞り出すようにいった。
オーナーの横でタバコを吹かしていたガストンママが、突然机を叩いた。
「青臭いこというんじゃないよ!なったみたいだって?自分でもわかってないじゃないか!そんな中途半端に決めていい話じゃないんだ!」
下を向いたボックは何もこたえない。
ドアの向こうから、作業をする選手や街の人々の賑やかな声が聞こえる。
ママがタバコを灰皿に押し付けた。
「わかってんだろ?あんたはもうガストンズなんだ。新しい契約書は作っておく。しばらく頭を冷やして、また来週にでも来な」
ボックはゆっくりと顔を上げる。その目は真っ赤になっていた。
「……来ません」
言葉を失ったママの肩を抱いて、オーナーが声を震わせた。
「ママ、困ったものだね。何かが一杯になると、何かが足りなくなってしまうんだ」
オーナーは目を閉じて頭を振った。
ボックは黙ったまま深く一礼してドアに向かった。
ママが乱暴にユニフォームをつかんで、ボックの背中に叩きつけた。
「ふん!こんな汚い物を置いていくんじゃないよ!大バカ野郎!」
くしゃくしゃのユニフォームを拾い上げたボックは、うつむいたまま部屋を出た。
◇
アスナロ亭は静まり返っていた。
テーブルの上に、いつものような料理はない。ただ大皿に枝豆だけが山盛りになっていた。
古いスカが小さく聞こえる。ガストンズの選手たちは、黙々と枝豆を口に運んで酒で流し込んでいた。
厨房から覗いたララが、どっかりと座っているマスターにいった。
「あれじゃあ、ボックさんが気の毒ですよ」
「いいんだ!あんな奴に食わせる飯はねえ!」
マスターは顔を背けて酒をあおった。
「ボックさーん!」
ワインボトルを片手に、リンコがふらふらと近づいてきた。
「あの、あのですねー、明日から誰が屋根に上がるんですか?どうしたらいいんですか?ねえ……」
リンコは空いたジョッキやグラスを押しのけて、乱暴にボトルを置いた。
「ああ、リンコのいう通りだな。どうすりゃいいんだ」
向かいで頬杖をついたジョディーがつぶやいた。
「俺がいるさ」
そういったザイオンの背中をリンコが思い切り叩いた。
ボックは黙ったまま横にいるニトロを見た。ニトロは目を逸らしてジョッキを空にした。
「明日は……明日はいくよ」
小さな声でボックがいった。
「そうじゃない!」
真っ赤な顔をしたリンコは、何度も首を振った。
チャックやコジロー、アンガスもペイジも、全員がただ酒を飲み続けていた。
ボックは後頭部に何かが当たるのを感じた。振り向くと枝豆が一粒、床に転がっている。顔を上げると、じっとりと睨むセイヤが枝豆の鞘をつまんでいた。横では酔い潰れたショウタが突っ伏していた。その様子を見たアンガスが、そっと枝豆の皿に手を伸ばした。
周りにいた選手たちみんなが、ボックに枝豆を飛ばす。どの顔も怒られた子どものようにしょぼくれていた。
「おい、やめてくれよ!」
両手を上げたボックに、ふらついたダイクがいう。
「結局、見捨てるんじゃねえか。そんなに俺たちが気に入らねえか」
立ち上がったボックはダイクに向かって叫んだ。
「違う!違うっていったじゃないか!何でわかってくれないんだ!」
「ヘイ、もういいだろ」
静かにいったニトロが、ダイクを抱えて離れた席に座らせた。
ボックは選手たち一人ひとりを見た。どの顔にも忘れられない思い出があった。
耐え切れずにボックは席を立った。
「……帰るよ」
一人ぼっちで店を出たボックは、秋の虫が鳴く夜道を歩いていった。
◇
次の日、ボックは中古車屋にいた。
「金、よく持ってたな?こっちは、すっからかんだよ」
恨めしそうにいった店主の顔を見ないで、ボックは買い戻したキャンピングトレーラーの鍵を受け取った。
球場の前に車を停めたボックは、ためらいながらドアを開いた。
気まずそうな顔のニトロが近づいてきた。
「ヘイ、昨夜は……」
「もういいんだ」
ボックが遮ると、ニトロは黙ってうなずいた。
「ところで、あれは?」
ボックが指差した先で、見慣れない顔の人々が作業に加わっていた。小太りの中年男、長髪の青年、眼鏡をかけた女、大勢の人々が忙しく行き交っていた。
ボックは、目の前を通った竹竿を担いだ老人に声をかけた。
「あんたたち、雇われたのか?」
立ち止まった老人がこたえた。
「いやいや、火の鳥を見物しにきたんじゃ」
「それなら、あそこにいるじゃないか」
大穴の足場にFBがとまっていた。
「ああ、もう会わせてもらった」
ボックは不思議そうにきいた。
「じゃあ、なぜ?」
老人は嬉しそうに笑った。
「少し手伝えば、あんたらの野球を見せてくれるって約束じゃ」
はっとしたボックは、振り返ってニトロを見た。
「FBだけじゃないってことらしい」
そういってニトロはウィンクした。
汗を拭う人々が、角材を積んだ場所に列を作っていた。アスナロ亭のマスターと伊勢屋の親父が、忙しく握り飯と唐揚げを配っている。
「おーい、箸とコップはこっちだ!」
手を上げるモグラは『龍殺し』のタンクを背負っていた。
弁当と酒を手に楽しげに話しながら、人々は焼け残ったスタンドへ向かっていった。
ボックは戸惑っていた。
「あの俺は……」
にやりと笑ったニトロが、振り返って大声で叫んだ。
「ヘーーーイ!誰かこのわからず屋から三振をとりたい奴はいるか?」
ブーツのまま足を踏み入れたグラウンドは、少し芝が伸びて緑が戻りつつあった。屋根にはめ込まれた新しい杉板は白く、所々で市松模様を作っていた。
新しいダグアウトの前に、ガストンズの選手たちが集まっている。
「お待たせしました!」
リリーフカーに乗ったリンコが手を振った。
荷台からそれぞれの道具を探し出す選手たちは、みんな活きいきとしていた。
「……ボックさん」
バットを見つけたボックにリンコがいった。
「昨日はすいませんでした」
ボックは横を向いたままこたえた。
「ああ、大丈夫だ。それより屋根の修理は?」
「もういいんです」
リンコはまっすぐにボックを見た。
「その代わり……ホームランを打ってください」
振り向いたボックは、リンコの目を見ることができなかった。
「わかった。やってみるよ」
二人の後ろでニトロが声を張った。
「ヘイ!じゃあ適当にチームを作ってくれ!」
真っ先にボックの隣に並んだのは、ショウタとセイヤだった。続いて、ザイオンとダイクがボックの肩に手を置いた。
「ワシはこっちじゃ」
どこからか現れたゲン爺は、ボックの向かいに立つ。その横に、ニトロ、アンガス、ジョディー、ハヤタが並んだ。
「ピッチャーやらせてくれるなら、どっちのチームでもいいわ」
コジローの言葉を聞いたボックが手を上げた。
「チャックはギャラ高いよー」
今度はニトロが手招きした。
ユニフォームも審判もない試合が始まった。空いたポジションは、街の人々が守っていた。ギン婆さんやマッケンジーの姿も見える。
「いくわよー!」
コジローが大きく振りかぶった。打席にはアンガスが立っていた。
「おりゃ!」
強い打球がショートに転がる。ショウタのグラブに入ったと思ったボールが、ぽろりとこぼれた。スタンドの観客が立ち上がって一斉に野次を飛ばす。
「あんた、どういうつもり?今度店に来たらボトル入れなさいよね!」
「何ですか、そのルールは!」
「次やったら、埋めるわよ!」
コジローは噛みつきそうな顔でショウタを睨みつけた。
一塁を守るボックの耳に、しゃっくりするような音が聞こえる。
「もう飲んでるのか?」
ボックがリードをとるアンガスにいった。
「うるせえ、こっち見んな!」
アンガスは帽子を深く被り直した。焦げた木片がゴマ粒のように混じった芝の上に、ぽたぽたと涙が落ちた。しばらくその横顔を見つめていたボックは、ふっと笑みを浮かべた。
「ちょっと飲み過ぎたんじゃないか?」
「うるせえっていってんだろ!」
アンガスは、ますます大きくリードした。下を向いたその頭にコジローがアームを伸ばした。
「はい、タッチアウトよ!」
「ハッハッハ!」
セカンドで大笑いしたダイクが鼻をすすり上げた。
焼け焦げた屋根からのぞく空が赤く染まって、稲妻型の水面に映った。
笑っては言い争い、怒鳴ってはふざけ、時に真剣に勝負する。選手たちは土にまみれながら、目を輝かせてプレーした。
大きく素振りをして、左打席に入るボック。
マウンドの上でゲン爺が肩を回す。
「さてさて、いくぞい」
初球。高く足を蹴り上げたゲン爺。
浮き上がるようなストレートが真ん中に決まる。
「うへー、すげえもんだな」
懸命に捕球したジョディーが目を丸くした。
「ああ、本当に。とんでもない球だ」
ボックは構えを作り直して、真一文字に口を結んだ。
「頑張れー、ボックさーん!」
ベンチの前からリンコが声援を送る。
2球目。振りかぶったゲン爺がつぶやいた。
「戻るは去る、去るは戻る」
豪速球がど真ん中に伸び上がる。
ボックの右肩が動く。
──ギーーーン
真芯でとらえた白球が高くどこまでも飛んでいった。
「ナイスホームラン!」
「いいぞ!さすがだぜ!」
スタンドの観客たちが声を上げた。
ダイヤモンドを回るボック。一塁、二塁と進んで、三塁の手前で立ち止まった。
うつぶせに寝転んだニトロが、大きな身体でベースに覆い被さっていた。
「おい、ニトロ。どいてくれよ」
吹き出したボックのところに、敵味方なく選手たちが集まってきた。
「ヘイ、やっちまえ!」
「おう!」
急に起き上がったニトロが、ボックの身体を持ち上げる。他の選手たちもボックに手を伸ばした。
「おい、降ろしてくれよ!」
神輿のように担がれたボックは、そのままホームベースまで運ばれた。
「せーの!」
ショウタの掛け声で、胴上げが始まった。
「わっしょい!わっしょい!」
何度も何度も宙に舞うボック。最後にゆっくりとホームベースに身体を押し付けられた。
「はい、三塁ベース踏み忘れ!アウトーーー!」
目を真っ赤にしたジョディーが叫んだ。他の選手たちの顔も涙でぐしゃぐしゃだった。ベンチで見守っていたリンコは、大声で笑って大声で泣いていた。
「汚いぞ!」
ボックは立ち上がって涙を堪えながら声を張った。
どちらが勝ったのかもわからないまま、試合は終わった。
着替えを済ませた選手たちがクラブハウスから出てくる。
「さあ、いきましょう!」
ボックの姿を見つけたショウタが駆け寄ってきた。
「ボックさん、いこう」
少し遅れたセイヤが、がっちりとボックの腕をつかんだ。
「ああ……」
力のない返事をしたボックは、そのまま二人と歩き出した。
「今夜は、潰れるまで飲みましょうね!」
笑顔のショウタが大声でいった。
選手たちは、ぞろぞろとアスナロ亭に向かって進んでいた。
「だから、お前はピッチャーに向かないんだよ!」
「今日は旨い物が食えるんだろうな?」
「もう一度あの球がきたら、今度こそ打ってやるわ!」
賑やかに話しながら、選手たちは丘を下っていった。
「あれっ?」
ショウタとセイヤが足を止めた。
そっと近づいたダイクが二人の肩を抱く。
「振り返るなよ」
静かに立ち止まった選手たちの姿が、美しい夕日に浮かび上がった。
「ブラザー、また会えるさ……」
ニトロが目を閉じてつぶやく。
「ああ」
ザイオンも目を閉じた。
足早に球場に戻ったボック。
揺らめく炎が、錆だらけのキャンピングトレーラーを照らしていた。
「珍しいか?」
ボックは、ドアの横に立っているFBにそっと声をかけた。
「……ウン」
FBはガラスに映る自分の顔を夢中で見ていた。しばらくその姿を眺めていたボックは思わず微笑んだ。
「この前は、怒鳴って悪かった」
「……ウン」
初めて姿を見た日、会話した日、消えてしまった日、古い映画を見るように思い出が蘇ってきた。
「ありがとう」
ボックはつぶやいた。
FBのクチバシが動いた。
「マタキテ……クレル?」
少し考えてからボックはこたえた。
「ああ、きっと」
エンジンをかけたボックは、静かにサイドブレーキを戻した。
凸凹の道を下っていくと、バックミラーの中でセキドーム球場がだんだんと小さくなっていった。
茜色の空に向かって炎の筋が舞い上がった。ボックは叫び出しそうになるのを堪えて、握った拳でハンドルを叩いた。そして、ぽろぽろと涙を流しながらアクセルを踏み込んだ。
終わり
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